「この先の詳細は私の記録にもありません。けれど世界は彼によって命を繋ぎ、今も緩やかに滅びへ向かいながら……救済を待っているのです」
「それで、その……救済っていうのが」
おぼろげながら、アスターにも話の全容が見えてきた。つまり、こういうことだ。
「ええ」
「リリィさんは……アストロに頼まれて、僕が生まれるのを待っていた? 彼の子孫だけが世界を救えると信じて?」
瞑目し、彼女はゆっくりと首肯する。
「この箱庭は、あなたが安全に成長するため……正しい幸福の形をしるため……そして必要な知識を身につけるため――用意したものです。現実の世界に、そのような場所は存在しませんから……」
「そんな……」
一体全体、どうしてそんな馬鹿げた話を信じられるというのだろう。千年前に世界が終わったとか、ご先祖様が世界を救おうとしたとか、そしてその役目を受け継がなきゃいけないだとか……。おとぎ話じゃあるまいし。
(ていうか……どうしてリリィさんは千年前のことを知っているんだ? なんというか、まるで自分の目で見てきたような言いぶりが……?)
考えて、ハッとする。彼女の物語の中で、大天才アストロは一体何を生み出していた? 新たなる隣人たる存在、そして映像の中で彼と手を取りあう少女の姿――。
「リリィさんは、ネーヴァ……なんですか?」
思い当たった可能性をぽつり呟くと、リリィは一瞬はっと目を見開いたようだった。そしてすぐ目を伏せ、ささやかな笑みを溢す。
「やはり……あなたは賢いお方です。いえ、唯一の成功例ですから当然といえば当然なのでしょうね……」
「……?」
彼女の呟きはアスターの耳には届かなかった。ただ、その悲しげな笑顔が、アスターにはたまらなく愛おしく思えた。
「いえ、何も。それより、これからのことをお話し致しましょう」
これからのこと。それはつまり、世界を救えと、そういう話なのだろうか。
「アスターさんにお願いしたいこと。それはこの世界を抜け出し、現実の存在として……現実の世界を救うための旅に出てほしいのです」
「旅、ですか?」
「はい。アストロは自身の存命中に役割を果たせないことを悟り、世界中に未来の種子をばら撒きました。その一つが私であり、アスターさんなのです」
「つまり……その種子を集めろと?」
話が早くて助かります、とリリィは頷いた。
「生前のアストロはこう言っていました。来たるべき時がきたなら、芽吹いた種子同士はひかれ合う。そして全てを束ねることができたなら、『そら』へ向かってほしい、と」
「ずいぶん抽象的な指示ですね……」
どうやらリリィも具体的なことは聞いていないらしい。
思わず愚痴っぽく呟くと、彼女の方が申し訳なさそうにはにかんでいた。
それを見て、アスターはふぅと一息つく。わずかに上を向いて、考えを巡らせる。
「まったく……無茶苦茶な話だ」
「アスター、さん……?」
思考の末に飛び出してきたのは、静かに燃え上がる怒りの声だった。決して爆発はせず、火の粉すら飛ばさない炎だった。
「別に、リリィさんを責めてるわけじゃないんです。でも……無茶苦茶ですよね。話は理解できますよ。ええ、そりゃ最初は混乱しましたけど、少なくとも話に矛盾があるとも思えない。ええ、理解はしました」
もはやアスターはリリィを見ていなかった。彼女の向こうがわ、時の彼方にいる一人の男を、恨めしげに睨みつけていた。
「けどね……自分にできなかったことを子孫に押し付けるのは筋の通ったことじゃない。僕は幸せだったんだ……どうして当たり前の日常を運命なんかに邪魔されなくちゃいけないんだ……そんなのは間違ってる。僕は誰かの尻拭いをするために今まで努力してきたんじゃない。いま生きている、誰かの幸せのために努力してきたんだ……」
不意に、アスターの瞳から涙がこぼれ落ちた。ほんの小一時間前に見せつけられた両親の死を思い出したのだ。
――あぁ、あぁ、どうして僕がこんな目に合わなくちゃいけないんだ。
心の奥底では嘆きが渦巻き、きっかけさえあればいつでも慟哭が空を満たす予感さえあった。
けれど、彼には出来なかった。不幸を受け入れても、悲しみがわずかに零れるだけだった。
「なんで……なんでなんだよ……」
悔しさで握り締めた手。整った爪が、手のひらを浅く傷つける。
口にすればするほど、彼は自身の境遇への理解を深めていく。実感として、運命が彼の心を刻んでいく。
アスターはもう、全て理解してしまっていたのだ。
「どうして僕は、父さんや母さんを失ったっていうのに……涙がこれっぽっちしか出てこないんだ……? どうして僕は、こんなにも冷静でいられるんだ……?」
分かりきったこと。はじめにリリィがこの世界の成り立ちを語った時。
いいや……本当はずっとずっと昔から、心の奥底では理解していたんじゃないか? そんな悲しい現実を受け入れたくなくて、目を逸らしていただけなんじゃ?
言葉にした瞬間それが事実になってしまう予感がして――とうとう最後まで口にすることができなかった。
けれどそれは、乗り越えなければならない現実。なればこそと、リリィは自身の役割を果たすべきと信じ、静かに口を開こうとする。
「それはね、あれが人形モドキ。つまりあなたの本当の生みの親でもなんでもない、ただのプログラムだからよ」
冷たい、突き刺すような声が部屋に響いた。彼女が口を開く一瞬前の出来事だ。
ハッとして、リリィはアスターを庇うように突き飛ばす。
「あら、いい反応ね」
直後、彼が立っていた空間が斬り裂かれた。チリチリとブロックノイズを発生させながら、空間がこじ開けられていく。
現れたのは、あの黒髪の少女。片刃の剣を手に揺らめく、悪意に満ちた黒衣の襲撃者だった。
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