di;vine+sin;fonia ~デヴァイン・シンフォニア~

『記憶の保存』と『肉体の再生』で死者は蘇り、仕組まれた出逢いが運命の輪環を廻す
月ノ瀬 静流
月ノ瀬 静流

5.魂の片割れの棲まう部屋-2

公開日時: 2021年2月10日(水) 22:22
文字数:5,526

 ひとまず、面倒な仕事は終わった。


ムスカ〉は、やれやれとばかりに溜め息をついた。


 先ほどは、この神聖な研究室に、俗人が土足で踏み込んできた。許しがたい蛮行であった。


 白衣の長い裾を翻し、〈ムスカ〉は研究室を大股に歩き回る。抑えきれない苛立ちを鎮めようと、彼の足は無意識のうちに動いていた。


 それは、自分の領域テリトリーを侵された、獣の習性とよく似ていた。他者の気配の残る場所を、獣であれば自分の臭いで清めるように、摂政とその客の貴族シャトーアが存在した痕跡を〈ムスカ〉は足音でもって消し去ろうとする。


 窓のない地下室に、硬い床を打ち鳴らす靴音だけが響いていた。


「……っ」


ムスカ〉の口から舌打ちが漏れる。


 本来、彼には摂政カイウォルに従う義務はない。


 摂政とは、王宮で政務を執る人間である。それに対して、〈ムスカ〉の属する〈七つの大罪〉は、神殿に拠点を置く研究機関。まったく別系統の組織だ。


 勿論、王宮にしろ、神殿にしろ、頂点に立つのは王である。だからカイウォルとしては、摂政という王の代理の職にある自分には、〈ムスカ〉に指図する資格があると言いたいのだろう。しかし、それはとんでもない間違いだ。




〈悪魔〉とは、『真の王から創世神話の真実を告げられ、それをもとに研究を行う者』だ。




〈悪魔〉たちは、打ち明けられた王族フェイラの『秘密』を決して外部に漏らさぬ誓いの証として『契約』を交わす。口外したら死を約束すると、脳に刻み込まれる。


 だが『契約』は、王との主従関係の契りではない。あくまでも取り引きであり、『秘密』の流布を恐れる用心深い王が保険をかけているだけだ。


 では、何ゆえに研究者たちが、命を預けるような『契約』を受け入れてまで〈悪魔〉となるのかといえば、見返りに魅力があるからだ。


 王が提供する、潤沢な資金。どんなに人の道を外れた研究をしても許される、絶対の加護。蓄積された門外不出の技術に触れられる、唯一の手段……。


 天秤の皿の左右に、命と見返りを載せたとき、そのままで見返りに傾く者はまずいない。けれど、命の皿から『良心』という分銅を取り除くことができたなら……。命の皿は、あっけないほど簡単に軽くなる。


 すなわち、〈悪魔〉とは、『研究のために、魂を捧げた者』。


〈七つの大罪〉の研究者が、『悪魔』と呼ばれる所以ゆえんだ。


 しかし、あの摂政は禁秘の技術の崇高さも、研究への高潔なる情熱も、まるで理解していない。カイウォルの頭にあるのは、権力にまつわる利害関係だけだ。


 奴は、我欲の塊だ。


ムスカ〉は、ふんと鼻を鳴らす。非常に不快であった。


 それでも〈ムスカ〉がカイウォルを立ててやるのは、本来の姿の〈七つの大罪〉が失われ、彼を蘇らせたホンシュアも死んだ今、彼の生活の保証をしているのがカイウォルだからである。


 恒久的な関係を持つつもりなど毛頭ないが、彼は、ある意味で『まだ、生まれたばかり』だ。現状について、知らないことが多すぎる。『独り立ち』するまで、もう少し時間がほしい。


