di;vine+sin;fonia ~デヴァイン・シンフォニア~

『記憶の保存』と『肉体の再生』で死者は蘇り、仕組まれた出逢いが運命の輪環を廻す
月ノ瀬 静流
月ノ瀬 静流

3.冥府の警護者-3

公開日時: 2020年12月29日(火) 22:22
文字数:4,039

 母が殺された、あの日。


 いつも夜中は熟睡しているルイフォンが、ふと目を覚ました。


 そして、心理的な盲点にある、この母の休息部屋にやってきた――。


「あり得ない! ……俺が自分から、この部屋に来ることは『ない』」


 ルイフォンは、きっぱりと言い切った。


 また、記憶のほころびを見つけた。知らぬうちに、駒のように動かされていたという現実に、憤りを覚える。


 姿なき〈ケル〉に向かい、彼は睨みつけるような険しい視線をぶつけた。


「メイシアの言う通り、〈ケル〉、お前が俺を起こした。そして、この部屋に呼んだんだな!」


〔……はい〕


 観念したように、けれど、はっきりと〈ケル〉は肯定した。


〔警報音を鳴らし、あなたの携帯端末を乗っ取って、この部屋に来るように言いました〕


「母さんは、先王が来たことを俺には隠したかったはずだ。なのに、お前は俺を呼んだ――俺を『呼ぶことができた』」


 この事実から導かれる答え――メイシアが指摘したかった点が、今はっきりと見える。


「それは、つまり、お前は『母さんの支配下にない』ってことだ!」


 ルイフォンの体が、自然に一歩前に出て、見えない〈ケル〉に喰らいついた。


〔……!〕 


〈ケル〉の気配が一瞬、大きく震えた。


 しかしそのあとは、さらさらと流れていた光がぴたりと止まる。まるで、息するのを忘れてしまったかのように。


「〈ケル〉!」


 押し黙る〈ケル〉に、なおも詰め寄ろうとしたとき、遠慮がちなメイシアの手が彼の袖を引いた。


 気遣うような黒曜石の瞳が、優しく彼を映していた。その穏やかな黒に、ルイフォンは感情に押し流されそうになっていた自分に気づく。もとはといえば、メイシアと〈ケル〉との会話の途中であった。


 ルイフォンは、いつの間にかに怒らせていた肩を下ろす。「すまん」と面目なく呟くと、メイシアは小さく首を振って笑んだ。


「〈ケル〉、ルイフォンの言う通り、あなたはキリファさんの支配下にない――自由なはずです」


〔……〕


「あなたは、あなたの意思で、キリファさんの死の真相をルイフォンに教えたくないのです」


 その言葉は批難であり、弾劾であるはずなのに、決して激しくはなかった。何故なら、彼女の目的は〈ケル〉の嘘をあばくことではなかったから――。


 メイシアは、見えない〈ケル〉を見つめた。その視線には、切実な思いが込められていた。


「どうか、そんな意地悪をしないでください。ルイフォンの心は、分からないことだらけの不安の中で、とても疲れてしまっています。……お願いです。彼のために教えてください」


 メイシアは深々とこうべを垂れた。


 あたりが、しんと静まり返る。


 動きを止めた光が、惑うように明るさだけを変えていく。不規則な方向に伸びたルイフォンとメイシアの影が床で踊る。


〔メイシア……〕


〈ケル〉が呟いた。そして、溜め息のような光の波紋が広がった。


〔……ええ。私がキリファに支配されているというのは、嘘です。……でも、本当でもあります〕


 謎掛けみたいな答えに、ルイフォンの瞳がすっと細まり、剣呑に光る。


 しかし、ここはメイシアに任せるべきだと、彼は理性でとどめた。そんな彼に気づいたのか、彼女は頷き、「どういうことですか?」と柔らかに問う。


〔私にとって、キリファはとても大切な友人です。だから、彼女の願いは叶えてあげたいのです。――彼女は、自分の死の真相を、ルイフォンに知られることを望んでいません〕


〈ケル〉は決然と言い切った。けれど、メイシアは緩やかに返す。


「でもあなたは、ルイフォンを起こしました。それは、キリファさんが『望まなかったこと』です」


〔……っ、それは……〕


 小さく息を呑み、〈ケル〉が言いよどむ。その反応を予期していたメイシアは、鋭くも優しい言葉をすっと滑り込ませた。


「それは、あなたが、キリファさんが亡くなることを知っていたから。あなたは、キリファさんを助けたくて、ルイフォンを起こした――違いますか?」


〔……!〕


 光が、大きくたわんだ。


 刹那、部屋全体がまばゆい光で満たされる。


 目をくような強い光。ルイフォンは「メイシア!」と彼女の名を叫び、華奢な体を抱きしめた。きつくつぶった瞳の裏にまで輝きが入り込み、なんとしてでも彼女を守らねばと、心臓が跳ね上がる――!


