di;vine+sin;fonia ~デヴァイン・シンフォニア~

『記憶の保存』と『肉体の再生』で死者は蘇り、仕組まれた出逢いが運命の輪環を廻す
月ノ瀬 静流
月ノ瀬 静流

2.高楼の雲上人たち-3

公開日時: 2024年8月16日(金) 20:20
文字数:5,664

「まさか、そんなことになっていたとは思わなかったよ……」


 ルイフォンから『デヴァイン・シンフォニア計画プログラム』の現状を聞かされたヤンイェンは、深い溜め息をついた。


 悲痛な顔を見せる彼に、ルイフォンは、ごくりと唾を飲む。


 必要なことは、すべて話した。


 では。


 次に、どう出る?


 猫の目を見開き、ヤンイェンの口元をじっと凝視する。


「すまない。考えるべきことが多すぎて、今すぐに何かを決めることは、とてもできない」


「……!?」


 虚をかれた……ような気がした。


 はっきりとした返答でなくてもよい。だが、『セレイエの願いには応えられない』と、きっぱりと告げたルイフォンに対して、好悪の感情のような――この先の『旗色』を示すようなものが見えてくると、信じていた。なのに、まるで何も読み取れなかった。


 思わず、腰を浮かせかけたルイフォンであるが、弱々しく頭を下げるヤンイェンを前に押し黙る。


「ライシェン……」


 話の途中で渡した写真に、ヤンイェンは切なげな視線を落とした。ぽつりとした呟きのあとには、「君に会いたいよ」という、かすかな音律が溶けていった……。






 少なくとも、状況を説明することはできたのだ。それだけでも収穫とすべきだろう。


 それから、メイシアの助言の通り、凍結保存の『ライシェン』の写真を渡したのもよかったと思う。『私は、人の世には関わらないのよ!』と、文句たらたらの〈ベロ〉をなだめすかして、鷹刀一族の屋敷から送ってもらった甲斐があった。


 ――今日のところは、ここまでだ。


 ルイフォンは、ヤンイェンを促した。そして、女王のいる隣室へと戻ろうとしたときだった。


「きゃああ! ヤンイェンお異母兄にい様!? ちょっ、ちょっと、待って! 今、着替えているの!」


 絹を裂くような悲鳴に続く、ばたばたと慌ただしげな足音。更には、がたんっ、という派手な振動まで伝わってきた。


 天上の音楽もかくや、という美しい響きでありながら、品格落ち着きというものの欠如したその声は、言わずもがな、この国の女王のものである。


 今、まさに扉を開けるべく、取っ手をひねったところであったヤンイェンは、やれやれ、といったていでルイフォンを振り返った。


「粗忽者の異母妹いもうとで、お恥ずかしい」


 面目なさげに謝りながらも、先ほどまで深い陰りを見せていた美貌を、ふっと和らげる。


「ああ、いや……」


 仮にも、対象あいては女王である。正面から肯定するのはまずいかと、ルイフォンは曖昧に口ごもる。もっとも、そんな気遣いは無用のようで、ヤンイェンは隣の部屋の壁を見やりながら、申し訳なさそうに続けた。


「当分、掛かりそうだね。悪いけれど、待ってやってくれるかな」


「ああ、別に構わねぇよ」


 ルイフォンは苦笑した。ヤンイェンが謝るそばから、『あ、あっちの服も着てみたいの!』という女王の声が聞こえてきたのだ。どうやら、ルイフォンが助手として運んできた大荷物――大量の見本サンプル衣装は、きちんと意味のあるものだったらしい。


「ありがとう。……あんなに楽しそうなアイリーは久しぶりだ」


 目を細めて微笑むヤンイェンに、ルイフォンは、あれ? と思う。隣の部屋にいたときは、確か『陛下』と口にしていたはずだが、どうやら非公式の場では『アイリー』と名前で呼んでいるらしい。


