「傭兵、かあ」
夜。村長が用意してくれた小屋でくつろぎながら、今日の話を思い出す。
『村一番の戦士が負傷しちまってな。ちょいと心許ないのさ』
武器の貯蔵も怪しいしな、と村長は笑っていた。
その態度が虚勢によるものなのか、あるいは本当に楽観的なだけなのかは推し量りようがない。けれど少なくとも彼らが困っているということだけは本当のように思えた。
「エリカさんはどう思う?」
「ま、よくある話ね。受けるかどうかはあなたの判断に任せるわ」
よくある話、か――。
アスターは考える。死や危険が隣り合わせの日常にいるというのに、なぜ彼らは笑っていられるのだろう。その理由が、知りたいような気がしていた。
「まあでも、そうね」
悩むそぶりを見せるアスターに、エリカは声をかける。
「少なくとも、私たちにとってこの依頼は何のメリットもないものね。見たところ大して報酬を用意できるわけでもないようだし、あなたの旅の目的を考えれば、無視したっていいと思うわ」
「……うん、うん。そうだね」
エリカの言うことはもっともだ。受けるメリットがない。いくらか報酬がもらえるにしても、もっと割のいいやり方があるはずだ。
それに、結局この依頼を受けるということはエリカに全てを任せるということに他ならない。それはなんだか、なんだか分からないが凄く嫌だった。
だから、アスターは、一度大きく呼吸をして。
「……断るよ」
そう、決心した。
◇
――翌日。
「いたた……」
「軟弱な体ね」
車の椅子が彼のお尻をいじめ抜いたように、この村の寝台もまた、眠る彼の身体を決して労ってはくれなかった。
「こんな環境で普通に眠れるなんてみんなおかしいよ……ベッドはふかふかじゃなきゃ……」
「そう思うんなら綿でも羽毛でも量産できるような豊かな世界にさっさとすることね」
「いやでも……無いなら無いでまだやりようが……例えばアレを薄く加工して……」
ぶつくさ言いながら小屋を出るアスター。エリカはそんな彼の様子を呆れた様子で見つめていた。
朝になってもリジーマの村は相変わらず閑散としていた。新しい一日の訪れを告げる鳥たちの可愛らしい鳴き声はどこからも聞こえないし、時折吹き抜ける風からも爽やかな心地は一切感じられない。
ただ一つ違うとすれば、僅かではあるが人々の営みの音色が響いてくることだろうか。硬い土にクワを入れる音。ひそひそ声で語らう女たちの噂話。限られた水を分かち合い洗濯をする子供たちの懸命な吐息。遠くから聞こえる、規則的な金属音。
昨日到着した時には気付けなかった命の鼓動が、確かにここには根付いていた。
「みんな、一生懸命生きてるんだね」
「人間だもの、当然だわ」
人間は思っているよりもずっと強い。その言葉の意味の片鱗が、今ようやくアスターにも分かったような気がした。
不毛の地でも命を育む術がある。諦めない限り、未来はずっと続いていく。
その形が本当に幸せかどうかに関わらず、人は生きている限り、生き続けたいと願うのだ。
「でも……子供たちにはせめて、楽しく過ごしてほしいな」
見つめる先では、アスターよりもずっと小さな子供たちが自分たちに出来る仕事に取り組んでいた。母親たちは身重であったり、あるいはもっと幼い赤子の世話で手一杯だから、彼女たちの代わりに生活を支えているのだろう。
「そんな余裕なんてないわよ」
「分かってる、けど」
「……ま、別にいいけど」
最後に残った言葉は、まるで何かを見透かしたような口調だった。
さらにしばらく歩いていると、アスターたちの元に駆け寄ってくる姿があった。
「ねぇねぇ、お兄ちゃんたち! お外からやってきたの?」
二人組の幼い子供達だった。
声をかけてきたのは女の子。まだ仕事をするにはとても小さな手をしていて、ボロボロの服には似合わない透き通った瞳をした子供だった。
「えっと……うん、そうだよ」
突然のことに目を見開きながら、すぐに切り替えてアスターは膝を曲げる。小さな子供の相手をするのは彼にとって慣れたもので、自然と、優しい笑みが溢れでていた。
「へー、すごいなーっ! ねえねえ、お外にはこわーいばけものがいるってホントー?」
「こわーいバケモノ……ミレスのことかな? それなら、うん、ホントだよ」
「わー、わーっ! じゃあじゃあ、ずーっとずーっと遠くにはみんながおなかいーっぱいになれて、まいにちふかふかになれるばしょがあるって、ホントー?」
無邪気な言葉に、アスターは思わずエリカの方を見てしまう。
それはきっと、大人たちが未来ある子供達に夢を見せるために語った、お伽話なのだろう。
しかし見上げた先の彼女は、僅かに首を振ったような、あるいは退屈な話とでも言いたげな表情をしていた。エリカにだって、人と人との機微を察することはできる。けれど本質的に、機械人形は現実主義者にしかなり得ない。彼女は眠らないし、電気羊の夢すら見ないのだ。
