di;vine+sin;fonia ~デヴァイン・シンフォニア~

『記憶の保存』と『肉体の再生』で死者は蘇り、仕組まれた出逢いが運命の輪環を廻す
月ノ瀬 静流
月ノ瀬 静流

月華の宣誓

公開日時: 2021年1月20日(水) 22:22
文字数:3,536

 兄上が鷹刀の屋敷を出た。


 約束されていた後継者の地位を捨て、赤子のころからの相棒だった義姉上と、外の世界へと旅立っていった。


 総帥の補佐として、一族を切り盛りしてきた母上も一緒だ。夢だったデザイナーになるのだという。


 そして鷹刀は、いずれ俺が総帥となって率いていく。


 ――無茶苦茶だ。


 俺は兄上のように強くもなければ、人格者でもない。


 一族は、俺への不満でいっぱいだ。いや、自らの手で後継者の地位を手に入れたわけでもない俺は、『不満』にすら思ってもらえない。ひたすら『不安』に思われているだけだ。


 あとは、憐憫と諦観。そんなところだろう。俺の耳には入らないようにしているつもりなのだろうが、嫌でも雰囲気は伝わってくる。


 けど、鷹刀一の猛者チャオラウと一騎討ちをして、見事、打ち勝った兄上には、誰も逆らえなかった。


 当然だ。兄上は、皆を黙らせるために、挑んだのだから。義姉上と祖父上以外、誰も信じていなかった、自分の勝利を懸けて。






 どうしても寝つけなかった俺は、夜風に当たりたくて外に出た。


 庭のあるじたる桜が、満開の枝を広げていた。月明かりを浴びて白く輝くさまは、凄い迫力だと思う。幻想的な夜桜に、芸術なんか分からない俺だって、やっぱり綺麗だなと心を奪われる。


 この大樹を見ると思い出す。


 母親に未熟だと馬鹿にされて、怒って桜に八つ当たりしようとしたけれど、指は大切だからと拳を止めた、あいつ――ルイフォン。


 あいつは言った。


『餓鬼だから、その程度で『よく出来ました』ってヤツ? 年齢に甘えるなんて阿呆だろ。同じ土俵に立ったら、周りは全部、ライバルだ』


 俺より年下のくせに、あいつは強い。武力ではなくて、魂が。


「……俺も、頑張らないとな」


 兄上が抜けたあとの繰り上がりだったとしても、俺は鷹刀を任された。


 だったら俺は、応えるべきだ。総帥にふさわしい人物になるように。


 いきなり、なんでもできるようになるのは無理だけれど、俺にできそうなことから、一歩ずつ……。


「とりあえず、筋トレでもしてから寝るか」


 刀があれば素振りができたのだが、あいにく持ち歩いていなかった。夜着姿のまま、ふらりと散歩に出ただけなのだから仕方ない。


 密かな鍛錬を、夜番の見回りの者たちに見られるのも恥ずかしいので、俺はそろそろと庭の端まで移動する。自分の部屋に戻ってもよかったのだが、夜を支配する月明かりが神秘的で、俺の冒険心がくすぐられたのだ。


 春風に誘われるまま、温室にたどり着いた。建物の影なら、誰にも気づかれないだろう。


 そう思ったときだった。


「!?」


 人の気配を感じた。


 俺は、反射的に鋭い気を放つ。


「リュイセン!?」


 温室のそばの茂みが揺れ、つやのある美声と共に、ひとりの少女が現れた。


 すらりとした綺麗な立ち姿。波打つ黒髪に月の光が注がれ、まるで銀色の王冠をかぶっているかのよう。


 血族の証である美貌が、月影によって陰と陽とに塗り分けられ、夜闇に浮かぶ。はっきりとした陰影は白い夜着にまで及び、少女でありながらも豊満な彼女の肉体を誇張していた。


