di;vine+sin;fonia ~デヴァイン・シンフォニア~

『記憶の保存』と『肉体の再生』で死者は蘇り、仕組まれた出逢いが運命の輪環を廻す
月ノ瀬 静流
月ノ瀬 静流

1.天上の星と地上の星-3

公開日時: 2020年10月25日(日) 22:22
更新日時: 2020年11月10日(火) 23:53
文字数:5,481

 ルイフォンとリュイセンが散策路の森を抜けると、星降る紺碧の空のふもとに瀟洒な屋敷が浮かび上がった。外灯に照らし出されたそれは、白亜の城を思わせる。


 高いフェンスを通して、青芝生の庭に蔓薔薇のアーチが垣間見えた。夜闇の中では、その色合いを確かめることはできないが、小ぶりで可愛らしい花々が今が盛りとばかりに華やいでいる。


 華美で派手好きな斑目一族の別荘にしては上品さが見え隠れするのは、もとは貴族シャトーアの持ち物だったのを買い取ったためだろう。広い庭に対して、建物は恥じらうように小ぢんまりとしていた。


 正面には、庭を一望できそうな、大きく張り出たバルコニーがあった。


 その手すりに体重をかけたような姿勢でたたずむ、大きな影。――外灯が壁を白く染め上げて光を返し、彼の刈り上げた短髪と意思の強そうな太い眉の陰影をくっきりと描き出していた。


 斑目タオロン……。


 ルイフォンとリュイセンは身を固くした。


 こちらは森を背にした暗がりであり、明るい向こう側からは見つけにくいはずである。


 だがタオロンの視線は、こちらに動いた。緊張の面持ちで、ふたりはじっとタオロンを見返す。


 彼我の距離は、一度会ったきりの相手なら、時刻が昼間でも見間違える――というくらいには開いている。


 しばらく――十秒は経っただろうか。


 ふと、タオロンが軽く頷いたように見えた。


 そして彼はきびすを返し、室内へと姿を消した。窓硝子に映る影が小さくなり、やがて部屋の電灯も消える。


「今の……どう思う?」


 ルイフォンは小声でリュイセンに尋ねた。


「普通の奴なら気のせいだと言えるが、奴に限っては俺たちに気づいただろう」


「……だよな」


 ――宣戦布告。


 ともかく、進まねばならない。


 キャンプ場からは、爆竹とオートバイの排気音、人の怒声が入り混じって聞こえていた。


 気配からして、応援の凶賊ダリジィンは予想以上の人数だったらしい。心配ではあるが、適当なところで逃走する約束だ。あとはキンタンたちを信じる。


 どちらからともなく、ふたりは目配せをしあった。


 庭の外灯は、明るめに設定されている。身を晒しながら高いフェンスを越えるよりも、正面突破。あらかじめ決めていた段取りで、ふたりは門へと走った。


「ああ、お前ら、どうしたんだ?」


 借り物の上着の効果か、ふたりを仲間と勘違いして声を掛けてきた門衛たちを、リュイセンが一撃で寝かせた。


 起きていたときと同じように、壁に寄りかからせて座らせる。これで、遠目には気絶しているようには見えないだろう。念のため、ミンウェイ特製の謎の薬を手早く打っておいた。これで数時間は目覚めないらしい。


