「緋村涼」は、他の人と同様自らの遺伝性疾患を治すために、ドナーを提供した。
治療できる未来がいつか訪れる。
わずかながらの希望を持ち、契約書にサインをした。
二十歳になったばかりの頃だった。
16歳という異例の若さでグランドスラムを制覇し、順風満帆に思われた人生だった。
高校卒業を機に体調を崩し、成績も思うように伸びなくなっていた。
遺伝性の神経疾患が、発症したためだった。
彼女が私のことを知ってるかどうかはわからない。
少なくとも私に会いにきたことはないし、会う手段もなかった。
私たちの存在は「極秘」だった。
ジュノンという研究所自体が、社会から隔絶されていた。
国際的な援助を受けつつ、非合法的な管理の下で遺伝子研究の実験を行なっていた。
デザイナーベビーの実用性については、多くの学術誌でも以前から話題にはなっていた。
ただ、技術的な問題点や倫理的な観点から、表立った成果は日の目を見ずにいた。
しかしジュノンは、遺伝子工学の第一人者“アーリントン博士“の指揮の下で、確かな成果と実績を積み上げていた。
水面下で研究が行われ、国際的な支援の中で活動を続けていた。
太平洋の海にある“地図に載っていない島”、——イースト。
その場所で。
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