 だから、手を組む。


ムスカ〉は、カイウォルに『ライシェン』を提供する。


 カイウォルは、〈ムスカ〉に資金と安全を保証する。


 対等な関係であるはずだ。――それが、高慢な王族フェイラに通じるわけもないが。


 そして、上流階級の人間を相手にする場合、適当に機嫌をとっておいたほうが扱いやすいことなど、〈ムスカ〉は百も承知していた。


 彼は、がりがりと掻きむしるように頭を掻いた。そして何気なく、抜けて指に絡まった髪を見やる。


 黒い毛に混じり、白髪が一本、きらりと光った。


「……」


 三十代の記憶を持つ彼にとって、五十路手前のこの体は、肉体的にも精神的にも苦痛だった。研究日誌を付ける際に、老眼が混じっていることに気づいた日には、おぞましさに吐き気すらもよおした。


 こんな『自分』という存在を作ったホンシュアを恨んだ。


 何もかもが宙ぶらりんなまま、勝手に死んだ彼女が憎かった。


 そして、姿を見たこともないホンシュアの本体、鷹刀セレイエを呪った。


 すべての元凶は、『デヴァイン・シンフォニア計画プログラム』を作った、鷹刀セレイエだ。


 彼女は今どこにいて、何をしているのか。


 彼女は間違いなく、王族フェイラと深い繋がりがある。それは、『ライシェン』が証明している。


ムスカ〉は『ライシェン』の硝子ケースの前で立ち止まり、じっと彼を見つめた。白金の髪の胎児は、培養液に体を預け、夢見るように眠っていた。


 経過は順調だった。あと少しで凍結保存できるだろう。


 ここで初めて、〈ムスカ〉は、ほんの少し表情を緩めた。


『ライシェン』は、摂政カイウォルへの切り札という『駒』ではあるが、同時に〈ムスカ〉の大切な研究の成果でもある。彼なりの愛情を注いでいた。


ムスカ〉が足を止めたことで、研究室は静けさを取り戻した。ほぼ無音となった室内を、空気清浄機の運転音が低くうなりを上げる。それに混じり、階段を降りてくる足音が、わずかに聞こえてきた。


 斑目タオロンが来たのだろう。


〈悪魔〉でも王族フェイラでもない人間に、硝子ケースに入った〈神の御子〉を見られるわけにはいかない。〈ムスカ〉は、『ライシェン』に黒い布を掛けた。


 そして、机に向かって書き物をしているふりをしていると、ほどなくしてタオロンが研究室の扉を叩く。


「待っていましたよ」


ムスカ〉は平坦な声で出迎えた。本当は待ちわびていたなど、おくびにも出さない。


「まだ館の中に客がいるようだが、今でいいのか?」


「構いません。もう摂政殿下は、研究室の視察を終えられましたからね」


 淡々と、そう答える。


 タオロンのことは、先ほど〈ムスカ〉が呼びつけた。彼を連れて、『ミンウェイ』を迎えに行くためである。


 あんな埃っぽい部屋に、いつまでも彼女を置いておけるわけがない。一刻も早く、この清浄な研究室に戻すべきだった。


 ――〈ムスカ〉は、摂政が研究室に来ると聞いて、『ミンウェイ』を隠すことを考えた。あの男の目に『ミンウェイ』の姿が映るなど、想像しただけで虫唾むしずが走ったからだ。


 そして、ここに移り住んだばかりのころに見つけた、王妃の支度部屋に彼女を連れて行くことを思いついた。豪華な衣装や、立派な化粧台のある、彼女にふさわしい美しい部屋だった。


 それが今朝、数カ月ぶりに訪れて驚いた。


 すっかり埃にまみれていた。かといって、今更、場所を変える余裕もなく、そのまま彼女を置いてきてしまったのだ……。


『ライシェン』には、布を掛けてタオロンの目を誤魔化すにとどめ、『ミンウェイ』のことは手間を掛けて、丁重に別室に移す。ここに、ふたつの硝子ケースに対する、〈ムスカ〉の想いの差が如実に現れていた。


