di;vine+sin;fonia ~デヴァイン・シンフォニア~

『記憶の保存』と『肉体の再生』で死者は蘇り、仕組まれた出逢いが運命の輪環を廻す
月ノ瀬 静流
月ノ瀬 静流

2.目覚めのない朝の操り人形-3

公開日時: 2021年1月26日(火) 22:22
更新日時: 2021年8月13日(金) 17:36
文字数:5,892

 盲目であるべき王の瞳に、光を与える――この難題は、〈ムスカ〉にとって非常に興味深いものであった。


 神話に記された力を持たない、まがい物の王。


 王という存在を揺るがす、禁忌の研究。


 そういった、背徳的なものに心が踊ったわけではない。純粋な、知的好奇心である。


ムスカ〉は別に、神や王を崇拝しているわけではない。


 だから、〈サーペンス〉から預かった『新たなる王』の基盤となる遺伝子も、彼にしてみれば、ただの素材にすぎなかった。


 その『素材』の秘密に……やがて彼は、気づいた。






 故に、〈ムスカ〉は悟る。


『デヴァイン・シンフォニア計画プログラム』は、女王の依頼などではない。


サーペンス〉自身が、新たなる『特別な王』を望んでいるのだ――と。






『私が……あなたに教えた『最期』は、……嘘よ』


『私の復讐が、お門違い!?』


 ――――――。


『――つまり、あなたは私を騙していた、と。あなたは自分の利益のためだけに、私を蘇らせた。私の技術を利用したいがために……!』


『そうね。……そうなるわね』


『ならば贖罪の意味で、私に詳しく話すべきだと思いませんか? 『デヴァイン・シンフォニア計画プログラム』のことを。――私が作らされている『もの』のことを……!』






 薄暗い地下の部屋を、弱々しい光がほのかに照らしていた。


 明かりの源は、かつては数多あまたの白金の糸を紡ぎ合わせ、まばゆい翼を形作っていた〈サーペンス〉の羽である。死を目前にした〈天使〉の羽は輝きを失い、代わりに高熱を発していた。


 ベッドに横たわった〈サーペンス〉が、熱い息を吐く。


 しかし構わずに、〈ムスカ〉は彼女に詰め寄った。


「私が作っている『もの』は、あなたにとって、特別な意味を持っているはずです」


ムスカ〉は、できるだけの情報を欲していた。


 この女――〈影〉である『ホンシュア』の命が尽きる前に、『デヴァイン・シンフォニア計画プログラム』の真の目的を掴み、また本体の〈サーペンス〉の居場所を聞き出さねばならなかった。


