di;vine+sin;fonia ~デヴァイン・シンフォニア~

『記憶の保存』と『肉体の再生』で死者は蘇り、仕組まれた出逢いが運命の輪環を廻す
月ノ瀬 静流
月ノ瀬 静流

4.窓辺に吹く風-2

公開日時: 2020年10月4日(日) 22:22
更新日時: 2020年11月10日(火) 23:14
文字数:5,632

 そこは日当たりの良い明るい部屋だった。


 柔らかな陽光が窓辺を照らし、窓を覆うカーテンを白く反射させていた。春風がふわりとやってきては、細やかなレースを優美に揺らす。編み目から漏れ出た光の欠片がハオリュウの瞳を刺激し、彼は思わず目を瞑った。


「なぁ、俺たち、いつまで、ここで待っていればいいんだ?」


 背後からの男の呟きに、窓際でたたずんでいたハオリュウは、視線を部屋の中へと移す。


 洒落たローテーブルを囲むように座る、警察隊の制服を着た男たち。彼らはゆったりとしたソファーに身を沈めていた。


 実は先ほどまで、彼らは年甲斐もなくその座り心地に夢中になっていた。だが、それも無理はない。シンプルなデザインだが、張り地に外国製の本革を使用しているのが、目の肥えたハオリュウには見て取れた。


 壁に飾られた油彩の風景画に関しては彼の教養では評価できなかったが、名のある名画なのだと言われれば信じてもいい。


 しかし、目につく調度品といえばそのくらいで、この部屋が客人を招いて歓談するような類の部屋ではなく、もっと事務的な場所なのだと推察できた。


 鷹刀一族次期総帥、鷹刀エルファンの案内で、ハオリュウと男たちは『執務室』というところに向かうはずだった。その途中で、エルファンは「少し待っていろ」と言って、彼らをこの部屋に残して出ていったのだ――この部屋の窓から……。


 ハオリュウは体を返し、光の注ぐ窓を再び見上げる。その先はバルコニーに続いており、更に隣の部屋へと繋がっていた。


「あの男、俺たちを案内する気なんてねぇんじゃねぇか?」


 先ほどとは別の男が、辺りを窺うような面持ちで猜疑の声を上げた。


「俺も、そんな気がする……」


 男たちはローテーブルの上で、額を寄せて頷き合う。その数、五人。


 ハオリュウの護衛は、門のところで待機させた。凶賊ダリジィンが相手では、歯が立たないことが分かっているからだ。それは、彼が誘拐されたときに証明されている。彼はもう、自分のために護衛が命を落とすのはまっぴらだった。


「かといって、どうすんだよ?」


 疑心を抱いて、ひそひそと話をする男たちに、ハオリュウは危機感を覚える。この状況は彼にとって非常に好ましくなかった。


 渋る彼らを言い籠めて屋敷内に入らせたのは、他でもないハオリュウなのだ。彼らもまた指揮官に用事があったようだが、次期総帥エルファンと行動を共にすることを恐れていた。


 ――となると、エルファンの不審な行動に対する焦りと苛立ちがハオリュウに向けられるのは、時間の問題である。


 彼らがおとなしく『警察隊』でいる間は貴族シャトーアのハオリュウに危害を加えることはないだろう。しかし、もし短気を起こして凶賊ダリジィンの本性を取り戻したら……?


 屋敷内でハオリュウの死体が発見された場合、疑われるのは間違いなく鷹刀一族であり、警察隊の姿をした彼らではない。


 鷹刀一族、警察隊、『警察隊』の彼ら――。互いが牽制し合うことで初めて、ハオリュウの身の安全は保証される。つまり、この小部屋という閉鎖空間の中では、彼は丸裸も同然だった。


