di;vine+sin;fonia ~デヴァイン・シンフォニア~

『記憶の保存』と『肉体の再生』で死者は蘇り、仕組まれた出逢いが運命の輪環を廻す
月ノ瀬 静流
月ノ瀬 静流

10.飛翔の調べを運ぶ風-1

公開日時: 2020年11月28日(土) 22:22
文字数:5,547

 桜若葉が、風に揺れる。


 瑞々みずみずしい新緑が陽光を透かし、葉脈の紋様を薄っすらと浮かび上がらせる。


 花の舞台が幕を閉じたのは、ほんの少しだけ前のこと。けれど、庭の様相はすっかりと移り変わっていた。






 ハオリュウは実家に戻り、父と異母姉の盛大な葬儀をあげた――。




 鷹刀一族の屋敷を去る前、ハオリュウは、自分の客間にルイフォンを呼び寄せた。


「異母姉は貴族シャトーアとしての一切の権利を失います。身分としては自由民スーイラ。いえ、死者となるのですから、自由民スーイラですらないでしょう」


 ハスキーボイスに似合わぬ、闇色の瞳でハオリュウは言った。


「ハオリュウ。俺としては、メイシアは藤咲家に戻るので構わないんだ」


 いずれは迎えに行くけど――という言葉を、ルイフォンは飲み込んだ。この場で話をややこしくする必要はない。


 対して、ハオリュウは意外そうに瞳を瞬かせ、けれど肩をすくめた。


「何を甘いことを言っているんですか。これから我が藤咲家は、難しい状況に陥ります。異母姉がいれば、異母姉を手に入れた者が当主となるでしょう」


「けど、メイシアがいても、お前が正統な後継者だろう?」


 未成年で、母親が平民バイスアの後妻だから立場が弱いのだ、という説明は聞いている。けれど、それは建て前にしか見えない。


「本当は、メイシアが藤咲家にいても、お前が当主になるのにそれほど大きな障害にはならないんだろう? それよりも、貴族シャトーアとしては、凶賊ダリジィンの息子である俺との仲を、公然と認めるわけにはいかないから、メイシアを死んだことにする――だろ?」


 畳み掛けるルイフォンに、ハオリュウはむっ、と眉を寄せ、唇を尖らせた。


「分かっているなら、わざわざ言わないでください!」


 メイシアの表向きの死は、彼女がルイフォンを得るための対価。


 貴族シャトーアの相手としてふさわしくないルイフォンを選んだのだから、彼女は貴族シャトーアではいられない、ということだ。


 けれど、あからさまにそう言わないのは、ハオリュウの気遣いであり、彼なりの祝福だろう。


「……でも本当に、懸念材料はあるんですよ。僕がすんなり当主になれない、ね」


「え?」


「お忘れですか? そもそも、今回の事件の発端はなんだったのか?」


 ハスキーボイスが、いつになく鋭く響き、漆黒の瞳が深みを帯びる。それは紛れもない、為政者の顔だった。


「あなた方、鷹刀一族からすれば、凶賊ダリジィン同士の抗争が根底にあるかもしれませんが、藤咲家から見れば、当家が女王陛下の婚礼衣装担当家に選ばれたことが始まりなんです」


「ああ、そうだったな」


 すっかり忘れかけていた話に、ルイフォンは曖昧に頷く。


「当主が子供では、安心して衣装担当家を任せられぬと、撤回される恐れがあります。――そういう名目で、僕を排斥する可能性はあるわけです」


 ハオリュウは、当主として立てば終わり、というわけではない。その先ずっと、華奢な双肩に藤咲家の命運を担っていく。


 領地を治めることは勿論、婚礼衣装担当家としてのせきも、子供だからと陰口を叩かれぬよう、大人以上に立派に果たさねばならぬだろう。


 生半可な覚悟では務まらない。


 異母姉のメイシアに政治的手腕があるとは思えないが、そばに居れば、心労続きとなるハオリュウの安らぎの場所になるはずだ。


「俺は、お前からメイシアを奪うんだな」


 ぽつりと、ルイフォンは呟く。


 それはハオリュウからすれば唐突な言葉で、彼は訝しげに顔をしかめた。


「そうですよ? 今更、何を言っているんですか?」


 ルイフォンは、改めてハオリュウを見やる。


 初めて会ったときから、ただ者ならぬ雰囲気をまとっていたが、それは追い詰められた者が持つ、繊細で儚げな強さだった。けれど、今の彼は、言うなれば、受けて立つ者の強さ――。


「ありがとう。――感謝する」


『すまない』とは、言わない。すべてを承知して許し――ゆるし、認めてくれたハオリュウに、謝罪は失礼だ。


「お前、俺の義弟になるんだな」


「死者となる異母姉は正式な婚姻はできませんが、そういうことになりますね」


 ハオリュウが、愛想のない声で答える。必要ならば、幾らでも無邪気な笑顔を振りまける彼だが、素の顔はそっけない。けれど、それも気を許しているからこそだと、ルイフォンにも分かっている。


