di;vine+sin;fonia ~デヴァイン・シンフォニア~

『記憶の保存』と『肉体の再生』で死者は蘇り、仕組まれた出逢いが運命の輪環を廻す
月ノ瀬 静流
月ノ瀬 静流

7.万華鏡の星の巡りに-3

公開日時: 2021年3月5日(金) 22:22
更新日時: 2021年3月12日(金) 22:43
文字数:5,303

 ――――!?




 菱形の刃の先が〈ムスカ〉の背中に届く瞬間、奴の体が素早く動いた。


「嘘だろ……」


 ルイフォンの唇が、かすれた声を漏らす。


ムスカ〉は完全に無防備だった。


 けれど奴は、刃の生み出す、かすかな風圧を感じ取った。


 白衣の背中は、前へと向かう。


 無我夢中で、倒れ込む。


「『ミンウェイ』!」


ムスカ〉は、硝子ケースごと『彼女』を抱きしめた。――飛んでくる凶刃から、最愛の者を守ろうと……。


 その光景を、ルイフォンは呆然と見つめる。


 白髪混じりの髪をかすめ、緩やかな曲線の軌道を描きながら、菱形の刃は静かに落下していった……。




 失敗した。




 まさかの出来ごとだった。


ムスカ〉の全神経は、『彼女』のみに向けられていた。ルイフォンの存在には、まるで気づいていなかった。


 ただ、目の前に『彼女』がいたから。


 だから、危険の気配を感じた瞬間に、身を挺して『彼女』を庇おうとした。


 その行動が、毒刃からの回避に繋がった。


 結果として、『彼女』が〈ムスカ〉を守ったのだ。


 それは、切なすぎる〈ムスカ〉と『彼女』の情愛――。


「……」


 ルイフォンは無意識に奥歯を噛みしめた。


 ――けれど、負けるわけにはいかない。


 彼は、予備の刃を袖口に仕込む。そのとき、〈ムスカ〉がゆらりと体を起こした。


「鷹刀の子猫……」


 長い白衣の裾を翻し、振り返る。


 その顔は、まさに『悪魔』。禍々しく、妖しく。あらゆる憎悪を煮詰め、濃厚で純粋な『負』を極めたかのような、玲瓏な魔の美しさを宿している。


「『ミンウェイ』を争いに巻き込む貴様は、万死に値する!」


 低い声を轟かせ、〈ムスカ〉はルイフォンの死出を宣告した。


 背には怨恨の陽炎かげろうが揺らめいている。それは漆黒の翼にも見え、ルイフォンは、ごくりと唾を呑んだ。


 このまま続けて二投目の刃を打ち込んだところで、〈ムスカ〉は必ずよけるだろう。だからルイフォンは、フェイクのためのナイフを構えた。一か八かの接近戦を挑むふりをして近づき、接触と同時に〈ムスカ〉の皮膚に直接、毒刃を叩き込む策だ。


 ――多少の怪我は、覚悟の上……。


 ルイフォンは腰を落とし、力を溜める。それに合わせるかのように、〈ムスカ〉もまた無言で構えをとった。


 水を打ったような静寂が広がる。


ムスカ〉は本来、戦う者ではないという。


 だが体躯は、鷹刀の血族だけあって立派だ。気配に敏感で、身が軽く、体術にも優れている。病弱であった妻のために、体を鍛えることよりも、研究に勤しむことを優先しただけなのだ。


 睨み合っているだけで、迫力に押される。〈ムスカ〉は徒手空拳。けれど、そもそも格が違う。


 攻めあぐね、額に冷や汗を浮かべたとき、壁の姿見が、きらりと銀光を反射させた。ルイフォンの背後で、何かが光ったのだ。


「!?」


 ルイフォンが反応するよりも早く、〈ムスカ〉の視線が動く。


 ひと呼吸遅れて振り返ったルイフォンが見たものは、刀を振り上げ、一直線に〈ムスカ〉に向かって走るリュイセンの姿だった。


「タオロン!」


ムスカ〉は素早く、手駒の名を呼ぶ。


 ことの成り行きに圧倒され、傍観者となっていたタオロンが、びくりと体を震わせた。


「娘が大切なら、小倅こせがれを殺せっ!」


 そのめいに、タオロンは、心臓をえぐり抜かれたかのように愕然とする。


れっ!」


「――!」


 次の瞬間。


 絶望をまとったタオロンが、リュイセンを追った。


 しかし、それでタオロンの刀が、リュイセンの神速に届くはずもない。だから〈ムスカ〉は床を蹴る。倒れていた椅子を拾い上げ、化粧台の鏡に、思い切り叩きつける――!