 ハオリュウは、ひとつ息を吸い、腹に力を入れた。


「確かに、遅いです……! 僕を騙したんでしょうか」


 彼は眉根を寄せ、足を踏み鳴らしながら男たちを振り返った。


「やはり所詮、凶賊ダリジィンということですか……!」


 エルファンを責め、苛立つ男たちを肯定する。そうすることで、ハオリュウが男たちの仲間であるかのように誤認させる。


 単純な人間を操ることは、それほど難しいことではない、と――そんなすべを、ハオリュウは母の兄である伯父から、密かに叩き込まれていた。


「やっぱ、鷹刀の野郎は信用しちゃいけねぇんだ!」


 ひとりがそう言うと、男たちは興奮に顔を上気させ、次々に同調した。ハオリュウは機を逃さずに口を開く。


「僕に考えがあります」


 男たちの注目がハオリュウに集まる。それを確認してから彼は秘密でも明かすかのように、ゆっくりと言った。


「部屋を出ましょう」


「え……?」


「目的地は『執務室』だと分かっているんです。そのへんの凶賊ダリジィンに案内させましょう。警察隊のあなた方の命令なら逆らえないはずです」


 ハオリュウがハスキーボイスを高らかに響かせた途端、男たちの顔から、すっと色が抜けた。


 屋敷内に入ってから、ハオリュウは気づいたことがある。鷹刀一族の凶賊ダリジィンたちは、この男たちが偽者の警察隊員であると皆、見抜いている様子なのだ。ただ、エルファンが一緒にいたからか、誰も何も言わなかったのだが――。


「そ、それは……」


 男たちは口籠る。


 ここはいわば鷹刀一族の本拠地。一族屈指の強者が揃っているのだ。もし戦闘になったら、下っ端の彼らが勝てるはずもない。


「あぁ、いや! 待てと言われたんすから、あの男を待ちやしょう!」


「でも、こんなに待たせるなんて、おかしいですよ」


「わ、罠かも知れないんで!」


 ひとりの男の苦し紛れの言葉に、ハオリュウはすぐに飛びついた。


「え……、罠……!」


 少年のまっすぐな純粋さ……に見える瞳を意識して、彼は驚きの表情を作る。


「……そうか。よく考えたら、鍵を掛けないなんておかしい……」


 うやむやなうちに、『罠かも知れない』を『罠である』にすり替える。男たちが同意するように、こくこくと頷いた。


「すみません。僕が浅はかでした」


 ハオリュウがそう言うと、男たちはあからさまに安堵の表情を見せた。どうやら、おとなしく待たせる方向に、うまく誘導できたようだ。


 これでしばらくの間は大丈夫だろう――ハオリュウはそう思い、手のひらの汗をズボンで拭った。ハンカチとは程遠い材質が、ざらりと彼の気を引き締める。


 エルファンが信用できるかと言えば、否である。


 ただ彼は、相当に計算高い男に見えた。彼にとってハオリュウが価値ある存在と思われている間は、味方と考えていいだろう。


 そして、どうやら異母姉は、エルファンよりも地位の高い、総帥の鷹刀イーレオに気に入られたらしい。となればエルファンは、その異母弟であるハオリュウを厚遇せざるを得ない。


