人形少女は誰が為に

命なき少女と旅する、死んだ世界。
にしだやと。
にしだやと。

観衆の消えた処刑場

公開日時: 2020年9月3日(木) 07:33
更新日時: 2020年9月4日(金) 12:02
文字数:4,268

「……どうして」


 やっとのことで絞り出せた言葉は、そのたった四文字だけであった。いや、意味のある言葉が出てきただけマシなのかもしれない。言葉にならない言葉を、嗚咽を、慟哭を。吐き出すだけの資格が、彼にはあったのだから。

 周囲の誰もが、彼にかける言葉を持ち合わせていなかった。彼の事情を察しつつ、だからこそ心中を察して声を失っていたのだ。

 遠くではまだ、爆発音のようなものが続いていた。ガス灯が割れ、火災が広がり始めていた。

 アスターがどんなに悲しみに暮れようと、事件はまだ終わっていない。彼の両親が地に伏せたところで、襲撃者は止まらないのだ。

 

「どうしてだか、知りたい?」


 しんしんと続く雨降りの夜を思わせる静けさ。その静寂を破ったのは、ナイフよりも冷たい言葉だった。

 

「……え?」


 ゆっくりと顔をあげる。そこには、誰も立っていなかった。文字通り、誰一人として。直前まで両親の死体を介抱しようとしていた男も、取り囲んでいたギャラリーの集団も、彼に状況を説明したあの不安げなおじさんも。誰一人として、この場に存在しなくなっていた。

 

「いいわよ、教えてあげる」


 そして聞こえた次の声。耳元で囁いているのだと脳が解釈するのと同時に、彼は自身が置かれた状況を理解した。

 首元に伝わる冷たい鉄の感触。少しでも身動きすればそれがなめらかに滑り、彼の首の皮を削ぎ落とす。地獄と化した大通りは、今や観衆のいない処刑場と化していた。

 

「全部あなたのためよ」


 突きつけられた言葉はアスターをますます混乱させた。

 自分のため? この状況が?

 

「父さんと母さんを……あんな風にしたのは……」


 君なのか。視線で尋ねる。

 

「あの人形もどきのこと?」

「人形……もどき?」


 背後の人物が、クスリと笑う気配がした。同時に、突きつけられていた刃物が離れていく。

 

「ああ、そういうこと。あなたはまだ何も知らないのね」


 呆れた、とでもいうように肩をすくめながら処刑人がアスターの正面に回りこみ、姿を現す。

 

「君は、あの時の……」

「ええ、さっきぶりかしらね?」


 目の前に立っていたのは、黒曜の髪を持つ少女。彼女自身が刃そのものだと言われてもおかしく無いような鋭いオーラを纏っている少女。アスターが待ち合わせに遅れる原因の一つでもある、あの路地裏の少女だった。

 

「一体君は……」

「ああ、質問は受け付けないわよ。どうせ今のあなたには死んでもらうことだし」


 首元に再び、冷やりとした感触。少女が右腕を上げ、手にした何かを突きつけていた。

 一拍遅れてその事実に気づき、視線だけを下ろして確認する。突きつけられていたのは、一本の剣……そう、剣だ。長くなだらかな反りのある片刃の剣。鈍く光を帯びたそれはわらよりもたやすく首を切り落としてしまいそうなほど鋭く、恐怖よりも先に美しいという感想を抱かせるほどであった。

 

「意外と肝は据わっているのね」


 特に表情を変えないまま、何かを見定めるように少女は呟く。

 

「目的は……一体なんの目的でこんなことを?」


 少しでも生きながらえようと、あるいは少しでも逃げるチャンスを作り出そうと、アスターは質問を捻り出す。

 

