di;vine+sin;fonia ~デヴァイン・シンフォニア~

『記憶の保存』と『肉体の再生』で死者は蘇り、仕組まれた出逢いが運命の輪環を廻す
月ノ瀬 静流
月ノ瀬 静流

1.境界の日の幕開け-1

公開日時: 2021年1月31日(日) 22:22
文字数:5,770

 その日、ハオリュウは、メイドが起こしに来るよりも先に目を覚ました。


 夏に差し掛かった朝日は、さすがに彼よりも早起きであったらしい。カーテンの隙間から、すうっと細く、光が覗き込んでいる。起き上がって窓を開ければ、澄んだ南風が部屋に流れ込み、青空になりきる前の、特別な色の空が広がっていた。


 いよいよ、今日である。


 摂政との会食と、〈ムスカ〉捕獲作戦の決行の日――。


 手はずとしては、まずは、リュイセンの兄、草薙レイウェンの家で、皆が落ち合う。そこから人が隠れられる細工をした、例の『車』に乗り換えて出発だ。


 作戦会議のときは、夜闇に紛れてハオリュウが鷹刀一族の屋敷に赴いた。しかし、今回は昼間なので、貴族シャトーア凶賊ダリジィンの屋敷に行くのも、その逆も避けることにしたのだ。そこで白羽の矢が立ったのが、レイウェンの家というわけだ。


 彼の家であれば、仕事での付き合いがあるため、ハオリュウが出入りをしても不自然ではない。なおかつ、服飾の専門家であるユイランが、王族フェイラとの会食に臨む衣装は任せてほしいと張り切っているので、都合が良かったのである。


 鷹刀一族の屋敷からは、チャオラウの運転する車にルイフォンとリュイセン。それから見送りとして、メイシアとミンウェイも乗ってくるという。


 メイシアの同乗は、イーレオのはからいだ。〈ムスカ〉に狙われているため、彼女はずっと外出を避けていたのだが、やはりルイフォンの見送りはしたいであろうと。〈ムスカ〉だって、摂政が庭園に来る日くらいは、おとなしくしているであろうし、万一のときでもチャオラウがいれば安全――というわけだ。


 会食は、昼に予定されている。しかし、朝食を終えると、ハオリュウは早々に家を出た。


 緋扇シュアンと、話をする約束があったのだ。






 ハオリュウが到着したとき、案内された部屋で待っていたシュアンは、上質なソファーを堪能するかのように堂々と寝転がっていた。


 あらかじめ『ふたりで、今日のことの最終確認をしたい』と言ってあったので、気を利かせたレイウェンが場所を用意してくれたのだ。そのため、シュアンは気兼ねなく、くつろいでいたのである。


「シュアン、お待たせしてすみません」


 ハオリュウが声を掛けると、シュアンはむくりと起き上がる。収まりの悪い、ぼさぼさ頭が乱れているが、それは横になっていたからではなく、いつものことだ。


「ハオリュウ。あんた、ちゃんと寝たのか?」


 シュアンは立ち上がり、ハオリュウのもとに寄る。彼を車椅子からソファーに移動させるためだ。


 普段は杖を使っているハオリュウであるが、シュアンが介助者として自然に動けるよう、この数週間、ふたりでいるときは努めて車椅子で行動していた。今日は、その訓練の成果を示す日でもあった。


「朝早く目覚めてしまいましたけど、昨日の晩は早めに休んだので、心配ありませんよ。それより、あなたのほうが寝不足の顔に見えます」


「俺のは地顔だ」


 シュアンはそう言って、皮肉めいた癖のある笑顔を浮かべる。


 目つきの悪い三白眼の下には、深いくまが刻まれていた。本人の言う通りの地顔なのかは不明であるが、確かにそれは常からのものである。


 ハオリュウは微苦笑した。


 率直にいって、貴族シャトーアの介助者としてふさわしい容貌とは言い難い。しかし、ハオリュウが最も信頼している人物がシュアンなのだから、仕方ないのだ。


「早速だが、用件に移るぞ。ユイランさんが、あんたの着せ替えを楽しみに待っているようだから、手短にいく」


 ハオリュウの向かいに座ったシュアンが、彼らしくもなく姿勢を正す。


 体格的には、中肉中背。どちらかといえば、やや貧相で、どこにでもいるような冴えない男だが、彼の本職は凶賊ダリジィンを相手にする部署の警察隊員だ。まとう雰囲気に牙を宿せば、彼が生来のものだと主張する凶相と相まって、途端に大男にも負けぬ威圧を放つ。


