di;vine+sin;fonia ~デヴァイン・シンフォニア~

『記憶の保存』と『肉体の再生』で死者は蘇り、仕組まれた出逢いが運命の輪環を廻す
月ノ瀬 静流
月ノ瀬 静流

1.真白き夜更け-4

公開日時: 2022年9月30日(金) 22:22
文字数:5,866


 セレイエは、メイシアを『最強の〈天使〉』にして、『ライシェン』の庇護を託すつもりだ。


 そして。


 メイシアは既に、〈天使〉となっている可能性がある。


 それも、本人の知らないうちに……。


 


 ルイフォンは、荒くなる呼吸を必死に抑えた。


 電灯はつけておらず、白い月明かりの下だ。メイシアは、彼の顔色の悪さに気づいていないはずだと、平静を装う。


 彼の努力が功を奏したのだろう。メイシアは少しだけ不思議そうな顔をしていたが、やがて、柔らかに微笑んだ。


「いつまでも、セレイエさんの辛い過去を悲しんでいるだけじゃ駄目よね。私たちは未来これからのことを考えなきゃ」


 黒曜石の瞳に、凛とした知性の光が灯る。けれど、口元に手を当てて考え込む仕草は、どこか可愛らしい。


 メイシアらしい姿だ。


 愛しさがこみ上げ、早鐘を打っていた心臓が落ち着きを取り戻す。


 彼女が〈天使〉になっていようが、いまいが、そんなことは関係ない。彼はただ、彼女を守っていくだけだ――。


 メイシアがルイフォンを見上げ、口を開いた。


「ともかく、どうにかして、ヤンイェン殿下に『ライシェン』が鷹刀にいることをお知らせしなきゃ」


「そうだな」


 ルイフォンは頷いて同意を示し、そして尋ねる。


「なぁ、メイシア。そもそも、セレイエは何をどうするつもりだったんだ?」


「え? ええとね……」


 メイシアは、わずかに首を傾け、指先を軽く頭に添えた。文字通り、セレイエの記憶をたどっているのだろう。


「セレイエさんの計画では、もう少ししたら私の中のセレイエさんが自然に目覚めて、ホンシュアと連絡を取る予定だった。それをきっかけに、ルイフォンも中にいるライシェンから王族フェイラの『秘密』をそれとなく感じ取れるようになって、私たちの間では〈悪魔〉の『契約』は無効になるはずだったの」


「……随分と都合のいい話だな」


 ルイフォンの茶々に、メイシアはなんともいえない苦笑をする。


「ホンシュアの手引きで、私とルイフォンが『ライシェン』に会いにいく。そして、ルイフォンに預けた記憶を、ホンシュアが『ライシェン』に写す。――それから、『ライシェン』は王宮に引き渡され、女王陛下の御子として誕生することになっていた……」


 メイシアの肩口で、カーテンがはためいた。


 月明かりが広がり、彼女の背に幻の羽を描き出す。


 ルイフォンはカーテンの端をむんずと掴むと、邪魔だとばかりに薙ぎ払った。全開となった窓が白く輝き、幻影の羽は光の中に解けていく。


 彼は満足げに口元を緩めると、メイシアに向き直った。


「セレイエはさ、生まれたあとの『ライシェン』に、ふたつの未来を用意したんだよな? 実父のヤンイェンのもとで王として生きる道と、俺たちに引き取られて平凡な子供として生きる道」


「うん、そう」


「じゃあ、どちらにするかを選ぶのは『いつ』だ? そして『誰』だ?」


「え?」


 メイシアの瞳が、戸惑いに揺れた。問い詰めるような言い方になってしまったことを悔いつつ、ルイフォンは続ける。


「セレイエは、緻密で巧妙トリッキー計画プログラムを書く奴だ。でも、『ライシェン』の未来に起こり得る、無限にある状態の組み合わせの中から、あらかじめ『幸せ』の最適解を求めておくことは不可能だ。――だから、ふたつの未来を用意した」