 ハオリュウは力関係を再確認して、小さく息を漏らす。大丈夫だと、自分に言い聞かせながら……。






 コンコン……。


 扉のノック音に、部屋の中を緊張が走った。男たちが何かの行動を起こす前に、ハオリュウは素早く目で制止を命じた。


「はい、どうぞ」


 よく通る高めの声がそう返すと、「待たせたな」と、エルファンが入ってきた。彼はひとりではなかった。その後ろに、警察隊の制服を着た男が続いてくる――。


 エルファンは、ちらりとハオリュウを見たものの、すぐに男たちに視線をやった。


「お前たちの指揮官を呼んできてやろうと思ったのだが、あいにく私の父と話し込んでいてな。代わりに、指揮官の側近の緋扇シュアンという奴を連れてきてやったぞ」


 彼は半身を返し、警察隊の男を示す。ぼさぼさ頭の上に申し訳程度に制帽を載せた、目付きの悪い男だった。歳はせいぜい三十路といったところで、たいして高位にも見えない。


 いったいエルファンは何を考えているのだろうと訝しがるハオリュウの視界に、息を呑む男たちの姿が映った。彼らは、明らかに脅えていた。


 シュアンがゆっくりと歩み出た。男たちを一瞥し、背後のエルファンを振り返る。


「こいつらが、指揮官に報告があると?」


 エルファンが黙って頷くと、シュアンは血走った目をぎょろりとさせて「ふん」と鼻を鳴らした。


「馬鹿言っちゃいけませんよ、エルファンさん。こいつら、何モンです?」


「うちの門の前でたむろしていた警察隊員だが、それが何か?」


 エルファンとシュアンが目で嗤い合う。彼らの浮かべる酷薄な笑みに、ハオリュウは不穏な空気を感じ取った。


「自慢じゃありませんが、俺は記憶力がいいほうでね。上官殿の指揮下にいる隊員の顔は、全部、覚えているんですよ」


「ほう、それで?」


「こいつらの顔は、俺の頭の中の名簿にはないんです」


「つまり?」


「警察隊を騙る偽者ですね」


 シュアンは、『偽者』という言葉の持つ意味を取り違えたかのように、軽く言ってのけた。


 それを受け、エルファンが「ふむ」と渋く低い声で相槌を打つ。


「では、私がこの者たちをどうしようと、構わないということだな?」


 エルファンの口の端がゆっくりと上がる。


 頭に白いものがちらつくものの、無駄のない堂々たる体躯。まさに男盛りといったエルファンの黄金率の美貌の上でなら、底意地の悪そうな表情すらも絵になった。


 男たちは震え上がる。


「はは、エルファンさん、一応、俺は警察隊員ですよ。ここで『イエス』とは言えませんね」


 そう言いながら、シュアンがすっと後ろに下がる。エルファンと男たちの間に、障害物はなくなった。


「――けど、俺はどうも目が悪くて。時々、見えなくなるんですよ」


「若いのに難儀なことだな」


 恐怖に耐えきれなくなった男のうちのひとりが雄叫びを上げたのは、エルファンの言葉が終わるのとほぼ同時だった。


「うおおぉ!」


 男は蒼白な顔で懐から拳銃を取り出していた。


 相手は正面。自分は刀の間合いの遥か外。らなければ、られる!


 ――総毛立った男は、その思いだけで、引き金を引いた。


 鳴り響く銃声。


 予想外の事態に、ハオリュウは自分が取るべき行動を考えることもできずに、ただ窓辺に立ち尽くしていた。


 そのとき、彼の周りに光と風が溢れた。


 窓が開け放たれ、白いレースが大きく翻り、ハオリュウの視界を遮る。


「見てはいけません」


 荒々しくはないが、有無を言わせぬ厳しい声。


 何かを言い返す間もなく、強い力で右手を掴まれた。風に攫われた木の葉のように、ハオリュウの体は半回転しながら、バルコニーへと引きずり出される。


 鮮やかな緋色が見えたかと思った次の瞬間には、彼は柔らかな感触に包み込まれていた。背後で勢いよく窓が閉じられ、反動で硝子が震え上がる。


 突然のことに、ハオリュウは動転した。


 彼の顔は、どう考えても女性の豊満な胸としか思えない弾力の中にうずめられていた。


 見開いた目は、肌触りの良い布地で覆われ何も見えず、口と鼻も、ぴっちりと塞がれてしまっている。


 温かな腕の中に、きつく抱きしめられているのは分かる。しかし、どうしてこのような事態になったのか、さっぱり分からない。


 息苦しさに頭を振ると、少しがさついた掌が両耳を覆っているのを感じた。


 銃撃の音を耳に入れまいとしているのだ――そう、ハオリュウは気づいた。


「隣の部屋から出ましょう」


 若い女の声が、至近距離から聞こえた。


 安心して身を委ねられるような、落ち着いた優しい響き。エルファンはバルコニーから出ていくときに、窓際にいるようにと彼に耳打ちをしていった。そのときには既にこの展開を組み立てていて、護衛を用意しておいたのだろう。