 ふたりが門をくぐると、まるで出迎えてくれたかのように、春の夜風が蔓薔薇のアーチを抜けてきた。薔薇特有の芳醇な香りが、ふたりの肺を満たす。


 ルイフォンが親指を傾け、リュイセンに進路を示した。


 侵入者である彼らは、石畳に誘われるままに正面玄関から入るようなことはしない。ふたりは身を屈めながら、建物を回り込むように足早に進んだ。


 別荘の地図は、完璧にルイフォンの頭の中に入っている。だが見回りの凶賊ダリジィンの動きは予測できない。だから、外灯の揺らぎにすら注意を払う必要があった。


「キャンプ場に、鷹刀リュイセンが出たって?」


「ああ、さっき待機中の奴らが送り込まれたらしい」


 裏手に回ろうとしたとき、そんな会話が聞こえてきた。気配はふたりだ。


「夜番はかったるいと思っていたが、存外、俺たちラッキーだったな」


「だな。叩き起こされた上に、鷹刀リュイセンと戦えなんて、なぁ」


 凶賊ダリジィンたちが笑った。だが、その笑い声も途中で止まる。


 どさり、と彼らの体重が、重力加速度のままに青芝生を踏み潰した。


 白目をむく凶賊ダリジィンたちを、無表情にリュイセンが見下ろす。彩度の低い夜闇の中で、整いすぎた顔は無慈悲な機械人形のように見えた。


 ――俺の出番、ねぇな……。


 声には出さず、ルイフォンは内心で呟く。


 不意をく攻撃なら、ルイフォンにだってできる。しかし、リュイセンのほうが確実――適材適所ということで、ルイフォンは足元の凶賊ダリジィンに薬を打つ役に回った。






 建物の裏側。厨房の勝手口が、目指す侵入口だった。ここの警備は薄く、ルイフォンによって既に無効化されている監視カメラが一台あるきり――見かけだけは仰々しく、梁からぶら下がっていた。


 食糧を搬入するための大きな扉が見えると、ルイフォンは懐から一本の鍵を出した。この別荘のマスターキーである。


 あらゆる手段でこの建物の情報をかき集め、鍵の型番を調べ上げ、手に入れた。これさえあれば、メイシアの父が囚えられている部屋の扉も開けられる。


 今の時間なら料理人と鉢合わせることはないだろう。窓から光も漏れていない。


 ルイフォンは素早く鍵を回し、扉を開けた。


 調理台と思しき机や、その上に置かれている調味料の瓶が、扉から入ってきた外灯の明かりに影を伸ばす。


 ふたりは体を滑らせ、一瞬で潜入した。


 音を立てぬよう、扉が完全に閉じるまでは取っ手から手を離さない。そして、外と中が境界線で区切られると、厨房は、ほぼ闇の世界となった。


 リュイセンの手が、ルイフォンの服をちょいちょいと二度、引いた。


 ――待て、と言っていた。


 ルイフォンは、分かっていると、その手を軽く叩いて返す。


 目が慣れてくると、窓からの薄明かりでも、ぼんやりとあたりが見えてきた。申し訳程度の乏しい光量ではあるが、隣りにいるリュイセンの表情が読める。彼はルイフォンと同じく厳しい顔をしていた。


 彼らが扉を開けた瞬間、明らかな気配があった。まさか、そこから誰かが入ってくるなんて――そんな驚愕が伝わってきた。


 調理台の影に隠れているつもりらしい。


 リュイセンは、自分が行く、とルイフォンに目配せをし、その次の瞬間には跳んでいた。


「ひぃぁ!」


 可愛らしい、幼い声。


「いや、いやぁ!」


 リュイセンに首根っこを掴まれた小さな影が、じたばたと暴れていた。


 ルイフォンは、内ポケットに入れていた小型の懐中電灯を点けた。そこに、小さな女の子がいた。


 くりっとした丸い目に、ぴょんぴょんと跳ねた癖っ毛が愛らしい。年の頃は四、五歳といったところだろうか。


 リュイセンは彼女を捕まえたまま、途方に暮れたようにルイフォンを見た。


 侵入経路で遭遇した相手は、すべて気絶させる手はずになっている。だが、こんな小さな女の子に振るう拳を、彼は持っていなかった。それはルイフォンも同じことで、大人用に調合された薬を、この子に打つ気にはなれない。


「パ……、パパが悪いの!」


 怒られると思ったのか、女の子は涙目になりながら、リュイセンに訴えた。


「お野菜、全部食べたら、あとでチョコくれるって言ったのに! 『そんなこと言ってない』って言うの!」


 女の子は、脅えながらも顔を真っ赤にして怒っていた。そして、誰もいなくなった厨房でチョコレートを探すのは、自分の正当な権利だと主張した。――なんとも、可愛らしいことである。


 彼女は、ふたりのことを見回りの凶賊ダリジィンだと思っているようだった。ルイフォンは、ひとまず、ほっとした。侵入者だと騒がれたら、攻撃せざるを得なかった。


 ――いや、この子を人質に取るべきなのか……?