 さもなくば、何も知らない彼は、ただの『駒』として扱われ、いずれ殺されるだけだ。


「あなたが……作っている『もの』は、初めに説明した通りの『もの』よ……。嘘は……言っていないわ」


 高熱に喘ぎながら、〈サーペンス〉は答える。


「あの赤子が……女王陛下の、御子として……王になる……」


「いつまで、しらばっくれるおつもりですか!」


「なんの……こと……?」


 儚げに首をかしげる〈サーペンス〉は、まるで無垢な幼子のようで、虫も殺さぬ顔の厚かましさに〈ムスカ〉はまなじりを吊り上げる。


「『新たなる王』の基盤として、あなたから渡された遺伝子――。あれは、『過去の王』のものではありませんね?」


 鋭く切り込まれた言葉に、〈サーペンス〉は息を呑んだ。だが、すぐに、ふふっと嗤う。


「……天才医師、だもの、ね……。いずれ、あなたには感づかれると……分かっていたわ」


「この私の目を誤魔化せるわけがないでしょう」


ムスカ〉は吐き捨て、大きく溜め息をついた。


「確証を得るために、神殿でいろいろ調べてきましたよ」


「っ……、神殿……そう、ね」


 動かすのも億劫であろう〈サーペンス〉の体が、わずかに揺れた。


「まず、あなたの素性を示す記録は、残っていませんでした」


「……消しておいた、もの……」


 自慢げに、すっと上がった唇は、しかし熱のためにか乾ききり、ひび割れていて、彼女の笑いは引きつったものになった。


「それから、大切に保管されていたはずの過去の王たちの遺伝子が、すべて廃棄されていましたよ」


サーペンス〉は、表情を変えることもなく、ただ黙って聞いている。


「あなたが――『〈サーペンス〉』が、廃棄したんですね」


ムスカ〉は一度、口を閉じ、相手を見つめた。そしてまた、ゆっくりと続ける。


「それは……私の手元にある遺伝子を、〈神の御子〉を作り出せる、唯一の手段にするためだった。――違いますか?」


 言い渡された言葉を、〈サーペンス〉は軽く瞳を閉じることで肯定した。


ムスカ〉は、自分の全身から、大量の汗が吹き出したのを感じた。


 それは決して、この部屋の熱気のせいではない。真実へと近づいた緊張と興奮とが、ないまぜになった結果だった。


「あなたから渡された遺伝子は、王の特性を示しながらも、幾つもの異端な因子を含んでいましたよ。――あなたはそれを、どう説明します?」


 問いかけは質問ではなく、弾劾だった。それに対し、〈サーペンス〉は薄笑いを浮かべながら答える。


「そこまで……分かって、いる、なら、……あの遺伝子が――『彼』が何者、か……、気づいたって、こと……でしょう?」


ムスカ〉の心臓が高鳴った。けれど、彼は平静を装い、低い声で告げる。


「ええ。そのことから導き出される、あなた――『〈サーペンス〉』の正体も、ね……」


「……」


サーペンス〉は、とても穏やかな顔をしていた。まるで、罪が暴かれるのをじっと待っているかのように――。


ムスカ〉の声が、朗々と響き渡る。


「鷹刀エルファンと、〈フェレース〉の間に生まれた娘――鷹刀セレイエ。……それが、あなたの名前ですね」


 真っ赤に充血した〈サーペンス〉の目が、すっと弓形をかたどった。すべてを受け入れたような、諦観の微笑みだった。


「さすが……ね。……鷹刀、ヘイシャオ……。叔父さん、とお呼びしたほうが……いいのかしら?」


「あなたはエルファンの娘ですが、ユイラン姉さんの子ではありませんから、叔父ではありませんね。……それに、私は一族を捨てた人間です。今更、血族を主張する気はありませんよ」


「……それも、そうね。……私も、同じ……。一族じゃない、わ」


サーペンス〉は淋しげに声を落とす。


「エルファンの娘が、何故〈七つの大罪〉に?」


 純粋な疑問だった。イーレオ率いる現在の鷹刀一族は、〈七つの大罪〉を否定していたはずだからだ。


「……ああ、……知らない、のね。……私は、生まれついての、〈天使〉……。自分を知るため……〈七つの大罪〉に入った……。〈影〉にした、この『ホンシュア』の体……〈天使〉化した、のも……私にとって、それが自然、だから……よ」


「生粋の〈天使〉!?」


 驚きと共に、研究者としての心が騒ぐ。それを察したかのように、〈サーペンス〉の目つきが険しくなった。


「世界で唯一、……私だけ、よ。異父弟、ルイフォンは……普通の子……」


「異父弟に手を出すな、ということですか?」


「そう……。ルイフォン……だけ、じゃない。鷹刀に、手を出さない……で!」


サーペンス〉が、きっと睨みつけた。


 彼女の感情に呼応したかのように、ゆらりと陽炎が揺らめき、高温の風が吹きつける。


 背中の羽は、もはや羽とは呼べない、途切れ途切れの光の糸にすぎなかったが、一族を守ろうとする見えない意志の翼が大きく広がっていた。


 そのさまを見て、不意に〈ムスカ〉は気づいた。


「なるほど、そういうことでしたか。……納得しましたよ」


 ふむふむと頷く〈ムスカ〉に、〈サーペンス〉が顔を歪める。


「何に……納得……したの?」


「死の間際になって、いきなり『鷹刀イーレオへの復讐は、お門違い』なんて、あなたが言い出した理由ですよ。秘密主義の死にぞこないなら、黙って死を待てばよいものを――。不思議だったんですよ」


