di;vine+sin;fonia ~デヴァイン・シンフォニア~

『記憶の保存』と『肉体の再生』で死者は蘇り、仕組まれた出逢いが運命の輪環を廻す
月ノ瀬 静流
月ノ瀬 静流

2.風雲の襲撃者-2

公開日時: 2020年9月18日(金) 22:22
更新日時: 2020年11月10日(火) 13:46
文字数:4,059

 砕けた硝子を避け、ルイフォンの尻尾の金の鈴を追いかけて、タオロンは路地裏に入った。


 そこには、彼の予想通り、猫の子一匹いなかった。


 両脇には、人気のない数階建ての建物が続いている。


 彼は、あたりの気配を確認しながら歩を進めた。高いところから物でも落とされたら堪らない。それは古典的ではあるが、有効な手段だからだ。


 そして、彼は一軒の建物の手前で止まった。


 ぎぃぎぃと音を立てて揺れ動く扉に向かい、彼は言う。


「鷹刀ルイフォン、隠れても無駄だぜ」


 だが、返事はない。


 タオロンは額のバンダナをずらし、片目を隠した。明るい室外から、急に暗い室内に入ると、どうしても目が眩む。それを避けるため、先に片目を慣らしておくのだ。


 彼は大刀を片手に扉を見据えた。


 静かに息を吐く。


 刹那、タオロンの体が砂塵と共に跳躍し、瞬く間に扉を蹴り飛ばす。


 ほとんど意味をなしていなかった扉の金具が、断末魔を上げた。


 そのまま、建物に突入――というところで、タオロンは頭を庇うように大刀を大きく振るった。


 きぃん……。


 金属同士が打ち付け合う、力強い音。


「くっ……!」


 頭上から落ちてきた重い衝撃に、タオロンは思わず呻き声を漏らした。


 大刀から伝わる振動が、腕まで響く。だが、それは相手も同じであった。


「ちぃっ……!」


 ルイフォンが舌打ちをした。痺れるような反動に、彼が手にしていた鉄パイプは抜け落ちた。


 細身のルイフォンは、タオロンの豪腕に弾き飛ばされる。しかし、持ち前の身軽さを発揮して、猫のように華麗に着地した。


「やはり、読まれていたか」


「当たりめぇだ。気配は二階からしていたからな。だが、まさか、お前自身が落ちてくるとは思わなかったけどな」


 タオロンは冷や汗をかきながら、バンダナを額に戻す。


「藤咲メイシアは?」


「逃がした。俺は、メイシアが逃げ切るまでの時間稼ぎさ」


 少々猫背気味の独特な歩き方で、ルイフォンは悠然とタオロンに近づく。両手に武器もないのに、恐れた様子も見せなかった。


 タオロンの浅黒い肌が粟立った。


「お前ほど油断ならねぇ相手は、初めてだぜ」


「お褒めいただいて、嬉しいね」


 猫のように目を細め、ルイフォンが笑う。そんな彼を威圧するように、タオロンが刀を構えた。


 ルイフォンが歩みを止める。


 両者が睨み合う。


 ルイフォンがすっと腰を落とした。


 と、その次の瞬間には、素早く地を蹴り、徒手空拳でタオロンの懐に飛び込む――。


「馬鹿な!?」


 無謀とも言えるルイフォンの行動にタオロンは戸惑いを隠せなかったが、それでも、その手の大刀で疾速の旋風を巻き起こす。


「……っ!」


 ルイフォンが息を呑んだ。


 大刀の鋭い切先は、ルイフォンの眉間を正確に狙っていた。


 空間を押し裂くような、体重を載せた力強い一撃。


 その太刀筋を、ルイフォンは全神経を使って見極めていた。


 刃が迫った瞬間、体内の血が凍りつくかのような緊張が彼を襲う。


 風圧で皮膚が裂けるその直前、ルイフォンは舞うように後ろに躱した。その際、袖に隠し持っていたものを、タオロンの首筋に向かって弾き飛ばす。


「痛っ……?」


 タオロンは自分の首に刺さったものを反射的に引き抜いた。それは小さな釘だった。鉄パイプ同様、街灯に投げつけて失ったナイフの代わりに、ルイフォンが廃墟で拾った武器だった。