 しかし、ハオリュウは両手で彼女を押しのけた――どこに触れるのなら失礼に当たらないか、少々戸惑いながら。


「放してください。僕には、きちんと見届ける義務があります」


 立ち尽くしていただけだったのだから、それは強がりに過ぎない。けれど、逃げるのは卑怯だと、ハオリュウは思ったのだ。


 わずかな逡巡の気配ののちに、拘束が緩む。


 彼が体を引くと、覆いかぶさるように彼を包んでいた波打つ髪が、さわさわと彼の頬をくすぐりながら落ちていった。干した草の香りが、ふわりと漂う。


 絶世の美女が、憂いを含んだ顔で彼を見下ろしていた。女性としては長身で、成長期のハオリュウからすれば、自分の子供っぽさが気恥ずかしくなってしまう。そんな大人の女性である。


 彼女は頭を下げた。


「すみません。余計なことをしました」


「こちらこそ、不可抗力とはいえ、女性に失礼な真似をしました。申し訳ございません」


 男なら誰でも魅了されるような、珠玉の肉体に触れたことに対する謝罪。裏を返せば、気取った言葉は精一杯の大人のふり。子供扱いに対するささやかな抵抗である。


 ハオリュウが彼女から離れたときには、既に銃声は聞こえなかった。弾を撃ち尽くしたのか、撃つ者がいなくなったのか……。


 ハオリュウは意を決して閉ざされた硝子窓を開けた。


 カーテンをめくり、息を呑む。


 けれど目はそらさずに、ハオリュウはその光景を瞳に焼き付けた。


「身分詐称で、しょっ引こうとしたところを攻撃してきたため、止む得なく射殺しました」


 耳鳴りの中で、貴族シャトーアに対する礼として報告する、シュアンという本物の警察隊員の声が聞こえた。彼の射撃の腕は確かで、ひとつも無駄なことはなかった。少なくとも、ハオリュウにはそう見えた。おそらく、エルファンは何もしていない。


 ハオリュウは、自ら作り出した惨事に顔色ひとつ変えない警察隊員と目を合わせた。


「……ご苦労様でした。悪くすれば僕に危害が及ぶ可能性もありました。感謝します」


「仕事ですから」


 シュアンはそう言って、煙の上がる拳銃に、ふっと息を掛ける。


 ハオリュウは決して平和主義者ではないし、性善説を信じているわけでもない。だから、この結果に異議はない。


 そして、直接手を下したのはシュアンでも、この事態を作り出したのは紛れもなく自分なのだと受け入れた。自分は、そう言う『世界』に入ったのだと、認めた――。


 風景画の絵の具にめり込んだ弾丸。


 声を失った者の声。


 血と硝煙の匂い。


 首筋を撫でる、カーテンの柔らかさ。


 知らずに噛み締めていた唇からの、鉄の味。


 ハオリュウは、すべてを五感に刻み込む。


 ……黙り込んだ彼の様子をしばらく見詰めていたエルファンが、やがて渋い声を上げた。


「ミンウェイ、すまないが、あとで補修屋を呼んでくれ」


 あちこちに穴が穿たれた壁を指差し、ハオリュウの背後に立つ女性に向かってそう言う。入口側に偏った無駄弾の着弾位置から考えて、偽の警察隊員たちの仕業だろう。


「補修代は、我が藤咲家が出します」


 ハオリュウの申し出に、子供が余計なことを……と眉を上げかけたエルファンだったが、その表情を見て気を変えた。


「領収証はあとで送る」


 そのとき、屋外からのざわめきが届いた。


 爆音を上げる車が、屋敷の門の前で急停止した。




 ――待ち人の登場だった。






~ 第四章 了 ~


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