di;vine+sin;fonia ~デヴァイン・シンフォニア~

『記憶の保存』と『肉体の再生』で死者は蘇り、仕組まれた出逢いが運命の輪環を廻す
月ノ瀬 静流
月ノ瀬 静流

3.闇夜の凶報-2

公開日時: 2023年10月13日(金) 22:22
更新日時: 2023年10月16日(月) 09:43
文字数:5,031

「盗み聞きをしていたことなら謝るわ。……でも、ふたりの邪魔をしたら悪いと思ったのよっ!」


 クーティエは、開き直って言い放った。白状したところによると、ずっと聞き耳を立てていたのだという。


 完全に気配を消していたらしく、ルイフォンは不覚にも、まったく気づかなかった。どうやら、気が向いたときに適当に鍛錬を行っているだけの彼よりも、たとえ六歳年下でも、日々の訓練をきちんとこなしているクーティエのほうが、よほど手練れといえそうだった。


 これから寝ようと思っていたのか、彼女は寝間着に着替えており、いつもは高く結い上げている髪は、まっすぐにおろされている。そのためか、心持ち大人びて見えるのだが、……しかし、中身は変わらず、元気娘クーティエだった。


「だって、夜中に『ハオリュウ!』って、大きな声が聞こえてきたら、気になっても仕方がないでしょ!」


 甲高い声が、耳をつんざく。


「すまん」


「ご、ごめんなさい」


 それほど『夜中』でもないのだが、確かに騒ぎ立てていた。非はこちらにある。ルイフォンとメイシアは口々に謝った。


 ただ、ハオリュウの名前に引き寄せられたのは、クーティエの側に事情があるだろう。


 彼女は、ハオリュウが好きなのだ。


 草薙家この家に厄介になるまで気づかなかったのが不思議なくらい、分かりやすく一直線ストレートに惚れ込んでいる。本人は隠しているつもりのようだが、明白すぎて可哀想なので、ルイフォンもメイシアも素知らぬふりをしているだけだ。


 いつだったか、クーティエは、ラベンダーの押し花のしおりを見せてくれた。ハオリュウが手ずから庭の花を摘んで、彼女に贈った花束から作ったのだという。本当は、色とりどりの花でいっぱいの大きな花束だったそうだが、うまく押し花にできたのが、このラベンダーだけだったのだと言い訳をしていた。


 続けて強引に見せられた写真には、ひと抱えもある花束に押しつぶされそうになりながらも、満面の笑顔を浮かべるクーティエが写っていた。貴族シャトーアの庭から摘んできたのだから、どうということはないだろうが、普通の家だったら花壇が丸坊主になっていたに違いない。


 比較的、淡い色合いの小さな花が多いのは、クーティエに対するハオリュウの印象イメージなのだろう。ルイフォンだったら、元気な向日葵ひまわりを一輪だけ摘んでくる。


 つまり、ハオリュウにとっても、クーティエは特別なのだ。


 そうでなければ、貴族シャトーアの当主が、わざわざ自らの手で、あれほどの数の花を摘んだりはしない。ましてや、ハオリュウは足が不自由なのだ。立ったり、しゃがんだりの繰り返しには、さぞ苦労したことだろう。


