di;vine+sin;fonia ~デヴァイン・シンフォニア~

『記憶の保存』と『肉体の再生』で死者は蘇り、仕組まれた出逢いが運命の輪環を廻す
月ノ瀬 静流
月ノ瀬 静流

1.桜花の告白ー1

公開日時: 2020年10月6日(火) 22:22
更新日時: 2020年11月10日(火) 23:32
文字数:5,281

 鷹刀一族の屋敷を囲む、天にも届きそうなほどの煉瓦の城壁。そして、そこに嵌め込まれたかのような、重厚な門。その鉄格子の隙間から、警察隊に扮した斑目一族の凶賊ダリジィンたちは、要塞の如き居城を盗み見ていた。


 彼らは、門からの侵入者を阻止するよう命じられていた。しかし、つい先ほど次期総帥、鷹刀エルファンと、貴族シャトーアの藤咲家次期当主、藤咲ハオリュウを通してしまった。しかも、貴族シャトーアの子供は、彼らの同僚を護衛として従えていったのである。


「中に行った奴らは、どうなったんだ……?」


 彼らは、背伸びをして門の内側を覗いていた。足のサイズひとつ分の高さを増やしたところで、たいした意味もないのだが、そこは気分の問題だろう。


 そんなふうに壁の中ばかりを気にしていた彼らだったが、遠くから猛烈な勢いで近づいてくる轟音の気配には、さすがに気づかざるを得なかった。


 屋敷を囲む長い外壁の彼方に、彼らは小さな黒い点を発見した。やっと視認できるくらいだったそれが、黒塗りの車であると確信を持てた次の瞬間には、目前に迫っていた。


 あわや、というところで、車輪とアスファルトが強烈な金切り声を上げ、車が停止する。


 彼らが全員、轢死をまぬがれられたのは、運転手の腕前と、ほんの一瞬とはいえ、車の発見が早かったためであろう。車輪から弾け飛ぶ火花を一番近くで見た男などは、死を覚悟したほどだった。


「て、敵襲だ!」


 ひとりの男が叫び、狙いも定めずに発砲した。


 車に乗っている者は、総帥の危機に駆けつけた、鷹刀一族きっての猛者に違いない。――そいつを車外に出してはならぬ、との一心だった。


 鋭い銃声と共に、ボンネットの上で弾丸が弾ける。それを皮切りに男たちの銃弾が次々に車を襲い、ボディーを、フロントガラスを蜂の巣にしていった。


 無計画に撃ち続けた弾倉が、空になるのは時間の問題だった。


 急に反応しなくなった引き金のわけを知り、彼らは青ざめた。いつも彼らと苦楽を共にしている愛刀は、今は腰にない。


 皆一様に、恐怖という名の鉄球のついた枷に両手両足を繋がれ、身動きが取れなくなった。車から出てくる相手に脅えながら固唾を呑む。


 しかし、車の扉が開くことはなかった。


 その代わり、頑丈な鉄門が重たい音を上げる。


「なっ……!?」


 誰も手を触れていないのに、格子の門が内側に向かい、左右にふたつの弧を描きながら開き始めた。


「門が勝手に……?」


「中にいる奴が、やっているんだ!」


 遠隔操作で門を開け、車ごと突入する気なのだろう。


「し、閉めろ!」


 男たちの何人かが慌てて鉄格子に飛びつくが、硬いアスファルトに靴底を削り取られながら、門に引きずられるだけである。


 ひとりの男が、はっと顔色を変えた。予備の弾倉の存在を思い出したのだ。慌てて入れ替えると、周りにいた者も彼に倣う。


「タイヤを狙え! 突入させるな!」


 しかし素人の射撃など高が知れている。ましてや狙いを定めにくい低い位置だ。当たるわけがない。


 彼らをせせら笑うように、ぐおん、と荒い鼻息が如きアクセル音をふかせると、車は急発進した。


 門はまだ開ききってはいなかったが、ぎりぎり車一台分の隙間は出来ていた。


 体を張って止めようとする者などいなかった。いたら確実に無駄な最期を遂げていただろう。男たちは放心したように、敷地内に消えていくトランクパネルを見送る……。


 やがて鉄門は、格子を握っている者たちを引きずりながら、再び閉ざされていった。






「庭に行ってください!」


 高く鋭い声が、車内に響いた。


 ルイフォンが身を起こしたときには、既にメイシアが切り込むような目を運転手に向けていた。彼女の右手は胸のところでぎゅっと握られ、あたかも飛び出しそうな心臓を必死に抑えているかのようだった。