 殺意に満ちた〈ムスカ〉の手元から、高く澄んだ音色が響き渡った。


「!」


 リュイセンの目の前を、粉々になった鏡の破片が流星となって飛んでいく。


 襲いかかってくる鋭利な星屑を、一刀しか持たぬ『神速の双刀使い』は払いのける。


 数多あまたの光の欠片かけらが、互いを映し合いながら散っていく。細やかな輝きは、まるで万華鏡。


 そして――。


「すまん!」


 タオロンの悲痛の咆哮。


 光の乱舞に足止めされたあるじのもとへ、双刀の片割れが帰ってくる。背後から、運命の糸を断ち斬る刃となって……。


 万華鏡の中を赤が散り、乱反射によって無限に広がっていく。


 リュイセンの体が、崩れ落ちた。


 タオロンの瞳から、透明な涙がこぼれ落ちた。


 


 そのとき――……。


 部屋中のすべての輝きを一点に集めたかのように……、金の鈴が煌めきを放つ。




 烈風と化したルイフォンが、駆け抜けた。


 菱形の刃を固く握りしめ、その手に全体重を載せ、全身全霊でもって〈ムスカ〉を貫く――!


「……っ!」


ムスカ〉の口から、鈍いうめきが上がった。


 肉を裂く、確かな感触。反撃を警戒し、転がるようにして場を離れたルイフォンは、しかし、わずかに顔をしかめた。


 本当は、脇腹を狙っていた。だが、すんでのところで体をひねられ、防がれた。


 それでも〈ムスカ〉の腕には、長袖の上から、菱形の刃が深々と突き刺さっている。白衣の白が、血の赤で染め上げられていく。


 そう。


 リュイセンは陽動を買って出てくれたのだ。


 正面から対峙するのでは、ルイフォンでは〈ムスカ〉に勝てない。だから、リュイセンが体を張って、〈ムスカ〉の注意を引きつけてくれた。あらかじめ打ち合わせておいたわけではないのに、ルイフォンには兄貴分の心が手に取るように分かった。


「こんなもので……」


ムスカ〉は腕に刺さった刃を引き抜き、途中で顔色を変える。 


 すぐさま白衣を脱ぎ、傷口を強く吸って、血を吐き出す。


「毒が塗ってありましたね?」


「答えてやる義理はない!」


 叫びながら、ルイフォンは〈ムスカ〉にナイフで挑みかかる。せっかく打ち込んだ毒を、吸い出させるわけにはいかない。


 倒す必要はないのだ。毒が回るまで、毒抜きをする暇を与えなければよい。


 ルイフォンは軽やかに〈ムスカ〉に飛びかかり、迎撃の蹴りを食らう前に、さっと距離を取る。その際、床に伏したままのリュイセンを、ちらりと見やる。


 リュイセン……!


