最初は、興味本位だったんだ。
エイザと日本に行こうって言った時、最初に浮かんだのは、母親の故郷だった。
名前くらいは知ってた。
中には遺伝子提供を匿名で行う人がいて、自分の親の名前すら、わからない子達がいた。
ただ、私は運が良く母親の情報が残っていた。
日本では著名な人だった。
女子テニス界のホープで、史上最年少のグランドスラム。
「天才」だった。
世間からの評価は。
もう一度、テニスがしたい
とあるネット記事で、そう書いていた。
私の母親は「緋村涼(ひむらすず)」という名前だった。
美人だった。
最初に見た時、そう思った。
少年のような瞳をしてて、それでいてどこか、大人びてて。
後ろ向きに被った帽子に、日焼けした肌。
アシックスのテニスウェアを着て、広いテニスコートの芝生の上で。
何一つ着飾っていないありのままの姿は、女性とは思えないくらい逞しかった。
かっこよかった。
あぐらをかいてるその姿も。
ラケットを持つ何気ない仕草も。
彼女は遺伝性の筋疾患を患っていた。
ドナー提供する人たちの大半は、遺伝性の病気を抱えてる人たちだった。
私たちはその“副産物”だった。
私たちの生みの親である「国際遺伝学研究所 ジュノン」は、遺伝性疾患を抱えている人たちの治療法を研究するため、立ち上げられた機関だった。
遺伝子研究を重ねる中でタンパク質コード領域やその他のゲノム領域が発見され、「ゲノムプロジェクト」と呼ばれる新たな分野が確立された。
遺伝子工学の新たなステージだ。
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