 ルイフォンは、癖の強い前髪を乱暴に掻き上げた。そして、確認の形を取りながらも、断言する。


「セレイエは、お前に全部、丸投げしたんだろ?」


「……っ!」


 メイシアの目が驚愕に見開かれ、彼の顔を凝視した。


「セレイエは、死んでいく自分の代わりに、臨機応変に『ライシェン』を『幸せ』に導いてほしいと、お前に託した。『ライシェン』は、とりあえずは王として誕生する予定だけれど、それが不幸な道だと思ったら、いつでも王宮からっさらってきてほしい。そんな無茶苦茶ができるだけの力を――『最強の〈天使〉』の力を、お前に授けるから、と」


〈天使〉とは、人の脳に記憶データ命令コードを書き込むクラッカー。


 他人の目を――記憶をいくぐる無敵の存在。


『死』を招く命令コードを刻めば、人の死すらも操れる……。


 強力な力の代償に、たいていの〈天使〉は、ほんの数回の脳内介入を行うだけで、限界を迎えて死に至る。


 しかし、王族フェイラの血を色濃く引き、〈天使〉の力の使い方を熟知したセレイエの記憶を持つメイシアなら、熱暴走とは無縁だ――。


「ルイフォン……」


 細い指先が伸びてきて、彼の服の端を握りしめた。その手は、小刻みに震えていた。


「セレイエさんは『ライシェン』を守り抜くことができる強い力を欲していた。……だから、私を選んだ。私にすべてを賭けて、私にすべてを託した。――『ライシェン』をお願い、って」


「セレイエの奴! 勝手なことを……! 〈天使〉って、要するに人体実験体だろうが!」


 ルイフォンが吐き捨てる。その怒声に、メイシアが「あ、あのね」と、握っていた彼の服の端を強く引いた。


「生粋の〈天使〉であるセレイエさんにとって、〈天使〉の羽は、ちっとも特別なものじゃなかったの。お異母兄にいさんのレイウェンさんや、お義姉ねえさんのシャンリーさんが持つ刀と同じ――誰かを傷つけるものではあるけれど、誰かを守るものでもあるという認識。怖いものでも、悪いものでもない……って」


「……」


 セレイエが、初めてその背から羽を出したのは、敵対する凶賊ダリジィンに襲われ、小さなセレイエを守るために瀕死となった、異母兄レイウェン義姉シャンリーを守るためだったという。あの事件がなければと、今でもレイウェンが悔やんでいることを、それとなく周りから聞いた……。


