di;vine+sin;fonia ~デヴァイン・シンフォニア~

『記憶の保存』と『肉体の再生』で死者は蘇り、仕組まれた出逢いが運命の輪環を廻す
月ノ瀬 静流
月ノ瀬 静流

6.蒼天を斬り裂く雷鳴-3

公開日時: 2021年7月2日(金) 22:22
更新日時: 2022年11月11日(金) 18:09
文字数:7,915

 総帥イーレオが、〈悪魔〉を支配する『契約』で体調を崩し、次期総帥エルファンによって会議は強制的に終了、解散となった。


 王族フェイラや〈天使〉の話が出てきて、メイシアが『デヴァイン・シンフォニア計画プログラム』に巻き込まれた理由が掴めそうになってきた矢先の、あっけない幕切れだった。


 ルイフォンとしては当然、消化不良気味だが、傍らのメイシアの様子を見ると、ちょうどよかったのかもしれないと思う。


 彼女は、ルイフォンの服の端をぎゅっと握りしめたまま、身じろぎもしなかった。シャツ越しに体温を感じられるのに、青ざめた顔には温度がない。綺麗な薄紅色をしているはずの唇も、色を失っていた。


「メイシア、行こう」


 彼女を促し、執務室をあとにする。


 廊下に出ると、窓の外がやけに暗かった。黒い雲が空を覆い、今にも雨が降り出しそうである。昼までの青空が嘘のようだった。


 嫌な天気だ。――曇天を見上げ、ルイフォンは思う。まるで、彼の心情を写し取ったかのようで、気が滅入る。


「ルイフォン、メイシア」


 後ろから呼び止められた。ふたりに続いて、部屋を出てきたリュイセンである。彼は、きまり悪そうに肩をすぼめ、「すまん」と頭を下げた。


「なんで、お前が謝るんだよ?」


「いや……、……」


 ほんの少し強めの口調で問えば、リュイセンは口ごもって押し黙る。


 疑問の形で返しはしたが、兄貴分の気持ちは分かるのだ。生真面目な彼は、あの場に暗雲を持ち込んだ責任を感じているのだろう。


「そりゃ、お前が報告した『良くない知らせ』は、聞かされて楽しい話じゃなかった。けど、お前が悪いわけじゃねぇだろ。むしろ、重要な情報だった。感謝している」


「……っ」


 リュイセンは戸惑うような様子を見せ、わずかに口を開きかけた。しかし、うまく言葉にならなかったのか、再び「すまん」と呟く。


 そのとき、ルイフォンの隣から、メイシアがするりと躍り出た。


「リュイセン。今、料理長がご馳走を用意しているんです」


「!?」


 唐突な彼女の発言に、リュイセンは勿論、ルイフォンもきょとんとする。


「リュイセンが、無事に帰ってきたお祝いです」


 メイシアは、特別な秘密を打ち明けるような小声でそっと囁き、ふわりと笑った。


 優しげで、ほんの少しだけいたずらっぽくて、思わず魅入られてしまいそうな可愛らしい笑顔である。先ほどまでの白蝋のような顔をした彼女とは、まったくの別人だった。


「いや、祝うようなことではないだろう……」


 ぼそぼそと言うリュイセンに、メイシアは畳み掛けた。


「会議では、驚くような情報も入ってきましたが、今日はリュイセンが戻ってきた、とても嬉しい、良い日なんです」


 柔らかでありながら異論を許さぬメイシアの迫力に、剛の者のリュイセンがたじろぐ。


「だから、そんな浮かない顔をしないでください。これからのことは、これから皆で考えればいいんですから」


「……ありがとう」


 リュイセンの低音は、頼りなげにかすれていた。けれども彼は、不器用な笑みを無理やりたたえる。メイシアの弁に同意はできないが、気遣いには感謝している。そんな心の内が手に取るように分かった。


「晩を楽しみにしていてくださいね。私も、微力ながらお手伝いしてまいります」


 メイシアがそう言って一歩下がると、ルイフォンもすかさず「そういうことだ」と乗じた。


「それじゃ、またあとでな」


 さっとメイシアの肩を抱き、リュイセンの前を立ち去る。しつこく言っても押し問答になるだけだからだ。


 それに……。


 ――俺以外の奴に、あんないい笑顔を向けるな。


 見苦しい嫉妬だと分かっているが、それでも面白くないものは面白くないのであった。






 その後、ルイフォンは、厨房にメイシアを送っていった。


 先ほどまで顔色が悪かったのだから少し休んだらどうか、と勧めたのだが、申し訳なさそうに「ごめんなさい」と断られてしまった。彼女のことだ。料理長が大変というよりも、リュイセンの帰還を積極的に祝いたいという、優しい気持ちからの行動なのだろう。


