di;vine+sin;fonia ~デヴァイン・シンフォニア~

『記憶の保存』と『肉体の再生』で死者は蘇り、仕組まれた出逢いが運命の輪環を廻す
月ノ瀬 静流
月ノ瀬 静流

2.訪い人の袖時雨-2

公開日時: 2025年3月28日(金) 20:20
文字数:6,193

 泣き崩れた女王を抱きかかえながら、リュイセンが廊下を走り抜けているころ。


 執務室では、イーレオが一点の曇りを混じえた微笑を浮かべ、エルファンが一条の喜びを隠した渋面を作っていた。


 背後に控える護衛のチャオラウは、いつも通りに無精髭をもてあそびつつ、この父子は、つくづく両極端で面白い、と感心する。物ごとへの基本姿勢が、楽観的なイーレオに対し、悲観的なエルファン、というわけである。


 何が起きたのかといえば、女王が鷹刀一族の屋敷を訪れるという、この一大事に、おそらく最も彼女と会いたがるであろうルイフォンと、連絡がつかなかった。


 リュイセンが推測したように、女王の来訪を察するや否や、イーレオはルイフォンを呼ぶようにと、エルファンに命じた。本来なら総帥補佐にふる仕事だが、ユイランが不在であるがゆえの代理である。


 しかし、ルイフォンの携帯端末は『電波の通じないところにあるか、電源が落とされている』という、お決まりの文句を繰り返すのみだったのである。


 エルファンは顔をしかめつつ、ルイフォンと繋がらないのであれば、メイシアに訊けばよいだろうと、頭を切り替えた。


 それに、メイシアだって、女王のことは気になるはずだ。女王は『ライシェン』の未来と深く関わる人物であり、『ライシェン』は、ルイフォンとメイシアの『ふたり』に託されたのだから。


 もっとも、表向きは死んだことになっているメイシアは、『貴族シャトーアであったメイシア』を知っている女王と、顔を合わせるのは避けるべきだろう。だから結局、ルイフォンがひとりで屋敷に来ることになるのかもしれない――。


 そんなことを考えながら、エルファンが電話を掛け直そうとしたとき、イーレオが「ユイランにも一報、入れておこう」と、思いついたように言い出した。女王がユイランを頼りにしているふうであったため、場合によっては、ユイランも呼んだほうがよいかもしれない、と。


 メイシアとユイランの端末番号のうち、たまたま、ユイランのほうが前に登録されていた。そのため、エルファンは先にユイランの番号を選んだ。結論としては、それで正解だった。何故なら、ユイランだけが、ルイフォンの携帯端末が繋がらない理由を知っていたからである。


『お呼びとあらば、私はすぐにも鷹刀の屋敷に駆けつけます。ですが、ルイフォンは……、今日だけは……無理だと思います』


 ユイランにしては、歯切れの悪い口調だった。


 スピーカー通話で聞いていたイーレオが、すかさず「どうした?」と問うと、彼女は少し迷った末に、『メイシアさんには、内緒にしてくださいね』と前置きをした。


『実は今日、ルイフォンは、メイシアさんに贈る婚約指輪を注文しに行ったんです。サプライズにしたいからと、彼女には秘密で』


 なんでも、ユイランとルイフォンが、仕立て屋とその助手として王宮に行った、あの一件の準備中に、『婚約指輪』が話題になったらしい。


 それで、近いうちに、ルイフォンが婚約指輪を買いに行く。その際には、貴族シャトーア御用達の店で門前払いを喰らわないような服装ドレスコードをユイランが請け負う、という約束が交わされたそうだ。


 その決行の日が、偶然にも、今日であったのだ。


 小一時間ほど前、ルイフォンは、ユイランもうっとりするような立派な紳士となって、草薙家の裏門から、こっそり出掛けていったという。


 ルイフォンが『立派な紳士』というのは、服飾担当者コーディネーターの贔屓目だと思われるが、彼が意気揚々と出発したであろうことは想像に難くない。そして、『絶対に邪魔が入ってほしくないときには、ルイフォンは携帯端末の電源を切る』ことは、知る人ぞ知る、彼の習慣であった。


