人形少女は誰が為に

命なき少女と旅する、死んだ世界。
にしだやと。
にしだやと。

そして少女は彼女の為に

公開日時: 2020年10月24日(土) 18:04
文字数:4,044

 トクン、トクン、トクン。 

 

 心臓の鼓動が聞こえる。脈拍数はやや高めだが許容範囲内。脳波の簡易測定によれば気絶というよりは、眠っている状態に近い。普通の人間ではありえない生命力だ。

 

(普通じゃない、ね……分かっていたことではあるけれど)


 私がこの場にたどり着いた時、彼はほとんど死んでいた。致死量を超える出血。その状態でなお、戦い続けたのだろう。それは血溜まりの上で倒れていなかったことから容易に推測できた。精神力で肉体の限界を引き出した――そんな都合のいい理由ではもはや説明できない。仮に気合などというもので立ち続けることができたとしても……その先に待つのはただ死のみのはずだから。

 

(実は彼もネーヴァでした。そんなオチだったらよかったのだけれど)


 目の前にいる人間とネーヴァの違いが分からないほど私たちの観測能力は低くはない。彼はまごうことなき人間だ。それだけは断言できる。

 

(とはいえ、ただの人間でないというのも疑いようのないこと……一体あの女は彼をどんな風に弄りまわしたのかしらね)


 最もシンプルな表現で言えば強化人間。けれどそれだけでは足りない。人間の延長線上にあっただけでは説明のつかない事象が既に二つある。

 一つ目は暴走状態にあった私を直したあの力。詳細は分からないが、最後のやりとりから察するにあの女――たしかリリィといったか――が彼に与えたものとみて間違いないだろう。

 あの力に関してのみ言えば、いくつかの仮説がある。

 

 ・仮設その一。リリィの能力が人間にある種の超能力を付与するものであり、それによって彼はネーヴァや機械を正常な状態に戻す力を得た。

 

 一見すればそれらしい仮設だが、これには穴がある。そんな力を手にしたのなら、彼はなぜ眠りについたリリィを直さなかったのか。もちろん、能力の大元になったエンシスには効果を及ぼせないなどの制約はありうるが、やはりスッキリはしない。

 

 ・仮設その二。なんらかの方法でリリィは自身の能力そのものを彼に与えた。

 

 私と同時期に生み出されたエンシスに、治癒能力を持つ者がいる。リリィは彼女と似たような力を持っていて、なおかつその力を人間に植え付ける手法を見つけていたのではないだろうか。エンシス能力を与えるなんて聞いたことのない話だが、リリィは私たちの生みの親であるアストロ博士とともに過ごしていたと聞く。であるならば、そういうった手法を見つけていても不思議ではない。

 まあ、現実的ではないが。

 

 ・仮設その三。能力でもなんでもない。私をあの状態にした人物と同じ手段を用いて私に干渉、不具合の元を削除した。

 

 これが一番現実的な説だ。はっきり言ってしまえば、彼の天才性は私からみても異常と表現するべき領域に達している。たった少しの観察と子守唄程度に与えた知識だけでミレスに対抗しうる武器の原型を生み出したのだ。彼の頭脳があれば何ができたっておかしくない。

 

・仮設その四。全てが幻覚であり、虚構である。私たちは存在していないし、この世界は誰かが見ている夢である。


(ま、真実が分かったところでだから何、という話ではあるのだけれど)

 

 ふう……と出もしない息を大きく吐き出すふりをする。相変わらず彼はよく眠っていた。こうして見ると、本当にごく普通の少年だ。だったら、それで別に良いじゃないか。観測結果こそが全て。それ以上の想像なんて、私達ネーヴァのする領分じゃない。

 それが許されるのは……自らの意思で生き続ける、人間たちだけだ。


 



「ん……」


「あら、随分遅いお目覚めね」


 アスターが目を覚ますと、待ってましたと言わんばかりの皮肉が飛んできた。もうすっかり聞き慣れた声、エリカだ。まだ意識がはっきりしていない彼は気付いていないようだが、彼女の声音はどことなく喜色を帯びているようだった。

 

「エ、リ、カ、……さん……? 僕は……ええっと……」


「無理に起きなくていいわよ。あなたの身体、見た目以上に酷い有様だったんだから。動かしたら……きっと痛いわよ?」


「え……? へ……? あぁ……」


 まだまともに頭が回っていないらしい。アスターはエリカの忠告もろくに聞かず、漫然と相槌だけ打ちながらおもむろに起きようとした。

 結果――。

 

痛゛ーーーーーーーッッッ!!!!!!!