「ルイフォン、さっきはありがとう」


 もうすぐ厨房に着くというところで、不意にメイシアが言った。


「さっき?」


「会議のとき。私が王族フェイラの血を引いているから何かあるという話になったときに、そのっ……抱き寄せてくれて」


 さぁっと耳まで赤く染めながら、顔を隠すようにうつむき、「心強かったし、何より嬉しかったの」と、彼女は告げる。


「あ……。いや、あれは俺の無意識だ。たぶん、王族フェイラがどうのとかで、お前を遠い存在にされるのが嫌で……お前は俺のところに居ろと……」


 だんだん、情けないことを言っているような気がしてきて、尻つぼみになっていく。けれど、メイシアは下を向いたまま「ありがとう。嬉しい」と小さく呟いた。


「メイシア?」


 泣いているのだろうか。そんな気配がする。


 何故? と彼が首をかしげたとき、彼女の細い声が返ってきた。


「……ルイフォン。私は、もと貴族シャトーアで、王族フェイラの血も引いている。それは事実だけれど、でも今は――」


 思い切って、というふうに、メイシアは、ぱっと弾けるように顔を上げた。


 長い黒絹の髪が、軽やかに舞う。潤んだ黒曜石の瞳が、薄暗い廊下のわずかな光をかき集め、きらきらと輝きを放つ。それは涙から成る煌めきであるのに、美しくも可愛らしい彼女の顔は、幸せそうに笑っていた。


