(困ったことになりましたね……)
物陰に隠れながら、リリィは内心でそうぼやく。アスターのため威勢よく飛び出してきたのはいいものの、侵入者の実力が想定を大きく上回っていたのだ。
(いえ……あの人が予想以上の強さだった、というよりは……)
自分の弱さを正しく見積もれていなかった――こちらのほうがより正しい解釈だと、自己分析する。箱庭世界の中であれば管理者権限を使っていくらでも誤魔化すことができた。実際のスペック以上の実力を、あの世界の中でなら行使できた。
けれど今は――。
(そういえば、アストロが言っていましたね……。自分はいくつもの発見をしてきたが、未だに『絶対』だとか『完全』なんてものは見つけることが出来ていない。だからどんな絶望的な未来でも、どこかに必ず覆す道のりがあるはずなんだ……と)
ふっ、と笑みが溢れる。まったく、何を弱気になっているというのだろう。ヒトであるアストロでさえ最後まで抗い続けたんだ。人形である自分が迷ってどうする。
――嘆くのは、もうやめだ。
まだ倒れたわけじゃない。今するべきは、溜息をつくことなんかじゃない。人形は人形らしく、全ての可能性を計算し、唯一の道のりを描き出すんだ。
そして、リリィは軽く目を閉じる。視覚情報という余計な入力を遮断し、状況分析に全てのリソースをつぎ込む。
(損耗率は約二九ポイント……稼働には影響ありませんが、これ以上のダメージは看過できませんね)
目立った外傷はすでに修繕済み。内蔵していたオープ残量にもまだ余裕はある。だが、稼働しながらの緊急修復では限度がある。
襲撃者の戦闘傾向は近接戦重視。箱庭で見た戦闘スタイルも加味すると、一撃の威力よりも速度を重視しているはず。はっきりいって、苦手なタイプだ。
(たとえ全力で戦えるコンディションだったとしても……勝率は四割に満たないでしょうね)
それでも。
(勝機はあります。幸い、地の利はこちらにある……年季の差というものを、見せてやりましょう)
彼女は見つけ出していた。ほんの数パーセントにも満たない、未来へと至る一本の道筋を。
そして、再び目を開いたリリィが決意を新たに動き出そうとした、その時だった。
――カーン、カーン、カーン……。
金属音の反響する音。そして、
「み〜つけた」
底冷えするほど愉しげな、少女の囁きが背筋を凍らせる。
「っ!!」
反応は一瞬。
予測しうる攻撃パターンおよそ九四種を即座に分析し、リリィは経験と直感から自身の行動を決定する。
それは、まさに紙一重の回避だった。
「今のを避けるなんてね。少しはやる気が出てきたのかしら」
ずるり、背後の遮蔽物が滑り落ちる。硬い金属製の機械が真っ二つに切断され、沈黙する。
あと三ミリ。たったあと三ミリ位置がずれていたら。あとコンマ数秒伏せるのが遅れていたら――ガラクタになっていたのは、リリィの方だっただろう。
「……くっ」
少女は呑気に話しかけてきていたが、悠長にその相手をしている余裕なんてどこにもなかった。笑いながらでも、彼女は斬ってくる。すぐに立ち上がらないと、勝機はない。
「隠れんぼの次は追いかけっこかしら? いいわね、愉しそうだわ」
地面を蹴って数メートル。空中で姿勢を整えながら、間髪入れずそのまま走り出す。
身を隠そうとしたところで、時間の無駄だ。とにかく、彼女の間合いに入らないよう、走り続けなければ。物陰から物陰へ、一直線に詰めて来られないよう気をつけながら、リリィは逃げに徹する。
「ほらほら、ちゃんと避けないと当たっちゃうわよ?」
対する少女の歩みはひどくゆっくりとしたものだった。まるでいつでも捻り潰せるのだと言わんばかりに、余裕の笑みを浮かべ続けている。
一振り、無造作に少女が腕を振るった。握った剣が空を裂き、地を這う斬撃がリリィを襲う。
「飛び道具まで……っ」
その攻撃自体は、大した脅威ではなかった。遮蔽物を傷つけはするものの、両断には至らない。しかし、間合いなんていつでも無視できるのだというその事実が、リリィを苦しめた。
少女の攻撃は続く。一定のリズムで、音楽でも奏でているかのように。踊るリリィを指揮するように。まさにそれは、死へと誘う輪舞曲であった。
「そろそろ飽きたわね」
不意に、少女がぽつりと呟く。
もう施設内部はすっかりボロボロで、斬り刻まれた装置たちが火花を吐き続けていた。
「もう逃げ回るのも疲れたでしょう? さっさと終わりにしましょう」
「っ!!」
驚愕なんてしている場合じゃない。それは彼女もよく理解していた。
けれど、どんなに演算領域を拡大したところで――少女の次の行動を阻止することは出来なかった。
「さあ、鍵を渡しなさい?」
気づいた時には、耳元で声が囁いていた。十メートルは離れていたはずの彼我の距離。それが瞬く間に詰められていた。
正面に立つ少女はからかうような仕草で、リリィの耳元に唇を寄せていた。
「……!」
咄嗟に飛び退こうとする。だが、彼女はそれすら許さない。
「遊びは終わりだ……って、言ったでしょう?」
