研究所で生まれたデザイナーベビーたちは、“太平洋前線”という事件の後、世界各地へと旅立った。
私たちは“第二世代”だった。
セカンドステージ・チルドレン。
研究所では、そう呼ばれていた。
私が生まれる前から、世界各地ではデザイナーベビーを用いたビジネスが展開されていた。
兵士に娼婦、奴隷、使用人——
遺伝子操作の研究や生物実験が行われる中、一部の富豪たちの間で、デザイナーベビーたちが売買されていた。
当然、公にはならなかった。
「国際遺伝学研究所 ジュノン」が継続的な研究を続けてこれたのは、国際的な援助、——つまり、人々からの“需要”があったためだ。
「人間」を売り買いすること。
国際間を通じての、闇取引。
デザイナーベビーたちが求められた大きな要因は、外見や特徴、運動能力、知能、その他さまざまな部分を、“編集”することができた点だった。
望もうと思えば、どんな性格や見た目にも変化させることができた。
屈強な体にも。
美しい容姿にも。
多種多様な人種が生み出される中で、商品化できる「素材」が次々と棚に並べられていった。
同じ人間でありながら、使い捨ての効く「道具」だった。
第一世代(ファーストステージ・チルドレン)と呼ばれたデザイナーベビーたちは、生まれながらにして人権を“捨て”られていた。
遺伝子操作を行うことはタブーだった。
タブーであり、技術的な問題を抱えていた。
それにも関わらず産み出されたことは、「尊厳」を捨てられていたも同然だった。
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