「言ったでしょう。あなたのためだって」

「僕の……?」

「あなたが生まれた意味を果たせるようにすること。それってつまり、あなたのためになることでしょう?」


 意味がわからなかった。わかるように説明してくれと頼みたかった。けれど彼女は、これ以上取り合ってくれないようだった。

 剣を突きつけた姿勢のまま、もう片方の手を懐に入れ、何かを取り出す。小さな箱だ。その表面を指だけで器用になぞると、奇妙な光を放ち始めた。あの光は……。

 

「あの時の光……」


 街角で見かけた不思議な光源だった。彼が追いかけついに見つけられなかった物は、彼女が持っていたのだ。

 

「ちっ……この程度じゃ動かないか。まったく、面倒な女ね」


 ぶつぶつと文句を言いながら箱をしまう。どうやら思い通りに事態が運んでいないようだ。ほんのわずかに、剣の切っ先が首元から離れる。

 ――チャンスだ。

 アスターはそう思い、地面を蹴ろうとする。けどそれは、誤りだった。

 

「仕方ないわね。一回殺してみるとしましょう。さすがにそこまですれば動くでしょう」


 明確な殺意。動かそうとした身体が、半ば強制的に硬直する。

 ――殺される。

 アスターにはもう、祈ることしかできなかった。目をぎゅっと瞑り、運命の変わる瞬間だけをただじっと待つことしか……。

 

 一秒、二秒、三秒。

 永遠よりも長い時間が過ぎていく。

 けれど待てども、いくら待てども、来たるべき運命の瞬間は訪れなかった。

 

「……?」


 どうなっているんだろう。自分は、無力なままに死んでいくんじゃなかったのか。両親と同じ場所へ、送ってもらえるんじゃなかったのか。

 不審に思ったアスターは、恐る恐る瞼を持ち上げる。するとそこには……。

 

「ようやくお出ましね。遅かったじゃない、管理者様

「はて。待ち合わせをしていた記録はございませんが」

「ふん、こっちの都合よ」


 アスターの首を斬り落とすはずだった刃を素手で掴み、少女を抑え込む女性がいた。夕陽に映えそうな美しいブロンドの長髪をはらりと揺らす、美しいこの後ろ姿は――。

 

(あのときの人……?)


「アスターさん、ご無事ですか?」


 剣を突きつける少女を視界に捉えたまま、振り向かずに尋ねる女性。

 その声は凛と優しく、アスターは心臓をバクつかせながらも、安心感を覚えていた。

 

「え、えっと、はい。一体あなたは……」

「話はあとにしましょう。まずはこの賊をなんとかします。アスターさんは安全なところまで下がっていてください」

「は、はい」


 何が何やら分からないが、とにかく運命は変わったようだ。まだ火の手の回っていない安全な場所まで下がって、二人のやり取りを見守る。

 

「それで? まさかあなたに私をどうにかできるとでも?」

「倒せるとなどと思い上がっているつもりはありませんよ。あなたはどうやら戦闘に特化した能力をお持ちのようです」

「ふん、分析能力は確かみたいね? ……それに、少なくともノーマルではないよう……ねっ!!」


 言いながら、ブロンドの女性は掴んでいた剣に力を込め、そのままパキンと半分に折ってしまった。とっさに、少女の方は剣を捨てて後方に数メートル飛び退く。

 

「通常のネーヴァにこの世界の管理が務まるとでも?」

 

 先程まで余裕の表情だった少女が、わずかに警戒の色を浮かべる。

 

「殺してしまえばどっちだって関係のないことだ……わっ!!」


 次の瞬間、少女の姿がふっと消えた。遅れて、アスターの耳に「タンッ!」という小気味良い音が飛び込んでくる。さらに一拍遅れて、金属のぶつかり合う甲高い音。

 

「へえ、やるじゃない」

「あなたは思ったよりも大したことないみたいですね」


 気づけば、少女は女性に肉薄していた。その手には先程捨てたはずの、真新しい剣。受け止めるは、半分になった刀身。二つの刃が重なり合い、火花を散らす。

 