リリィが後方へ飛び退こうと足元に力を入れた瞬間、少女はさらに加速した。握っていた剣を投げ捨てつつ、リリィの首元へと腕を伸ばす。そしてそれを掴むと――さらに地を蹴り、そのまま壁へと突っ込んだ。
響く衝撃音。ミシミシと、壁面に亀裂が走る。
叩きつけるエネルギーを全身で受けたリリィの体から、嫌な音が聞こえてくる。
「そ、そのようなこと……聞いた記憶はありません、ね……」
けれど、彼女は嗚咽すら吐き出さなかった。首は握り締められ、生身の人間であればまともに呼吸すらできない状況だというのに、精一杯強がってみせた。
リリィはまだ諦めていないのだ。
「あら、そうだったかしら? ま、どっちでもいいけど」
そんな彼女の懸命な様子をみて、少女は楽しげに笑っていた。なぶり殺す相手がもがく様を楽しむ悪役のように、愉悦の表情を浮かべていた。
「せっかくだし、実験、してみましょうか」
リリィを掴む手を緩めずに、もう一方の腕を背面へとかざした。
「どこまで耐えられるかしらね」
直後、地面に転がっていた剣がふわりと浮かびあがり、かざした手の中へと真っ直ぐに飛んできた。その様子を一切視界に収めることなく、彼女は帰ってきた剣を握りしめる。
「それが……あなたの固有武装……クストゥスですか」
「ええ。名前は特につけていないけれどね。ちなみにこういう形の剣をカタナっていうそうよ。……あなたに教える意味もないのだけど」
状況は絶体絶命。身動きは一切取れず、生殺与奪の権はすでに目の前の敵の手に。
だがそれでも、リリィはまだ笑うだけの余裕があった。
「ふ、ふふ……そう、でしょうか」
うっとりとした表情でカタナを眺めていた少女の目がすっと細くなる。これから拷問されるというのに笑っているリリィの態度が、気に入らなかったのだ。
「まだチャンスがあるとでも?」
ぐっと、首を絞める力が強くなった。
「そう首を絞められては……答えられないではありませんか」
わざとらしい挑発。だがはじめからまともな理性なんて存在していない彼女には、充分すぎる効果があった。
「戯れ言をッ!!」
一瞬、力が緩くなる。カタナを突き刺すために最適化された動きが、わずかに隙を生み出す……っ!!
「この瞬間を……ずっと待っていました……」
すっと息を吸い、限界を超える力を振り絞ってリリィが少女を掴み返す。カタナを振るうにはまだ近すぎる間合い。そして緩める方向に動いた腕は突然の反撃に対処しようと、力の向きを戻そうとして――。
「このパターンでは、あなたは必ず体勢を立て直そうとする」
「ッ!!」
「そしてこうすれば――」
さらにもう一度緩められる力。引き寄せて突き放すという、ごく単純な動作。だが単純だからこそ反応は難しく――高速でその身に受けた少女は見事にバランスを崩し、攻撃の機会を失ってしまった。
それでも、少女にとっては攻撃が一度防がれただけのことでしかなかった。すぐさま次の攻撃に移るべく、体勢を整えようとする。
「何百何千と繰り返した戦いの中で染み付いた動きは、あなたの動きを制約する」
一方リリィは、謳うように何事かつぶやいていた。
「次にあなたは、右足を前に出すでしょう。その大きさはおよそ、半歩」
言葉になんか構う必要ない。少女はよろめく体を支えてその場に踏みとどまると、半歩、右足を前に出した。
「……はっ!!」
気づけば、少女はリリィの言葉通りに動いていた。さながら傀儡子に操られる人形のように。
「そう、その位置です。一歩前でも、後ろでもない。その位置に、来て欲しかったのです」
もう、遅い――。
リリィは蓄積した消耗に膝を付きながら、ゆっくりと腕を上げる。そして、何かを手繰り寄せるように五指を動かすと――。
「こ、れ、は……ッ!!」
襲撃者がジタバタともがこうとする。けれど、彼女の身体は一ミリたりとも動かなくなっていた。
「縛らせて、いただきました」
優雅な所作で立ち上がりながら、リリィは告げる。
「これがあなたの……クストゥス……!?」
「さて、どうでしょうか」
睨みつける少女に、リリィはクスリと笑いかける。
そして答えを教える代わりに……人差し指をクイと引っ張った。
「仕返し、の、つもり」
「まあ、せっかくですので」
少女の首元に光っていたのは、一本の線だった。目を凝らしたって常人には見えやしない、ミクロスケールの糸。それが今部屋中に張り巡らされていて――彼女の自由を奪っていたのは、この無数の糸の世界だった。
「逃げ回るフリをしながら仕掛けてた、ってわけね……」
観念したのだろうか。カタナを握ることも諦め、少女が脱力する。カランと響く金属音。
とうとう、勝ったのだ。
絶望的な勝率をひっくり返し、リリィが勝ったのだ。
それは紛れもなく、未来を諦めなかったこそ手に入れられた道。アスターのことを思い続けた彼女だから手に入れることのできた、輝かしい勝利なのだ。
「さあ、眠ってもらいましょうか」
少女に向かって腕を伸ばすリリィ。
だが彼女は、気付いていなかった。項垂れる少女の瞳が、まだ怪しく黒く光り続けていることに。
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