「女王とヤンイェンって、仲がいいよな?」


 先ほどの髪飾りのひと幕は、女王が憧れの仕立て屋であるユイランと打ち解けるために、ヤンイェンがひと肌脱いで、段取りを決めておいたものだろう。王族フェイラ同士なのだから、仲が良くてもおかしくはないのだが、女王の同母の兄である摂政と、ヤンイェンが不仲であることを考えると、やはり不思議に思えた。


 加えて、本当は異母兄妹きょうだいなのに、表向きは従兄妹いとこであるがために婚約者になっているという、複雑な間柄なのだ。


 摂政の弁によれば、女王は異母兄あにとの結婚を激しく嫌がっているということだったので、てっきり女王はヤンイェンを毛嫌いしているものと思っていたのだが……。むしろ、女王は口うるさい同母兄摂政よりも、優しい異母兄ヤンイェンのほうに懐いているように感じられた。


「ああ、そうか。君からすれば、私とアイリーの仲は、奇妙に感じるかもしれないね」


 目尻を下げていたヤンイェンが、にわかに真顔になる。


「その理由は、私の母だよ。……体の弱い人だったから、もう亡くなってしまったけどね」


「え?」


 唐突に出てきた存在に、ルイフォンは戸惑う。


「母は、自分と同じ境遇のアイリーのことを、ずっと気にかけていたんだ。よく自分のもとに招いては、王家のことや、身を守ることの大切さを教えていたよ。それで自然と、私とアイリーが一緒の時間を過ごすことも多くなってね」


「えっと? 『同じ境遇』で『身を守る』って……?」


 随分と、穏やかならぬ発言である。


 どういうことだ? と、首をかしげるルイフォンに、ヤンイェンは苦い口調で答える。


「私の母も、アイリーも、『〈神の御子〉の女性』だろう?」


「あ……」


「母は王位にこそ就かなかったけれど、結局、降嫁した先で、〈神の御子〉を産むことを強要されたんだ。彼女が〈神の御子〉を産めば、その子は王位継承権を持ち、婚家は何かと重要視されるようになるからね」


 典麗な顔をしかめ、ヤンイェンは唇を噛んだ。


「でも、生まれたのは黒髪黒目の娘が四人。〈神の御子〉どころか、女では貴族シャトーアの跡継ぎにもならん、と酷い扱いを受けたそうだ。母は先天性白皮症アルビノの弊害で、ほとんど目が見えなかったこともあってね。随分と蔑ろにされたらしい」


「なっ……!」


「母を救ったのは、父――先王陛下だよ。事実を知るや否や、母と夫の貴族シャトーアを離縁させた。母の身分も王族フェイラに戻して、神殿に常駐の神官長に任命することで格の違いを示したんだ」


 それから、彼は、わずかに声を落とす。


「……母が私を産んだのは、父に手籠めにされたからではなくて、次代の王の誕生を望む父に、恩返しができれば――という感情からなんだよ。残念ながら、私は〈神の御子〉として生まれることはできなかったけどね」


「……」


 思わぬ事実だった。


 ルイフォンが軽い衝撃を覚えていると、ヤンイェンが、少し気まずそうに「横道にそれたね」と呟く。


「そんな母だから、アイリーの将来を心配して、『異母妹いもうとを守ってあげて』と、事あるごとに、私に言い聞かせていたんだ。正妻であったアイリーの母親が、アイリーを産んで間もなく亡くなったこともあって、母親代わりになってあげたいという思いもあったんだろうね」


 ヤンイェンの母と同じく、王妃女王の母もまた、長年、〈神の御子〉を産むように強いられてきた女性だ。現女王を産んだあと、女子とはいえ〈神の御子〉を産むことができて、やっと役目を果たせた、とばかりに息を引き取ったのだという。