「私は何者でもなく、ただの『メイシア』で――ルイフォンのそばに居る者なの」


「メイシア……」


「怖いと思う。何が起きているのかすら分からないのが、凄く不安……。でも、ルイフォンが居る。だから、大丈夫」


 そう言いながらも、彼女の肩は小刻みに震えていた。


 ルイフォンはメイシアの背に手を回し、自分の胸元に引き寄せようとした。しかし、それよりも早く、彼女のほうから飛び込んできた。


「私、ルイフォンが好き……」


 心臓の上に、彼女の熱い吐息を感じた。


 驚くと同時に、どうしようもないほどの幸せが襲ってくる。


 現状が曇天なんて、とんでもない。彼女が居る――それだけで、彼の世界は、どこまでも蒼天が広がっていく。


「ご、ごめんなさい。いきなり……」


 我に返って体を離そうとするメイシアを、ルイフォンはぐっと抱きしめた。


 彼女の鼓動が、ひときわ強く高鳴る。触れ合った体から、その振動が直接、伝わってくる。


「俺も、メイシアが好きだよ」


 彼女をしっかりと包み込み、黒髪をくしゃりと撫でた。それから彼が、ほんの少し腕の力を緩めると、彼女は自然に上を向く。


 目と目が合う。


 どちらからともなく再び寄り添い、ふたりは唇を合わせた。






 メイシアを厨房に送り、自室に戻る途中で、ルイフォンはふと、リュイセンの様子を見てこようと思い立った。


 執務室の前で別れたときの兄貴分は、だいぶ参っているようだった。会議では〈ムスカ〉についての詳しい話も聞けなかったし、部屋に寄って話をしてこよう、と。


 ……メイシアの笑顔は自分だけのものだと、醜い嫉妬をいだいたことは、先ほどの彼女とのやり取りによってすっかり忘れていた。


 しかし――。


「!?」


 リュイセンの部屋の扉が開かなかった。いつも通りに「ちょっと、いいか?」と言いながら取っ手をひねろうとしたら、回らなかったのだ。


 ――鍵が掛かっている。


「……」


 気配に敏感なリュイセンのことだ。ルイフォンが部屋の前にいることには、気づいているだろう。それなのに出てこないということは――。


「ひとりきりになりたい、ってことか……」


 兄貴分の沈鬱は、思っていたよりも深刻なようだった。


 ルイフォンは諦めて、その場を離れる。肩を落として廊下を歩いていると、がたがたと音を立てて揺れる窓硝子が気になった。


 見れば、風にあおられた雨粒が打ち付けられ、傷跡のような筋を残しながら、窓を流れている。


「雨が降ってきたのか……」


 随分と大粒の雨だった。じきに本降りになるだろう。まもなく日が暮れることもあってか、空はすっかり真っ暗になっていた。


 窓の外の景色に、目が吸い寄せられていた。


 だから、なのか。


 それとも、もともと相手に気配がなかったからなのか。


「ルイフォン」


 つやめく低音に呼びかけられ、ルイフォンは飛び上がった。


「――!」


「そんなに驚くことはないだろう? まったく、お前は本当に武術はからきしだな」


「エルファン!?」


 次期総帥にして、異母兄。そして、母キリファが、死ぬまで外すことのなかったチョーカーの贈り主――。


「ルイフォン。どうして、リュイセンに会うのをやめた?」


「え?」


 間抜けに返してから、ルイフォンは気づく。


「……あとをつけていたのか」


「人聞きの悪い。お前が気づかなかっただけだ」


 からかうわけでなく、ただの事実だ、とばかりに冷たく言い放つ。こんなところが、冷酷といわれる所以ゆえんなのだろう。


「部屋に鍵が掛かっていたんだよ」


「ふむ」


「リュイセンは、ひとりになりたいみたいだ」


 それにしても、珍しい人が声を掛けてきたものだな、とルイフォンは思い、すぐに気づく。


「リュイセンのことで、俺に話があるのか?」


「まぁ、そんなところだ。……お前の仕事部屋に行っていいか?」


 ルイフォンの仕事部屋は、完全防音である。もともとは、機械音が外に漏れないように、との配慮からの構造なのだが、〈悪魔〉であることを隠していたイーレオを吊し上げた際には、密談の場として有効利用した。


 ――つまりエルファンは、人に聞かれたくないような話をしようとしている。


 ルイフォンの体は興奮に包まれ、猫の目が鋭く光った。


「ああ、構わねぇよ」


 そしてふたりは、速やかに場所を移動する。


 冷気で満たされた仕事部屋で、ルイフォンはエルファンと向き合った。


「それで? なんの話だ?」


 エルファンと秘密裏に話すのは初めてだ。そもそも、彼とふたりきりになること自体が、今まで、ほとんどなかったのではないだろうか。


 ちょっとした沈黙が緊張を帯び、空調の送風音がやけに大きく聞こえる。


「用件は二点。ひとつは、お前が言った通り、リュイセンのことだ」


 いきなりの核心に、ルイフォンは、ごくりと唾を呑んだ。


「あいつは、まだ何かを隠している」


「え……」


「お前がリュイセンの部屋に向かったから、それを聞き出してくれるかと期待したのだが……」


 しかし、ルイフォンは扉の前で引き返してしまった、ということらしい。


「『隠している』――か。なるほど。そう考えれば、確かに納得できるな」


 ルイフォンは癖のある前髪を掻き上げた。


 今のリュイセンは、彼らしくない。その違和感を、隠しごとからくる後ろめたさと解釈すれば、逆に、実にあの生真面目な兄貴分らしい態度といえた。


「そうだよな。親父がリュイセンの処罰を『〈ムスカ〉を討ち取れば文句はない』って決めたとき、いつものリュイセンなら嬉々として『お任せください』くらいは言ったはずだ。――でも、違った」


「ああ」


「そう言わなかったってことは、リュイセンは安請け合いできないだけの、具体的な情報を何か知っている。真面目なあいつは嘘をつくのが下手だから、大見栄を切ることができなかったんだ。――何故、隠すのかは分からないけどさ」