「ええ。それから、僕からも、あなたにお話があります」


「そうか。……こんなときの話なんざ、どうせ、互いにろくな話じゃねぇな」


「そうでしょうね」


 どちらからともなく、低く笑い合う。


 そして、シュアンが口火を切った。


「――今日の、摂政との会食。摂政が〈天使〉を出してきたら……、摂政が〈天使〉を使って、あんたを支配するつもりなら、俺はためらわずに、摂政と〈天使〉を殺す」


 憎悪にも近いシュアンの言葉が、鋭い弾丸となって撃ち放たれた。


 そのときは邪魔するなとの、牽制を込めた宣言だった。


「そう言ってくると思っていましたよ」


 ハオリュウは、柔らかに口元を緩める。


 剣呑な話にも関わらず、彼が、父親そっくりの穏やかな声と顔で応じれば、不思議となんでもないことのように聞こえた。鷹刀一族が持つものとはまた違った、けれどこれも魔性の一種だろう。


「なんだ、驚かないのか」


「あなたが気づいたように、僕だって気づきますよ。――〈ムスカ〉は〈天使〉をすべて失ったそうですが、カイウォル殿下が〈天使〉を使ってこないとも限らない、と」


 ハオリュウとシュアンは、共に大切な人を〈影〉にされることで亡くした。その彼らが、〈天使〉の脳内介入を恐れるのは当然だった。


「ですが、シュアン。さすがに摂政が急死したら、国は大混乱です。四年前に先王が亡くなったときもそうでしたが、できれば避けたい事態です」


「何を言ってやがる? 『混乱』して困るのは、現在、甘い汁を貪っている奴らだけだ。底辺の人間にしてみれば、上がどうなったところで何も変わりはしない。この国は腐りきっているんだからな」


「まぁ……そうですね」


『上』にいるハオリュウは、歯切れ悪く頷くしかない。


「心配するな。あんたや藤咲家に迷惑はかけない。捕まえた〈ムスカ〉を犯人に仕立て上げて、丸く収める」


 シュアンは鼻息荒く言い放つが、そんな簡単なことではないだろう。


 それに――だ。


「そもそも、僕が〈天使〉によって〈影〉にされるなり、『呪い』を掛けられるなりする場合には、あなたは席を外されている可能性が非常に高いですよ」


「……っ!」


「それと……実のところ、僕はそれほど〈天使〉に関しては警戒していません」


「なんだって!?」


 静かに告げたハオリュウに、シュアンが速攻で牙をむく。


「カイウォル殿下が〈天使〉を使えるのであれば、僕などではなく、ライバルのヤンイェン殿下か、法律上の最大の権力者である女王陛下の、どちらかを支配するほうが、よほど効果的だからです」


「!」


「それなのに、僕に接触してくるのなら、カイウォル殿下は〈天使〉を所有していない、と考えるのが妥当です」


「そう……か」


 勢い込んでいただけに、面目ないのであろう。シュアンはやや顔を下げ、ぼさぼさ頭で目元を隠した。


「勿論、〈天使〉を使ってくる可能性を考慮しておくのは、悪くありません。けれど、それ以上に気を配っておく必要があるのが、〈ムスカ〉の存在……」


「ハオリュウ……?」


 淡々と、だが確実に。ハオリュウの声色は、不穏な色合いを帯びていく。


「あの庭園で、〈ムスカ〉が何を研究しているのか、僕たちには想像のしようがありません。ですが、カイウォル殿下にとって、有用なものであることは確かです。――そして、そんな場所に僕を招いた以上、『それ』は、僕の気持ちを揺り動かすものであるはずです」