 それは、夜に咲く華。妖艶なる月の女神――。


 俺は、ごくりと唾を呑み込んだ。


「ミンウェイ……」


 俺の全身が、かっと熱を持ち、まだ低くならない俺の声が、妙にかすれて情けなく響く。


 見てはいけないものを見てしまったような、そんな罪悪感。


 それは、彼女のなまめかしさのせい。


 けれど、それだけではなくて……。彼女があまりにも――。




 儚げだったから……。




「こんな夜更けに、どうしたの? リュイセン」


 いつもと変わらぬ調子で、ミンウェイは尋ねてきた。


 けれど俺は、すぐに返事をできなかった。何故なら俺は、はっきりと見ていたから。


 ――濡れた彼女の睫毛まつげが、月明かりを跳ね返すところを。


「リュイセン?」


「ああ、うん。……兄上が出ていって、俺が後継者になっただろう? だから、俺はもっと強くなるべきだと思って、夜の鍛錬をだな……」


 不安で寝つけなかったことは、無意識にすっ飛ばしていた。卑怯な格好つけだ。


「その心がけは、よいことだけど、子供がこんな遅くに駄目よ?」


 優しく諭すように、彼女は年上の顔をする。


 俺はさっきとは、まったく別の意味で、頭にかっと血が上った。


 ミンウェイこそ、こんな遅くに、だ。


 屋敷にいる者たちが、ミンウェイに悪さをすることはないと信じている。けど、こんな扇情的な姿を見せられたら、惑わされる者がいても不思議ではない。


 ――ああ、違う。いや、勿論、ミンウェイの無防備さは問題だ。


 でも、そうじゃなくて……。


「ミンウェイだって、同じだろう?」


「え?」


「不安なんだろう? 母上の代わりに、一族を切り盛りする役割を任されたのが。それで寝つけなくて、こうして庭に……」


 口に出してから、これでは俺自身の不安を暴露しているようなものだと気づく。せっかくの格好つけも台無しだ。


 ミンウェイは、切れ長の目を瞬かせた。その拍子に睫毛まつげに掛かっていた雫が弾け飛ぶ。


 年下の俺に、図星を指されて戸惑ったみたいだった。……少し考えれば、誰でも分かることなのに。


『いずれ』総帥になる俺とは違って、ミンウェイは『明日から』鷹刀を担う。母上が好き勝手するために出ていってしまったからだ。


 まったく、滅茶苦茶だ。


 なのにミンウェイは、ちっとも不満を言わない。


「ええ。勿論、不安だわ。自信なんかないもの。でも、ユイラン様が夢を叶えられるのは、素晴らしいことよ。応援しなきゃ」


 俺より少しだけ高い位置にある目線を下げ、たしなめるように俺の顔を覗き込む。


「……っ」


 そんな模範的な答えで、柔らかに微笑む。本当は苦しくてたまらなくても、ミンウェイは気丈に振る舞う。


 いつもそうだ。


 だから俺は、彼女は『強いお姉さん』なのだと、ずっと騙されていた。しかも、『ちょっと凶暴な』だ。何かあると、すぐに俺の首を絞めたりしたから。


 でも、そのうち気がついた。俺の野生の勘が、自然と理解してしまったのだ。


 ミンウェイの中には、小さな女の子がいる。


 ふとした瞬間に『彼女』は現れ、迷子のように瞳を揺らす。


 乱暴にしか、じゃれつけなかったのは、心が不器用だからだ。初めのころは、本気でいじめられていると思っていた。けど、加減を知らなかっただけなのだと、今なら分かる。


 無邪気にふざけて、触れ合いたい。


 その裏にあるのは、人恋しい気持ち。


 それはたぶん、ぬいぐるみなんかを抱きしめたいような感情で、対象は俺とかルイフォンとかの、ミンウェイより『弱くて、小さいもの』。『強くて、大きなもの』に対しては――なんて言うんだろう。顔色を窺う、だろうか?


 そんなふうに漠然と感じていたことが、正しかったと知ったのは、つい最近だ。


 彼女の心の支えである、母上と義姉上を連れて行ってしまうからと、兄上が言葉を選びながら、屋敷に来る前のミンウェイのことを教えてくれた。


「ミンウェイ」


 俺は名を呼んだ。努めて低く出した俺の声色に、彼女は不思議そうな顔をする。


「不安は、ちゃんと泣いて流したほうがいい」


 俺の言葉に、ミンウェイは悲鳴のような小さな声を漏らし、確かめるように自分の顔に触れた。


 その慌てぶりに、俺はなんだか言ってはいけないことを言ってしまって気がして、つい「俺も同じだから」と付け加えてしまった。


「そ、そうよね。リュイセンも、いきなり後継者だもんね」


 ほっとしたような彼女に、俺の心がちくりと痛む。きっと彼女は、俺もひとりで泣いていたのだと勘違いしただろう。


 それでも俺は、ミンウェイの心が穏やかであるほうがいい。


 彼女は、小さいころに、心の一部をどこかに置き去りにしてきてしまった。


 だから無防備で、不安定で、危うい。


 そんな彼女の欠けた心を、俺は埋めてあげたい。


 ――彼女を守りたい。


「ミンウェイ」


 俺は彼女に手を伸ばしかけ、けれど途中でやめた。


 今の俺がミンウェイを抱きしめたって、彼女は『後継者の重圧に震える、子供の俺』が、すがってきたとしか思わないだろう。


 だから代わりに、まっすぐに彼女を見つめた。


「今すぐじゃないけど、俺は総帥になる。だから、そのとき――俺を補佐してほしい」


 これが、精いっぱいの告白。


 月光に彩られた彼女は、今の俺には高嶺の花。ルイフォンの言う通り、年齢なんて関係ないと思うけれど、俺はまだ実力不足だから……。


「え?」


 ミンウェイがきょとんとする。俺の気持ちに気づかなければ、当然の反応だろう。


「だからさ……。俺たち、頑張ろうぜ」


 そう言って俺が右手を出すと、ミンウェイは俺の手をしっかりと握ってくれた。






 その日を境に、ミンウェイは、むやみに俺に抱きつかなくなった。


 彼女の草の香を至近距離で感じられなくなったことは、素直に寂しい。


 けれど、でも――。


 いつかきっと、俺から彼女を抱きしめる。


 その意味を、彼女が勘違いしないようになった、そのときに――。


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