長いエレベーターシャフトを抜けた先の世界は灰に染まっていた。
日の光はまともに届かず、乾いた大地が果てまで続いている。草木はおろか、動物たちの鳴く声も、虫のささやきも、何もかもが感じられない。
アスターが想像していた以上に、世界は終わっていた。
「これが……本当の世界」
「こんなもんじゃないわよ」
隣に立つ少女がぶっきらぼうに吐き捨てる。さんざん見てきたこの世界のことを、あまり好く思っていないのだろう。
「こんなもんじゃないって……」
果たして本当にこんな環境で人が生きていけるのだろうか。
アストロが生涯をかけて繋ぎ留め、リリィが千年紡ぎ続けた未来への経糸は、既に途絶えてしまっているのではないだろうか。
「そんな不安そうな目で見ないでくれるかしら」
「でも……」
はぁ、と小さなため息。
「初めっからそんな弱気になってどうすんのよ。まったく……こんなのに助けられたなんて、信じられないわ」
「なんか……ごめん」
アスターが謝るとエリカは首を振った。
言葉とは裏腹に、彼女はさしてうんざりしているわけでもないようだ。むしろ、落ち込む少年を励まそうという気持ちに近いのかもしれない。
「別に、謝んなくたっていいわよ。ヒトが弱っちいのは今に始まったことじゃないし」
それにね、と彼女は続ける。
「彼らは強いわよ。少なくとも、あなたが思っているよりかはね」
僅かに熱のこもった言葉。引き寄せられるようにアスターが顔を上げると、彼女はツンとそっぽを向いていた。
「近くに村があるはずだわ。まずはそこへ行きましょう」
けれどわずかに覗けた瞳は力強く、真っ直ぐ前を向いていて。
たとえ大地に太陽の光が降り注がずとも、少年を導き照らす月光の輝きが、ここにはあったのだ。
◇
「ねえ……ひとつ、聞いてもいいかな」
エリカの案内に従って歩き始めてどれくらいの時間が経っただろうか。
アスターはふと尋ねる。
「なにかしら」
歩みを止めず、前を向いたままエリカは聞き返す。
ここまで無言で歩き続けていたが、会話が嫌いというわけではなさそうだ。
「歩き始めてからどれくらい時間経った?」
「そうね……休憩時間を除けば八時間と七分経過しているわ。いえ、今ちょうど八分になったわね」
八時間と八分。
人間の感覚で言えば、それなりに長い時間だ。
その間ずっと移動し続けている、ともなれば尚の事である。
またしばらく、二人は無言で歩き続けた。
相変わらず空は暗く、生物の息遣いはどこにも感じられない。見渡す限りの、不毛の大地。
「もうひとつ聞きたいんだけど、さ」
ぼんやり空を見上げながら、アスターは再び口を開いた。
「質問は一つじゃなかったのかしら……まあ構わないけれど」
退屈してるのかしら、とでも思っていそうな口ぶりだった。
実際、アスターは退屈していた。けれど、尋ねたのはそういう理由からじゃない。
「……近くに村があるんじゃなかったの?」
「……」
「……」
「……あるわよ?」
僅かな沈黙。それこそが答えだった。
アスターはただ、ため息をついた。
「いえ、本当に近い……と思うわ。ええ。私の感覚でだけど」
「一体どういう感覚してるのさ……」
呆れながら聞いてみると、エリカは「そうね……」と考える素振りをする。
機械人形である彼女が、一体何を考え込む必要があるというのだろう。
そんなことを思っているうち、アスターはふと、ネーヴァという存在について興味が湧いてきた。
リリィから受け継いだ記憶の中にもある程度の知識はあったが、それが全てではないのだろう、という気もしていた。
だから、彼は聞いてみることにした。腕を組み顎に指を添えながら歩く、ネーヴァの少女に。
「ねえ」
「なにかしら。さっきの質問の答えならまだ考え中よ。なにせ感覚、だなんて言語化したことのないものだから」
「そんなこと考えてたの?」