「それでは行きましょうか」


ムスカ〉が白衣の裾を翻すと、タオロンもあとに続いて研究室を出た。






 狭く暗い地下通路に、ふたつの足音が木霊こだましていた。


 しばらく行くと、階段にたどり着く。上階に繋がる、唯一の手段だ。


 地上の階にはエレベーターが完備されているが、地下には通っていない。地下の研究室は〈ムスカ〉がこの館に居を構えるにあたり、あとから作られたものであり、もとからあるエレベーターを伸ばすのが困難だったためだ。


 そして、この階段こそが、『ミンウェイ』の移動に、タオロンが必要となる理由だった。


『ミンウェイ』の大型の硝子ケースには、相応の重量がある。運搬にはストレッチャーが不可欠なのだが、車輪は階段を越えられない。


 故に、ここだけは、ふたりがかりで人の手で、となるわけだ。


 今まで、〈ムスカ〉は階段に不便を感じたことはなかった。勿論、エレベーターのほうが自室との行き来が楽であろうが、この老化した体を少しでも鍛えるためには、かえって健康的で良いとすら思っていた。


 しかし、今日だけは別だった。


ムスカ〉は、神経質な眉間に皺を寄せる。


 小生意気な貴族シャトーアの子供に、さも当然とばかりに車椅子を運ばされたのを思い出したのだ。


 あの子供は、藤咲メイシアの異母弟だ。〈ムスカ〉のことを知っていて、わざと人夫の扱いをしたのだ。小賢しさに、はらわたが煮えくり返る。


 そう――。


 あの子供は、『藤咲メイシア』の異母弟なのだ。


 摂政カイウォルが、あの餓鬼を囲い込もうとするのには政治的な意図もあろうが、『デヴァイン・シンフォニア計画プログラム』とも無関係ではないだろう。


 摂政は、藤咲メイシアが生きていることを知っていた。


 もしや奴も『藤咲メイシアの正体』を知っているのだろうか……?


ムスカ〉の内部を焦りの感情が駆け抜ける。


 そうであれば、摂政がなんらかの行動に移る前に、藤咲メイシアを手に入れる必要がある――!


「……っ」


 知らずのうちに肩に力が入っていたことに気づき、〈ムスカ〉は自嘲した。今は、『ミンウェイ』を迎えに行くところだ。険しい顔は似合わない。


 冷静さを取り戻し、後ろにいるタオロンに不審に思われなかったかを、少しだけ気に掛ける。イノシシ坊やになんと思われようとも構わないのだが、余裕のないところを他人に見せるのは、彼の美学に反するからだ。


 背後の様子を探り……〈ムスカ〉は首をかしげた。


 タオロンの気配が揺れていた。


 口数の多い男ではないので、黙々とついてくるだけなのは不思議ではない。しかし、妙な緊張感を身にまとっている。無理に心を落ち着けようとして、かえって気を乱しているのが明らかだった。


「どうかされましたか?」


「……っ! いや……何も!」


 振り返った〈ムスカ〉に、タオロンは大仰な素振りで答えた。


 それは、ルイフォンたちが来ていることを聞いた彼が、平常心でいられなかったためなのだが、当然のことながら〈ムスカ〉はそんなことを知らない。


 脅えたようにも見えるその仕草に、だから〈ムスカ〉は勘違いをした。これから迎えに行く『ミンウェイ』に、タオロンは憎悪と畏怖をいだいているのであると――。


 今朝、『ミンウェイ』を王妃の部屋に連れて行くとき、彼女を初めて見たタオロンは、〈ムスカ〉に憤怒の表情をぶつけてきた。


 おそらく、彼女を人体実験の被験者か何かだと思ったのだろう。だから、視察に来るという摂政の目から、彼女を隠そうとしている。そう解釈したのだ。


 タオロンは、〈七つの大罪〉の技術を『人として許されない』と言って嫌悪している。いつだったか、彼の怪我の治癒に〈七つの大罪〉の技術を用いたと教えたら、自分の傷跡を穢らわしいものを見る目で睨みつけていた。