 かすかな疑問が、ルイフォンの頭をかすめる。だが、彼は首を振った。そんな卑怯者にはなりたくなかった。


 どうする? と目で尋ねてくるリュイセンに、ルイフォンは離してやれ、と視線を返す。


 すっかり持て余し気味のリュイセンよりも、自分のほうが適任だろう。――ルイフォンは女の子に近づくと、片膝を付いて目線を合わせた。


 彼がにこっと、人好きのする笑顔を作ると、彼女の丸い目が更にまん丸になる。


「パパとの約束ってのは、俺は知らねぇけどさ。こっそり忍び込んだのは、怒られると思ったからじゃねぇの?」


「うっ……」


「だったら、駄目だろ」


「でもぉ……」


「それに、夜中のお菓子は太るんだぜ? 俺の姪っ子も甘いものが大好きだけど、『夜は我慢!』って、いい子で我慢しているぞ」


 真顔で言うルイフォンに、リュイセンは思わず吹き出しそうになるのを必死にこらえた。ルイフォンが口にした『姪』とは、すなわちミンウェイのことだからだ。


「他の子のことなんか、知らないもん!」


「そりゃ悪かったな。けど、おデブなファンルゥより、今のファンルゥのほうが可愛いと思うよ」


 その瞬間、女の子は、ぱっと目を見開いた。


「ファンルゥの名前、覚えてくれたの!?」


「ああ。いい名前だな」


 さも当然、といったふうに、ルイフォンは大きく頷く。


 勿論、真っ赤な嘘である。事前調査の中の情報だ。


 自信はあったが、確信はなかった。ルイフォンは顔に出さずに胸をなでおろす。


「分かった、我慢する! ファンルゥ、いい子だもん!」


 今までの強情さを一転させ、ファンルゥはルイフォンに満面の笑顔を見せた。


「よし、それじゃ、いい子は寝る時間だ。部屋に帰れ。俺たちは見回りの仕事に戻らないとな」


 うまい具合いに話をまとめたと、ルイフォンとリュイセンは安堵した。多少、時間を食ったが、たいした問題ではないだろう。


 厨房の出口に向かおうとしたふたりに、ファンルウが「待って」と呼びかけた。


「お兄ちゃんたちに、凄いこと教えてあげる」


 にこにこと無邪気なファンルゥに、リュイセンが顔をひきつらせた。相手が子供なので、いきなり怒鳴りつけたりはしないが、苛立ちは隠せていない。


 そんな相棒をたしなめ、ルイフォンは「何かな?」と聞き返した。


「このお家の地下に、天使がいるの! ファンルゥ、探検して見つけたの」


「天使?」


「すごく綺麗なの。光がふわぁんって広がって……」


 小さな腕を一杯に広げ、目も口も大きくして、彼女は全身で驚きと感動を表す。


「お兄ちゃんたちに見せてあげる! こっち!」


「あ、おい!」


 いきなり走り出したファンルゥに、ルイフォンは手を伸ばす。だが、リュイセンに肩を掴まれた。


「子供の戯言に付き合っている場合じゃないだろ!」


「……ああ」


 ルイフォンだって、これ以上付き合うつもりはない。だが、この人懐っこい女の子の言葉の裏には、寂しさが見え隠れしている。


 廊下に出る扉を背に、ファンルゥが振り返って叫んだ。


「ファンルゥ、子供じゃないもん! ひとりで、おトイレだっていけるもん!」


「分かった、分かった。けど、大人は仕事の時間なんだ」


 噛み付くファンルゥを一瞥して、リュイセンは廊下に出る。


「ごめんな、ファンルゥ」


 ルイフォンがファンルゥの頭をくしゃりと撫でると、彼女は少しだけ驚き、次に気持ちよさそうな笑顔を浮かべた。……その瞬間、ルイフォンは、はっと気づき、自分の掌を見る。