 すなわち――。


 どう足掻あがいても、今日はルイフォンとは連絡がつかない。


 では、どうするか。


 ルイフォンは無理でも、メイシアには知らせておくべきか。


 イーレオとエルファンは、顔を見合わせた。


「……メイシアに状況を話せば、ルイフォンのサプライズは台無しになるな」


 秀でた額に苦悩の色を浮かべながら、イーレオが呟く。しかし、その顔は、どの角度から見ても、にやにやと笑っているようにしか見えない。


「まったく……。よりによって、何故、今日なのだ……」


 エルファンが眉間に皺を寄せ、仏頂面で腕を組む。ただし、ぼやきを漏らす、その口元だけは、微笑を隠しきれずにほころんでいた。


 困った事態であることは、間違いない。


 だが、『婚約指輪を極秘サプライズで』という事情が、なんとも微笑ましい。ルイフォンも、なかなか粋なことをするようになったではないか――と。


 感情の表し方は、それぞれであるが、思いは父子で共通だった。


 ふたりは視線を交錯させた。そして、やにわにイーレオが大真面目な顔となり、スピーカーに向かって口を開く。


「ユイラン、女王が来たことは、聞かなかったことにしてくれ」


『えっ!?』


「夕方になったら、草薙家そっちに『昼間、女王が来た』という『事後報告』をする」


『は? はい……』


 ユイランの困惑の相槌に、イーレオは重ねた。


「女王は、お忍びで来ているはずだ。この屋敷に長居はできまい。ならば、草薙家遠地にいる人間を呼び寄せるまで、待たせるわけにはいかないだろう?」


『ええ……、確かに』


「だいたい、もし今日ここで、女王とルイフォンたちの対面が叶ったとしても、すぐに『ライシェン』の未来が決まるわけではない」


 イーレオはソファーにもたれ、肘掛けに片頬杖を付きながら、もっともらしく厳かに告げる。


「それよりも現時点で重要なことは、女王の人となりを確かめ、必要とあらば、彼女と縁を結ぶことだ。そして、それはこの屋敷にいる者でもできる」


『なるほど。分かりました』


 快活な返事のあとには『そういうことにするわけですね』と続くのだが、言葉にするまでもあるまいとユイランは沈黙し、代わりに口の端を緩やかに上げた。






 それから少しして、リュイセンが執務室に到着した。


「どうやら、リュイセンは、立派に縁を結んだようだな」


 女王を抱きかかえて入ってきたリュイセンを見やり、イーレオは感嘆を漏らす。その隣では、エルファンが氷の美貌を凍りつかせていた。


 どこまでも対象的な、イーレオエルファンであった。






「そ、総帥……、こ、これは……、ですね」


 執務室に入った途端、リュイセンは刺すような視線を感じ、はっと青ざめた。自分の行動が誤解冷やかしを受けるに充分なものであることに気づいたのだ。


 だが、リュイセンは律儀な男だった。


 女王を勢いよく床に下ろすのではなく、なんと、逆に彼女をいたわるように胸元に引き寄せた。そして、自分のしていることは決して恥ずべきことではなく、きちんと理由のある正しい行いであるとして、彼女の名誉を守ろうとしたのである。


 彼は、執務室の面々と正面から向き合い、経緯を説明する。


「彼女がショックで動けなくなってしまったため、俺が連れてきまし……。あ、ああ、セレイエの訃報を聞いたのが原因です……っと、セレイエと面識があったそうです。それも、だいぶ親しかったようで……、つまり、彼女はヤンイェンの異母妹いもうとですから……」


