di;vine+sin;fonia ~デヴァイン・シンフォニア~

『記憶の保存』と『肉体の再生』で死者は蘇り、仕組まれた出逢いが運命の輪環を廻す
月ノ瀬 静流
月ノ瀬 静流

6.かがり合わせの過去と未来-2

公開日時: 2020年12月12日(土) 22:22
文字数:5,510

 しんと静まった室内に、鳥のさえずりが流れ込んできた。


 屋根の上にいたのだろうか。ひとしきり楽しげな歌声が響き渡ると、力強い羽ばたきと共に窓に影が走った。


 手紡ぎ糸のカーテンにも影が落ちる。どんな熟練の職人でも、必ず太さに揺らぎのあるこの糸に、光と影が抜けていく。


 ユイランの上品な微笑みの上にも、揺らぎを与えていく――。


「ルイフォンに手紙を渡せば、私の役目は終わるわ」


 溜め息のような呟きに自然と背が丸まり、細いうなじに銀色の後れ毛が落ちた。


「――けど、ルイフォンにとっては、これが始まりになるのね。私が助けられなかったキリファさんの足跡そくせきを、彼が追うことになるんだわ……」


 美麗な声が、揺らぐ。


 思いがけない言葉に、メイシアは反射的に尋ねた。


「キリファさんを助けられなかった、って……どういうことですか? ――ユイラン様は、キリファさんが亡くなった原因をご存知なのですか?」


 メイシアは、詰め寄るように身を乗り出す。


 ユイランは勢いに押されて息を止め、瞬きをした。それから、肩を落としながら息を吐く。


「ごめんなさい。勘違いさせてしまったわね。そういう意味ではなくて……。明らかに彼女は何かに巻き込まれていると、分かっていたのに何もできなかった――ということよ」


「そう、でしたか……。すみません、私っ……。失礼いたしました」


 メイシアは椅子に背を戻しながら、勢い込んでしまった自分を恥じ入った。


「いいえ、こちらこそ悪かったわ」


 ユイランは首を振る。


「私に手紙を預けたときのキリファさんは、どう考えても自分に危険があることを確信していたわ。……だって、そうでしょう? 一緒に住んでいる息子へのメッセージを、わざわざ手紙にして他人に預けるんですもの」


 確かに、その通りである。


「けど、どうしてユイラン様に……」


 メイシアはそう言いかけて、ためらった。正妻と愛人の間柄で、ユイランとキリファは不仲であったはずだと、はっきりと口にするのは礼を欠くのではないかと思ったのだ。


 ――と、そのとき。メイシアは視線を感じた。ユイランの隣に座る、シャンリーである。男装の麗人ともいわれる彼女は、実に男前な顔でにやりと目配せをした。


「四年前、キリファさんがうちに来たときのことは、私もよく覚えていますよ。随分と珍しい客が来たものだな、と思いましたから。――で、ユイラン様。質問なんですが、よろしいでしょうか」


「どうぞ」


 ユイランは軽く首を曲げ、横にいるシャンリーを見やる。


「リュイセンに言わせると、キリファさんは、ユイラン様とは『敵対関係』にあるそうです。そんな相手に、まるで遺言のような手紙を預けるなんて普通はあり得ません。――何か思い当たる理由フシは、おありでしょうか?」


「シャンリー、良い質問をありがとう」


 ユイランは口の端を上げた。緩衝材としてこの場に残した義理の娘が、正確に役割を理解してくれた謝意である。


「私もキリファさんに訊いたわ。『なんで、私に預けるの?』と。そしたら、『まさか、あんたがあたしの手紙を持っているだなんて、誰も思わないだろうから』ですって」


 ぷっとシャンリーが吹き出した。


「さすが、キリファさんらしい」


「それだけ価値のある手紙ということなんでしょう。中身を勝手に見るわけにはいかないから、確認していないけれど。――状況から考えて、キリファさんが巻き込まれていた『何か』に関することだと思うわ」


「――ですね、きっと……」


 シャンリーが頷き、義理の母娘は目で言葉を交わす。明るい生成りの壁紙に反射した光が、ふたりの顔を照らし、陰りのある笑みを作った。


 そこには、死者を悼む旋律が流れていた。


 少なくともメイシアの耳には、無音の鎮魂歌が聞こえた。


「おふたりは、キリファさんのことを……?」


 なんと訊けばよいのだろう?