 ハオリュウは、闇をたたえた漆黒の瞳で、じっとシュアンを見つめる。


 その深い黒に、シュアンは引きずり込まれる。


「仮に――です。〈ムスカ〉の研究が、僕の意思をねじ曲げるようなものであった場合……。もしも僕が、〈ムスカ〉の技術によって、自分の意思を保てないような状況に陥ったなら――」


「……!?」


「〈天使〉の介入のように――僕が、僕でなくなった、そのときは……」


 ごくりと、シュアンが唾を呑む音が聞こえた。凶相が引きつり、三白眼がその先を言うなと訴える。


 けれど、低くなったハオリュウの声は厳かに響いた。




「僕を殺してください」




「――――!」


 その瞬間、シュアンは、ひとことも発せなかった。


 けれど、反射的に立ち上がっていた。


 無意識に動いた自分に彼は驚きつつも、しかし、足は止まらずにハオリュウへと向かう。


「馬鹿野郎……っ!」


 シュアンの口から漏れ出たのは、絞り出すような声だった。殴りつけるために振り上げたのであろう拳は、途中で力を失い、そのままハオリュウの肩に落とされる。


「馬鹿ではありませんよ。〈影〉のように、死んだほうがマシの事態は存在します。そうなったとき、僕が自分で自分を殺せるのなら良いのですが、今の話の前提は『僕が自分の意思を保てなくなったとき』です。だから、シュアン、あなたに頼みます」


「……」


 シュアンは、凍りついたかのように動けなかった。


「あなたの手は、僕の手です。あなたが屍の山を築けば、僕の手が赤く染まる。――あの言葉を、忘れていませんよね? ……僕たちの関係は、そういう関係です」


「……っ」


「引き金を引けない僕の手の代わりに、あなたの手が引き金を引いてください。――いつだったか、レイウェンさんにも言ったことがあるでしょう? 『僕に必要な者は、僕に代わって殺せる者だ』と」


 ハオリュウは、自分の肩に載せられたシュアンの手の上に、自分の手を重ねる。


「シュアン、あなたしか、いないんです」


 異母姉のメイシアや、ルイフォンも、〈ムスカ〉の技術を警戒していた。おそらくは、ハオリュウと同じくらいに恐れていた。その気持ちはありがたかった。


 けれど、ハオリュウは『自分も警戒している』と、言うわけにはいかなかった。言ったところで、なんの解決にもならないからだ。単に、異母姉に心配をかけるだけなのだ。


「僕が死んだときは、イーレオさんが、あらゆる方法で対処に当たると約束してくださっています」


「イーレオさんが……?」


「はい」


 嘘ではない。


 いろいろ思うところはあるようだったが、イーレオはすべてはらの中に呑み込み、ただ、ひとこと『任せろ』とだけ言ってくれた。


「だから、お願いします。もしものときは――」


 そう言って、ハオリュウが念を押そうとしたときだった。


 不意に、「きゃああっ!」という悲鳴が、部屋の外から響いてきた。


 即座にシュアンが床を蹴り、扉を開く――!


「クーティエ!?」


 レイウェンの娘のクーティエが、よろけながらも絶妙な具合に腰を曲げて踏ん張っている――という姿勢で、トレイを掲げていた。その上に載せられた、ふたつのグラスの中では、中身の茶が激しく踊っている。しかし、奇跡的に一滴もこぼれていないとう、素晴らしい運動神経であった。