 懸命に言葉を紡ぐほどに、支離滅裂になった。


 決然とした態度は示せても、理路整然とした発言とは縁遠いのが、リュイセンという男だった。彼は、先ほど青くなった顔を、今度は朱に染めていく。


 すると、女王がシャツを引いてきた。気まずげに視線を下げると、サングラスのない青灰色の瞳が「ありがとう」と微笑む。


「リュイセン、私からご挨拶したいわ」


 彼女はそう言って、彼の腕から、ふわりと降り立った。


 軽やかに前に躍り出て、パーカーのフードを取り払う。白金の髪が輝き、幾重にも青絹を連ねた髪飾りがさざなみのように流れる。


 続けてフェイスカバーを外し、彼女はリュイセンを振り返った。初めてまともに見る顔は、可憐なる綺羅の美貌。


 思わず息を呑んだ彼を、彼女は目にしたのか否か……。再び体を返すと、スカートの端を摘み、イーレオたちに向かって丁寧にこうべを垂れた。


「はじめまして。私の名前は、アイリー。セレイエの義妹いもうとです」


「……」


『女王』ではなく、『義妹いもうと』。


 その自己紹介は、予想外のものだったのだろう。イーレオ、エルファン、チャオラウの三人の大の男が、そろって沈黙する。


 しかし、間の抜けた空気は、すぐに深刻なものへと変わった。


「私の義姉あねセレイエが、このお屋敷に匿われていると、摂政カイウォルが言うので、会いにきま……」


 言葉の途中で、彼女は声を詰まらせた。華奢な肩が、ひくりと震え、青絹の髪飾りが、さわさわと波打つ。……けれども、無理やりに深呼吸をすると、嗚咽混じりに吐き出した。


「本当は分かっていたの……! セレイエは、もう亡くなっている、って。でも、もしかしたら、って……確かめに……。お騒がせして、本当にごめんなさい……!」


「おいっ」


 ふらりと倒れそうになった女王を、背後にいたリュイセンが受け止めた。


「リュイセン……、ありがとう」


「大丈夫か? 真っ青だぞ」


 リュイセンは眉を寄せて問うたが、女王は答えずに、ぽつりと呟く。


「鷹刀一族の人たちって、本当に同じ顔をしているのね」


「……は?」


「セレイエが言っていたの。――『鷹刀の人間は、面白いくらいに皆そっくりなのよ』って」


 イーレオとエルファンに視線を送り、リュイセンを見上げ……、女王は「ふふっ」と笑う。


「お父様も……お話してくださったの」


「!?」


 唐突な『お父様』という単語に、リュイセンは困惑する。彼女の『お父様』とは、すなわち、異母兄ヤンイェンに殺された先王だ。そんな人物が何を? と疑問に思う。


「『教育係のイーレオは、『私を育ててくれた人』――つまり、『親』だ。だから、君にとっては『お祖父様』だよ』って」


「『育ててくれた人』……?」


 聞き覚えのある言い回しだった。眉根を寄せ、記憶を手繰たぐる。だが、リュイセンが答えにたどり着く前に、イーレオが静かに口を開いた。


「昔……、俺が先王シルフェンに『パイシュエは『俺を育ててくれたひと』だ』と説明したら、どうも、その言い方が気に入ったみたいでな。あいつは真似をして、俺のことをそう呼ぶようになった」


 イーレオの双眸が静かな色を帯び、わずかに天を仰ぐ。その顔に呼びかけるように、女王が告げる。


「お父様は、『覚えておいてほしい。たもとは分かったけれど、鷹刀一族は、私たちの家族だよ』って、言っていました」


「……そうか」


 イーレオが、そっと目を伏せた。女王は大きく頷き、細い声で続ける。


「だから、私はずっと、鷹刀の人たちに会ってみたかったんです。……でもっ! こんな形で会うなんて……。……できるなら、ヤンイェンお異母兄にい様とセレイエの結婚式で会いたかった……!」


