di;vine+sin;fonia ~デヴァイン・シンフォニア~

『記憶の保存』と『肉体の再生』で死者は蘇り、仕組まれた出逢いが運命の輪環を廻す
月ノ瀬 静流
月ノ瀬 静流

幕間

白詰草の花冠

公開日時: 2021年1月17日(日) 22:22
更新日時: 2022年6月2日(木) 15:55
文字数:4,044

 爽やかな陽気に包まれた世界を春風が渡る。


 一面に広がる白詰草しろつめくさが波打つようになびき、草原は緑と白の海原になる。


 私は、少し湿った草の中にしゃがみ込み、白詰草しろつめくさの花を一心に摘んでいた。できるだけ綺麗な、花がしっかりしているものを選び、長めに茎を手折って籠に入れていく。


 このくらいあれば、足りるだろうか。


 籠の半分ほどを埋め尽くす花を見て、私は満足する。


 心持ちスキップのような足取りで、敷物のところに戻った。重石代わりの水筒と、お菓子の入った鞄をどかし、私が座る。


 そして、籠の白詰草しろつめくさを取り出しては、結わいつけることを繰り返す。草の香りに指先を染めながら、白い花を少しずつ編んでいく。


 ほんの少し、お日様が傾いてきたころだろうか。


 ――できた!


 初めて、最後に留めるところで失敗しなかった。ぐるりと輪っかになった白詰草しろつめくさを、私はそっと自分の頭に載せる。


 白詰草しろつめくさ花冠かかんだ。


 少し小さいかも、と思ったけれど、子供の私にぴったりだった。


 ちょうどそのとき、ぱたぱたという足音が近づいてきた。


「ミンウェイ! ミンウェイ! 見て見て! 見つけたよ!」


 走りながら叫ぶ声が、どんどん近づいてくる。あっという間に私の前に現れた彼は、走ってきたからか、あるいは興奮のためか、真っ赤な顔をしていた。


「見つけた! 四つ葉! 四つ葉のクローバー!」


 途中で落としたりしないよう、彼はそれを大切に両手で包んで持ってきた。そして、宝物を見せるかのように、そっと私の前で開く。


「……わぁ……」


 凄い、素敵。


 そう思うのだけれど、私はお父様以外の人と喋るのが苦手で、上手く言えない。でも、彼はちっとも気にせずに「凄いだろ!」と自慢げに胸を張った。


「あ! ミンウェイ! 花かんむりできたんだ! 凄いね!」


 私が何も言わなくても、彼は気づいてくれる。同じ五歳なのに、彼と私は、全然違う。


「ミンウェイ、綺麗だよ! 白い花と、ミンウェイのまっすぐな黒髪がよく似合っている!」


「え……」


「俺、初めてミンウェイを見つけたとき、花の妖精かと思った。でも今は、もっと綺麗だ。花の女王様だ!」


 あまりの褒め言葉に、私は真っ赤になってうつむく。


 一週間前に出会ったときから、彼はこうだった。人懐っこくて、すぐに友達になろうと言ってきた。そして、私のことを何故か凄く褒めてくれた。


「ミンウェイ」


 彼は私の手を取り、私の掌に四つ葉を載せた。


「え?」


「プレゼント。四つ葉の花言葉は『幸運』なんだろ?」


「う、うん……」


 花言葉は私が教えた。私が何も言わなくても彼はひとりで楽しそうに喋っていたけれど、それも何か申し訳なくて、頑張って自分から話した内容がそれだった。


「ミンウェイに四つ葉をあげたくて、一生懸命探したんだ。だから、受け取って!」


 彼は私に四つ葉を押し付け、ぱっと離れた。それから急にかしこまり、絵本の中の王子様のように片膝を付く。


「俺、四つ葉を見つけたら、絶対、言うって決めていた」


「?」


 低い位置から、まっすぐな視線が飛んでくる。怖いくらいに真剣な顔で、彼は私を見つめる。


「ミンウェイ、俺と結婚して」


「えっ!?」


「一目惚れだよ。出会った瞬間、運命だと思った」


「……っ」


「ミンウェイに花言葉を教えてもらって、面白いと思って、自分でもいろいろ調べた。そしたら、四つ葉の花言葉って、ひとつだけじゃなくて他にもあったんだ。ミンウェイにも教えてあげる」


