di;vine+sin;fonia ~デヴァイン・シンフォニア~

『記憶の保存』と『肉体の再生』で死者は蘇り、仕組まれた出逢いが運命の輪環を廻す
月ノ瀬 静流
月ノ瀬 静流

5.紡ぎあげられた邂逅ー1

公開日時: 2020年11月3日(火) 22:22
更新日時: 2020年11月10日(火) 23:57
文字数:3,647

 今が夜であることを忘れたかのように、別荘の廊下は煌々とした光で満たされていた。


 メイシアの父、コウレンとの対面を果たしたルイフォンとリュイセンは、明るすぎる廊下に落ち着きのなさを感じながら、先を急いでいた。


 脱出経路は、侵入経路の逆順。端の階段を使って一階まで降り、厨房から外に出る――。


 額から汗が伝い、流れる。


 だが、ルイフォンがそれを拭うことは叶わなかった。意識のないコウレンを背負っていたためである。混乱が危険を招くと判断したリュイセンが気絶させ、更に途中で目覚めると厄介だからと眠り薬を打ったのだ。


 感動の、とまではいかないまでも、それなりに絵になる救出劇を思い描いていたルイフォンにとって、予定とは随分と違う展開になっていた。


 一階の階段室を出る直前で、前を行くリュイセンが合図を送ってきた。ルイフォンが了承の意を返すと同時に、リュイセンは流星もかくやという速さで躍り出る。


 見回りの凶賊ダリジィンが三人、突如として現れたリュイセンに凍りついた。


 刹那、ルイフォンは鈍い物音を聞いた。


 リュイセンの向こうで凶賊ダリジィンが倒れた。と、同時に幾つかの打撃音が続く。


 ひときわ重い、どさりという音が床を揺らした。それが最後の男だった。そして、あたりは人気ひとけのない、森閑とした廊下に戻る。


 相変わらずの見事な技に、ルイフォンは口笛を吹きたいのを我慢して、にやりと口の端を上げた。






 入ってきたときと同じく、厨房は闇に包まれていた。廊下との落差から、ここだけが光の世界から置き去りにされたかのように思える。夜が更けてきたためか、室内の空気はひやりと冷たく、それが物寂しさを助長させていた。


 このあとは、そこの勝手口から庭を駆け抜け、一気に門を出る。事前に把握しておいた見回りの人数からすれば、途中で敵に遭遇する確率は極めて低いはずだ。


 唯一の懸念は〈ムスカ〉の存在であるが、純粋な力量ならリュイセンが上回ることを、前に〈ムスカ〉自身が認めている。


 別荘の外に出てしまえば一安心で、近くに待機させている車が迎えに来る手はずになっていた。


 だから、救出作戦の成功は目前であった。


 しかし、ルイフォンとリュイセンは、暗い厨房の中ほどで立ち止まった。


 戸惑いもあらわに、リュイセンが後ろのルイフォンを仰ぐ。ルイフォンも、予想外の事態に唖然としていた。


 今は一刻も早く、メイシアと父親を会わせてやりたい。


 しかし、勝手口の前に、ちょこんと座り込んだ小さな影をどうすればいいというのだろう?


 ルイフォンは、困惑に目眩がしそうになった。


 影は、こくり、こくりと船を漕いでいた。ぴょんと跳ねた癖っ毛が、肩の上で可愛らしく揺れている。――タオロンの愛娘、ファンルゥである。彼女は扉を塞ぐようにして眠っていた。


 まさかの伏兵だった。


 別れ際に、ちゃんと部屋に戻るように言ったはずなのだが、そのまま寝てしまったのだろうか。ともかく、彼女を乗り越えなければ外に出られない。


「起こさないように、そっとどかしてくれ」


 小声で、ルイフォンはリュイセンに指示を出す。子供相手の役回りはルイフォンのほうが適任なのだが、生憎、彼の両手はコウレンを背負っているので、文字通り手一杯だった。


「無茶を言うな」


「起きたら、そのときは、そのときだ。……仕方ない」


 急いでいるのは勿論であるが、それを抜きにしても、今はファンルゥと接したくなかった。三階の部屋では、タオロンが深手を負って倒れている。彼女は知らなくても、ルイフォンたちは父親を襲った賊に他ならなかった。


「――ああ、本当に仕方ねぇな……」


 心底嫌そうな顔でリュイセンは屈み込み、ファンルゥの背に手を伸ばした。


「ふにゃ!?」


 案の定、手が触れるや否や、ファンルゥが大きな目をぱちりと開けた。リュイセンの舌打ちが漏れる。


 彼女は、間近に迫っていたリュイセンの顔をじっと見つめた。そして「はふぅ!?」と、わけの分からない雄叫びを上げたかと思うと、いきなり大声を出した。


「あぁっ! 来たぁ! ホンシュア、起きて! 本当に、ルイフォンとリュイセンが来たよ!」


 ファンルゥは、喜色満面である。


 だがルイフォンは、彼女の言葉に頭の中が真っ白になった。あまりにも不可解な情報が、無数に散りばめられていた。


 ――ファンルゥは、『待っていた』のだ。


 出口を塞いでいたのは偶然ではない。


 さっき会ったときには知らなかったはずの、『ルイフォン』と『リュイセン』の名前を口にした。


 そして、口ぶりから彼女は独りではない。ここで待っていれば、彼らが来ると教えた者――おそらく彼らの名を教えた者が、この暗がりの中にいる。


「どこにいるんだ……?」


 ルイフォンの気持ちを代弁するように、リュイセンが呟いた。


 武にけたリュイセンすら、気配を探れない相手。しかも――。


「『ホンシュア』だと――?」


 ルイフォンは仇敵にでも会ったかのように、瞳を尖らせた。


 リュイセンはその名にぴんとこないだろうが、ルイフォンは忘れるわけがない。〈フェレース〉たる彼が、ほぼ徹夜で調査しても正体の片鱗すら突き止められなかった、メイシアを唆した仕立て屋の名前だ。