 口ごもるメイシアに、ユイランがふわりと笑った。


「大好きだったわ」


 切れ長の瞳に涙が浮かぶ。ユイランは慌ててハンカチを取り出し、目元を押さえた。


「やぁね、歳を取ると涙もろくなっちゃって」


「ユイラン様は充分にお若いです。イーレオ様なんてもっとご高齢のはずなのに、あの通りなんですから」


 そう言うシャンリーの声もわずかに震えている。


 メイシアは黒曜石の瞳を瞬かせ、呆然とふたりを見つめた。唇が無意識に「どうして……?」と紡ぐ。


「それはね、メイシアさん」


 涙声を押して、ユイランが口を開く。


「キリファさんは、まっすぐにエルファンを愛してくれたから」


 張りのある強い声だった。


 けれど、その意味を測りかね、メイシアは一瞬それがユイランから発せられたものと理解できなかった。


 ユイランが目尻を下げて笑う。涙が再びにじみ出て、彼女はハンカチで拭った。それから、話す内容をまとめてあるという書き付けを手に取り、「それでは――」と切り出す。


「メイシアさんが一番気になるのは、ヘイシャオ――〈ムスカ〉のことだと思うけれど、その前に鷹刀という一族の過去とキリファさんのことをお話しさせてね」


 紙の上に視線を落とし、少し目を細めてから思い出したように眼鏡を掛けた。


 老眼鏡であるらしい。「やっぱり、年寄りね」と、ユイランは可愛らしく顔を赤らめた。






「メイシアさん。気づいてらっしゃると思うけれど、鷹刀は異常な近親婚を繰り返して作られた一族よ。――その理由は、誰かから聞いてらっしゃる?」


 書き付けを読み上げるようにしてユイランは尋ねた。メイシアは正確な表現を思い出しながら、遠慮がちに口を開く。


「『鷹刀は〈七つの大罪〉が作り出した、強くて美しい最高傑作』だと、イーレオ様がおっしゃっていました」


 その答えに、ユイランは淋しげに笑った。


「そう、イーレオ様が……。でもそれは、血族を傷つけないための、イーレオ様の優しい嘘よ」


「嘘……?」


「ええ。例えば、エルファンとチャオラウが真剣勝負をしたら、年長のチャオラウが体力の衰えのハンデを負ってなお、ほぼ確実に勝つわ。――強さを追求した一族なら、エルファンが勝たなければ駄目でしょう?」


 そう言われても、メイシアには屋敷に住む凶賊ダリジィンたちは皆、強く逞しく見える。どちらが勝つと言われても、よく分からない。


 困った顔をしていると、シャンリーが苦笑しながら口を添えた。


「そんなことを言われても、メイシアには実感が湧かないだろ? でもここは、この私も同意するってことで通してくれ」


「は、はい。すみません」


 恐縮して頭を下げると、ユイランが「いえいえ」と微笑み、話を続ける。


「つまり、本当に強い者を作ろうと思ったら、チャオラウのような者をどんどん一族に取り込むべきなの。なのに〈七つの大罪〉は、気持ち悪いほど同じ血を重ね合わせることを求めた。――彼らの実験体として利用するためよ」


「え……?」


 メイシアの口から乾いた声が漏れた。


「具体的に何がなされていたのかは知らないわ。ただ、一族の中で不要とみなされた者が連れ去られ、〈七つの大罪〉への〈にえ〉になっていった」


「そんな……!」


「その一方で、必要とされた者は〈七つの大罪〉の庇護のもとで栄華を誇った。――そんな一族に反発したイーレオ様は、先代総帥に意見したそうよ。そしたら、見せしめに恋人を殺された……」


「……っ」


 崖から突き落とされたような衝撃を受けた。


 ユイランに『過去のこと』を話してくれると言われ、メイシアは自分でも気づかぬうちに心のどこかで喜び、期待していた。


 ルイフォンも知らない一族の過去を、ルイフォンが知りたがっている一族の秘密を、彼に伝えることができると――気持ちが浮き立った。


 しかしそれは、イーレオが優しさという嘘の殻で覆ってきた、残酷な現実をあばくということに他ならなかった。今更のように気づいた自分の愚かさに、メイシアは総毛立つ。


 殻から出てきた腐臭と怖気おぞけが、容赦なく彼女を襲う。


 彼女は吐き気をこらえるように奥歯を噛んだ。


 おぞましいからこそ、これは聞くべき話だった。


「私とエルファンは、〈七つの大罪〉が濃い血を残すために決めた夫婦よ。しかも私にとって、エルファンはふたり目の夫」


 ユイランの目線が机に落ち、声に影が入る。


「ひとり目の夫は〈にえ〉として連れ去られたの。彼との間には子供がひとりいたけれど、三歳にもならないうちに亡くなったわ」


「お子さんも〈にえ〉に……?」


「違うわ」


 ユイランは、緩やかに首を振った。涙の雫が飛び跳ね、きらりと光る。


「これだけ血が濃くなれば、無事に成人できる確率なんて半分以下よ」


「……!」


「そのくせ〈七つの大罪〉は、貪欲に新しい〈にえ〉を求める。……私は、自分が生き残りたいがために、エルファンをふたり目の夫として受け入れたのよ。――可哀想に、エルファンはまだ十代だったのにね」


