私はゾンビさんたちから逃げるときのように考えてみました。
閉じ込められている部屋の前には、伊野波さんがいます。
伊野波さんは私が出ていくのを絶対に許してくれないだろうし、無理に出たりでもしたらきっとピストルで撃たれます。
だから、まずやらなくてはならないのは伊野波さんを遠くに追いやること。
そこで、私の〈パークサイト〉である〈分身〉を使うことにしました。
「……どうするつもりなの、ナナン」
心配そうなナギスケお姉さんの声がします。
いつだって、私を大事にしてくれる優しいお姉さんが、一人で私を送り出すことは抵抗があるのでしょう。
でも、そうはいっていられません。
お兄さんを助けなきゃならないし、なんといってもこれは〈ゲーム〉の一環なんです。
私も〈プレイヤー〉のモエスタンさんはもういないけれど、〈キャラクター〉としてやらなければならないことがありますから。
「心配しないでください。私も、お兄さんに助けられた恩を返したいんです」
「危険だよ」
「じゃあ、少しだけ手伝ってください。作戦としては……」
私は必要なことをナギスケお姉さんたちに伝えて、それから、廊下の外れ、階段側の方に私自身の〈分身〉を出現させました。
〈分身〉は喋ったり、物をもったりとか、そういう複雑な動きはできなくて、歩いたり早歩きをしたりする程度しかできません。
でも、それでも私が考えた通りの仕草で動いてくれるのでとても便利でした。
「おい、ガキ! どうやって逃げやがった!」
私の〈分身〉のギリギリ見せた後ろ姿に気がついたのだろう、伊野波さんが叫びました。
あの声、とても嫌い。
それで、このフロアの中心部にある階段を昇らせることで、伊野波さんの注意をひくように動かします。
「待ちやがれ!!」
見張りの役を忘れて彼は追いかけ始めたようです。
足音がすると同時に私は戸を開けて(結局、カギはかかっていない)、廊下に滑り込む。
そのまま逆方向に向かいました。
隅に行くと、搬入用のエレベーターがあります。
十人も乗れないけれど、台車が一台ぐらいは入るサイズですね。
乗降ボタンを押して、来るまでの間はとても緊張しました。
だって、すぐにパンという拳銃の音がして、私のだした〈分身〉が消滅する気配がしたからです。
伊野波が私を撃ったということがわかりました。
少しショックでした。
いくらなんでも小さな子供を撃たないだろうという目論見は外れてしまったからです。
これであの伊野波という人も、小野寺おじさんの言った通りに藤山さんの手下としてもう染まってしまっているということがわかりました。
すると、あの人が戻ってきてしまいます。
何が起きたかはわかっていないでしょうが。
エレベーターが来る前に見つかってしまっては元も子もないです。
早く来て!
でも、私の背中にナギスケお姉さんの声が届きました。
「伊野波くん、何をしたの!?」
ナギスケお姉さんは危険を承知で廊下に出てきたのです。
伊野波さんがすぐには撃ってこないとは承知していても、それは勇気のある行動です。
全部、それが私のためだということで泣きたくなります。
〈去勢〉されて以来、私もお兄さんと同様に色々とおかしくなってきていましたが、私を守るために誰かが身体を張ってくれているということがどんなに優しい気持ちになれるかを実感しました。
今の私にとってお兄さんとナギスケお姉さんは家族です。
家族のために戦うことは、決して悪いことではないはずです。
その一点ではあのキャンピングカーの家族だって悪ではなかったと、今では思えます。
「てめえ、あの餓鬼はどこにやった!」
「何のことよ!?」
「おまえのところのチビだよ。さっき抜け出して六階にいやがったからぶっ放したら消えちまった」
ナギスケお姉さんは鼻で笑った。
「何言っているの? ナナンなら中にいるわよ。あんた、あれじゃない? 悪いことしたって罪悪感が祟って幻覚でも見たんじゃない。悪人の手先になんかなるからよ」
「うるせえ! 殴るぞ、メス豚!」