 そして、現在――。


 ハオリュウの一大事だと、すっ飛んできたクーティエは、ルイフォンとメイシアに、ぐいと詰め寄った。


 鬼気迫る顔に、ふたりとも無意識に体を引く。


「緋扇シュアンが逮捕されたんでしょ! このままなら、処刑されちゃうんでしょ! ハオリュウは、それをついさっき聞いて、今、ショックを受けているんでしょ!」


 クーティエは矢継ぎ早にまくし立てる。


 何故、彼女は、これほどまでに興奮しているのか。ルイフォンには、今ひとつ理解できずに戸惑う。


 確かに、ハオリュウのことは心配だが――否、だからこそ、今から情報収集に取り掛かろうとしているわけで、彼女に噛み付かれるいわれなどないはずだ。


「クーティエ、ちょっと落ち着け……」


 なだめようとした彼を、彼女は険しい目で、ぎろりと睨みつけた。


「なんで『明日』、どうにかしよう、なんて言うのよ! ハオリュウは『今』、恐怖と戦っているのよ!」


「……?」


「だったら『今』、彼を『ひとり』にしたら、駄目じゃない!」


 クーティエは拳を震わせて叫ぶ。


「ハオリュウは『今』、たった『ひとり』で、怖いに決まっているでしょ! 不安に押しつぶされそうになっているはずよ! なんで分かんないのよ!」


 細く澄んだ声が、耳を貫く。


 それはまるで、彼女が手にする直刀のように、まっすぐな想いだった。


 気圧けおされたように絶句するルイフォンの隣で、メイシアが呟く。


「クーティエの言う通りかもしれない……。さっきのハオリュウ……、心配……」


 刹那。


 クーティエがメイシアに駆け寄り、勢いよく頭を下げた。


「メイシア、お願い! 私、今すぐ、ハオリュウのところに行きたいの! だから、私を藤咲のお屋敷に入れてくれるように、ハオリュウに頼んで!」


「え…………」


 メイシアは声を詰まらせた。寝間着姿のクーティエの頭から足先までを見渡し、困ったように顔を曇らせる。


 今は、夜だ。まだ宵の口とはいえ、夜だ。クーティエのような少女こどもが出歩くような時間ではない。しかも、相手は矜持プライドの高いハオリュウだ。弱っているところなど、誰にも見せたくないであろう。――それが、心憎からず思っているクーティエならば、なおさらだ。


 ルイフォンには、メイシアの思考が手に取るように分かった。それは、そのまま表情に出ていたからではあるが、後ろ姿であったとしても読み取れた自信はある。


 そして、彼もまた、今からクーティエが藤咲家に行くことなど、現実的ではないと結論づけた。


 そのときだった。


「クーティエ、着替えておいで」


 不意に扉が開き、甘やかな響きと共に、すらりとした長身が現れた。


 この家のあるじであり、クーティエの父親のレイウェンである。後ろには、母親のシャンリーも控えており、どうやら騒ぎを聞きつけ、そろって、ここまでやってきたらしい。


「父上……?」


 戸惑いの表情で振り返った娘に、レイウェンは穏やかに告げる。


「今すぐ、ハオリュウさんのところに行ってあげなさい」


「――っ!? いいの!?」


 信じられないとばかりに目を見開き、クーティエは喜色を浮かべた。


 レイウェンは深々と頷き、「ただし」と、言い含めるように声を落とす。


「ハオリュウさんには内緒で押しかけるんだ。見栄っ張りで、意地っ張りなハオリュウさんは、正攻法では屋敷に入れてくれないだろうからね。――裏技を使うよ」


 優しげな声色で、まるでいたずらでも仕掛けるかのように、レイウェンは口角を上げる。『見栄っ張りで、意地っ張り』という、メイシアの口上を真似て言うあたり、彼らもずっと気配を消して、どこかで聞き耳を立てていたということだろう。


 クーティエは『何を言われたのか、理解できない』と大きく顔に書き、ぽかんと父を見上げた。そのまま、しばらく呆然としていたが、はっと顔色を変え、「裏技って、どういうこと!?」と、喰らいつく。


 そんな娘の肩を捕まえ、レイウェンは、彼女をルイフォンとメイシアのほうへと向かせた。そして柔らかに、けれど有無を言わせぬ迫力でもって、「まずは、きちんと非礼を詫びなさい」と諭す。


「ルイフォン、メイシアさん、夜分に失礼いたしました。不躾にお邪魔して申し訳ございません」


 娘の頭を下げさせつつ、自らも頭を下げ、レイウェンが謝罪する。それまで、唖然と状況を見守ってきたルイフォンは、突然のことに「あ、ああ……」と、なんとも冴えない返事しかできなかった。


「――ですが、クーティエの言う通り、今はハオリュウさんをひとりにすべきではありません。メイシアさんも、そう思われたでしょう?」


 あくまでも腰は低く、だのに強硬。レイウェンに水を向けられたメイシアは、促されるままに首肯する。


「ええ……。ですが、どうすれば……」


 口ごもるメイシアに、レイウェンは微笑んだ。そして、背後を振り返り、妻へ指示を出す。


「シャンリー、母上を呼んできてほしい。あと車は、私が行くとハオリュウさんが嫌がりそうだから、タオロンに運転を任せる。彼にも声を掛けてくれ。それから、メイシアさんは藤咲家に連絡を。ただし、ハオリュウさんではなくて……」






 身支度を整えたクーティエとユイランを乗せ、タオロンの運転する車は、漆黒の闇の中へ走り出した。


 押し切られる形でクーティエを見送ったルイフォンは、腑に落ちないながらも、作業に戻った。「君は引き続き、情報収集を頼む」と、レイウェンに丁寧に頭を下げられたためである。傲岸不遜な鷹刀一族特有の顔で下手したてに出られると、どうにも逆らえないルイフォンだった。






