「あら、早かったわね。話は終わったの?」
「いや、それが……」
中に戻ると、エリカがすぐ気づいて声をかけてきた。
騒ぎについて、簡単に説明する。
「ふうん、そ。ま、こっちは終わったから」
「うむ。救難信号の件も重要だが、村の子供の安否だって大事な要件だからな」
好きに使うといい。そう言って、村長はすぐに空いている端末の一台を貸してくれた。そして、監視映像を確認したところ……。
「いる、な……」
「外、出てますね……」
そこにはハッキリと、門から外へ抜け出していく少女の姿が映し出されていた。辺りをキョロキョロと確認しながら、そろりそろりと忍び足で移動している。やはりミーシャは、外へ出ていってしまったようだ。
「やっぱり……! 早く探しに行かないと!!」
少年が必死に叫ぶ。もうその声音に、怒りの色は感じられない。妹のことが心配で心配でたまらないのだろう。
けれどそんな彼を、宥めるように遮る声があった。
「まぁ落ち着け。お前まで外に出すわけないだろう」
村長だ。鳶色の瞳で、今にも飛び出さんとする少年を射抜いている。それは恐怖で抑えつけるというよりは、大きな手のひらで撫でつけるような、穏やかな視線だった。気勢が削がれ、わずかに目が泳ぐ。
「でも……!」
しかしそれでも、少年は食い下がろうとした。
「……ふむ、そうだな」
村長の方も、彼の気持ちは十分理解しているのだろう。わずかに瞑目して、何かを計算し始めた。
「最後に周辺の掃討をおこなったのは――二十日ほど前だったか」
誰に言うでもなく、独りごちて、またすぐ沈黙する。その間、誰もが口を開かなかった。少年すら、逸る気持ちを抑えて、村長の言葉を待っている。アスターもまた、そんな彼らの様子を見守ることしかできずに居た。
そして。数秒が経過した後、村長はゆっくりと口を開いた。
「この短時間のうちにミーシャの足で行ける範囲はそう遠くないだろう。その範囲なら、ミレスと遭遇する可能性は限りなく低い。つまり、まだ生きている可能性のほうが圧倒的に高いといえる」
一つ一つ、彼は考えを整理していく。
「無論、掃除をしたのが少し前のことになるから奴らが徘徊している可能性は十分にある。可能なかぎり早く、ミーシャを保護する必要があるだろう」
「じゃあ……!」
「まあ、待て」
結論を焦る少年を、村長は落ち着かせる。
「これが平時であれば当然、今すぐにでも捜索隊を編成するところだ。だが……今は平時ではない」
それって……。アスターは思わず、声に出す。そんな彼の様子を、村長はちらりと視界におさめてすぐに外した。
「今は商隊の救援が最優先だ。そうでないと、今後の村の防衛体制に支障が出る。……従って、ミーシャの捜索は後回しだ」
無慈悲で、合理的な選択。
村を導く人間として必要な器量を、彼は確かに備えていた。
「村のためだ。もちろん、分かってくれるよな?」
諭すような声で村長が言う。
村のみんなのためには誰かが我慢しないといけない。たとえ少女一人の命に危険が迫っていたとしても、他の全員を守るために必要なものがそれで失われるなら、尊い犠牲とするしかない。
命は軽く、決して等価ではないのだ。
「分かってたまるもんか!!」
けれど。少年が再び声を荒げる。
「何が村のためだ! 武器なんて無くたって、どうせ奴らは壁を超えてきたりしないんだ! みんなで頑張れば、なんとかなるのに! どうしてミーシャが後回しにされなきゃならないんだよ!!」
大人たちと違って、少年には何かを諦めるなんてことは出来なかった。彼もまたミーシャと同じように、瞳の奥底に希望の光を宿しているからだ。正しさのために大切なものを見捨てるなんて、間違っていると信じているからだ。
「おい、傭兵の兄ちゃん!」
「……え? 僕?」
突然呼びかけられて、一瞬反応が遅れる。