「……うん、ホントだよ。お兄ちゃんたちはそれを探してずっと旅をしてるんだ」
エリカが口を開こうとするのを遮って、アスターはそう言った。
決して嘘ではない。夢物語でも決してない。だが、夢のある言葉だった。
「わーっ、わーっ、すごい、すごい! やっぱりボゾン兄ぃたちが言ってたのはホントなんだっ!! いいな、いいなー」
「おい、ミーシャ、そろそろ行くぞっ。お兄ちゃんたちにもやることがあるんだっ」
少女が無邪気にはしゃいでいると、半歩後ろで彼女を見守っていた男の子が初めて口を開いた。
女の子よりも少しだけ年齢が高いように見えるから、きっとミーシャと呼ばれたこの子のお守りを任されてるのだろう。
そう思って、アスターは彼に向かって微笑みかけた。だが。
「……っ!!」
無言で睨みつける少年。彼の方はどうやら、よそ者であるアスターのことをあまり好く思っていないらしい。
「私たちもいきましょ」
「う、うん」
「それじゃ、お兄ちゃんたち、またねーっ!!」
結局最後まで、少年の方は挨拶すら残すことはなかった。
◇
「おう、来たか」
村長の家では彼の他にもう一人、男が壁際に腰掛けていた。腕を組み、瞑目してじっとしているだけだというのに、ボゾンたちとは決定的に違う何かを纏っているように思えた。
「お待たせしてしまいましたか?」
「いや、問題ない。それで、依頼の話だが?」
「ことわ――」
断ることにしたわ。エリカが先走り、そう口にしかけた。さっさと話を終わらせてしまいたい、そんな思考が透けてみえた。
けれど、アスターはそれを手で遮った。
実際に仕事をするのは彼女だとしても、判断するのが自分である以上、自分がきちんと言葉にせねばと思っていたのだ。
「こほん……そのことですが」
一度言葉を区切って、一呼吸する。
村長は口を閉じ、アスターの言葉をじっと待っていた。
だから彼の方もその気持ちに甘えることにして、ほんの一瞬、今朝見たいくつもの光景を思い起こしていく。
いずれも、今の自分には無関係なものだった。あるいは、彼らの苦しみを無視した方が、結果的に幸せにできる日が近づくだろうという確信があった。
けれど――幼いミーシャの、あの夢見ることを決して忘れていない星のような瞳を知ってからというもの――アスターには、それら一つ一つの光景が、決して手放してはならない愛おしい日常に思えて仕方なかったのだ。
だから――。
「引き受けることにしました。その、僕たちに何が出来るかわかりませんけど」
「……」
予定とは違う言葉に、エリカは一瞬胡乱げな目を見せた。だが結局、それ以降口を挟むことはなかった。
「そうか……俺ぁてっきりお前さんらが断ると思ってたんだがな」
張り詰めた表情をしていた村長にとっても、その答えは予想外だったらしい。
驚いたと言うよりは、肩透かしを喰らって困惑している、といった様子だ。
「最初は、そのつもりだったんですけどね」
けれどアスターがそう言うと、察するものがあったらしい。ほんの少し笑って、そうかい、とだけ呟いた。
そこでようやく、アスターの方も肩の力が抜けていくのを感じた。旅そのものは停滞する事になるが、一歩だけ、前進できた気がしたのだ。
「あぁ、言い忘れてたがそこの壁で仏頂面してんのがウチのとっておき、ヒッグズだ。ま、今は見ての通り故障してるけどな」
「……ふ、よろしく」
「気取ってるが、ありゃ戦い以外に脳がないただのバカだからな。そう気構えなくていいぞ」
「そ、そうですか」
紹介されたヒッグズは、確かによく見てみれば片足がなかった。
「ん、あぁ、ヒッグズの身体の六割は義体化してるんだよ。右足が外れてるのは修理するためのパーツが届いてないからなんだ。他の部位もガタがきてるもんでな、今はまともに戦えん」
怪我のわりに深刻そうではないのはそういう理由からなのか、とアスターは納得した。そして同時に、義体化という技術に対する知的好奇心がふつふつと湧き出るのも自覚した。
「えっと、それで僕たちはどうすれば……」
「ん? ああ、そうだな。基本的には昨日あてがった家で適当に待機しててくれれば構わんよ。何かあったときに対応してくれればそれでいい。三日後にメフッタからパーツが届く手筈になってるから……ま、それ次第だな」
何がそれ次第なのだろう。アスターは頷きながらも、特に仕事がないのに傭兵を依頼してくる彼の考えが分かっていなかった。
しかし、三日後――。
部屋に飛び込んできたボゾンの叫び声で、その意味を知ることになる。
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