「!」


 私は、それも知っていた。


 けれど、口にするのが恥ずかしくて言えなかったのだ。


「『私のものになって』だって。それを知ったとき、やっぱり運命だと思った! ねぇ、ミンウェイ、俺と結婚して。俺のものになって! 俺、絶対、ミンウェイを幸せにする!」


 彼は、まったく照れることなく、きらきらとした目で私を見る。嬉しくてたまらないといった表情で、期待に満ちた顔で、私を見つめる。


「…………」


 どうしたらいいのか、分からなかった。


 こんなことを言われるなんて、思ってもみなかった。


「駄目……?」


 返事をしない私に、いつも元気な彼の声が力なくかすれる。打ちひしがれ、しぼんでいく彼の顔に、私は心が苦しくなる。


「私とあなたは、違う……もの」


 やっとそれだけ言えた。


 すると、彼はぱっと立ち上がり、私にぐぐっと迫る。


「俺が貴族シャトーアだから!? 関係ないよ! だって俺、愛人の子だし。母さん、平民バイスアだし」


 でも、彼は貴族シャトーアの跡取りだ。


 彼は、とある貴族シャトーアの当主がメイドに産ませた子供で、正妻との間に男子がいなかったため、つい数ヶ月前、正式に貴族シャトーアの家に迎えられたのだ。


 このあたりは貴族シャトーアや裕福な商人たちの別荘地で、彼はそんな別荘のひとつで教育係たちと暮らしている。就学年齢になる前に、なんとか体裁を整えようと、付け焼き刃の礼儀作法を叩き込まれているらしい。


 そんな窮屈な生活の中、気分転換にと別荘を抜け出したとき、彼は私を見つけた。以来、勉学に励むことを条件に、彼は午後の自由時間を手に入れた。――彼を不憫に思った教育係たちが、こっそり彼を甘やかしてくれたのである。


「俺の婚約者だという女に会った。俺より五歳も年上の、高慢な女だった。俺のことを子供だと見下していた! 俺の運命は、あんな奴じゃない!」


「……」


「俺は、俺の父親みたいな最低な男にはならない。俺には、ミンウェイだけだ! 俺は大きくなったら貴族シャトーアの家を出る」


「……」


「そして、ミンウェイのお父さんみたいな大商人になって、必ずミンウェイを迎えに行く!」


 このとき、お父様は近くの別荘を借りていて、私は商人の娘ということになっていた。


「ねぇ、ミンウェイ……。俺のこと、嫌い?」


 すがるような目で、彼が私を見る。


「……嫌いじゃ、ない」


 それは本心だ。彼のことは嫌いではない。凄いと思う。――私とは、違う世界の人だと思う。


「じゃあ、貴族シャトーアが嫌い?」


 私は、こくりと頷いた。


「……貴族シャトーアは嫌い。……だいっきらい……」


 貴族シャトーアは、自分の利益のために、他人を犠牲にすることをいとわない。最低な生き物だ。


 ――でも、私はもっと、最低だ……。


 私は唇を噛み、うつむいた。


 なのに、彼は笑った。嬉しそうに笑った。


「それなら、俺が貴族シャトーアをやめて商人になれば、ミンウェイは俺と結婚できるね! 待っていて、必ず迎えに行く。誓うよ!」


 そして彼は、驚いている私が身動きを取れないうちに、私の唇に口づけた。


 あっという間の出来ごとだった。


「約束するよ!」


 そう言って、彼は私を抱きしめた。






 別れ際、初めて上手く作れた白詰草しろつめくさの花冠を、私はそっと彼の頭に載せた。


 彼に渡すのにふさわしいのか迷ったけれど、それしか渡せるものがなかったのだ。


 白詰草しろつめくさの花言葉は、四つ葉と同じく『幸運』。


 それから、『約束』『私を思って』。


 そして……。




 