てっきり村までの距離を計算してるんだと思っていた。
「あなたが聞いたんじゃない」
「……そうだね。そんなことよりも、さ」
アスターが言うと、エリカは少しだけ不服そうな表情で見つめてきた。
面倒だったので、無視を決め込む。
「ちょっと別のことで聞いてみたいことがあるんだけど」
「……」
心底つまらなそうな瞳だ。
案外、ネーヴァっていうのも人間味があるのかもしれない。
なんて風にも思ったが、彼女の場合は少しだけ違うようだった。
「私はね、したくないことが一つだけあるのよ」
アスターが続きを言わないことをいいことに、自分語りを始めるエリカ。
あんまり唐突なことだったので、彼はついそれを許してしまった。
「それはね、無駄なこと。非効率的なこと。例えばそうね、せっかく演算リソースを割いて考えたのに、それを『たかがそんなこと』と一蹴されるようなこと、とかね」
「……なんか、ごめん」
「なんであなたが謝るのかしら? 私に対して何か後ろめたいことでもあるっていうの?」
何も言い返す言葉が思いつかなかった。これ以上何かを聞く、なんてことが出来るはずもなかった。
だから代わりに、アスターは何も言わずにもう一度、空を見上げることにした。
相変わらずどんよりとした曇り空が広がっているだけで、時間も何もあったもんじゃなかったが、しかし、怒りを隠そうともしない少女を見たあとでは、不思議と暗さを感じなかった。
◇
「そろそろ夜ね。この辺りで野営しましょう」
「え、夜?」
彼女の機嫌を伺いながら静かに歩いていると、突然エリカが立ち止まった。
思わず、空を見上げる。特に代わり映えのない、昼間と同じ空だった。
「あと半刻もすれば何も見えなくなるわよ。私は困らないけど……あなたの目は別に光ったりしないでしょう?」
「……は? 目?」
「冗談に決まってるでしょう。ほら、ぼーっとしてないでさっさと準備するわよ」
寝る必要があるのはあなただけなんだから――そうつけ足しながら、エリカは近くの岩場に近づき、おもむろにカタナを取り出した。
そして、
「うん、これなんかいいわね」
とつぶやいたかと思いきや、鞘を払って数度、一瞬で斬り結んだ。
一体何事……アスターがそう思ったのも束の間。次の瞬間には人ひとり分の小さな洞窟を抱えた小山と、野営で使うには申し分のない、岩で出来たテーブルセットが現れていた。
「……僕、エリカさんと一緒に旅をすることにして良かったって今改めて思ったよ」
「そう?」
きっと一人で旅をしていたら、地べたに座って休んでいたし、寝るときにも冷たい風に晒されながら空を見上げていただろうから。
「そういえば、エリカさんは食事どうしてるの?」
施設から持ち出してきたパック詰めの流動食を一つ、リュックから取り出しながら尋ねる。あの施設を出るとき、彼女はアスターが必要なものだけ持っていけばいいと、そう言っていたのだ。
「今のエネルギー残量ならあと十日は飲まず食わずで問題ないわね」
「そうなんだ」
「ま、食べること自体は嫌いじゃないから、余裕があるときには普通に食べるわよ。ヒトと同じようにね」
機械なのに食事もできるなんて一体どういう構造になっているのだろう。流動食をチュウチュウと吸いながら、アスターはぼんやりエリカのことをじっと見つめていた。
「まだなにか?」
「……いや、食べるとしたら味は感じるのかなって。好き嫌いとか、さ」
話題を広げるとエリカは、そうねえ、と遠くを見つめていた。横顔が、どことなく喜色を浮かべている気がした。
そんな彼女の話を聞きながら、もしかしたら『嫌いじゃない』どころではないのかもしれないな、なんてアスターはふと感じるのだった。
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