「私も、年の離れた異母妹アイリーは可愛かったしね。異母兄あにでありながら、『婚約者に』と名を挙げられても、アイリーが他の男に酷い目に遭わされるよりはましだろうと、放っておいた。だから……そうだね、私はアイリーの保護者みたいなものだよ」


「なるほどな」


 相槌を打ちながら、ルイフォンは気づく。


 この世で唯一の『〈神の御子〉の男子』である『ライシェン』の未来は、隣で無邪気に着替えている女王の将来にも、大きな影響を及ぼすことになる。


 もし、『ライシェン』が王になる道を選べば、彼女は王位から――そして、〈神の御子〉を産まねばならぬ、という重責から解放される。しかし、『ライシェン』が養父母のもとで、平凡な子供として生きる道を選んだときは――?


 女王が幼いころから、異母兄あにとして見守ってきたヤンイェンは、彼女を不幸にしたくないだろう。


 ならば、どんな選択が、皆の幸せに繋がるのか?


 ヤンイェンが、『ライシェン』の未来を即断できないのも道理なのかと、ルイフォンは深い溜め息をついたのだった。






「お待たせしちゃって、ごめんなさい!」


 数十分後。やっと隣室の扉が開いたときには、女王は、波打つように裾の広がる、淡い青色のワンピースを身にまとっていた。


「陛下……」


 ヤンイェンが大きく目を見開き、絶句する。


 それも仕方のないことだろう。


 女王は先ほどまで、フリルとレースをふんだんにあしらった、可愛らしさを前面に出した服を着ていたのだ。彼女の印象イメージそのもので、十人中、十人までもが、よく似合うと褒めることだろう。彼女の装いは、いつもこの系統テイストだった。


 しかし、今、身につけているワンピースは極端に飾り気が少なかった。なのに、しなやかな布地から生み出されるドレープが実に優美で、華やかさにおいて、いつもの服に引けを取ることはない。更に、上品さを残しつつも、軽やかさを感じるたけであるためにか、彼女の可愛らしさは損なわれるどころか、強調されている。


 女王はヤンイェンのもとに駆け寄り、「ね? どう?」と目を輝かせながら尋ねた。


「随分と大人びた感じがしますが、決して背伸びをしているようではありませんね。とても自然で、よくお似合いです」


「そうでしょ、そうでしょ! 私も、いつまでも子供じゃないのよ!」


 満面の笑顔を浮かべ、女王が声を弾ませる。


 そういう発言こそが、彼女を幼く見せているのであるが、それでも、裏側にある彼女の気持ちに、ルイフォンは気づいてしまった。多分に、先ほどのヤンイェンの話の影響だ。


 彼女は、変わりたいと願っているのだ。


 幼いころから、ヤンイェンの母親にいろいろと聞かされていれば、自分が蚊帳の外のまま、婚礼の準備が進められてよいとは思っていないだろう。だが、現状では、どう見ても主導権を握っているのは王兄摂政だ。彼女は、いったい、どこまで何を知っているのやら……。


「――ですが、陛下」


 麗らかな色合いでありながら、ぴしゃりと厳しい音律が耳朶を打ち、ルイフォンの思考を遮った。


 見れば、部屋中に散らかった服を前に、ヤンイェンは渋面となっていた。彼の視界の端には、ひと仕事やりきったと満足げな様子で、針や糸といった裁縫道具を片付けているユイランの姿がある。ただし、綺麗に隙なく結い上げられていた髪は、だいぶ崩れていた。


「今日は採寸はしても、衣装を合わせる日ではなかったはずですよ?」


「あ、あのね。ユイランさんが、どんなデザインが好きかって、見本サンプルを見せてくれたの。それで私、どうせなら、着てみたいなって。そしたら、サイズを直してくれて……。うっ……、……ごめんなさい」


 上目遣いの青灰色の瞳が伏せられ、うなだれた肩の上を白金の髪が流れていく。神々しいばかりの〈神の御子〉の容姿を持つ、この国の女王……なのであるが、叱られた子供そのものだった。