 心の中で、ルイフォンは兄貴分の名を呼ぶ。


 神速を誇るリュイセンなら、すんでのところで致命傷は避けられたはずだ。


 だが、タオロンの本気の一刀は凄まじかった。傷は、かなり深いだろう。一刻も早く手当をしてやらねば、手遅れになりかねない……。


 一方〈ムスカ〉は、毒抜きの作業を邪魔しては逃げ回るルイフォンに対し、苛立ちもあらわに舌打ちをした。


「タオロン、刀をよこしなさい!」


 太い腕をだらりと垂らし、魂を抜かれたような状態のタオロンを怒鳴りつける。


 ルイフォンは、はっと顔色を変えた。


 貧民街で対峙したとき、〈ムスカ〉は双刀に近い形の、細身の刀を自在に扱っていた。ルイフォンなど足元にも及ばぬ使い手であり、死を覚悟したほどだった。


 先にこちらの動きを止めてから、毒抜きに専念するつもりだろうか。


 ルイフォンはそう考え、すぐに否定する。だったら、タオロンには『刀をよこせ』と言うのではなく、『ルイフォンを攻撃せよ』と命じればよいのだ。


 困惑に、足が止まる。


 その向こうでは、タオロンが、のろのろと刀を持つ手を上げていた。


ムスカ〉に向かって放り投げようとして、彼は、刀身から滴る血を目の当たりにする。軽いはずの双刀が、ずしりときたらしい。罪の重さを噛み締め、彼は巨躯を震わせる。


「タオロン!」


 動きの鈍いタオロンを突き飛ばし、〈ムスカ〉が強引に刀を奪う。


 まずい! と身構えたルイフォンの前で、〈ムスカ〉は双刀の刃を自分の腕にあてた。


「!?」


 驚愕に見開いたルイフォンの瞳に、鮮血が映り込む。


ムスカ〉は、苦痛に顔を歪めながらも、毒に侵された自らの肉をえぐり取っていた。ぼたぼたと流れ落ちる血液が、豪奢な絨毯をけがしていく。


「……」


 ルイフォンは青ざめ、声を失う。


 血みどろの腕を物ともせずに、〈ムスカ〉は、脱ぎ捨てた白衣を拾い上げた。刀で器用に切り裂き、止血用の紐を作る。上腕をきつく縛り、傷口には包帯のように巻きつけた。


 その間、ルイフォンは、凍りついたように身じろぎひとつできない……。


 処置を終えた〈ムスカ〉が、何ごともなかったかのようにルイフォンに声を掛けた。


「鷹刀の子猫。勝負です」


 双刀の片割れを手に、〈ムスカ〉は嗤った。


 出血はまだ止まっておらず、巻きつけた布に赤い色がにじんでいく。なのに、奴の口調には、どこか余裕があった。


 本能的な危険を感じ、ルイフォンは、わずかに後ずさる。


「ですが、その前に質問です」


「質問?」


 ルイフォンは眉をひそめた。


「私は気づいたのですよ。……あなたは、『ミンウェイ』のケースの設定を変更しませんでした。それは、何故ですか?」


「……え?」


 思わぬ問いに、ルイフォンは虚をかれた。


 操作パネルは、光の加減で見えにくくなっていただけだ。目を凝らすか、手で影を作ってやるかで読めるようになる。おそらく〈ムスカ〉は、ルイフォンが最初に投げた毒刃をかわしたあと、すぐに確認したのだろう。


 しかし何故、今更こんなことを尋ねるのか……?