 怪訝な顔をするタオロンを無視し、ルイフォンは軽やかに身を躍らせて間合いから離れる。一本に編んだ髪が宙を流れ、青い飾り紐がはためき、金色の鈴が煌めく。


「お前、こんなもので俺をどうするん……?」


 そう言いかけたところで、タオロンが、がくりと膝をついて倒れた。


 よく日焼けしているはずの彼の肌が、目に見えて青ざめていった。力が入らぬ様子の首を懸命に曲げ、ルイフォンを見上げる――それでも強さを失わない目だけで、現状について問うていた。


「筋弛緩剤だそうだ」


 ルイフォンが告げた。鉄パイプでの不意打ちに失敗した場合に、保険として釘の先に塗っておいたのだ。


 娼館の女主人シャオリエに貰った餞別。ルイフォンの年上の姪にして、薬草と毒草のエキスパート、ミンウェイ作の代物だが、効き目が分からなかったため積極的に使いたくはなかったのだ。しかし、どうやら有効――それどころか、少々塗りすぎだったらしい。


「さて、と。お前から情報を引き出したいところだが、今は麻痺してて喋れないよな? というわけで、あとで鷹刀の誰かに回収してもらおう」


 そう言いながら、彼は、おもむろに髪の先を留めている青い飾り紐をほどく。アラミド繊維を芯糸にしたそれは、細くともタオロンを拘束するのに充分な強度を持っていた。


 タオロンを後ろ手に縛り上げ、金色の鈴は大切に懐にしまう。


 そしてルイフォンは、建物に向かって手招きをした。






「ルイフォン……!」


 飛びつかんばかりの勢いで、建物からメイシアが飛び出してきた。


「怪我は、ありませんか……!?」


 黒曜石の瞳を潤ませ、メイシアはルイフォンを見上げる。


 ルイフォンは、深く長い安堵の息を漏らした。あとから考えれば、タオロンを倒せたのは奇跡に近かったと思う。


「ルイフォン?」


 心配そうに顔を覗き込んでくるメイシアに、ルイフォンは破顔する。


「大丈夫だ」


 彼は無造作に手を伸ばし、メイシアのさらさらとした黒髪をくしゃりと撫でた。彼女は困惑したように一瞬だけ顔をしかめたが、やがて満面の笑みを浮かべた。


「本当に、よかった……」


「心配かけたな」


 体を張って無茶をするのは、ルイフォンの力量からすれば正しい判断とは言えなかった。勿論、隠れているふたりにタオロンが気づかず通りすぎるのであればそれでよかった。しかし見つかってしまったとき、ルイフォンは迷わず行動に出たのだった。