 それでも『ミンウェイ』を運んでいる間、口ではひとこともなかった。


 自分の立場をわきまえていて、余計なことを言ってはならぬと分かっているのだ。


 典型的な『非捕食者』だ。これでは斑目一族にいいように利用されていたのも、仕方ないといえよう。


ムスカ〉は、タオロンに憐れすら覚える。


 娘さえ人質に取っていれば、非常に従順な部下であることを〈ムスカ〉は誰よりもよく知っている。だからこそ、こうして『ミンウェイ』を運ぶのにも、金で雇った私兵ではなくタオロンを使っているのだ。


 条件つきであるのは承知していたが、〈ムスカ〉はタオロンを信頼していた。


「『彼女』は、私の妻ですよ」


 わずかに笑みをこぼしながら、〈ムスカ〉は告げた。


 わざわざ、タオロンに教えてやる必要はないのは分かっている。ただ、得体の知れない不気味な『もの』を見る目を、彼女に向けてほしくなかったのだ。


「二十歳になる前に亡くなりましたけどね」


「――!」


「禁忌に触れたと、私を責めますか?」


「……っ、俺は――」


ムスカ〉の問いに、タオロンはうめくような低い声を漏らし、途中で唇を噛んでうつむく。


 もとより、どんな返答も期待していない。だが、これでタオロンは、彼女のことを『人』として見るようになる。そういう男だ。


 実のところ、あの『ミンウェイ』が何者なのかは、〈ムスカ〉も知らない。


 彼女は、彼がホンシュアによって蘇らされたときから、彼のそばに居た。彼が目覚めた手術台の近くに、彼女の硝子ケースが置かれていたのだ。


 彼が知っていることは、それだけだ。けれども、彼女がミンウェイである以上、彼の愛する者だった。


 押し黙ったままのタオロンを残し、〈ムスカ〉はきびすを返そうとした。そのとき、野太い声が「〈ムスカ〉」と呼び止めた。


「死んだ〈天使〉ホンシュアが、俺に尋ねたことがある」


「〈サーペンス〉が? あなたに何を?」


 タオロンの口から出るにしては、意外な名前だった。〈ムスカ〉は、にわかに興味をいだく。


「『もしも、死んだ人間を生き返らせる方法があったら、生き返らせたいか』――と」


「……!」


 それは、〈ムスカ〉が――ヘイシャオが、こいねがったことだ。


 心を撃ち砕かれたかのように、〈ムスカ〉の動きが止まった。


 そしてタオロンもまた、次の句を詰まらせていた。猪突猛進の彼にしては珍しいことだった。


「……つまり、『彼女』は……。いや、なんでもねぇ……」


 何かを振り切るように頭を振り、タオロンは太い眉に力を込めて言葉を打ち切る。


 沈黙が流れた。


 ホンシュアは何故、そんなことをタオロンに問うたのだろう。〈ムスカ〉はそう思い、すぐに答えに行き着く。


「ああ……、そうでした。あなたも妻を亡くされていましたね」


 その呟きは、特にタオロンに向けたものではなかったのだが、そばにいた彼は当然、自分に向けられたものだと解釈した。 


「『妻』じゃねぇよ。俺は、籍も入れてやれなかった。――糞が……」


 毒づいて、そっぽを向く。地下通路の薄暗さに隠されているが、おそらく最愛の人を想う顔をしているのだろう。


 妻に尽くせなかったことを後悔しているのだ。……彼も。


 でも――。


「あなたは『生き返らせたいとは思わない』と、答えたのでしょう?」


ムスカ〉の断言に、タオロンは目を見開いた。


「ああ。……何故、分かった?」


「簡単なことです――」


 不器用で直情的な彼が、禁忌の技術を受け入れるわけがない。


「――あなたが『悪魔』ではないからですよ」


 それだけ告げると、〈ムスカ〉は階段を登り始めた。


 上階から漏れてきた光が〈ムスカ〉を照らし、黒い影を濃く伸ばした。それは、まるで悪魔の翼のようであった。


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