di;vine+sin;fonia ~デヴァイン・シンフォニア~

『記憶の保存』と『肉体の再生』で死者は蘇り、仕組まれた出逢いが運命の輪環を廻す
月ノ瀬 静流
月ノ瀬 静流

2.残像の軌跡-1

公開日時: 2021年4月2日(金) 22:22
文字数:3,410

 草薙家に着いたルイフォンは、レイウェンの妻シャンリーによって、奥の小部屋に通された。


 置かれた調度から察するに、接待用の部屋であるらしい。とはいえ、大人数が入れる表彰状だらけの応接室とは違い、もっと私的で落ち着いた雰囲気が漂っている。


 ただ、ルイフォンが目を瞬かせたのは、テーブルの上で湯気を上げているスープのためだった。肉と野菜が豪快に放り込まれており、お世辞にも上品とは言えなかったが、美味そうな匂いが鼻腔をくすぐる。


「緋扇シュアンの奴が『なんか食わせてやれ』と、わざわざ連絡を寄越してきたんでな」


「え……、シュアンが」


「ああ。だが、あいにく、ユイラン様はお忙しくて。……私が残り物を適当にぶち込んだだけのものだが、味は保証する。食っていけ」


 シャンリーがほんの少し気まずげなのは、手先の器用な義母ユイランであれば、もっと上等なものを振る舞えたのに、ということだろう。


「ありがとう。――いただきます」


 ルイフォンは襟を正して礼を言い、ひと匙、口にする。


 美味い。


 夏に差し掛かったこの時期であるにも関わらず、温かさが身にしみた。


「……ご苦労だったな」


 シャンリーが向かいに座り、静かに微笑んだ。……柔らかなのに、苦しげな笑みだった。


「疲れただろう?」


「……」


 ルイフォンのスプーンが止まる。


 作戦に失敗し、リュイセンの生死が不明であることは、シャンリーも知っている。


 リュイセンは、長いこと、母親のユイランとうまくいっていなかった。父親のエルファンに至っては、そもそも子供の相手などできる性格ではない。だからリュイセンは、兄のレイウェンと義姉のシャンリーに育てられたようなものだ。


 つまり彼女にとって、リュイセンは実の弟以上の存在……。


「すみません……」


 思わず、言葉がこぼれた。


 ルイフォンが頭を下げた次の瞬間。


「っ!?」


 額に鋭い痛みが走った。シャンリーの指先が、ルイフォンの眉間を弾いたのだ。


「馬鹿たれ! なんて辛気臭い顔をしていやがる」


 彼女こそ、今にも泣き出しそうな顔をしていたくせに、それを棚上げしての、この仕打ち。その上、ただの脅しだと思いたいが、それとなく腰の直刀の存在を誇示している。


 ……つい一瞬前までの彼女は、幻だったのか?