 そういえば、別荘に潜入する前にキャンプ場で情報を吐かせた吊り目男も、地下に〈七つの大罪〉の〈サーペンス〉と呼ばれる女がいると言っていた。その女は『ホンシュア』と名乗っていた、とも。


 ファンルゥは、ルイフォンの剣呑な雰囲気にまったく気づくことなく、無邪気に答えた。


「窓のところにいるよ! ホンシュアは熱があるの。熱い、熱いって。だから窓を開けて涼しくしているの」


「……熱?」


 床に座り込んでいたファンルゥは、ぴょんと元気良く立ち上がると、調理台の間を抜け、換気扇の下に設けられた腰高窓のところに行った。


 見れば、先ほどは閉じられていた窓が開け放たれていた。冷たい夜気が入り込んでいる。どうりで室温が下がったと感じたわけだ。


 ファンルゥは、ちょこんとしゃがみ込んだ。


「ホンシュア! ルイフォンたち、来たよ!」


 そこに、人影があった。


 影は、両足を抱え込むようにして、うずくまっていた。膝に顔を載せるようにして伏しているため、造作は伺えない。


 白いキャミソールワンピース姿で、背を覆う黒髪の隙間から、むき出しの肩が晒されていた。長い裾は床で広がり、緩やかに波打っている。


 今まで気づかなかったのが不思議なくらいにはっきりと、青白く幻想的な光景が暗がりに浮かび上がっていた。


 こんな薄着で、しかも熱があるのに窓を開けるのか。生身の人間とは思えない、そんな錯覚すら覚える。


「これが……『ホンシュア』……?」


 ルイフォンは、情報屋トンツァイから貰った写真でしか、ホンシュアを知らない。斑目一族の屋敷から出てくるところを隠し撮りしたものである。


 派手な女だと思った。濃い化粧と、体のラインがはっきりと表れる服。切れ者を演出するかのように、髪はきっちりとまとめ上げていた。


「ホンシュア、起きてよ!」


 ファンルゥが、ホンシュアの肩を揺らした。


 その様子を呆然と見つめるルイフォンの腕を、リュイセンが引き寄せる。


「ルイフォン、今なら外に出られる」


「け、けど、こいつは〈七つの大罪〉の〈悪魔〉なんだ」


「何……?」


 リュイセンは黄金比の美貌を曇らせた。厄介な奴に会ったと思うと同時に、気配を感じられなかったのも、得体の知れない輩なら道理かと、妙な納得をする。


 たが、彼にとって〈七つの大罪〉は警戒すべき相手ではあるが、積極的に関わる相手ではなかった。彼はホンシュアを一瞥すると、低い声で言った。


「気になるのは分かる。だが、今、俺たちがすべきことはなんだ?」


 リュイセンの視線が、ルイフォンの背中を示す。


「……」


 ルイフォンは肩越しに、背負っているコウレンの横顔を見た。ぐったりとして眠っているが、確かな息遣いが首筋に掛かる。


「……お前の言う通りだ。リュイセン、行こう」


 コウレンを背負う手に力を込める。


 きびすを返したルイフォンたちに、ファンルゥの悲鳴のような声が上がった。


「待ってよ! ホンシュアは、お友達じゃないの!?」


 悲愴ともいえる必死な顔で、大きな目が彼らを責め立てていた。


「ホンシュア、『逢いたい』って、泣いてた!」


「逢いたい……?」


 ルイフォンが思わず足を止める。それを見て、リュイセンが忌々しげに眉を上げた。


「ファンルゥが呼んでくる、って言ったけど、来てくれないだろう、って。だから、ホンシュアは熱があるのに、無理して地下からここまで来たの!」


「ルイフォン、行くぞ!」


 ファンルゥの言葉にかぶるように、リュイセンが叫ぶ。


 そのときだった。


 うつむいていたホンシュアが顔を上げた。


 青白い頬に、熱に浮かされたような、潤んだ瞳。化粧っ気のない顔は写真のホンシュアとは、だいぶ印象が違ったが、気をつけて見れば確かに本人だった。


「あっ……」


 ホンシュアの目が、ルイフォンとリュイセンを捕らえた。中途半端に口を開けたまま、彼女は動きを止める。


 その顔は徐々に歓喜に満ちあふれ、やがて瞳から、ひと筋の涙が流れ落ちた。


「……逢えた…………本当に……」


 荒い息と共に、彼女の口から呟きが漏れた。


読み終わったら、ポイントを付けましょう!

ツイート