「行くぞ」


「はい」


 メイシアは信頼の眼差しで頷いた。ルイフォンが無言で彼女の細い指先に指を絡めると、彼女の頬が桜色に染まった。


 そのまま彼女の手を引き、建物数軒分の距離を歩いたとき――。


「正直、驚きましたよ。鷹刀の子猫が、斑目のイノシシ坊やを倒してしまうなんてね」


 低い男の声が、背後から響いた。


 ルイフォンの心臓が警鐘を鳴らす。人の気配など、今まで微塵にも感じられなかった。


 彼が緊張の面持ちで振り返ると、そこに白髪混じりの長身の影――何を考えているのか、倒れているタオロンを靴先で転がしている。


「お前は……さっき、タオロンと一緒にいた――!」


 ルイフォンが叫ぶ。斑目の食客だと言っていた男だ。確か〈ムスカ〉と呼ばれていた。


「うちの坊やの帰りが遅いから、心配になってお迎えに来たんですよ」


 薄ら笑いを顔に載せ、〈ムスカ〉が言う。彼は足元のタオロンに向かって、「ほう」という声を上げた。


「意識はあるみたいですね。では、この毒はクラーレあたりですかね?」


「クラーレ?」


 耳慣れない単語にルイフォンが聞き返すと、男は嬉しそうに口の端を上げる。


「古くは狩猟につかわれた矢毒。樹皮由来の筋弛緩剤ですよ。……毒の使用者のあなたが、毒に詳しくないということですか。なら、〈ベラドンナ〉は息災のようですね」


「何……!?」


〈ベラドンナ〉の言葉に、ルイフォンは顔色を変える。〈ムスカ〉はその反応に満足したように、大きく頷いた。


「いいですね、その顔。鷹刀イーレオの血族が、疑念と不安にまみれる――たまりませんね」


「お前、鷹刀とどういう関係だ?」


「私は、ただの斑目の食客ですよ」


 そう言って、〈ムスカ〉は嗤笑する。


『食客』――その組織の者ではないが、食い扶持の対価として組織のために働く者。


 そういえば、情報屋のトンツァイが、斑目一族が別の勢力と手を組んだと言っていた。


 そのとき、ルイフォンは、ふと気づいた。


ムスカ〉のことは写真で見ている――トンツァイから、メイシアを唆したホンシュアという女の写真を貰った。そのとき隣に写っていた男だ。写真でもサングラスで素顔が隠されていたが、白髪混じりの頭と体格から、おそらく間違いない。


「ホンシュアと同じ組織の者、か……」


 ルイフォンが呟く。


ムスカ〉は笑みをたたえながら、ゆっくりと近づいてきた。滑るような足の運びは、まるで幽鬼のように気配がない。


 腰には細身の刀。純粋な力比べであれば、豪剣のタオロンのほうが上だろう。だが、狂気を宿したような不気味な迫力は、次元を超えた危険をはらんでいた。


 ルイフォンの背中を冷たい汗が流れる。


 まだ充分な間合いの位置で立ち止まったかと思ったら、ルイフォンの目の前が一閃した。


「……!?」


 かちり、という〈ムスカ〉の立てた鍔鳴りの音が、ルイフォンを嘲笑う。


 気づいたときにはルイフォンの上着のボタンが放物線を描いていた。三歩ほど先の地面に落ち、円を描くように転がってから動きを止める。


「……!」


 ルイフォンが息を呑んだ。


「どうしました? 鷹刀イーレオの子にしては、手応えがなさすぎますよ?」


ムスカ〉がそう揶揄したとき、ルイフォンの背後で、どすん、という音がした。振り向くと、メイシアが尻餅をついていた。がくがくと膝が笑っている。昨日、屋敷の警備の男に、威嚇の一刀を振るわれたことを、彼女の体は覚えているのだ。


「大丈夫か!?」


 駆け寄ろうとしたルイフォンに〈ムスカ〉が嗤う。


「敵を前にして背中を見せるとは、余裕ですね」


「くっ……」


 そう言いながらも、〈ムスカ〉は絶対的な優位にいるためか、ルイフォンの不意を突くような真似はしなかった。むしろ、メイシアの怯えようや、ルイフォンの悔しげな様子が彼の嗜虐心をくすぐったようで、満足気な笑みすら浮かべている。


「すみません。私は大丈夫です」


 恐怖の記憶に震える体を必死に動かし、メイシアはよろめきながらも、なんとか立ち上がった。


 ルイフォンは、そっと左の袖口に右手を入れた。それを目ざとく見ていた〈ムスカ〉が嗤う。


「毒を仕込んだ釘、ですね。ああ、でも残念ですね。私には毒が効かないんですよ」


ムスカ〉の足元の砂塵が、ルイフォンに向かって舞う。


 ルイフォンは「メイシア」と、小声で呼びかけた。


「お前は逃げろ」


「ルイフォン……」


 荒事には縁のなかったメイシアにも、はっきりと理解できた。このままではルイフォンは〈ムスカ〉の凶刃に刻まれる、と――。

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