 肩書きと当人との落差ギャップに、ルイフォンが、なんとも言えない思いをいだいていると、唐突に女王が、くるりと振り返る。


 へ? と放心している間に、こちらにずいと詰め寄ってきて、ぴょこんと可愛らしく頭を下げた。至近距離の彼女は思っていた以上に小柄で、まさに小動物――王の威厳など、微塵にもない。


「あなたにも、ごめんなさい。物凄く、待たせてしまったわ」


「あ……、……いや」


 まさか『女王陛下』から謝罪を受けるとは思わず、つい地声で応じかけ、慌てて、裏声を出さねばと、ルイフォンは焦った。


 勿論、女王は、そんな彼の内心など知るよしもない。挙動を不審に思う様子もなく、「でもっ!」と、勢いよく顔を上げた。


「あなたのおかげで、私、とても楽しい時間を過ごすことができたの。ありがとう! 本当にね、凄く嬉しかったの! 我儘を許してくれて、ありがとう!」


 白金の睫毛まつげが大きく開かれ、青灰色の瞳が夢見るように輝く。


 それは、純粋無垢な、心からの笑顔だった。


 詫びを入れられたことにも驚いたが、こんな屈託のない顔で、気持ちよいくらいに素直な礼まで言われるとは……。


 ルイフォンは、呆けたように口を開ける。


 それをどう勘違いしたのか、「気づいてくれたの!?」と、女王は嬉しそうに自分の髪に手をやった。


「この髪飾り、今度、売り出される新作なんですってね? ユイランさんが、特別にプレゼントしてくれたのよ」


 彼女に促されるように視線を向ければ、初めにルイフォンが『瞳の色と合っていない』と感じた緑の髪飾りの代わりに、さざなみのように幾重にも青絹を連ねた髪飾りが、白金の髪を彩っていた。この前、クーティエが夜なべして、ユイランと作っていたものである。


 ルイフォンと同じく、ユイランもまた、女王と緑色との取り合わせをちぐはぐだと思ったのだろう。滑らかな光沢を放つ青絹は、まるで女王のためにあつらえたかのように、しっくりと似合っており、ドレープの効いた青いワンピースとも、よく調和している。背後から、ユイランの自慢げな気配を感じるので、ここぞとばかりに新作を披露したのに違いない。


「……よく、お似合いです」


 無言のままでいるのも感じが悪かろうと、ルイフォンは必死の裏声を絞り出した。別に、世辞というわけでもない。地声でよければ、もう少し気の利いた褒め言葉を贈ったところだ。


「ありがとう! 嬉しいわ! ――あのね。ユイランさんは、私が気に入ったのなら、売り出すのはやめて、私だけの髪飾りにしてもいいと言ってくれたの。でも、そんなのいけないわよね!? それより私、この髪飾りを国中に広めたいわ!」


 先天性白皮症アルビノの白い肌を上気させて、女王が熱弁を振るう。


 ユイランとしては、国王が量産品を身に着けるのは望ましくないと考えたのであろう。しかし、女王は独り占めはいけないと、無垢な気持ちで断っている。


 いい子ではあるんだよなぁ……。


 一国の王と思えば、限りなく頼りない。けれど、十五歳の少女としては好感が持てる。少々、幼さの残る言動が玉にきずだが、それも彼女の純粋さのゆえといえよう。


 初めは彼女に苛立ちを覚えていたルイフォンであるが、徐々にほだされていくのを感じていた。


 けれど――。


 彼女に情を感じれば、悩みの種は増えていく。


 何故なら、彼女がこの国の王である以上、この先、いやおうでも、『ライシェン』の未来と――『デヴァイン・シンフォニア計画プログラム』と無関係ではいられないからだ。


 ルイフォンは無邪気な女王に愛想笑いを浮かべ、それから、彼女の背後のヤンイェンを見やり、複雑な思いで唇を噛んだ。



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