「いいか? そんな顔をしていいのは、ここにいる間だけだ。鷹刀からの迎えが来たら、お前はしゃんとするんだぞ」


「……」


 赤くなったルイフォンの額に、シャンリーは、更に人差し指をぐりぐりと押しつけた。文句を言うほどではないが、地味に痛い。


「何故、シュアンの奴が『なんか食わせてやれ』と言ったのか。お前、分かっているか?」


「え……っと……?」


「勿論、腹が減っているはずだ、との気遣いはあるだろう。だが、それよりも、お前に『心を休める時間』を与えてやるためだ」


「…………」


 呆けたように目を見張るルイフォンの額を、シャンリーは再び強く弾く。


いてぇ!」


「これから、お前は大変だぞ。失敗の落とし前をどうつけるのか。――もうじき、鷹刀からの迎えが来る。それまでに、よく考えておくんだな!」


 まるで悪役のような捨て台詞を残し、シャンリーは唐突に身を翻して部屋を出ていった。


 ぱたん、と音を立てた扉のこちら側には、ルイフォンと、まだ湯気を立てている彼女の作ったスープだけが残された。






 スープをすくい、口に含む。


美味うめぇや……」


 大雑把な見た目に反して、複雑で深い味わいのスープだった。


 そういえば、シャンリーにちゃんと『美味い』と伝えていなかったことに気づく。


 たったひとことだが、大切なことだ。メイシアにそう言うと、彼女は照れたように頬を染め、『ありがとう』と極上の笑顔を返してくれるのだ。


「……っ」


 メイシアを思い描いた瞬間、ルイフォンは息を詰まらせた。


 あのとき――。


 王妃の部屋で〈ムスカ〉と対峙したときに、奴に突きつけられた言葉が頭の中に蘇る。




『『デヴァイン・シンフォニア計画プログラム』の鍵となるために、〈天使〉のホンシュアに操られた『藤咲メイシア』は、色仕掛けであなたを籠絡したのですよ』




 心臓が、氷のくさび穿うがたれたかのように鋭く痛み、凍りついていく。


「メイシア……!」


 頭蓋が割れるように痛んだ。ルイフォンは頭を抱え込み、テーブルに肘を付く。


 ……いっさいの不安を口にせず、ただ、ほんの少しだけ甘えるように彼に体を預け、『信じているから』という言葉で送り出してくれたメイシア。


 あれから、まだ、半日しか経っていない。まったく、一寸先は闇だ。ルイフォンの口から乾いた笑いが漏れる。


「あいつは、俺の何を信じているんだ……?」


 少しだけ上目遣いに彼を見上げた瞳。不安に揺れているのが明らかなのに、気づかれていないとでも思っているのか、無理に笑おうとして引きつった口元。


 脅えを隠した澄んだ声で、彼女は彼に囁く。




『信じているから』




「…………っ!」


 息遣いすら、はっきりと思い出せる、彼女の言葉。


 温かさといとおしさに、魂が震え上がる。


『信じている』


 そのひとことに、どれだけの想いが込められていたのだろう。


「あいつの想いを裏切ったら、駄目だろ……俺」


 たとえ、まやかしの恋心に踊らされているのだとしても、あのとき彼女が口にした言葉は、彼女にとっては真実だ。


 彼女は心から彼を案じ、彼の帰りを待っている。


「あいつは、こんな、ぼろぼろの俺なんて、見たくねぇはずだ……」


 これから鷹刀一族の屋敷に戻る。そのとき、こんな自分に逢わせるわけにはいかない。


 彼女の恋は幻でも、彼の愛は本物だ。


 だから、出迎えてくれる彼女を――最愛の彼女を、悲しませたくないと思う。


 彼女の心は〈天使〉に惑わされただけかもしれないと、あとで、きちんと告げる。けれど、まずは信じて送り出してくれた彼女に、応えたい……!


 ――冷静になるのだ。




『リュイセンさんが『死んだかもしれない』ということは、彼の死を確認したわけではありませんね?』


『ならば、助かっているかもしれません!』




 ふと。


 ハオリュウの声が耳に響いた。


 車の座席下から現れた彼を迎えてくれたのは、そんな言葉だった。


 あのときは、心がついていかなくて振り切ってしまったが、改めて思い返せば、極めて正確な意見だ。決して、希望的観測などではない。


「……」


 リュイセンの死は、確定したわけではない。


 ただ、最後に見た光景が絶望的だった、というだけだ。


「どう転んでも対処できるように構えているのが『俺』だろ……」


 なのに、リュイセンを失う恐怖に両目をふさがれ、一歩も動けなくなった。的確な状況分析が取り柄のルイフォンとしては、あるまじき醜態だ。


 勿論、楽観視はしない。けれど、悲観的になる理由もない。




『どんなことをしてでも、リュイセンさんを取り戻してみせます!』




 ハオリュウの言葉が、今ごろになって、すとんと胸に届く。


 そうだ。リュイセンの死をこの目で確認するまでは、手段を選ばず打って出る。――それが、ルイフォンのすべきことだ。


「……すまん、ハオリュウ」


 彼には申し訳ないことをした。先ほどの態度は八つ当たりだった。あとで、きちんと詫びを入れよう。


 ルイフォンは、頭を押さえていた手で、癖のある前髪を掻き上げる。――挑戦的な猫の目に、光を取り戻しながら。


 諦めるのはまだ早い。


 彼はスープを啜り、添えられたパンを齧る。シャンリーと、それからシュアンの心遣いが、胃袋から全身へとしみ渡った。






 同時刻。


 菖蒲の館にて――。


「いいですか。この館に隠れている曲者を、一刻も早く見つけ出すのです」


ムスカ〉は私兵たちを呼び集め、声高に叫んだ。


「見た目は、ひ弱な子供ですが、侮ってはいけません。遠距離から毒刃を仕掛けてきます。確認できたのは彼だけですが、他にも潜んでいる可能性があります」


 めいを下し、私兵たちが四方に散る背中を見届けると、〈ムスカ〉は眉間に皺を寄せたまま、盛大に溜め息をついた。


 取り逃がしたのが一騎当千のリュイセンではなく、チンピラに毛が生えた程度のルイフォンだったのは幸運だった。隠れているのが子猫なら、追い詰めれば捕獲できるだろう。


 だが、油断は禁物。彼は頭が切れる。


 もしやと思って確認すれば、監視カメラが乗っ取られていた。対処の仕方が分からなかったので即座に電源を落としたが、カメラがルイフォンの手に落ちていたのなら、館の構造は把握されていると思って間違いない。


 かつて国王が使っていたほどの広さの館に、子猫が一匹。いったい、どこに隠れたのやら……。


ムスカ〉は、白髪混じりの頭髪を苛々と乱暴に掻きむしった。

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