 ルイフォンは唇を噛み締め、やるせない思いを無理矢理に溜め息にして吐き出す。


 そして、メイシアをきつく抱きしめた。


 腕の中にすっぽりと収まる華奢な体。ほのかに上気した肌の香り。それらを全身でいつくしみながら、彼はできるだけ穏やかで、柔らかなテノールで告げる。


「お前が鷹刀の屋敷に来る直前、お前の家に仕立て屋に化けたホンシュアが現れたとき――、お前はあのとき、気づかないうちに〈天使〉にされたと……思う」


 セレイエが〈天使〉を忌避していないというのなら、間違いないだろう。


『デヴァイン・シンフォニア計画プログラム』を推し進めていくためには、メイシアが『最強の〈天使〉』になることは必須条件なのだから。


 ……別に構わない。


 メイシアは、メイシアだ。


 一緒に暮らしていた母のキリファと、異父姉のセレイエが〈天使〉であったことに、ルイフォンは今まで気づかなかったくらいなのだ。日常生活に支障はないだろう。


 どんなことがあっても、彼女と共にるだけだ。


 ルイフォンが、改めて心に誓ったとき――。


「ルイフォン――!?」


 絹を裂くような悲鳴――に、近い声が響き渡った。


「メイシア?」


「ち、違う! ルイフォン、勘違いしている!」


 メイシアは慌てふためき、激しく首を振っていた。


「〈天使〉化って、そんな簡単にできることじゃないの! いつの間にか〈天使〉になっているなんてことはあり得ないの!」


「え……? なんだ……、そうなのか……?」


 覚悟を決めて告げたのだが、拍子抜けだった。


「……そうだったのか」


 不意に、喉が、目頭が、熱くなった。


 あ、まずい……と思い、彼はこらえるべく、彼女の髪に顔をうずめた。彼女の存在を胸いっぱいに吸い込み、心を鎮める。


 ――俺、……弱いな。……情けねぇ。


 今更のように、体が震えてきた。


「ルイ……フォン……?」


 メイシアは戸惑いに声を揺らしたが、すぐに「心配してくれて、ありがとう」と、彼の背に手を回し、ぎゅっと抱きついてきた。


 触れ合った部分から、温かな心音が伝わってくる。安らかなのに、彼を奮い立たせる旋律が刻まれていく。


「あのね、〈天使〉化するためには、〈冥王プルート〉が収められている神殿まで行かないと駄目なの。〈天使〉の羽は、〈冥王プルート〉の一部を移植することで作られるから。だから、私は〈天使〉になってない、って断言できる。――安心して」


「そうか。……よかった」 


 ルイフォンは、安堵の息を深く吐き出す。


『光の糸』を絡めて作ったような〈天使〉の羽が、『光のたま』の姿をしているという〈冥王プルート〉から移植されたもの、というのは、納得できる話だ。


「……ああ、なるほど。〈天使〉の羽は、〈冥王プルート〉の端末みたいなものなのか。だから母さんは、〈冥王プルート〉を破壊すれば『〈天使〉の力の源』を絶てると言ったんだな」


 思わぬところで、謎がひとつ解けた。母の遺した難題の一端を解析できたようで、ルイフォンは無意識に、にやりと笑みをこぼす。


 すっかりいつもの調子を取り戻した彼に、ためらいがちなメイシアの声が響いた。


「ルイフォン、聞いて……」


 消え入りそうな儚さに、どきりとした。


 彼を見上げる黒曜石の瞳が、くらく沈んでいた。


「セレイエさんの計画では、私はホンシュアの手引きで神殿に潜入して、〈天使〉化することになっていたの。ホンシュアが〈天使〉の力で警備の目を誤魔化して、ね……」


「でも、ホンシュアは死んじまったから、お前は〈天使〉になれないし、そもそも、なる必要もない」


 だから心配することはないだろ? と、ルイフォンは力強く言う。


「……でも、ホンシュアが亡くなって、私も〈天使〉にならなければ、ライシェンの記憶を『ライシェン』に書き込む〈天使〉がいないの」


 思いつめたような声色だった。


「……メイシア?」


「セレイエさんは、命をなげうってライシェンの記憶を手に入れたのに……。セレイエさんの死が、無駄になってしまうの……!」


「それは……仕方ねぇだろ。少なくとも、お前が気に病むことじゃ……」


 ルイフォンがそう言いかけたとき、メイシアが遮るように首を振った。


「私には、セレイエさんの記憶がある。だから、人間を〈天使〉にする方法を知っている。そして、神殿への潜入は、ホンシュアの力に頼らなくても、武力で突破することだってできるはずなの……」