「他に誰がいんだよ! あんた、村に雇われてるんだろ? ならオレの頼みも聞いてくれよ!! なあ、いいだろ!?」
真っ直ぐ見つめる視線。アスターは気圧され、たじろぐことしかできなかった。
「元はといえばあんたが悪いんだ! あんたが、あんたさえミーシャに外の話をしなければ……きっと外に出たいなんて……あんたさえ来なければ……う、ぅ……」
声が尻すぼみになっていく。湧き上がる情動で叫びだしたものの、言葉を口にするたびに考えてしまったのだ。今もなお、一人で危険な外界をさまよう妹のことを。彼女を見守るという仕事を果たせなかった自分の情けなさというものを。
「え、と……」
少年は懇願しながら崩れ落ち、泣きそうな顔で鼻水をみっともなく啜って、それでもなお、涙だけは流すまいと、必死に堪えていた。
一体どうすればいいだろう。この少年のために、自分に何が出来るのだろう。アスターは悩み、考える。
ふと、エリカの方に視線を向ける。別に助けを求めたかったわけではない。しかし彼女は視線を受けて、僅かに肩をすくめた。
「言っておくけど、私は動けないわよ。今の私はこの村に雇われた傭兵。現れるかどうかも分からないミレスを待つより、すでに現れたミレスを討伐するのが優先だわ」
エリカらしい、合理的な言葉だった。何も言い返す余地のない。村長を説得してどうこうするほうがまだ簡単に思える。
けれどどちらにせよ、自分自身のモノサシを持っている彼らを変えるには、薄っぺらな感情論では全く届かない。人を動かすには、もっと強烈で、徹底的で、何より合理的でなくては……。
(いや……そうじゃないでしょ)
そこまで考えたところで、アスターは自嘲的に笑った。
人を動かす? どうしてそんなおこがましい事を考えているんだ。
すぅ……と息を吸って、天井を見上げる。閉塞感のある、ごちゃごちゃとした配管が広がっていた。瞑目して、その向こう側に思いを馳せる。ゆっくりと考えをまとめながら、息を吐く。
「エリカさんは、一人で戦えるんだよね」
「ええ、何十、何百いたってね」
アスターの纏う雰囲気が変わった。その変化に目ざとく気づいたエリカは、にやりと笑いかけるように答える。
続けて、アスターは村長に問いかけた。
「村からは……人員を割けないんですよね」
「ああ、言ったろう。ミーシャのことは残念だが後回しにするしかない。あんたも外を旅してんなら、分かるだろう?」
分かりたくはない。
だが、そんなのはただのワガママでしか無いんだと、彼は故郷で嫌というほど味わっていた。
「ええ、分かります。でも――」
でも――だからこそ。だからこそ、子供のワガママを、誇るべき意志へと作り変える必要がある。
「本当に後回しにする理由にはならない。人手が足りないなら、外から連れてくればいいんだ」
「一体何を……」
一度言葉を飲み込んで、ぐるりと部屋を見渡す。堂々とした姿勢で立つ少女が、見定めるような視線を向けていた。
ごくり、喉を鳴らす。
「僕が、探しにいきます。……ミーシャちゃんを、一人で」
僅かにその場がどよめいた。アスターはその空気を振り切り、真っ直ぐに進み続ける。
「確かに僕はエリカさんのように戦えるわけじゃない。それは皆さんの想像通りです。けど――」
目を真っ赤にした少年のことをじっと見る。
こんな幼い子どもに諦めるなんてことを、まだ覚えてほしくはない。
大切な人を失うなんて経験を、まだ、してほしくない。
「僕だって、傭兵として皆さんに雇われた一人なんだ。村に訪れた危機にエリカさんと二人で分担して当たる。なんの不思議もないこと、でしょう?」
それに……と、アスターは不敵に笑う。
「第一僕はよそ者なんですよ? 仮に失敗して死んでしまったって、村にはなんのデメリットもない。そうでしょう?」
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