 兄弟分なのに水臭い。その思いが表に出てしまったのか、言葉の最後には溜め息が混じっていた。


 エルファンも、同意するように吐き捨てる。


「会議の場での報告も、父上に無理やり言わされただけだった」


「『メイシアの正体』のことか? それは、俺やメイシアに気遣ったんじゃねぇのか?」


「それなら、会議が始まる前にでも、父上のお耳だけには入れておくべきだった」


「あ……」


 言われてみれば、そうである。リュイセンが、鷹刀一族という組織の一員である以上、それは『義務』だ。


「リュイセンは、できれば何も言わずに済ませたかったのだ。けれど、メイシアの件だけは、お前に感づかれてやむを得ず……ということだろう」


 エルファンの眉間に深い皺が寄り、壮年ならではの渋い美貌が際立った。黒髪の中に混じった白い筋が、苦々しげに鈍く光る。


「ともかく、しばらくリュイセンの様子に注意してほしい。勿論、私も気に掛けておくが、お前が一番、リュイセンの身近な人間だろうからな」


「分かった」


 そう快諾したものの、回すことのできなかった取っ手の感触が、ルイフォンの心に深く突き刺さった。


「ルイフォン?」


「あ、ああ」


 知らずのうちに、自分の掌に視線を落としていた彼は、顔を上げ、そして息を呑む。


 エルファンの双眸が、静かにルイフォンを捕らえていた。憂いを帯びた眼差しで、けれど、包み込むような慈愛の色を含みながら……。


 氷と称される異母兄とは思えない表情だった。


「お前に話しておきたい用件の、もう一点は……メイシアのことだ」


「!」


「『王族フェイラの血を引く者が〈天使〉になれば、強い力を持つ。お前の母キリファからそう聞いた』――会議のとき、私はお前にそう言った」


 ルイフォンは黙って頷いた。『ああ』と言おうとしたのだが、かすれて声にならなかったのだ。


「普通の〈天使〉ならば、ほんの数回、羽を使えば死ぬ。けれど、キリファの体は持ちこたえた。疑問に思った〈悪魔〉の〈スコリピウス〉が、徹底的に調べた結果、彼女は王族フェイラの血を引いていることが分かったらしい」


「はぁ!?」


 思わず、素っ頓狂な叫びが出た。さっきは声も出せなかったのが嘘のようだ。


「母さんが王族フェイラの血統!? そんなこと、あるわけねぇだろ! だって母さんは場末の娼館の生まれ……。――あっ!」


「そうだ。キリファの母親は娼婦で、父親は誰とも知らない客の男。ならば、その父親が王族フェイラを先祖に持つ貴族シャトーアか、そういった貴族シャトーアの落し胤であったとしても、おかしくないということだ」


「……!」


 ルイフォンは絶句した。


 母が『特別』な〈天使〉だということは知っていた。だから、〈スコリピウス〉に厚遇され、学もつけてもらい、片腕として働いていたのだと。けれど、その原因が、まさか王族フェイラの血のためであったとは想像の域を超えている。


「羽との相性は、血統がものをいうらしい。キリファはそう言っていた。そして……」


 エルファンが言いよどんだ。氷の瞳がわずかに揺れる。


「……娘のセレイエには、キリファの半分しか適性がないそうだ」


「セレイエ……」


 ルイフォンの異父姉。


 エルファンにとっては、キリファとの間に生まれた、実の娘。


 おそらく――否、間違いなく、『デヴァイン・シンフォニア計画プログラム』を作った張本人。彼女の名前は、ただでさえ低い部屋の空気を凍てつくものに変えていく。


「一方、もと貴族シャトーアのメイシアは、濃い王族フェイラの血を引いている。〈天使〉の適性は充分にあるだろう」


 ルイフォンの体に、ぞくりと悪寒が走った。メイシアの背に〈天使〉の羽が生えているところを想像してしまったのだ。


 強く弱く、明暗を繰り返す白金の光をまとった彼女は、禁忌に触れそうなほどに神秘的で。しかし、美しい顔は熱に浮かされ、苦しげに沈んでいる……。


 刹那、ルイフォンは気づいた。


 メイシアは『セレイエの〈影〉』。


 そして、『最強の〈天使〉の器』。


 その意味するところは――。


 ルイフォンが、猫の目を大きく見開いてエルファンを見上げると、彼はゆっくりと頷いた。


「あくまでも、ひとつの推測だ」


 感情の色が綺麗に消し去られた顔で、静かに告げる。




「セレイエは、メイシアを『最強の〈天使〉』にして、その体を乗っ取ろうとしている」




 玲瓏とした声が、氷を砕いたかのように冷たく響き渡った。


「嘘だ……」


 信じたくない。


 けれど、ルイフォンの明晰な頭脳は知っている。


 メイシアは、貴族シャトーアという天上から、ルイフォンのいる地上へと、セレイエに導かれてやってきた。


 だから彼女には、必ず、何かしらの役割がある。


 ――『デヴァイン・シンフォニア計画プログラム』の核としての……。


「ルイフォン」


 エルファンが名を呼んだ。


 深く切なく、そして慈愛に満ちた眼差しで。


「お前は決して、最愛の者を理不尽に奪われたりするなよ」


 そう言って、彼はルイフォンの仕事部屋を出ていった。






 どのくらい時間が経っただろうか。


 ルイフォンは、何をするともなしに、仕事部屋でぼうっとしていた。考えなくてはいけないことが山ほどあるような気がするのに、頭が回らなかった。


 漫然と時を過ごしていただけだ。なのに、腹が減ってきた。


「昼のときは、空腹で目を覚ましたんだっけ……?」


 自分は、そんなに食い意地がはっていただろうか? ――などと思い、いやいや、昼食がサンドイッチだけの軽食だったから、すぐに腹が減ったのだ、と理性的な考察で自尊心を保つ。