「ああ……、そのこと、ね……」


「あなたが嘘をついたまま死ねば、私はいつまでも、鷹刀イーレオを仇と思って狙い続ける。それを止めるために、あなたは真実を告げた。――そういうことですね?」


「そう、よ……。あなたが、頭の良い人、で……よかった、わ……」


サーペンス〉は満足げに頷いた。


 対して、〈ムスカ〉は不快げに鼻を鳴らす。


「まんまと騙されましたよ。たいした策士です。ありもしない復讐をでっち上げ、それを取り引き材料に、私を踊らせるとは! さぞかし、愉快だったでしょう!」


ムスカ〉が吐き捨てた瞬間、苦しげにうめいていた〈サーペンス〉が、かっと目を見開いて叫んだ。


「そんなことないわ!」


 叫んでから、〈サーペンス〉は、ごほごほと咳き込む。


「〈天使〉を……あんなふうに使うとは、聞いてなかったわ! 鷹刀イーレオ……捕まえたあと、記憶に介入して、復讐に使うって……言っていた……のに!」


「途中で気が変わっただけです。〈天使〉は、『協力の証として』いただいたものです。用途についての約束はしませんでしたよ」


 声を荒らげ、怒り、苦しむ〈サーペンス〉の姿に、〈ムスカ〉は少しだけ溜飲を下げる。


 手を組むと決めたとはいえ、〈ムスカ〉は〈サーペンス〉を信用したわけではなかった。対抗手段を備えておくべきと考えた。


 そこで、適当な理由をつけて、自由に使える〈天使〉を要求したのである。『与えられた〈天使〉』の数の中に、〈サーペンス〉――正確には〈影〉である『ホンシュア』が含まれていたのは、熱暴走で死ぬことになる〈天使〉の数を減らしたかったためらしいのだが、なんとも滑稽な話であった。


 ――〈サーペンス〉の作戦では、〈ムスカ〉に役割はなかった。待っていれば、鷹刀イーレオの身柄を引き渡す、と言われていた。


 しかし、猜疑心の強い〈ムスカ〉が、他人に任せきりにするはずがなかった。斑目一族の食客となって内部に入り込み、適当な人間を〈影〉に――手駒にした。彼としては至極、当然のことをしたまでである。


「私の、作戦に……〈天使〉は必要なかった、わ……!」


「あなたの作戦、ね。――そうですね。あれは、『あなたのため』の作戦でした。『私に、鷹刀イーレオの身柄を引き渡すため』の作戦ではありませんでしたね」


「何を……言いたいの?」


「鷹刀イーレオの身柄を確保するだけなら、〈天使〉のあなたが、鷹刀の屋敷の人間をひとり操って、鷹刀イーレオを呼び出すだけで充分だったんですよ」


サーペンス〉は、はっと息を呑み、それから作ったような苦笑をする。


「それも、そう……ね。策を、練りすぎた……わ」


「違うでしょう? あなたは初めから、鷹刀イーレオを捕らえる気などなかったのです。何故なら、『お門違い』だと知っていたのですから」


「……」


 反論の言葉を思いつけなかったのか、〈サーペンス〉は何も返さなかった。〈ムスカ〉は、満足げに低い声で嗤う。


「あなたは、死出の旅に出る前にと、必死な顔で『鷹刀は無関係』と告げました。私が鷹刀に危害を加えるのを止めるためです。つまり、あなたは鷹刀を大切にしている。――でも……、矛盾していると思いませんか?」