「適正値のままでした。――どうしてですか?」


 重ねて問う〈ムスカ〉に、ルイフォンは戸惑いと苛立ちがないまぜになり、鼻に皺を寄せる。


「そんなの、当然だろ」


 鬱陶しげに言ってから、これでは『悪魔』には分からないだろうと考え直し、ルイフォンは付け加える。諸々もろもろの怒りを込めて、高圧的に――。


「俺は、お前とは違って、悪人ではないからだ」


「なるほど。如何いかにも、あなたらしい答えですね」


ムスカ〉は、くっくっと喉の奥を鳴らした。


 失血のためか、額が、頬が、透き通るように青白い。けれど、鷹刀の血族であることを如実に示すその顔が、壮絶までの魔性の美しさを放った。


 ルイフォンの直感が、警鐘を鳴らす。――その先を言わせてはならぬと。


 だが、遅かった。


「それならば――」


 魅惑の低音が響く。




「タオロンの娘は、あなた方にとっても、充分に人質として有効――ということですね」




「!」


 ルイフォンは息を呑む。


「違う……! ――俺は……!」


 そのとき、途切れ途切れの声が、必死に割り込んだ。


「ルイ……、フォン……!」


 床に伏していたリュイセンが、よろめきながら体を起こす。


「リュイセン!?」


 兄貴分は重傷のはずだ。額には冷や汗がびっしりと浮かんでいる。唇の色は青みがかっており、黄金比の美貌には陰りが見えた。


 なのに彼は両の足で、しかと立った。


「馬鹿野郎……! こいつの言葉に……、耳を貸すな!」


 恐ろしい気迫がほとばしり、白刃が煌めく。


 まばゆい銀光が勢いよく円を描き、華麗に舞い、〈ムスカ〉に斬りかかる。


「この死にぞこないが!」


ムスカ〉が、無傷のほうの片手で、双刀の片割れを振るう。


 紫電が爆ぜた。


 ひとつの刀をいかづちふたつに斬り裂いたかのような双子の刀。ふた振りの刀はぶつかり合い、再び、ひとつの影を形作る。


 だがそれは、共にひとつの鞘に収まるためではなく、互いを滅ぼすため――!


「くっ……」


 重傷を負っていたリュイセンが押される。


「リュイセン!」


 ルイフォンはナイフを携え、〈ムスカ〉に向かって走り出す。


 ――刹那。リュイセンの絶叫が響いた。


「違うだろうっ!」


「え……?」


「逃げるんだ!」


 耳を疑った。


 兄貴分が何を言っているのか、理解できない。


「なんで……? まだ……、だって……」


 リュイセンは重傷を負ってしまったが、ルイフォンはほぼ無傷だ。


 それに対して〈ムスカ〉は、かなり失血しており、顔色が悪い。止血が必要であるし、完全に毒が抜けたかどうかも分からない。


「一度引いて、やり直せ!」


 リュイセンが、撤退を判断した。


 敗走を決意した。


「何故……?」


 呟きながら、ルイフォンは気づく。


 最悪の選択から、自分が目をそむけたことを――。


 ファンルゥの命を盾に取られたら、ルイフォンとリュイセンも、タオロンのように〈ムスカ〉に逆らえなくなってしまう。


 だから、逃げるしかない。


 そして、重傷を負ったリュイセンは、逃げられる状態ではない。


 つまり――。


「俺を置いて、逃げろ!」


 リュイセンの腕は震えていた。


 限界だった。


ムスカ〉が、にやりと口角を上げる。


 そして。


 リュイセンの肩から胸へと閃光が走り、一瞬遅れて、血の華が咲いた。


「ルイフォン、行け――!」


 倒れながらも、リュイセンは〈ムスカ〉に足をかけて巻き込み、慌てる相手もろともに床を転がる。


「お前が無事なら、まだチャンスはある! 任せたぞ!」


 心は、ここに留まりたいと叫んだ。


 まだ何か策はあるはずだと訴えた。


 ルイフォンが、くるりと背を向けると、一本に編んだ髪が大きく思いを薙ぎ払った。金の鈴が胸元に飛び込み、持ち主の心臓を打つ。


 ――リュイセンの持つ、天性の野生の勘は、決して間違えない。


 自分の感情よりも、兄貴分の理性を信じた。


 いつもと逆だ。


 ルイフォンは、壁の姿見をナイフで割りながら、部屋をあとにする。


 鏡の破片によって、少しでも、あとを追いにくくなればいい。――それは、ただの言い訳だ。


 無性に、何かを粉々に砕きたかっただけだ。


 銀色の欠片かけらが飛び散り、光を跳ね返しながら乱舞する。


 時々刻々と形を変えていく光の紋様は、まるで万華鏡を覗いているかのよう。


 ひとたび崩れた形は、二度と戻ることはない……。






 この館は、摂政が貴族シャトーアを接待中だ。〈ムスカ〉の行動は制限されている。


 廊下に出てしまえば、奴は派手に騒ぎ立てて追ってくることはできない。


 ――だから、逃げろ。


 リュイセンの思いをいだき、ルイフォンは走る。






 最後に見た兄貴分の顔は――。




 満足そうに、微笑んでいた…………。






~ 第五章 了 ~

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