 今晩はリュイセンが帰ってきたお祝いで、ご馳走だ。メイシアも、料理長の手伝いを張り切っていた。とても楽しみだ。


 ルイフォンは時計を確認した。いつもなら、そろそろ夕食だと、メイシアが呼びに来てくれる時間だった。


「呼ばれる前に行ったって、いいよな……?」


 無性に、メイシアに逢いたかった。食堂から、彼の部屋までの経路は幾つもあるが、彼女が使う道は決まっている。だから、すれ違うことはない。


 仕事部屋の扉を開けると、激しい雨音が聞こえた。やはり大雨になったようだ。


 防音壁のために今まで気づかなかったが、もう随分と前からこの天気だったらしい。初夏だというのに廊下はすっかり冷え切っており、水を含んだ空気で満たされている。空調で室温を下げた仕事部屋よりも、廊下のほうが寒いくらいだった。


 そして、彼の体が、完全に廊下に出たとき……。




 ――――!




 ルイフォンは硬直した。


 今、自分が目にしているものを理解できなかったのだ。


「リュイセン……?」


 そこにいるのは、確かに兄貴分だ。……そのはずだ。


 薄暗い電灯の光が背後からリュイセンを照らし、廊下にぼんやりとした大柄の影を落としていた。輝くばかりの黄金比の美貌は闇に沈み、幽鬼のように存在が薄い。けれども、硝子玉のような瞳だけは、いっぱいに見開かれ、ルイフォンを凝視していた。


 そして、その両手に抱きかかえているのは……。


「メイシア?」


 気を失っているのだろうか。彼女の腕は、まるで人形のように、だらりと垂れ下がっていた。両目は閉じられており、いつだって、ルイフォンに笑いかけてくれるはずの顔には生気がない。


「メイシア!? メイシア、どうした!?」


 ルイフォンが駆け寄ろうとすると、リュイセンが飛び退すさった。


 メイシアの頭が、がくりと後ろに反り返る。長い黒髪がさらさらと流れ落ち、無防備に晒された喉元が、暗がりの中でひときわ白く浮き立った。


「リュイセン!? どういうことだ!?」


 何が起きているのか、まるで分からない。


 動揺と、狼狽と、驚愕と、憤怒と……。さまざまな感情が渦を巻き、ひとつには定まらない。


 ただ、鼓動だけが激しく高鳴り、全身の血が一気に噴き上がった。


 リュイセンは両手で支えていたメイシアを、片手に――小脇に抱え直した。そして、空いた右手を腰元にやり……。


 ――刀を、抜き放った。


「――!?」


 闇の中で、銀光が煌めく。


 それに呼応するかのように、窓の外で雷光が閃いた。暗い天空を不吉な紫色に染め上げ、リュイセンの顔を照らし出す。


 悪鬼の形相が浮かび上がった。


 そして……。




 神速の――無言の一刀。




 血の匂いが広がった。


 それが自分の腹から流れ出ていることを承知しながら、ルイフォンは前へと突き進む。


 メイシアへと手を伸ばす。


 最愛の者へと……。


 しかし、無情なるリュイセンの刀のつかが、鳩尾みぞおちに深く叩き込まれた。


「ぐっ……、メイシア――!」


 地上に轟く雷鳴が、ルイフォンの叫びを掻き消す。


 指先が、彼女に触れる……その直前で、ルイフォンの体は廊下に崩れ落ちた。




 天から地へと、まばゆいいかずちが空を裂く。




 リュイセンは、部屋から持ってきていたシーツでメイシアを包み隠し、その場を立ち去った。






 雷雨の中、重要な極秘任務だと偽って、リュイセンは車庫を発った。


 リュイセンは、総帥の後継者。


 疑う者など誰もいなかった――。






~ 第六章 了 ~



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