「お前、顔が真っ青だぞ」


 ルイフォンは、有無を言わせず彼女の肩を抱き寄せる。


 体の触れ合った箇所から、小刻みな振動が伝わってきた。彼は彼女の頭上に手を伸ばし、黒絹の髪をくしゃりと撫でる。


 暴走車でここまでたどり着き、最後は弾丸の嵐の歓迎だ。防弾硝子があるとはいえ、正直ルイフォンも生きた心地がしなかった。


「大丈夫か?」


 顔を覗き込んできたルイフォンに、メイシアはぎこちないながらも、にこりと笑う。


「はい。それに、これからです」


 目線を移し、彼女は前を向いた。そこでは、桜の木が今日も穏やかに薄紅色の花びらを散らしていた。


 メイシアは優美だが、強い桜だ。繊細で儚げなのに、根がしっかりとしている。だからこそ、無理をして折れてしまいそうで、ルイフォンは怖くなる。


 彼は、つい先ほどのやり取りを思い返した――。






「お前、何をするつもりなんだ?」


「え……。ええと……」


 何故か、メイシアが顔を赤らめた。


「言った通り……です。私が警察隊を説得しますので、屋敷中のスピーカーに私の声が届くようにお願いします」


「何を言うつもりなのか、という意味で訊いている」


 聡明な彼女なら、質問の意図が分からないはずがない。こんなことで声を荒立てたくはないのだが、彼女は自分の身を顧みずに行動する。それが心配でたまらなかった。


 ルイフォンの鋭く光る猫の目に、メイシアは肩を縮こめる。


「すみません」


「謝らなくていいから説明してくれ」 


「……言ってしまうと、勇気がなくなりそうなんです」


「情報の共有は基本だ」


「それは分かります。でも、私を信じてくれませんか……?」


 凛とした黒曜石の瞳が、まっすぐにルイフォンを映した。


 彼女の白い頬には、まだ泥の筋が残っている。比喩ではなく、つい先ほどまで彼女は彼と共に死線を乗り越え――か弱い細腕で、必死に彼を守ってくれたのだ。


 ルイフォンは口まで出掛かった反論の言葉をぐっと飲み込んだ。


 彼女を信じられないような度量の小さな男には、なりたくない。


 万一のときには自分が守ってやればいい――なんて格好いいことを言えるほど、武に優れているわけではないのは自覚している。だが、警察隊が相手なら、少なくとも貴族シャトーアの彼女だけは危険がないはずだ。あとは自分の身くらい、自分で守ればいい。


 ルイフォンは傷だらけの自身の体に神経を巡らし、負傷箇所を確認した。そして、「分かった」と、メイシアの頭に掌を載せる。驚いたように目を見開く彼女に、彼は父親譲りの悪戯な笑みを浮かべた。


「お前を信じる」


「おい! それで納得するのかよ!?」


 そう叫んだのは、メイシアとは反対側の隣に座るリュイセンだった。


「作戦を知らなければ、俺たちは動きようもないんだぞ!」


「す、すみません」


「謝るくらいなら、ちゃんと言え!」


 小さくなって頭を下げるメイシアに、リュイセンの凄味のきいた怒声が、ルイフォンを飛び越え、突き刺さる。


 険悪な雰囲気。


 だが――。


「あのぅ、お取り込み中すみませんが、もうすぐ着きます。銃撃に備えて身を低くしてください」


 不幸な運転手の申し訳なさそうな声が、メイシアの味方となったのだった。






 門を守っていたのは一個小隊ほどの偽の警察隊員たちであったが、敷地内には数多くの正規の警察隊員たちが散らばっていた。


 正義感に満ちた心優しい彼らは、不運にも誘拐されてしまった貴族シャトーア令嬢に心を痛め、一刻も早く助けて差し上げねばと必死になっていた。


 大きな屋敷には無数の部屋があり、そのひとつひとつをつぶさに調べなければならない。途方もない作業に思われるが、それでも屋内の捜索を命じられた者たちは、まだ気楽でいられた。


 屋外――広大な庭は、少女ひとりを見つけるのには、あまりにも困難な場所だった。大きな温室は勿論、倉庫のようなものが幾つもある。


 しかし、屋外を任された者たちの足を重くしていたのは、その膨大な捜索範囲よりも、指揮官の「不幸にも死体になっている」という言葉であった。彼らは少しでも不自然なところを見つけては、地面を掘り返していた。その先に貴族シャトーア令嬢がいないことを願いながら。


 そんな彼らが、暗い気持ちで花壇にスコップを突き立てていたときのことであった。やにわに門のほうが騒がしくなったかと思うと、発砲音が続き、一台の車が猛進してきた。


 驚きに目を見開く彼らの脇を駆け抜け、車は庭の中央で急停止した。


 ちょうど桜の大木の手前。その根を踏まぬ程度の距離を空けてのことである。その配慮に感謝したかのように、薄紅色の花びらがひとひら、黒塗りのボンネットに清楚な花を咲かせた。