 ユイランの口の端が、すっと笑みの形に上がった。けれど、それは自嘲だった。疲れ切ったような目元からは涙は消え、静かながらも強い意志が見える。


 死者に捧げる涙はあっても、自分の過去は涙に逃げない。


 気高く、美しい人だと、メイシアは思った。






 ――ふと、ユイランが表情を和らげた。


 メイシアの顔をふわりと覗き込む。気遣いの眼差しだった。


 ユイランは沈んだ空気を振り払うように、小さく首を左右に降る。胸元のドレープがさらさらと優しく流れた。


「そんな時代は、イーレオ様が総帥になることで終わったのよ」


 そう言いながら書き付けに目を走らせ、何を見つけたのか、口元をほころばせる。


「メイシアさん。昔のエルファンは、ルイフォンそっくりだったのよ。信じられる?」


「えっ!?」


「私が直接ルイフォンに会ったことは数えるほどしかないから、人づてに聞いた感じだけどね。やんちゃなくせに策士で、自信家。――今のエルファンの冷酷なイメージは、イーレオ様が総帥に就かれたあと、『新しい鷹刀は、規律を重んじる組織だということを内外に示す』と彼が始めた演技よ」


 メイシアが信じられない思いでユイランを見つめると、彼女の隣にぽかんと口を開けているシャンリーがいた。同じく初耳だったらしい。


「総帥のイーレオ様には、誰からも好かれるカリスマが必要。だから、ナンバーツーとなったエルファンは、自分が憎まれ役になるのだと言っていたわ。だいたい、凶賊ダリジィンが『父上』だなんて可笑おかしいわよ。それまで、普通に『親父』って言っていたのよ?」


「あの呼び方は、鷹刀の伝統だったわけではないんですか!?」


 赤子のころから屋敷で育ったシャンリーが愕然としている。ユイランはくすりと笑い、「そうよ」とすまして答えた。


「でも、いつしかそれもさまになってしまったわ。無邪気で無鉄砲だった少年はいなくなり、鷹刀を支える強い冷血漢が生まれた。私はレイウェンやシャンリーに囲まれて充実した生活を送っていたけれど、エルファンは孤独だった。――そんなとき、エルファンが〈七つの大罪〉から、キリファさんを救い出してきたのよ」


 ユイランは、嬉しそうに書き付けの上の文字を指先でなぞった。


「警戒心の強い、野良猫のような子だったわ。エルファンのことが好きなのに、そう思われたくなくて噛み付いてばかりで。でも正妻の私には敵意丸出し。凄くまっすぐなの。もう、可愛くて可愛くて」


「ユイラン様。それは『可愛い』とは言わないと思うのですが……?」


 シャンリーが、控えめながらもしっかりと突っ込む。


「あら、そう? 裏表がなくて素直でいいと思うわ」


 切れ長の目を楽しげに輝かせ、それからユイランはまぶたを下げた。白髪混じりの睫毛が綺麗に並ぶ。


「亡くなった最初の子が生きていれば、ちょうど同じくらいの歳だったのよ。娘みたいなものでしょう? でも『キリファちゃん』と呼んだら怒るし、可愛がるほどに不気味がられたわ」


 ユイランが笑う。亡きキリファに向ける、その微笑みが……切ない。


 胸が苦しくなり、メイシアはぎゅっとペンダントを握りしめた。


「ユイラン様は、本当にキリファさんのことが大好きだったんですね」


「そうよ。大好き」


 ユイランは、得意げとしか言いようのない顔をした。


〈七つの大罪〉を恐れ、言われるがままに夫として迎えたエルファンに、ユイランはずっと罪悪感を抱いてきたのだろう。不憫だと思っていたのかもしれない。


 だから、彼女はエルファンの幸福を喜んだ。幸福をもたらしたキリファに感謝した。


 メイシアは、早くルイフォンに伝えたいと思った。――ユイランは怖い人でも嫌な人でもなく、キリファの『家族』であったと。


 そう考えて、メイシアは疑問に瞳を瞬かせた。


「――なら、どうして、ユイラン様とキリファさんは不仲ということになっているんですか?」


「それは、私がリュイセンを産んだからよ」


 涼やかに気高く、ユイランが答える。


 綺麗に伸びた背筋で胸を張り、メイシアを正面から見据えた。メイシアは、小さく「え」と声を上げたまま、射抜かれたように動けなくなる。


「ユイラン様! その言い方は……!」


 シャンリーが血相を変えて立ち上がり、ユイランの顔と――部屋の扉とを交互に見た。舌打ちのような音を漏らし、ベリーショートの髪を掻きむしる。


「シャンリー、落ち着いて」


 そう言うユイランもまた、扉に目線を移した。否、初めからメイシアではなく、彼女はメイシアの後ろにある扉を見ていたのだった。


 そして、ユイランは言葉を投げる。


「いい加減、立ち聞きも疲れたんじゃないの? ――リュイセン」


 メイシアは、まるで自分の名前が呼ばれたかのように、びくりと肩を上げた。恐る恐る、後ろを振り返る。


 扉はゆっくりと開き、黄金比の美貌が現れた。彼が威圧的に顎を上げると、癖のない黒髪が肩で揺れた。


「その話、俺にも聞く権利があると思うんですがね、母上?」


「だから、声を掛けてあげたんでしょう?」


 久しぶりの母子の対面に、空気が冷たく揺らいだ。


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