 メイシアの目元が歪んだ。うつむき、すがるように彼の胸に顔をうずめる。


「私が、まだ〈天使〉になっていなくても、『デヴァイン・シンフォニア計画プログラム』は……、『ライシェン』の運命は……、既に、私の手に……委ねられているの……!」


「――!」


 見えない毒刃を心臓に突き立てられたような衝撃を感じた。


 菖蒲の館で聞いた、死を目前にした〈ムスカ〉の声が、猛毒のように全身を駆け巡る。




『ルイフォン、メイシア。――鷹刀セレイエが『デヴァイン・シンフォニア計画プログラム』のために選んだ、あなたたち』


『『ライシェン』をどうするか――』


『処分するのか……』


『すべては、あなたたちの思うがままに……。『ライシェン』の命運、その全権をあなたたちに委ねます』




 ルイフォンは〈ムスカ〉の言葉を嚥下し、重く噛みしめる。


「……ルイフォン。私……、どうすれば……」


 目の前で、華奢な肩が震えていた。


 それは、寒さからなどではない。けれど、彼女の心が凍えないようにと、ルイフォンは全身で彼女を包み込む。


「メイシア、間違えるな。『お前』がどうする、じゃない。『俺たち』がどうするか、だ。『ライシェン』のことは『俺たち』に託されたんだ」


 メイシアの耳元に囁きながら、ルイフォンは自分自身に告げていた。




『ライシェン』の運命を――ひとつの命の未来このさきを決める。




 それが『ライシェン』を菖蒲の館から連れてきた責任だ。


 黒絹の髪に指を滑らせ、ルイフォンはメイシアをしっかりといだく。すると、彼の背に回されていた彼女の両手に力が込められた。


「……ルイフォン。あのね、私……、セレイエさんが可哀想だと思う。『ライシェン』に何かしてあげたいと思う。――でも!」


 細い声を跳ね上げ、メイシアは、しゃくりあげた。


「私は、『デヴァイン・シンフォニア計画プログラム』を受け入れられない……!」


 彼女は訴えるように顔を上げた。


「私が『〈天使〉になりたくない』って気持ちは、勿論ある。でも、それだけじゃないの。だって、何かが、違う! 間違っている! そう……思うの……。理屈じゃなくて、心で……。……でも、セレイエさんは命を賭けて……! …………っ!」


 上目遣いに見つめてくるメイシアの瞳は潤み、白い月光をたたえていた。


 彼女の中にある、相容あいいれない、ふたつの思い。


 セレイエの記憶と、メイシアの魂が慟哭を上げる。


 月の雫が、彼女の頬を滑り落ちた。


「メイシア!」


 優しい彼女は、セレイエの願いを、祈りを――『デヴァイン・シンフォニア計画プログラム』を叶えてあげたいと思っているのだろう。


 けれど、その代償は……。


「メイシア、お前が〈天使〉になる必要なんてないだろ? 勿論、お前以外の奴が〈天使〉になる必要もない。誰かを犠牲にして叶える願いなんて、あってはならないはずだからな」


「でも、王族フェイラの血を濃く引く私は、熱暴走とは無縁のはずで……、『犠牲』には……」


「それでも、だ! メイシア!」


 繰り返し、彼女の名を口にする。


 メイシアの心が、セレイエの気持ちに押し流されたりなどしないように。


 彼女は『メイシア』なのだから、セレイエに気を遣う必要はないのだと。


「『死んだ人間は生き返らない』――それが、人の世のことわりだ」


 決して感情的にならず、だからこその力強さでもって、彼は告げる。


「だから、俺たちは『デヴァイン・シンフォニア計画プログラム』を受け入れられない。――な? 単純な話だろ?」


「……うん。――ルイフォンらしい……」


 かすれた声で、けれど確かに、メイシアの口元がほころんだ。


「メイシア、お前が、罪悪感を覚える必要はないんだ。『デヴァイン・シンフォニア計画プログラム』は、セレイエの我儘だ。俺たちに叶えてやる義理はない」


 覇気にあふれたテノールが、朗々と響き渡る。


「『ライシェン』は、オリジナルの記憶を入れないまま、オリジナルとは別人として、幸せになればいい。――どうしてやったらいいのか。どんなことならしてやれるのか……。これから、ゆっくり、考えていこう」


 そして、ルイフォンは、ふっと雰囲気を和らげた。メイシアの黒髪をき、愛しげに、くしゃりと撫でる。


「ごめんな。今まで、セレイエの思いをひとりで抱えていて、辛かったよな」


「う、ううん……、…………うん」


 メイシアは一度、首を振り、けれど、小さな声で甘えるように言い直した。


 彼女の顔を見やれば、うれい顔に涙が浮かんでいる。ルイフォンは彼女の目尻に唇を寄せ、ためらうことなく舐め取った。


「ル、ルイフォン!?」


 狼狽の声に構わず、彼女を抱きしめる。


 舌の上に、しょっぱさが残る。こんなものでは全然、足りないが、欠片かけらくらいは彼女の辛さを分けてもらえただろうか、などと思う。


未来これからをどうするか。はらを据えて考えていこうぜ? ――ふたりで、な」


「うん」


 真白き月が、固く抱き合うふたりを照らす。


 絨毯に落ちた影は、ふたりだけれども、ひとつ。



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