「不思議だな。お前には、もっとメイシアとの仲を反対されると思っていた」


『反対』というよりも、『妨害』に違いないと思っていたことは黙っておく。


 ハオリュウは眉間に皺を寄せ、不快げに溜め息をついた。


「僕があなたを認めたことに一番驚いているのは、僕自身だと思いますよ」


「……」


「僕の大切な姉様を託す相手として、あなたは本当にふさわしいのか、否か。もっと時間をかけて見極めたかったですね。……正直、あなたの邪魔をする機を逃した、という気がしてなりません」


 やはり『妨害』で正しかったと、ルイフォンは心の中で苦笑する。


 そんなルイフォンの内心はつゆ知らず、ハオリュウは、ふっと真顔になり、遠くを見る目をした。


「……いろいろ、ありましたね。あなたが先頭きって、父様を救出する作戦を立ててくれて――」


 ハオリュウは押し黙る。こみ上げてくる思いを抑えるように、ぎゅっと口を結ぶ。


 そして、目線を近くに――ルイフォンに移した。


「あなたには、感謝しかないんですよ」


 ふわりと、ハオリュウが笑った。


 決して涙を見せない彼の、泣いているような笑顔。


 それは穏やかで、優しげで。父親のコウレンとよく似ていた。


「異母姉を頼みます」


 義弟からの、強い願い。


「勿論だ。任せろ」


 ルイフォンは深々と頷いた。




 ――そうして、ハオリュウは屋敷を去った。




 藤咲家の当主一家は、家族四人水入らずの周遊中に、不慮の事故に遭ったと公表された。


 周遊といっても、素朴で慎ましい、ただの森林浴である。


 のんびりと自然の中を散策しているうちに道に迷い、一家は誤って渓谷に落ちたのだという。平民バイスア出身の妻が羽根を伸ばせるように、と当主が計画した小旅行で、護衛はつけていなかった。


 当主と長女の遺体は見つからず、妻はショックのあまり気が触れてしまった。


 そんな中、重症を負いながらも奇跡的に助かった長男は、悲劇の貴公子として扱われた。


 普段は、貴族シャトーアなど別世界の存在だと、崇敬と羨望の眼差しを向ける国民たちも、年少ながら利発な受け答えをする彼に涙し、十人並みの容姿さえ『親しみやすい』と好ましく評した。母親が平民バイスア出身だというのも、彼の人気にひと役買っているらしい。


 これと前後するように、女王陛下がご婚約されるとの噂が、人の口に上るようになった。


 しかも、婚礼衣装を担当するのは、注目の藤咲家であるという。


 若き女王の婚礼を、若き藤咲家の当主が飾る。


 国民の期待が一気に高まった。


 ――嫡男である彼が当主となることを、一般の国民たちは疑わなかった。


 王族フェイラ貴族シャトーアが圧倒的な力を持つこの王国でも、国民の人気という形なきものは、決して無力ではない。結局のところ、国民がいてこその国だからである。




 支配階級の貴族シャトーアに対し、一般国民がこれほど好意的になることは、自然に起こりうることなのか。


 そして何より、箝口令が敷かれていた女王陛下の結婚について、いったい誰が情報を漏らしたのか。


 そこにクラッカー〈フェレース〉や、繁華街の情報屋トンツァイの名を見い出すことができる者は、ごくわずかである。






 情報屋トンツァイの表の顔は、食堂兼酒場の主人である。繁華街の中でも、なかなか評判の良い店で、昼時ともなれば客はひっきりなしだ。だから、部下からの知らせを受けたとき、彼はちょうどランチメニューのチャーハン五人前を作り上げたところであった。


 この忙しいときに、とトンツァイは顔をしかめた。暇さえあれば、悪友どもとカードに興じてばかりの息子、キンタンですら真面目に給仕を手伝っている時間帯だ。


「かき入れ時にすまんなぁ」


 痩せぎすの体をかがめて頭を掻き、トンツァイは隣で野菜を刻んでいる女房に言う。


「なぁに言ってんの! そっちが本業でしょ」


 彼女は、トンツァイとは対照的な恰幅のよい体を揺らしながら、包丁を持っていないほうの手で亭主の背中をどんと叩いた。


「けどよ。また貧民街で若い女の死体が出た、って情報なんだよ。気にはなるが、それほど重要かというと、よく分からなくてよぉ」


 貧民街で死体など、珍しくもない。


 だが、ここで報告されてくる死体には共通点がある。体の前面は綺麗なものなのに、背面だけが見るも無残なほどに焼けただれているのだ。


 初めは、何か重大な事件に違いないと、トンツァイは、はりきって部下に調べさせていた。けれど、最近では、『そういう嗜好』の貴族シャトーアなり凶賊ダリジィンなりが弄んだ、娘たちの成れの果てなのではないか、という気がしている。