 ――今のはもう、メイシア以外にやったらいけないよな……。


 おのれの無意識の行動を初めて自覚する。


 意外に独占欲が強いことが判明した最愛の少女を想い、彼は気まずげに頭を掻いた。


「また今度な」


 そう言って、ルイフォンもリュイセンに続く。


「あ、待ってよ、待ってよぉ」


 騒がしくされるのは望ましくないのだが、こっそりベッドを抜け出してきた彼女は、これ以上、追ってくることはできないだろう。


 ルイフォンは、場違いに可愛らしい、ファンルゥの声が木霊こだまする厨房をあとにした。






 夜間とはいえ、廊下の照明は充分に明るかった。


 ふたりは、少しだけ闇の多い階段室に入り込む。


 耳をそばだて、近くに足音がないのを確認してから、ひと息ついた。


「……お前、子供の扱い、上手いな……」


 どっと疲れが出たように、リュイセンがぼやいた。彼にとっては、一瞬のうちに凶賊ダリジィンを気絶させることよりも、先ほどのファンルゥとの会話のほうがよほどこたえたのである。


 実はリュイセンにはれっきとした年下の姪が――一族を抜けた兄に娘がいるのだが、否、だからこそ子供が苦手であった。


 そんなリュイセンに、ルイフォンが苦笑する。


「俺は、お前と違って下町育ちだからな」


 正確には、ルイフォンは情報屋の母、先代〈フェレース〉に与えられた、それなりの屋敷で生活していたのだが、下町を遊び場にしていた。そこで餓鬼大将だったこともある。


「……あの子が、『ファンルゥ』か」


 ルイフォンが呟く。リュイセンはわずかに瞬きをしたが、それ以上の反応を見せなかった。


 ――本当は、人質にすべきだったのかもしれない。


 そのほうが有利だったと、リュイセンも気づいているはずだ。けれど、それを口に出さないのは、その気がないからだ。


 ルイフォンは溜め息をつく。


 他にも気になることがあった。ファンルゥと、そして情報を得るために捕らえた、あの吊り目の凶賊ダリジィンも口にした『地下』――。


「ルイフォン、今は余計なことを考えるな」


 リュイセンが、ルイフォンの額を小突いた。揺らぎのない黄金比の美貌。口元は軽く結ばれ、目は先を見ている。


『頭がパンクしそうだが、やるべきことは分かっているから大丈夫だ』


 鷹刀一族の屋敷を出る前、リュイセンはそう言って笑った。


 これから敵対するであろう、〈ムスカ〉とタオロンの情報を一気に伝えられても、リュイセンは黙って聞いていた。ときどき眉を曇らせ、瞳を陰らせても、最後に言ったのは『分かった』のひとことだけだった。


「今は、あいつらの父親の救出が先決だろ」


 リュイセンが笑って、ルイフォンの肩を叩く。刀を握る、節くれだった力強さが、どん、と胸に響いた。


「……ああ、そうだな」


「なに、俺がいればすぐに終わる」


 普段、大言壮語を吐くタイプではないリュイセンが、そんなことを言う。その気遣いに「すまんな」と言いかけて、ルイフォンは、そんな辛気臭い言葉は無粋だと思い直す。


「――期待しているぞ」


「任せろ」


 リュイセンが胸を張り、肩までの黒髪がさらりと流れる。ふたりの目と目が合い、同時に、にっと笑った。


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