 と、そのとき。


 唐突に光が霧散した。まぶた越しに、そう感じた。


「……?」


 恐る恐る薄目を開ければ、淡く細かな光が、波打つように揺れている。まるで肩をむせばせ、震えるように……。


〔ええ、そう……。メイシア、あなたの言う通りです……〕


 かすれた〈ケル〉の声が、呟くように落とされた。


〔命と引き換えに、キリファがしようとしていたこと――彼女の気持ちを、私は理解しました。だから、彼女に従いました――従おうと思いました……。けれどっ……! 私には、耐えられませんでした……!〕


 吐き出すように〈ケル〉が叫んだ瞬間、せき止められていた堤が決壊したかのように、清水の如き光がさらさらと流れる。


 澄んだ光が煌めくさまは、まるで〈ケル〉の涙――。


〔キリファは王に、自分の体を持っていくよう仕向けました。……そして、王が去ったら、この部屋を――キリファのベッドを中心に炎でき尽くすよう、私に頼みました。〈天使〉の熱暴走によってキリファは死んだのだと、皆に思わせるように……〕


 ルイフォンの眉が、ぴくりと上がった。


「体を持っていかせた……? どういうことだ?」


〔これ以上は、教えられません。キリファが命を懸けてしたことを――あなたには秘密にしてほしいと頼まれたことを、私は言えません〕


 ひと筋の光が、ひときわ強く輝いた。雫のように流れ落ちたそれは床で跳ね返り、細かな粒子となって散ってゆく。


「〈ケル〉……」


 メイシアが小さく呟いた。そして「ごめんなさい」と続ける。〈ケル〉の気持ちも知らず、こちらの思いばかりを押し付けてごめんなさい、ということだろう。


 ルイフォンは、そっとメイシアの肩に手を回し、彼女の体を自分の胸に預けさせる。その手で彼女の頬を撫で、耳元から髪を梳くようにして、柔らかな黒絹をくしゃりとした。


「――それなら、仕方ないよな」


〈ケル〉は母の支配下にない。〈ケル〉は自由だ。


 自由だからこそ、〈ケル〉は、〈ケル〉の意思で口を閉ざすのだ。強制アクセス権なんかよりも、ずっとずっと強固な絆で、母と繋がっているから。


「母さんの、たっての願い、だったんだろ?」


〔え……?〕


「お前から、先王と母さんのことを訊くのは諦めた。少なくとも母さんは、一方的に先王に殺されたわけじゃないらしい。むしろ先王を利用して、自分の目論見通りにことを運んだ、ってわけだろ? それが分かっただけでも収穫だ」


〔ルイフォン……〕


 声を沈ませる〈ケル〉に、ルイフォンは口の端を上げる。


「自分の命を懸けて、国王すらも顎で使ってやるって――如何いかにも、母さんらしいじゃねぇか」


〈ケル〉に訊かなくとも、母はちゃんと道を示してくれている。『手紙』に記された〈スー〉のプログラムの解析を進めれば、何かが分かるのだろう。


 言われた通りにするのは、母の掌の上にいるようで気に喰わないが、そんな子供の意地で、できることをしないのも愚かなことだ。


 知りたかったことは、分からずじまい。けれど、気分は晴れやかだった。


「それじゃ、行こうか」


 胸の中のメイシアを見やると、彼女は大きく頷いた。


 メイシアのおかげで、〈ケル〉の気持ちを聞けた。彼女には、本当にいつも助けられている。聡明な瞳は真実を見抜き、澄んだ心が優しさを紡ぐ。そんな彼女が愛しくてたまらない。


 ルイフォンは正面を向き、姿なき〈ケル〉を見つめた。


「〈ケル〉、ありがとう」


 抜けるような青空の笑顔で、彼は笑った。


『彼女』は、母が作った『もの』かもしれないが、母の大切な友人で、ルイフォンのことを生まれたときから見守ってくれている。


「それから、ごめんな」


〔え?〕


「お前は、ずっと自分を責めていただろ? 母さんが自分勝手しただけなのに、お前は母さんの死に責任を感じていた。だから、俺に会うのも怖かった――だろ?」


〈ケル〉が一番初めに言った『ごめんなさい』には、そんな思いも込められていたに違いない。


「お前に会えてよかった。……母さんのせいで辛い思いをさせて、すまなかった」 


 ルイフォンは彼の特徴ともいえる猫背を伸ばし、それからきっちり腰を直角に折った。


〔ルイフォン……?〕


〈ケル〉は驚いたように呟き、それから一段低い声になる。


〔……私は、あなたに謝罪されるような者ではありません〕


「そんなことないさ」


 ルイフォンは顔を上げ、頑なな〈ケル〉に苦笑する。けれど〈ケル〉は陰りのある声を返してきた。


〔私はあの日、幾つもの罪を犯しました〕


「罪? 何が罪だというんだよ?」


〔キリファの死が変わらないのであれば、私はあなたを起こすべきではありませんでした〕


 ルイフォンの強い口調を、脈打つ光が静かに跳ねのける。繰り返される明暗の中には、〈ケル〉の後悔が見え隠れしていた。


〔私が何もしなければ、あなたはキリファの最期を目にすることもなく、記憶の改竄もありませんでした。私がしたことは、あなたを苦しめただけです〕


「そんなこと……」


〔いいえ!〕


 ルイフォンの言葉を遮り、〈ケル〉は鋭く畳み掛ける。


〔それどころか、私はエルファンに――!〕


「エルファン?」


 いきなり出てきた異母兄の名前に、ルイフォンを瞳を瞬かせ……そして思い出す。あの日、彼が気を失ったあと、この家に駆けつけたのはエルファンだった。


〔ええ……。私は彼にとって一番、むごい仕打ちをしました……〕


むごい仕打ち……?」


〔私の罪の告白を、聞いてくれますか? ――エルファンの代わりに……〕


 それは問いかけの形をとっていたが、断れるはずもない願いだった。


 ルイフォンは「ああ」と頷き、ちらりとメイシアを見やる。彼女もまた同じように頷いていたのを知ると、少しだけ心が軽くなった。


〔ありがとう〕


 さらさらと、微笑むように光が流れた。


 それから、溜め息のような波紋が広がると、〈ケル〉の声が厳かに響き始めた。


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