「そいつはどう……もっ!!」


 互いに煽り合うような舌戦の果て、少女は強引に押し切ろうと腕に力を込める。わずかに女性の体が沈み、拮抗が崩れかける。

 単純な力比べでは少女に軍配が上がる――アスターの目にもそのことがはっきりと見て取れた。しかし同時に、戦いとはただそれだけの要素だけで決まるものじゃない、ということもすぐに理解できた。

 

「ッ!!」


 女性がふっと力を抜く。押し込まれて膝をつく直前のことだ。するとどうなるか。過剰になった力が勢いという形に変化して、少女を飲み込まんとする。まるで地面に引きずり込む大蛇の牙のごとく、少女のバランスを崩す力となる。

 それは、加減を誤れば、自殺行為にしかならない試みだった。けれど彼女は決して間違えない。相手の力をいなすだけの絶妙な脱力で、少女の姿勢を逆に崩しにかかる。

 

 狙いに気づいた少女が、一瞬慌てたように目を見開いた。

 だけど、もう遅い。少なくともアスターにはそう思えた。あのタイミングで気づいても、ついた勢いは殺しきれない――。

 

 けれど次の瞬間。

 彼の視界に飛び込んできたのは、予測し得ない光景だった。

 

「……加速アクセル


 小さな声で、少女が呟いた。誰の耳にも聞こえない程度の、自己暗示をかけるためだけの声。

 直後、勢いよく前に倒れそうになった少女の体が、さらに勢いづいた。不自然なまでに、倒れかけたコマが再び息を吹き返すように。勢いを殺すのではなく、少女は更に加速する。

 急激な加速度を得た少女は左足を軸足として、自らの全身を一回転させるよう、体を捻った。生み出された遠心力に引っ張られるように、右手に持った直刀が美しい弧を描き上空へと跳ね上がる。回転するエネルギーをそのまま落下のエネルギーへと変換して、黒髪を踊らせる少女がブロンドの女性に襲いかかる……!

 

「……ッ!!」


 少女の表情にもはや余裕なんて言葉は似合わない。ただ確実に目の前の相手を殺す。自分の力を利用しようとする相手の狙いすら自身の技と為し、完膚なきまでに叩きのめす。絶対的な自信と絶対的な戦闘センスからくる、予断のない必殺の一撃。

 一瞬の攻防の果て、彼女は勝者になることを確信していた。

 

 ――だが。

 

「やっと、捉えました


 目まぐるしい戦闘には似つかわしくない、静かな――とても静かな声が、辺りを支配する。

 時が、止まった。

 そうとしか表現し得なかった。音は止み、火の粉に照らされ赤く染まっていた風景は色褪せ、月すらも切り落とさんとする剣舞を演じていた少女は空中でその動きを止めていた。

 

「こ、れ、は……ッ!!」


 勝利を確信していた少女の表情が、わずかに歪む。してやられたと、目の前の女性を睨みつける。

 対する女性は手にしていた刀身をぽいと捨て、ゆっくりと立ち上がった。衣服についた埃を優雅な所作で払い、小さく息を吐く。

 

「ええ、お察しの通り。ここは私が管理する世界。本体を見つけるのに苦労しましたが……あなたが能力を使ってくれたおかげで無事、捉えることができました」

「謀ったわ、ね……ッ!」

「ええ、謀らせていただきました」


 にこりと笑いかける女性。おもむろに、手をかざす。

 

「それでは、侵入者には一時退散していただくことにしましょう」


 彼女が腕を振るうと、少女の周囲の空間が歪み始めた。夜の闇がその濃さを増し、繭となって敗者を包み込む。

 

「またす、ぐ、に………迎えに、い、く……わ……ッ!!」


 少女を完全に捕らえた真黒い檻は彼女を空間ごと押しつぶすように、どんどん小さくなっていく。そしてそのたび、断末魔の言葉が遠ざかっていく。

 

「いいえ、もう来なくて結構ですよ」


 そして。少女の声は聞こえなくなった。

 


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