 ほうぼうの情報と照らし合わせても関連を見いだせず、その特徴的な死体が発見される以上の事件は何も起こらないからだ。


「そんなこと言ってないで。これから何か重要な事件が起きるのかもしれないでしょ!」


 乗り気でない亭主に、女房は豪快に笑いかける。


「あたしは、あんたの裏の顔に惚れているんだから!」


 体型から彼女が亭主を尻に敷いているように見えるが、実は彼女のほうがぞっこんだった。


 あとは任せて、と言わんばかりに、彼女は胸を叩く。この頼もしすぎる女房を、トンツァイもまた、年甲斐もなく可愛いと思っていた。


「おぅ、行ってくるぜ!」


 彼は女房の額にちゅっと口付けた。




 現場には、部下と共に、思わぬ人物が待っていた。


「あらぁ、トンツァイ。遅かったわねぇ」


 長めの後れ毛を肩から転がし、彼女はアーモンド型の瞳を楽しげに歪ませた。


「シャオリエさん、どうしてここに?」


「若い娘が被害に遭っていると聞けば、うちの娘たちも襲われないか、心配になっても不思議ないでしょう?」


 シャオリエは娼館の女主人である。だから、彼女は多くの娘たちの面倒を見ている。


「けど、シャオリエさん。被害者たちは、このへんで見ない顔ですよ。無差別に襲われているわけではないでしょう」


 そう言ってからトンツァイは、シャオリエが本心を言っているわけではないことに気づいた。


 彼女は彼女で、この特徴ある死体を気にしている。この前、死体が見つかったときも、現場でかち合った。


 あれは確か、ルイフォンと約束があった日だ。


『仕立て屋に化けた、ホンシュアという名前の女と、斑目と厳月家の関係について調査してほしい』――そう依頼され、報告することになっていた。


 あのときはシャオリエに捕まったおかげで、彼を待たせてしまったのだ。


「トンツァイさん、背中側の写真を撮りました。顔も撮りますよね?」


 部下が呼びかける。


「ああ」


 死体の写真など、決して気持ちのよいものではないが、それは仕方ない。


 ――と、部下が死体の顔を上に向けたとき、トンツァイは目を疑った。


 職業柄、彼は人の顔をよく覚える。少し髪型が変わったくらいで、見間違ることはない。


 明らかに生命を宿していない、青白き女の、その顔は――。


「『ホンシュア』!?」


「トンツァイ! お前、『ホンシュア』を知っているの!?」


 衝撃に叫んだトンツァイの声を、シャオリエの高い声が更に上回る。


「あ、あ――」


 開きかけた口を止め、情報屋トンツァイの顔がにやりとする。


「シャオリエさん、ここは情報交換といきましょうぜ?」


「馬鹿ね、トンツァイ。そういった時点で、お前の負けよ。この女は『ホンシュア』ってことね」


「いやいや、シャオリエさん。それはまぁ、そうなんですが、それ以上の情報を俺が知っているってことも、あるわけでしょう?」


『それ以上の情報』などないのだが、ハッタリは重要である。


 シャオリエは「ふぅん」と、見透かしたような目でトンツァイを見た。


「まぁ、いいわ。お前には、いろいろ無茶も頼んでいるし、機嫌をとっておくのも大事ね」


 そう言って彼女は、ホンシュアの死体に近づき、しゃがんで手を合わせた。意外な行動にトンツァイは面食らうが、なんとなく彼女に倣う。


「この娘が『ホンシュア』なら、今まで同じような姿で亡くなった娘たちは皆、熱暴走を起こした〈天使〉ということよ」


「〈天使〉?」


「〈七つの大罪〉の実験体よ。私も詳しいわけじゃないわ。だから今までは、遺体を見ても気にしすぎだと思っていたのだけど……」


〈七つの大罪〉の言葉に、トンツァイは、ごくりと唾を呑んだ。


 危険な匂いがぷんぷんする。けれどそれは情報屋にとっては、甘美な匂いでもある。


「それで?」


「え? それだけよ? だって言ったでしょ。私は詳しくない、って」


 ――はぐらかされた。


「……まぁ、シャオリエさんに期待した俺が、馬鹿ですよ」


「あらぁ、なんか失礼ね」


 口ではそう言うものの、別にシャオリエは怒っているわけではない。くすくすと笑いながら、トンツァイの反応を楽しんでいる。


 ならば、とトンツァイは少しだけ図に乗ってみた。


「では、厳月家の当主の急死についてなら、詳しく知っていますか?」


 藤咲家の当主の葬儀が盛大に行われている一方で、ライバルである厳月家の当主が何者かに暗殺された。


「あれは、藤咲家の姉弟の報復でしょう?」


 それを知って、どうするというわけでもない。


 ただトンツァイも、一連の事件に関わった人間として、事の顛末の真実を知りたかったのだ。


 シャオリエは口の端を上げた。


「鷹刀が、あの姉弟に手を貸したのか、と訊きたいのかしら?」


「ええ、まぁ、そうですが――。……もし、厳月家の当主の死因が毒殺か、刀傷なら、わざわざ訊いたりしません。ただ、頭に一発、鉛玉を撃ち込まれたと聞いたんで……」


 凶賊ダリジィンは――特に規律を重んじる鷹刀一族は、銃を使わない。だから、トンツァイは腑に落ちなかったのだ。


「鷹刀は、やってないわよ」


 シャオリエは、さらりと答える。そして、肩をすくめて笑った。


「あのお坊ちゃん、なかなか、たいした子ね。私にも、イーレオにも懐かなかった野犬を、手懐けたんだもの」


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