「まさか……?」


 凶賊ダリジィンが外部から応援を頼むと厄介なので、門は封鎖することになっていた。しかし現実として、それはどう見ても警察隊の車ではなかった。


凶賊ダリジィンだ……!」


 動揺の波紋が警察隊員たちの間に広がっていく。


「構え!」


 その場にいた者たちの中で一番階級の高い者が叫んだ。はっとした警察隊員たちはスコップを投げ出し、拳銃を手に遠巻きに車を囲む。


 そのとき、天からいかずちが一直線に落とされたかのような鋭い音が、屋敷中の空気を引き裂いた。


「な、なんだ?」


 耳をつんざく不協和音。


 体を内部から破壊されるような、不快な音の嵐。


 あまりの生理的嫌悪に、敷地内にいた者たちは屋敷の内外を問わず、例外なく両手で耳を塞ぐ羽目になった。


 ……幸運にも、その事態はそれほど長くは続かず、しばらくすると騒音も収まる。さてそろそろ手を外すべきかと人々が思い始めたころに、また別の音が聞こえてきた。


『あーあー。本日は晴天なり。あーあー』


 その言葉通りに青く晴れ渡った空に、呑気なテノールのマイクテストが響き渡った。


『よし、メイシア、繋がったぞ』


『え、あ、ありがとうございます』


『お前ら。今の会話、全部、外に流れているぞ』


 なんとも緊張感のないやり取りが、屋敷中のスピーカーを震わせた。


 すべての者が手を止め、状況を把握すべく耳を澄ませると、すうっと息を吸う音。それが一度止まり、やがて静かに吐き出されるノイズが、まるで穏やかなさざ波のように寄せてくる。


 そして――。


『警察隊の皆様、鷹刀一族の皆様。どうか、お聞きください。私は藤咲メイシアです』


 鈴を振るような透き通った声。


『お話があります。桜の庭にお集まりください』






 執務室にて、警察隊の指揮官は血色の良すぎる顔を白くしていた。


 彼はただ、鷹刀イーレオが逃げられないよう、見張っていればいいはずだった。待っていれば、万事がうまくいくと聞いていた。


 それがなんだ? 追い詰められているはずのイーレオが余裕の顔でお茶を出し、ジャガイモの布袋に収められているはずの少女が庭に来ている――!


「お探しの令嬢が見つかってよかったですね」


 ベッドにもたれかかったままの鷹刀一族の総帥が、にこやかに笑った。いい歳をした爺さんのくせに、まったく忌々しいことに、涼やかな色気すら醸し出している。


 指揮官は脂汗の光る額を拭った。


 ともかく、『八百屋』の作戦は失敗したのだ。


「いえ、ちっともよくないですな。藤咲メイシア嬢は、お前の敷地内で見つかった。すなわち、お前がかどわかしたということだ!」


 指揮官が高圧的に一歩踏み込むも、イーレオは笑みを絶やさない。


「それは早計というものですよ。まずは彼女の話を聞こうじゃありませんか」


 そう言って、イーレオは「チャオラウ」と護衛の男に声を掛けた。呼ばれた男は、さっと窓際に立ち、カーテンを開け放つ。


 いきなり飛び込んできた眩しい光に、指揮官は目を閉じた。


「ここから桜がよく見えるんですよ」


 イーレオの声にそっと目を開ければ、その言葉通り、窓の向こうに薄紅色の世界が広がっていた。ふわりとした風に、花びらがひらひらと、そよいでいく。


 護衛の手を借りてイーレオが立ち上がった。そのまま、緩やかに移動して、窓枠に寄り掛かるようにして眼下を見やる。


「ああ、皆さん、集まってきましたね」


 大きな桜の木のそばに、黒塗りの車。様子を窺うように少し間を置き、その周りを濃紺の制服の警察隊と暗色の衣服を纏った凶賊ダリジィンたちが、相容れぬ間柄ながらも隣り合うように、ぐるりと取り囲む。


 まるで野外劇場だ。


 青芝生の客席は大入りで、薄紅色の舞台に上がる主演女優の登場を待ち望んでいる。


「私は動けませんから、ここから見ることにしますが、あなた方は庭に行かれたらどうですか?」


 イーレオが指揮官を振り返る。


「何を言っておる。私はお前を監視する義務がある!」


「そうですか。ではご随意に」


 そう言って再び外へと視線を戻したイーレオの隣に指揮官も立つ。彼とて庭の様子が気にならないわけがない。


『八百屋』が失敗したときの手も打ってあると聞いている。しかし、不安は拭いきれなかった。






『お騒がせしてすみません。――今、外に出ます』


 地面に落ちた桜の花びらを舞い上げながら、黒塗りの車の扉が開く。


 細い足首が優雅に車外へと降ろされた。車内の座位から頭を上げると、長い髪が流れ、彼女の花のかんばせがあらわになる。つややかな黒髪を彩る髪飾りにせよとでも言うように、桜がはらりと、花びらを贈った。


 警察隊員たちは彼女を写真でしか知らなかったが、ひと目で確信できた。


 一度見たら忘れられないほどの、高貴な少女。


 粗末な服に身を包み、白磁の肌は泥で汚れていても、彼女の美しさはちっとも損なわれることはなかった。


 驚嘆とも感嘆とも取れる声が、青芝生の庭に沸き起こった。


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