「やっぱりそれがあなたの本心なんだね! 女のことをそんな風に思っているんだ! 最悪!」
エレベーターの戸が開いた。
私は飛び込んで、地下一階へのボタンを押しました。
お兄さんは談話スペースに囚われているはずだから、地下一階には誰もいないはずです。
「なんなんのよ、あんたは!?」
まだナギスケお姉さんが伊野波さんを引きつけていてくれます。
あのアシストがなかったら、きっと見つかってしまっていたかもしれません。
私は心の中だけでなく、身体も使ってお礼をします。
待っててください。
きっと私たちの家族を助けます。
チン
地下一階に到着しました。
また少し肌寒いです。
〈キャラクター〉は寒さや暑さにも多少の耐性があるらしく、みんなほど気温の変化には弱くないのでへっちゃらです。
「こっちだ!」
私は走りました。
さっき私が拘束されて押し込まれていた段ボールの箱と台車が置いてあって、ちょっとビクっとしちゃいました。
慌てて眼を閉じると、目的地―――食糧庫に到着します。
中に飛び込むと、やっぱり放置されていました。
松下みゆきさん―――の遺骸が。
きっと、私を助けにお兄さんたちが来てくれたときに、後ろから藤山さんたちが襲って来たままの状態なのでしょう。
いくらなんでも亡くなられた人をこのまま放っておく神経が怖いです。
でも、みゆきさんにはゴメンナサイですが、私にとっては実は良かったのです。
近づいて、みゆきさんの左手を見ます。
〈パークサイト〉の刺青の痕跡もない綺麗な手です。
パッと見ではわからないかもしれません。
でも、よく触ってみると、〈キャラクター〉の私だけは感じ取れる存在感のようなものがあります。
しかも、三つ。
みゆきさんの〈パークサイト〉は奪われていなかったんです。
おそらく、〈パークサイト〉を見えなくする〈パークサイト〉を使っていたんだと思います。
だから、私たちが探しても〈キャラクター〉が見つからなかった。
藤山さんについてはまだわからないけれど。
やりました。
私は二つの賭けに勝ったみたいです。
私の予想ではみゆきさんの〈パークサイト〉が一つか二つ残っていればいいな、程度の考えだったのに全部残っていたのですから。
ただ、三つ目の賭けに勝てたかはまだわかりません。
そこで、お兄さんに聞いていた〈パークサイト〉の奪取を始めます。
みゆきさんの持っている〈パークサイト〉は、〈ヒドゥン〉〈スキャン〉、そして〈パワーハンド〉の三つでした。
〈プレイヤー〉のいない私だと、その効果がわからないのですが、たぶん〈ヒドゥン〉が〈パークサイト〉を隠すものでしょうね。
とすると、これはいらない。
あとの〈スキャン〉と〈パワーハンド〉は両方とももらっちゃうことにします。
ごめんなさい、みゆきさん。
でも、あなたのお友達の二人は私たちが絶対に助けますから。
みゆきさんの代わりに。
「あっ」
〈パークサイト〉をつけるとその効果がわかりました。
まず、〈スキャン〉は視界にいる〈キャラクター〉の能力がわかります。
〈パークサイト〉と〈勲章〉の有無、経歴なんかも見えるようです。
多分、みゆきさんには私とお兄さんのことは筒抜けだったに違いありません。
お兄さんにとって大切なナギスケお姉さんより私を人質にとったのは、こういうことだったんですね。
次に、〈パワーハンド〉を見ると……
やった、これで勝つる!
思わず叫んでしまいました。
私は三つ目の賭けにも勝てたみたいです。
みゆきさんの死体が放置されているかの賭け、〈パークサイト〉が奪われていないの賭け、手に入る〈パークサイト〉がこの局面を打開するのに有効なものであるかどうかの賭け、その三つすべてにです。
お兄さん、待っていてください。
今、ナナンが助けに行きますから!
―――ところで、勝つるって変な言葉ですよね。
そう思いませんか?
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