 そして、その後ろで、呆然とたたずむミンウェイ――。


「ご、ごめんなさいっ!」


 叫びながら、クーティエは腰から体を曲げて、深々と頭を下げた。


 ふたつに分けて高く結った髪が、髪飾りのリボンを中心にぴょこんと一回転するが、その衝撃にも茶は耐えた。


「ハオリュウが来たから、お茶を持っていこうとしたの。でも、ノックする前に、中の声が聞こえちゃって……、それで……」


「立ち聞きしていた、というわけだな?」


 ぎろりと、シュアンが睨む。


「そ、その通りですっ! ごめんなさい! あ、でも、ミンウェイねぇは違うの!」


 クーティエは、慌てたように首を振る。――その動きに合わせて、茶も揺れる。


「ミンウェイねぇは、あとから来て、立ち聞きしている私にそっと声を掛けただけなの! で、その声に私がびっくりして……」


「それで、あの悲鳴を上げたわけですね」


 部屋の奥からハオリュウが問うと、戸口のクーティエは、よく見えるようにか、こくこくと大きく頷いた。


 彼女の背後で、ミンウェイが申し訳なさそうな顔で「ごめんなさいね」と謝る。だが、その対象がクーティエなのか、ハオリュウたちなのかは、今ひとつ判然としなかった。


「私はユイラン様からのお使いで、『あとどのくらい、お話に時間が掛かるのか、訊いてきてほしい』と言われて来たのよ」


 ハオリュウに衣装を着せるのを楽しみにしているユイランは、なかなか来ない彼に焦れて、ミンウェイに様子を見に行かせたらしい。


「状況は分かった。嬢ちゃんは聞いていて、ミンウェイは聞いてない、と。……嬢ちゃん、いつからいた?」


 責め立てるようなシュアンに、クーティエは首を縮こめた上目遣いを返す。


「……『シュアンの悪人面は、地顔だから諦めるしかない』ってあたり……」


「誰も、そんなこと言ってねぇ!」


 噛み付くシュアンに、ハオリュウは苦笑した。


 近いやり取りはあった。実際、ハオリュウも、内心では同じことを思った。しかし、シュアンが叫んだように、口に出しては言っていない。


「まぁ、いい」


 シュアンは、ふんと鼻を鳴らし、「ハオリュウ」と名を呼びながら、くるりと振り返る。


「俺の手は、お前の手だ。だが俺の手は、俺の手でもある。――俺の手はな、『一発の弾丸の重さ』を知っている。……それを、よく覚えておけ」


 唐突に告げられたのは、先ほどの返事だった。


 そして、解釈の難しい言葉だった。しかし、少なくとも、突っぱねられたわけではないことは伝わってくる。


「シュアン、感謝します」


 ハオリュウの言葉に、シュアンは何も答えずに背を向けた。そして、おもむろに、クーティエのトレイからグラスをひとつ取り上げた。


「え?」


 急に軽くなった腕への負荷に、クーティエが驚く。


 けれどシュアンは、彼女の狼狽をまるきり無視して一気に茶をあおり、グラスを再びトレイに戻した。茶の分だけ軽くなったグラスの重さが、クーティエに返ってくる。


「嬢ちゃん、ご馳走様」


「えっと……?」


 てっきり怒られるものだと思っていたクーティエは、狐につままれた気分だ。


「ユイランさんが待ちかねているようだから、あと十分で、俺はハオリュウを連れて行く。――それまでに、話を終わらせるんだな」


「はい?」


 きょとんとするクーティエの背を軽く押し、シュアンは彼女を部屋に押し込んだ。


「ミンウェイ、行くぞ」


「緋扇さん? どういうことですか?」


「いいから、来い」


 命令調でシュアンが言う。


 ミンウェイは一瞬、きょとんとするものの、すぐに何かを察したようだ。美貌が輝き、この場にふさわしくないような緩んだ顔になる。


「ちょ、ちょっと! 緋扇シュアン! どういうことよ!」


「嬢ちゃん、聞いていたんだろ? だったら、あんたはハオリュウに言いたいことがあるはずだ。俺の話は終わったから、ハオリュウをあんたに譲る」


「え?」


「じゃあな」


 シュアンは言い捨てると、ばたんと勢いよく扉を閉めた。


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