「おい、レイウェン」


 寝室に戻ったシャンリーは腰に手を当て、今の一幕を問答無用で取り仕切った夫に迫った。


「私は、これからファンルゥの添い寝に行く。万が一、夜中に目を覚ましたとき、そばにタオロンがいなかったら不安だろうからな。だから、その前に教えろ。――なんで、あんなに必死になって、クーティエをハオリュウのもとへ送り出した?」


「……シャンリー。俺が焦っていたこと、シャンリーには、ばれていた?」


「え?」


 レイウェンのまとう雰囲気が、先ほどまでと、がらりと変わっていた。


 美麗な顔は苦々しげに眉を寄せ、鷹刀一族特有の魅惑の低音は険を帯びている。焦りというよりも静かな憤りを感じ、シャンリーは狼狽した。


「祖父上みたいに、飄々とした調子のつもりだったんだけどな……。俺も、まだまだだ」


 ぽつりと落とされた声は悔しげで、シャンリーは「いや、そうじゃなくて……」と慌てて弁明する。


「イーレオ様のようだったかは、さておき、態度におかしなところはなかった。安心してくれ。……けど、どう考えたって、今の時間にクーティエを押しかけさせるなんて、普通じゃないだろ?」


「……まぁ、そうだよね」


 軽い苦笑と共に、レイウェンの表情が少しだけ和らぐ。しかし、声からは、彼ならではの甘やかさが消えたままであった。


「レイウェン……。――いったい、何を知っている?」


 問いかけながら、シャンリーは先刻の奇襲作戦裏技を思い返す。


 レイウェンの策は、特段、奇をてらうものではなかった。単にメイシアに、彼女が生きていることを知っている数少ない人間のひとり、藤咲家の執事に話をつけてもらっただけである。


 ユイランが同行したのは『藤咲家の許可証を持った、おかかえの仕立て屋が、明日の衣装のことで緊急に用事がある』という体裁を整えるためだ。少々、苦しい理由言い訳だが、使用人たちが疑問に思っても、これで一応の説明がつくというわけだ。


 そして、クーティエは『仕立て屋の助手』ということにした。かなり無理があるが、藤咲家の門衛は、レイウェンの警備会社からの派遣の者たちだ。クーティエとユイランを不審に思うことはない。


 しかし、招かれてもいないのに、『平民バイスア貴族シャトーアの屋敷に押しかける』。しかも、それが夜になってからとなれば、非常識にもほどがあるだろう。


 何より、当主ハオリュウが望んでいないのだ。


 だのに、クーティエを行かせるからには、何かしらの根拠があるはずだと、シャンリーは言っているのである。


「……っ」


 不自然に、レイウェンの頬が動いた。――奥歯を噛んだのだ。


 そして、歪んだ顔のまま、彼は重い口を開く。


「ハオリュウさんは今日、王宮に行ったんだ」


「王宮に?」


 シャンリーは、わずかに首をかしげた。おうむ返しの言葉は、『どうしてそんなことが分かるのだ?』という質問だ。


「ハオリュウさんにつけた護衛が、業務日誌で報告してきた。……依頼主の個人情報プライベートになるから、ルイフォンたちには言えなかったけどね」


「――なるほど」


「ハオリュウさんは、母上に仕立ててもらったばかりの服を着ていったそうだ。ならば、摂政殿下に呼ばれたと考えて間違いない。――そして、同じ日に緋扇さんが逮捕されたとなれば……」


「!」


 シャンリーは息を呑んだ。


 顔色を変え、かすれた声で呟く。


「シュアンの逮捕は、摂政からハオリュウへの脅迫メッセージ……!」


「おそらく」


「つまり、シュアンの命と引き換えに、ハオリュウは女王の婚約者になるように迫られている――ってことか」


 得心がいったと膝を打つシャンリーに、しかし、レイウェンは首を振る。


「いや、『婚約者になれ』というだけなら、王族フェイラ貴族シャトーアの身分の差だけで、ハオリュウさんには断ることはできないはずだ」


「え?」


「だから、婚約者それじゃない。ハオリュウさんは、『それ以上のこと』を要求されたんだ」


 凍りつくような冷たい声で、レイウェンは告げる。


 シャンリーは、まるで冷気に当てられたかのように、ぶるりと体を震わせた。そして、硬い声で尋ねる。


「――『それ以上のこと』って、なんだ?」


「それは分からない。でも、クーティエの言う通り、ハオリュウさんを孤独ひとりにしたら駄目だ。彼は見た目と違って、気性が激しい……暴走しかねないよ。今の彼は、非常に危うい状態だ。何しろ――」


 遠い王宮をめつけ、レイウェンの瞳が憎悪を帯びる。 


「ハオリュウさんの行動ひとつで、緋扇さんの運命が決まってしまうんだからね」



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