密集した住宅街とはいえ、何度か地上に降りなければならなかったが、僕にとってはそれほど厳しいものではなかった。
〈キャラクター〉は身体能力が上がっているので、昔はできない真似も可能になっていたからだ。
あと、〈パークサイト〉の〈ライトウェイト〉効果かな。
屋根から屋根、屋根から壁に飛び移るのが物凄くやりやすい。
スパイダーマン気分とまではいかないけど、僕とは思えないぐらいに身軽になった感じだ。
このまま陸上部に入りたくなるね。
一度だけ、路上で運悪くゾンビに見つかったが、絡まれる前に壁を〈クライミング〉でよじ登り、民家の屋根の上でやり過ごした。
降りた時に転がっていた缶を蹴ってしまったことで、その音を聞きつけてきたゾンビが近づいてきたときはさすがに胆が冷えた。
とはいえ恐怖で足がすくむということもない。
血の気のまったくない、虚ろな眼窩を見ても僕の身体は動き続ける。
この異常すぎる状況下でも。
「……でもさ、ゼルパァール。この〈ゲーム〉のゾンビって走ったりはしないんだね。僕を見つけても小走り程度にしかならないし」
『まあな。駆けっこはしねえ』
「どうしてさ。僕としては助かるけど、〈ゲーム〉としてのスリルは減るんじゃない?」
『単純な話だ。全速力で走るゾンビなんかだしてみろ。この惑星の連中はすぐに全滅しちまう』
「……待って。いくらなんでも警察とか軍隊がいるでしょ。世界中にゾンビが現われたってすぐに地球が滅亡するなんてことは……」
『するんだよ。運営はよ、俺らが〈ゲーム〉のサービスを受けている一年はもつ程度の具合で調整してっけどさ、下手をうったらすぐに終了しちまうぐらいムズい世界観なんだよ』
僕は首をひねる。
確か僕に初めて話しかけてきてからゼルパァールがした説明によれば、世界中にゾンビが発生しているという話だったけど、いくらなんでも人類がそんな簡単に滅んでしまうものだろうか。
組織だって抵抗している人たちだってきっと大勢いることだろう。
例えば、米軍とか国連とか。
それに時間が経てばゾンビは腐って動けなくなるだろうし、ワクチンみたいな対処法も確立するはずだ。
さっき僕を見つけたゾンビみたいにうーうーあーあー唸って襲ってくる程度なら、人類がボロ負けするとは思えない。
『そういえば、てめえにはゾンビが発生しているとかの話しかしなかったな。もう少し詳しく色々情報収集する癖をつけねえと負けるぜ』
「うん、さすがに反省している。情報収集はゲームのコツだもんね。で、どういうことなのさ」
『てめえには最初、なんと言ったっけ?』
「世界中の人口の十分の一がゾンビになったって……」
『正確にいえば、十人に一人が突然ゾンビになっちまった、だがよ』
どういうこと?
『つまり、どこかに第一号の感染源がいて、そこから広がったという経緯じゃねえんだよ。このゾンビ世界は』
「意味がよくわかんないんだけど」
『ゾンビが増殖するのは噛まれることによって、ネズミ算式に広がるというのはよくあるパターン通りだ。だが、この〈ゲーム〉ではどこか一か所に十人いれば絶対に一人が発症するという風に設定されているのさ』
「ん?」
『わかんねえやつだな! 要するに、どこかの田舎からじわじわ拡大するんじゃなくて、職場や学校、繁華街すべてのところで誰かがいきなりゾンビになるんだ! 例外はねえ。軍隊や国会議事堂の中でもだ!』
完全なランダム。
僕は想像してみた。
授業を受けていた教室の中で、四十人の生徒がいるとしよう。
十人に一人ということなら、四人は確実に、突然、いきなり、前触れもなしに化け物に変貌してしまうということか。
彼らは、変貌したらすぐに隣の席の仲のいい友達に噛みつき、異常に対処できないで輪になって様子を見ているクラスメートたちにさらに襲い掛かる。
全校中、すべての教室でそれが発生する。
生徒に指示を与える職員室でさえも。
完全なパニックに陥り、的確な行動をとれるものは誰一人としていないだろう。
そこでその高校は終わりになる。
同じことが軍隊でも起きれば、規則正しい秩序維持などできないはずだ。
どんなに鍛えられた軍隊であったとしても。
政治の中枢でも同じことが起きて、すべての指揮系統が寸断され、破壊される。
ゼルパァールの言う通りだ。
そんな風になってしまうというのならば、あんなにのっそりとしたゾンビでもハンデとしては十分すぎるほどに強烈だ。
おそらく〈ゲーム〉の開始から三日経った状況でも、世界中で組織だった抵抗ができているところはほとんど皆無に違いない。
『ようやくわかったかよ』
「う、うん」