 少年の絶叫が小屋を飛び出し、街中に彼の目覚めを伝えることとなった。

 

 

 

「くすくす……だから言ったじゃない」

 

「もう、笑わないでよ。こっちは死ぬかと思ったんだから……いたたたた……」

 

「あら、痛いってことは生きてるってことよ。よかったじゃない」


「そうじゃなくって!」


「ほら、叫ぶとまた響くわよ」


「〜〜〜っ!!」


 そんな平和なやりとりをしていると、戸を叩くものがあった。

 

「おう、元気そうじゃねぇか」


 返事を待たずに重い扉をゆっくりと開いたのは、ボゾンだ。この村ではもうすっかり見慣れた顔ぶれも後ろに並んでいる。彼らは入るぜ、と軽く断りながらのっしのっしと静かに部屋へ入ってくると、そのままアスターが横になっているベッドの前に立った。

 

「愉快な叫び声が聞こえんたんでもしかして、と思ってな。随分元気そうじゃねぇか」


「あはは……えっと」


「ああ、寝たまんまでいいぞ。動くとまだ痛いんだろう?」


 アスターが困惑していたのは別に彼らに対する礼儀を気にしてのことではない。彼らのアスターに対する態度に、違和感を覚えたからだ。

 ちらりとエリカの方に視線を向けると、微妙な表情で肩をすくめていた。少なくとも不快感を示しているわけではなさそうだが、笑っているとも言いがたい。

 一体なんなのだろう。アスターはますます分からなくなってきた。

 

「……ボゾン。どうやら少年は我々が急に殊勝な態度になったことに困惑しているようだ」


 苦笑と沈黙を静かになぎ払ったのは、後ろからにゅっと顔を出した村長だった。彼の言葉に、ボゾンは破顔する。


「あぁ、そういうことですかい。ははっ、たしかにこの前まではちぃとばかしぞんざいな扱いをしてたかもしれねえですな」


 そして、そう言ってアスターの顔を改めてじっと見つめ直して、こう続けた。

 

「アスター、アンタが飛び出していった後にだな。俺らぁ自分たちの情けなさに気付かされちまったのさ。あんなちっぽけで弱っちそうなガキですらたった一人のために戦おうっつってんのに、どうして俺ら村の戦士たちがビビっちまってんだ……ってな」


 彼の口から飛び出た言葉はアスターの予想だにしなかったものだった。単なる向こうみずでしかなかった行動なのに、とても合理的とは思えない愚かな行動だったはずなのに。彼らはそれすら評価してくれていたのだ。

 

「だからあの後、俺たちはアンタらを助けに行くことにしたんだ。ま、エリカの姐さんの力頼みってとこが大きかったのはちぃとばかし情けないとこだったがな」


 はははと笑いながら、ボゾンはエリカへと視線を向ける。その先では、すました顔の少女が腕を組み直していた。


「弱い人間が強い私に頼るのは別に情けないことではないわよ」


 すごい自信だなあ。アスターはぼんやりとそう思った。そして同時に、そんな彼女と一緒に旅をする資格なんて自分にあるのだろうかと、弱気になりながら失った右腕に視線を落とす。

 エリカや彼らが助けに来てくれたおかげで、一命を取り留めた。結果を見ればそれは明らかで、つまり自分一人ではあの戦場を生き残れなかったということになる。いくらボゾンたちが褒めてくれたって、吹けば消えてしまうようなちっぽけな存在だという事実は変わらない。

 アスターは余計に、自分が惨めに思えてきた。

 

「ま、ともかくだな」


 彼が一人で勝手に落ち込んでいると、今度は村長が前に出てきた。いつにもまして、真剣な表情で姿勢を正している。

 

「お前さんには改めて礼を言わせてほしい。村を代表して……ミーシャのために命をかけてくれてありがとう」


「そんな……」


 色々と言い訳めいた言葉が口をつきそうになった。けれど彼らの眼差しを見るうち、それらは自然と霧散していった。

 どんなに自分自身に自信がなくとも、どんなに自分の弱さに歯噛みしていたとしても。今見せるべきは弱音じゃない。素直に、感謝の言葉を受け取ろう。

 アスターはゆっくり、痛む半身を起こして彼らに向き直る。そして、精一杯の強がりと笑顔を貼り付けて、こう言った。

 

「いえ、当然のことをしたまでです。だって僕も、皆さんに雇われた傭兵の一人ですから。戦士は守るべき何かのために戦うもの。そうでしょう?」


 

 和やかな笑い声が室内を満たしていく。その笑い声に引き寄せられるように村中の人々が集い、いつしかアスターの周囲には人だかりが出来ていた。その中にはもちろん、彼が救った幼い少女の姿もある。少しだけ離れたところでその輪に入ろうか迷っているのは、きっと彼女の兄だろう。素直に感謝しきれない年頃の少年に、けれどアスターは気がつくとにこりと優しく微笑みかける。

 今この瞬間、この場所だけは、あの虚構の世界にも引けをとらないほどの幸福で満ちていた。それを作り出したのが自分自身であるということに、アスターは気づかない。けれど隣に立つべき少女だけは、それをはっきりと理解していた。

 

(人っていうのは……本当に強いわね)


 人知れず静かに小屋を抜け出した剣の少女は空を見上げ、そんなことを思う。

 助けられた恩義に報いるためにと、ほんの少しの間彼に付き合うだけのつもりだった。適当なタイミングで適当な口実で別れを告げるつもりだった。

 けれど今は――。

 

 閉まっていた刀を虚空から取り出し、その形を確かめるようそっと撫でる。

 旅の始まりに予感していたもの。それが見つかるかもしれない。このまま彼に付き合う価値があるのかも知れない。

 

(いいえ、違うわね)


 瞑目し、小屋から漏れ聞こえる声に耳を傾ける。

 そして、誰にも聞こえないほど小さな声で空へ呟く。

 

「旅をしましょう。私一人では見つけられないものを見つけるために。きっと、そのためにあなたと出会ったのだから」

 

 穏やかな風が、そっと少女の髪をなびかせた。

 


――第二章 普通の村 了

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