 それが、彼と会った最後だった。


 次の日、私はお父様に連れられて、別の街に引っ越した。






 その後、彼が私を迎えに来ることはなかった。


 彼は、死んだからだ。


 医師の診断では、心臓に先天的な疾患があったとのことだった。すべもなく、あれから間もなく亡くなったという。


 苦しんで、死んだはずだ。


 苦しんで、苦しんで、死んだはずだ……。


 だって私が、お菓子に混ぜて、心臓の壁を溶かす毒を飲ませたのだから。






「ミンウェイ、何を泣いているんだい?」


 お父様が私の頭を撫で、抱きしめてくださった。


「あの貴族シャトーアの男の子のことかい? お前は本当によくやってくれた。私は薬を作れても、彼に飲ませることはできなかったからね」


 薬ではなくて、毒だ。


 お父様は商人などではなく、本当は凄いお医者様で、研究者。


 そして――暗殺者だ。


 貴族シャトーアお抱えの医師に、誤った診断をさせるほどの……。


「君が悲しむことはないんだよ、ミンウェイ。仕方ないんだ、自然の摂理なんだから。強いものが生き残る。か弱い『非捕食者』は、『捕食者』に喰われる運命なんだ」


 分かっている。


 前にも、お父様は教えてくださったから。


「今回は、あの男の子が『非捕食者』。そして、彼の父親の正妻が『捕食者』だったというだけだよ」


 娘しか産めなかった正妻は、愛人の子供である彼に、すべてを奪われそうになった。だから、暗殺を依頼した。


 彼を邪魔に思った正妻が、彼の排除に出ることくらい予測できたであろうに、彼のがわは充分な警戒を怠った。だから、喰われた。


 それだけのことだ。


 頭では理解している。けれど、私の頬を涙が伝った。




 彼を殺したのは、私だ。




 私が白詰草しろつめくさ花冠かかんに願った、彼に毒が効かないという『幸運』は訪れず、彼の『約束』は守られなかった。


 でも、たぶん。彼はずっと『私を思って』くれていたと思う。――死の直前の瞬間まで。


 ――そんなこと、しなくていいのに!


 私は、しゃくりあげ、お父様の胸にすがる。


「ミンウェイ、泣かないでおくれ。君の可愛い顔が台無しだ。私まで悲しくなるよ」


 そう言われて、私はどきりとした。


 お父様を悲しませるのは嫌だ。


 私が生まれたとき、お父様はたくさんたくさん泣いたと思う。お母様のお墓参りのときに、私には分かってしまった。


 だから私は、お母様の代わりに、お父様を喜ばせるのだ。


 お父様が望むことを、なんでもしてあげるのだ……。






 私は、お父様から〈ベラドンナ〉という名前をいただいた。


 私の名前だ。私だけの名前だ。


 嬉しかった。凄く嬉しかった。


 ベラドンナは、可愛らしい紫色の花を咲かせ、毒性を持つ黒紫色の実をつける植物。


 イタリア語で、『美しい貴婦人』。


 でも、それより、『運命を断ち切る女神』という意味の学名を持つことが、私にぴったりだと思った。






 白詰草しろつめくさ花冠かかんは、私には似合わない。






 彼のくれた四つ葉は、押し花にして栞にした。そして、姫と王子が出てくる、大好きだった絵本に挟んで封印する。


『幸運』の四つ葉と白詰草しろつめくさの花。


 四つ葉は、『私のものになって』。


 白詰草しろつめくさ花冠かかんは、『私を思って』。


 交わした『約束』は、永遠の愛であったはず――。


 それが裏切られたとき、四つ葉と白詰草しろつめくさの花が共に持つ、最後の花言葉に変わる。




 ――『復讐』


 


 私はきっと、白詰草しろつめくさの呪いを受ける。


 そうでなければ、許されない。


『幸運』を殺した私は、決して幸せになってはいけないのだから……。


読み終わったら、ポイントを付けましょう!

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