『ついでに言えば、この〈ゲーム〉でのゾンビを発生しているのは、運営が用意した〈ピコマシン・ウイルス〉でのDNA書き換えだからな。絶対にこの惑星の連中じゃあ治療できねえ』
「ピコってナノの下だよね。そんなとんでもない技術を持っているの?」
『でなければ、生物の脳みそにハックなんかできるわけねえだろ。俺らを舐めんな、原住民の分際で』
「ほっといてよ、寄生虫め」
超高度な技術を遊びに使っているくせに。
「じゃあ、ホントにこの地球は終わりなの? 終末なの?」
『バカやろー、そこで俺らの出番なんじゃねえか』
「は?」
『惑星全土の危機に対して、選ばれた〈キャラクター〉を駆使して立ち向かうってのがこの〈ゲーム〉の醍醐味なんだよ。だいたい参加人数は百万人ぐらいらしいからな。その百万人が〈ゲーム〉クリア目指してプレイしてんだよ。七つのブロック、十のエリア、千のフィールドに別れた〈プレイヤー〉の誰が世界を救ってトップになるのかってのが大人数参加プレイの面白いところさ』
「あ、それが目的なんだ。ゾンビから世界を救うってのが」
『おうよ、燃えるだろ?』
―――おまえたちはね。
僕は内心で毒づいた。
そりゃあ、他人の身体を乗っ取って安全なところから指示を出すだけなら何とでも言えるだろうし、楽しいだろうさ。
世界の救世主ごっこもできる。
だが、それの舞台とされた地球で暮らし、ただのモブ扱い、装置扱いされた僕たちからすれば、くそくらえだ。
ゾンビから世界を救うだって?
その化け物をばらまいたのはどこのどいつだって話。
「……期間は前言っていた一年以内なの?」
『サービス期間は一年となっている。一年以内に誰かがクリアすればもっと早く終わるかもしれねえけどな。ただ、誰もクリアしなければもっと伸びるかもしれないが、さすがにこの惑星の人類がもたねえだろうな』
「つまり、僕がなんとかするとしても一年しかないのか。でもさ、僕みたいな一般人の高校生がだよ、仮に順調に動いたとして、世界なんて大きなものを救えるの? ちょっと荒唐無稽なんだけど」
『てめえ、バッカだろ。すべての〈プレイヤー〉がやり方次第で上位にいけなきゃ、クソゲーになっちまうじゃねえか。ここの運営はかなり良質のゲームを提供することで有名だからな。クソみてえな〈キャラクター〉でもなんとかできる余地はあるんだよ』
クソみたいな〈キャラクター〉って僕のことか。
言いたい放題だよね。
ただ、これは僕にとってはいい情報だった。
普通なら僕みたいなただの高校生なんかが何かをできるはずがない。
世界を救うどころか、生き残るだけでも精いっぱいだ。
でも、この状況―――〈ゲーム〉だというのならば、僕にもできることはあるだろう。
やり方次第では〈プレイヤー〉に一泡ふかすことだって。
『ところで、てめえはどこに行くつもりなんだよ。さっきからまっすぐ進んでいるから目的地は知悉してんだろ。そろそろ教えやがれ』
ゼルパァールの問いに対して、僕は顎をしゃくって答えた。
「あそこ」
『ん?』
住宅街の一部には似つかわしくない豪邸があった。
監視カメラが堂々と鎮座した塀に囲まれて、近所の一戸建てとは確実に一線を画した異質な建物。
住宅街なので屋根を辿ってきたけれど、あそこだけは普通には近づけないほどに庭が広く、塀が高い。
個人の邸宅であることはわかるが、パッと見ではどんな人物が住んでいるかはわからない。
普通の常識人ならば、政治家とか大会社の社長の家としか思いつかないはずだ。
あそこが僕の目指しているところだった。
『でけえ、家だな。東京のこのあたりだと、あんなでかい家はそんなにねえんじゃねえのか?』
ゼルパァールは微妙にこの日本の事情に詳しい。
相当下調べをしていたらしい。
そうでもしないと〈ゲーム〉には勝てないとは前に言っていた。
ある意味では僕にはラッキーなことに、それだけやる気のある〈プレイヤー〉だということだ。
ほとんど自分たちの世界のことについては語らないけど、わからない単語も英語にして説明してくれるのでわかりやすいといったらわかりやすい。
「僕の欲しいものがたぶんあるはず」
『欲しいものって武器だよな……。銃? あんな家にか? まさか?』
「そのまさかだよ」
『あれ、誰の家なんだよ?』
僕はゾンビがいない路地に降りて、そこから玄関前に走りこむ。
でかい木彫りの表札がある。
「瓜生」とあった。
『瓜生? 誰だ?』
「広域指定暴力団瓜生組の組長の家だよ」
『なんだと?』
この平和だった日本において、銃を持っているものは三種類しかいない。
自衛隊と、警察と、そして……
暴力団だ。
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