 それは、もう叶わない願いだ。


 彼女の白い頬を涙が伝い、音もなくこぼれ落ちる。


先王シルフェンの娘なら、確かに俺の孫だな。よく会いに来てくれた。ありがとう、アイリー」


 深い海のような、優しい低音。


 イーレオの言葉に、女王は支えてくれていたリュイセンに、しがみついて泣き出した。その華奢な体を、リュイセンは黙って抱きしめる。


 からかいの眼差しを向ける者は、もはや誰もなかった。


 儚げな嗚咽の響く中、イーレオは、ひとり掛けのソファーで優雅に足を組み替えた。そして、尋ねる。


「リュイセン」


「!?」


「アイリーは『デヴァイン・シンフォニア計画プログラム』について、異母兄あにのヤンイェンから何も聞いていないのだな?」


 不意をくように問われ、リュイセンは戸惑った。イーレオが何かを尋ねるのであれば、相手は女王であり、まさか自分に水を向けられるとは思っていなかったのだ。


 だが、ひと呼吸置いて、気づく。


 リュイセンの指名は、女王を心ゆくまで泣かせてやるのと同時に、現状に対し、次期総帥たる彼の見解を問うためだ。


 執務室に到着したときには、満足な説明のできなかったリュイセンである。汚名返上とばかりに毅然と構えた。


「祖父上のおっしゃる通り、彼女はヤンイェンからは何も聞いていません。一方、もうひとりの兄である摂政からは、セレイエが『ライシェンの肉体』を作ったこと、過去の王の遺伝子を廃棄したこと、などを聞いているようです。彼女の持っている情報は、ふたりの兄のそれぞれの思惑によって、だいぶ混乱したものになっていると思われます」


「ふむ……」


 語尾の伸びた相槌に、リュイセンの直感が、イーレオの迷いを捉えた。女王に『デヴァイン・シンフォニア計画プログラム』について教えるか否かで、揺れているのだ。


 個人の心情的には『孫娘』だとしても、彼女は、鷹刀一族と敵対している摂政の実妹である。立場の上では、味方とは言い切れない。


 悩ましいところだ、というイーレオの内心を感じ取り、リュイセンは思わず「総帥」と呼びかけた。


「彼女は『デヴァイン・シンフォニア計画プログラム』は知りませんが、四年前にヤンイェンとセレイエが、息子を生き返らせようとしていたことは知っています。それゆえ、セレイエが『ライシェンの記憶』を手に入れるために死んだことも察していました」


 これだけ深く事情を知っているのだから、渦中の人物のひとりである彼女が、いつまでも蚊帳の外であるのはおかしい、との思いを込める。


「なるほど。それが、お前の見解か」


 イーレオの目元が、興に乗ったような色合いを帯び、それから「よし、分かった」と重々しく頷いた。


「『デヴァイン・シンフォニア計画プログラム』に関しては、ルイフォンの口から語るのがスジだ。だが、草薙家遠地にいる奴をこの屋敷まで呼び寄せていたら、アイリーのお忍びが王宮側にばれる可能性が高まる。――故に、『〈フェレース〉の対等な協力者』である鷹刀の次期総帥として、お前が責任を持って、彼女に説明してやれ」


「そ、祖父うぇ……っと、総帥!?」


 予想外の展開だった。


 何故、自分が――という問いかけを、リュイセンは、かろうじて呑み込む。『次期総帥』の肩書きで呼ばれた上でのめいに対し、反論のようなことを口にするのは、あまりにも不甲斐なく、情けない。……たとえ、彼の説明能力が、壊滅的に稚拙なものであったとしても。


 口をつぐんだ彼に、イーレオは、すっと目を細めた。


「鷹刀の将来を見据えれば、アイリーとは是非とも良い関係を築いておきたい。ならば、彼女の接待は、次代を担う、お前に任せるのが妥当だろう?」


 魅惑の低音が耳朶を打つ。片頬杖の姿勢から発せられているとは、とても信じられぬほどの厳かな声であった。


「は……はい」


 冷や汗を浮かべながら、リュイセンが承服の返事をすると、イーレオは傍らのエルファンと、背後のチャオラウに目配せをした。なんの合図かと、リュイセンが疑問に思う間もなく、イーレオが傲然と告げる。


「それでは、俺たちは席を外す」


「……は?」


 リュイセンの目が点になった。


「俺たちの監視の中では、お前も話しにくかろう」


「祖父上……?」


 呆然と呟くリュイセンをよそに、イーレオは颯爽と立ち上がる。


「この執務室は、完全防音だからな。安心して話せ。――ああ。メイドに茶菓子を運ばせるから、それまでは、アイリーの顔を隠しておくように」


「これはいったい、どういう……!」


「いくら、無骨な凶賊ダリジィンでも、客に茶を出すくらいの配慮はあるさ」


 背中で緩くまとめた黒髪を翻し、イーレオは扉へと向かう。その後ろを、氷の無表情のエルファンと、低い笑いで無精髭を揺らすチャオラウが続いた。


「お待ち下さい!」


 リュイセンが懸命に叫ぶも、その声は完全に無視された。


 そして、イーレオは振り返りもせずに、ひらひらと手を振りながら、執務室をあとにしたのだった。



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