 そう言って、〈ムスカ〉は〈サーペンス〉の反応を探るように、彼女の顔を覗き込む。


「……何、かし……ら?」


「あなたの大切な鷹刀が、警察隊や斑目に襲われ、危険に晒されるような作戦を――どうして立てたのですか?」


「!」


「私を騙すためだけなら、『嘘の復讐相手』は、誰でもよかったはずです。けれど、あなたは鷹刀イーレオを選びました。――それは、何故か……?」


 熱で上気していた〈サーペンス〉の顔から、色が抜けていく。大きく見開いた瞳には、〈ムスカ〉だけを映す。




「『鷹刀を巻き込む必要があったから』――です」




 凍れる声が、高熱を裂いた。


 冷気と熱気が均衡し、何かが弾けたような声が響いた。


「……ふふ……、どうかしら……ね?」


サーペンス〉が笑っていた。


 そして、ひと筋の涙をこぼす。


「何を泣いているんですか?」


「……私の『罪』、に。でも……後悔は……しない、わ……」


サーペンス〉が、柔らかに微笑んだ。


 この場にそぐわないような、優しく清らかな顔。〈ムスカ〉は戸惑い、焦る。


 直感がした。


 もう、最期なのだ、と。


「聞きたいことがある!」


ムスカ〉は叫んだ。


「……」


「あの作戦の結末から考えると、お前の目的はひとつ――!」


「……」


「『藤咲メイシアを、鷹刀の屋敷に送り込むこと』だ!」


「……」


 反応のない〈サーペンス〉に、〈ムスカ〉のこめかみの血管が浮き立った。ぎりぎりと歯をきしませ、拳を握りしめる。


 そして、ずっといだいてきた疑問を叩きつけた。


「藤咲メイシアに、何がある? あの娘に、何が隠されている!? お前は、あの娘に直接、会った! あのとき、何をしたんだ!」


 仕立て屋に化けて、藤咲メイシアに接触を図った。あの日から、〈サーペンス〉の体調は急変した。高熱が続き、横になっていることが多くなった。


 ――〈サーペンス〉は、うつろな目のまま、じっと動かなかった。


ムスカ〉は舌打ちをした。


 もはや、これまでか。


 そう、諦めかけたときだった。〈サーペンス〉の口元が、わずかに震えた。


 慌てて耳を近づければ、熱い吐息と共に、細い声が入ってくる。


「……それを知って、どう、するの? 『あなた』は、……幸せに、なれる、の? ……ヘイシャオ……叔父さんの、……『〈影〉』」


「!? お前っ!」


 思わず拳を振り上げた彼に、〈サーペンス〉は淋しげに微笑んだ。


「……私を殴るの? 無駄なことを……。放っておいても……、私はじきに死ぬわ」


 その言葉の正しさを証明するかのように、〈サーペンス〉の体がびくりと痙攣し、苦しげな呼吸を繰り返す。


「オリジナルの、ヘイシャオ叔父さん……。幸せ、そうな……死に顔だった……って」


「そんなこと、どうでもいい!」


「……けど、『あなた』は、これから……どうする……?」


「……っ!」


「決して……、目覚めることのない朝を、求めて……。かわい、そう……」


サーペンス〉の双眸から、涙がこぼれ落ちた。


 だがそれも、あっという間に蒸発し、わずかなあとだけが肌に残る。


「〈サーペンス〉……」


 そのとき、〈サーペンス〉の背中から凄まじい熱量を持った光が溢れ、白い肌を裂いた。


「――――!」


 悲鳴にならない悲鳴が、ほとばしった。


〈天使〉の最期だ。


 与えられた〈天使〉をことごとく失ってきた彼は、今までにそれを何度も見てきた。


 せっかくの便利な道具が壊れると、悪態をつきながら見てきた。


 ――なのに今は……。


 …………。


 ……。


「……『あなた』……私のこと、嫌いだった……はず、……なのに、なんで……そんな、顔……?」


 彼女が顔を上げた。頬に張り付いていた黒髪が、はらりと落ちる。


「やっぱり、『あなた』……、お父さん、そっくり……。やりにくい……。憎めない、もの……」


 苦しげな息遣いの中で、彼女が笑った。


 背中は熱にかれ、激痛が走っているはずなのに……。


「……叔父さん……、メイシア……あの子は……」


「え?」


 何かを言おうとしている彼女の口元に、彼は耳を寄せた。耳朶がけるように熱い。


「…………………………」


「!」


 目を見開いた彼に、彼女は頷いた。そして、か細い声を漏らす。


「『〈ムスカ〉』に言うべき、情報……じゃ、ない。……けど、『あなた』が、これ、で……少し、でも……」


 熱風が部屋を駆け抜け、殺風景な部屋にぽつんと置かれていたテーブルを倒した。


 だが、その音は、彼の耳には聞こえない。


 彼に響くのは、ただ〈天使〉の祈りのみ――。


「私……あなた……大嫌い……だった。けど、同じ……なの。私も……、あなたも、『罪』だと……分かっていても……。だから……」




 di;vine+sin……。――『命の冒涜』……。




「『あなた』を……作り出して……ごめんなさい……」


 彼の耳元で、優しい声が響く。


「……『あなた』の、最期が、……安らかであることを……願う、わ」


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