戦闘が終わった。続いていた剣戟の音はすっかり止み、燃え散る火の粉もその勢いを失いつつある。
「もう……大丈夫なんですか?」
不安げな目で近づきながら、アスターが尋ねる。本当はあの少女をやっつけたのかと聞きたかった。けれどその言葉を口にするのが恐ろしく、曖昧な聞き方しかできなかった。
「ええ、差し当たっては。お怪我はありませんか? アスターさん」
「僕の方は……えっと……」
同じ質問を返そうとして、アスターは彼女の名前を知らないことに気がついた。
それで言い淀んでいる様子がよほど分かりやすかったらしい。
「リリィ、と。私のことはそうお呼びください、アスターさん」
と、彼女自ら名乗ってくれた。おかげでアスターはますます気恥ずかしいような気がして、聞きたかったこともすっかり忘れてしまった。
とはいえどちらにせよ、リリィの方に怪我らしい怪我は一切なかったのだから彼が心配する必要なんてなかったのだが。
「さて……せっかくご挨拶できたのでゆっくりとお茶でも、と言いたいところですが」
気まずさにアスターが黙りこくっていると、リリィは場を和ませるように少しだけおどけてから、どこか遠くを見つめるような眼差しになった。
一体何を見ているんだろう。気になってそちらを振り向いてみたが、しかし特に変わった様子はない。せいぜい、空の色がほんのり赤く染まっているくらいだ。
「どうやらそう長くはもたないようです。とにかく急ぎましょう」
そういって、踵をかえそうとするリリィ。慌てて、アスターが呼び止める。
「ちょ、ちょっ! 一体どういうこと? もう大丈夫なんじゃないの? まだ何かあるの?」
「……まだ全てが終わったわけではありません。むしろ、始まったばかりと言うべきでしょうか……」
立ち止まり振り向いたリリィの表情はとても険しいものだった。彼女が纏う柔和な雰囲気からは想像できない鋭く真剣な眼差し。アスターはただ、黙りこくることしか出来なかった。
「とにかく、移動しましょう。大丈夫、そこに行きさえすれば全ては丸く収まりますから」
そう言って、彼女はにこりと笑いかける。不安が一瞬で溶けてしまう、優しい笑顔だった。
――そっか、大丈夫なんだ。
リリィが一体何者なのか、アスターにはまだ皆目見当もついていない。けれど彼女がそう言うのだからきっと大丈夫なのだろうという、漠然とした安心感が彼をすっかり油断させた。
だから、つい口が軽くなってこんなことを尋ねてしまった。
「そこ、って?」
その時、リリィはちょうど近くにある扉に手をかけたところだった。なんの変哲もない、路地裏にある小さな扉。どこかの店舗の事務所にでも繋がっているであろうその扉になぜ手をかけたのかなんて、アスターは露ほども考えなかった。
ただ無言でいるのが落ち着かなくって口を開いた。それだけだ。
だから、彼女が振り向いて答えたとき。その先に進んだら後戻りはもう出来ないだなんて、全く思いもよらなかったのだ。
「この世界の中心。世界の果てと繋がる場所。そして、あちら側へあなたが還るために用意された、唯一の門――」
かちゃり、と何の躊躇もなく、扉が開く。一瞬、視界がブレたような気がした。
そして、扉の向こうで待っていたのは――。
「中央制御室。ようこそ、私たちの本当の世界へ。ご主人様」
無数の電光と無機質な駆動音。
この世界にはまだ存在しないはずの、しかしアスターが長年構想し続けていた、未来の装置に囲まれた部屋だった。
◇
「何から、お話ししましょうか」
制御室の巨大なモニターを背に、リリィは語り出した。
「はっきり言いましょう。アスターさんが認識しているこの街……いえ、この世界は、全て私が作り出した幻影です。正確には電脳空間上に作り出した幻影都市、とでも言うべきでしょうか。この部屋も先ほど通った扉の先にあるわけではなく、私がここに繋がるように設定を変更したからこれた、というわけです」
「げん、えい……?」
呆然とするアスターに対し、リリィは神妙に頷く。
「そしてあなたは、この世界の住人ではありません。外の世界から意識だけ繋いだ存在。この世界で唯一のプレイヤーキャラクターなのです」
「外の世界……プレイヤー、キャラクター?」
「では一体何のためにこんな場所が用意されたのか? 全てはあなた、アスターさんのため……いえ、世界の救済のためなのです」
次第にスケールの広がっていくリリィの話に、アスターは全くついていくことができなかった。言葉はなんとかく理解できる。だが、納得ができない。
「今から千年余り前のことです。人類は栄華の極みにありました。発達しきった科学技術は大自然の全てをコントロールするまでに至り、魔法とまで呼べる技術すらその手にしていました」
しかし、リリィは彼の気持ちをよそに語り続ける。まずは全て聞いてほしい、それから判断してほしいとでも言わんばかりに。
語り部となった彼女は、機械のような正確さで物語を綴る。
「やがて人類は、種族の進化すら目指します」
物語る彼女の背後ではいくつかの絵が映し出されていた。切り絵のようなタッチで描かれた、絵本のような映像。彼女の語りに合わせて動くそれらは、きっと当時の様子を描いたものなのだろう。
集まる群衆と、彼らの視線に立つ一人の男。彼は群衆から喝采を浴びているようだった。その傍らには、大きなカプセルの中に浮かぶ小さな人影。おそらく、彼は何か偉大な発明をして、それで賞賛されているのだろう。
「かつての大天才、アストロ・ルードベックは一つの結論を得ます。人類そのものが進化することは不可能だが、新たな隣人たる存在、ネーヴァとの共存がより豊かな世界を生み出すと」
「ルードベック? それって……」
「そうです。あなたのご先祖様、というべきでしょうね」
男の影が小さな少女の影と手を取り合う姿が映し出された。彼こそがアスターの先祖で、隣に立つ少女がネーヴァという存在なのだろう。二人の影は共に大きな樹を見上げて、幸せな未来を思い描いているようだった。
「しかし……」
突如、見上げていた樹に雷が落ちる。巨大な幹が途中で折れ、世界中に火の粉が降りかかる様子が映し出される。
「人類は、欲深い人類はそれをよしとしなかった。更なる力を求め、彼の技術を悪用した。結果どうなったか? 力は人類に跳ね返り、欲望という歪んだエネルギーを飲み干したそれは大地を死の呪いで満たしたのです」
伏せる人々。骸となった動物たち。植物は枯れ果て、海を満たしたのは血と毒と。モニターに映し出された物語は、悲しみで満ち溢れていた。
「……そんな」
ぽつりと、アスターがただ一言漏らす。余りにも酷い歴史だった。ただただ絶句するしか、彼には出来なかった。
「全て事実です」
「でも……でも……! 今僕はこうして生きている……それが千年前の話だっていうんなら、今こうして僕たちが生きていることの説明がつかないよ!! だってそうでしょ? 実際どんな状態だったのかは分からないけど……命は循環し続けてその形を保つものなんだ。それが途絶えちゃったら……」
「人類は……アストロは、それでも諦めなかったのです」
どういうこと? とアスターは黙って続きを促す。
するとモニターの映像が切り替わり、暗闇の中に一人の男が映し出された。
「世界中が絶望していた。それでも彼は一人、諦めなかった。自らが生み出した力が世界を滅ぼしたのなら、世界を救うのもまた、自分なのだと、信じ続けた」
男の前で眠る、ぼろぼろの少女。彼は少女に手を伸ばす。
そして、少女はその手を取ろうと力を振り絞って――。
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