仮の住まいである倉庫から引っ越しするための準備をしていると、薙原が顔を紅潮させて近づいてきた。
「センパイ!」
「どうした?」
「これ、見てくださいよ!」
薙原が差し出してきたのは、彼女のスマホだった。
電源が入っている。
あれ、これってだいぶ前にバッテリー切れを起こしていなかったっけ?
「充電できました!」
「どうやって」
「トラックですよ、トラック!」
薙原に手を引っ張られて倉庫の中に停車してある3tトラックの運転席に行くと、シガーポケットに充電器具がとりつけられていた。
どうやら車のエンジンをかけて充電するものらしい。
「その手があったか」
「これであたしのスマホ完全に充電できましたよ!」
コンビニで手に入れた乾電池から充電するということもできたが、乾電池そのものが重要になる可能性もあり、使うのを躊躇っていたところでこの発見だ。
普段、車を使わない(そもそも免許がない)ことから、この発想はなかった。
この車の運転手が使っていたものだと思うけど、一番よく普及しているタイプのスマホだったというのも助かった。
他のメーカーだと規格が合わなかったかもしれない。
車は市内のあちこちに停車しているし、ガソリンだってすぐに手に入る環境なら、こっちの方が使い勝手がいいかも。
「いい考えだね。僕のスマホもあとで充電しておこう」
「そうそう」
「他との連絡もこれで取れるかもね」
……薙原は自分のスマホが動くことに気を良くして、画面を見つめていた。
インターネットはともかく、通話やメール機能はまだ使えるだろう。
「……ねえ、センパイ。一昨日、メールが届いている」
「一昨日? ゾンビがでた後なのに?」
「うん。一斉送信だけど、あたしのメールリストに入っている人から」
薙原のアドレスに誰かが送信していたということは、こいつの知り合いが生き延びているということだ。
それはいい。
赤の他人と知り合うよりも知った顔が生きていることの方が嬉しいのはあたりまえだし。
市内でもまだたくさんの人間が生き延びているのはわかっていたけど、少なくとも知人が生存しているという情報は心強い。
「送ってきたのは誰?」
「―――やべ。こいつぁグレートっすよぉ」
「何を言ってんの。で、誰なのさ」
「うーん、あたしのクラスの子なんですけど……いわゆる意識高い系でして……」
意識高い系―――ああ、それは面倒くさそうだ。
薙原が舌を出してうえっという顔をしている理由もわかった。
意識高い系というのは、実際は大したこともないくせに自分を殊更すごく見せかけようとするタイプのことをいい、難解なビジネス用語やカタカナを積極的に使ったり、高尚そうな趣味やボランティア経験をドヤ顔で語ったりする特徴がある。
その他にも問題提起することをアピールしたり、忙しい仕事をしていることを自慢したり、意味もなく無駄に国際的な視野を持ちたがったりもする。
正直、面倒くさい連中である。
まだ厨二病のほうが可愛くて扱いやすい。
生き延びていてくれたのはいいが、仲間とするには遠慮したいタイプだ。
「二年か……。僕の知っている奴?」
「たぶん、知らないかと。陸上部で、生徒会ですし」
「生徒会で意識高い系……。しかも、体育会系の素質あり。満貫にいくかもしれないね、それは」
もともと文芸部で内気な僕には相いれない存在かもしれない。
薙原みたいにリア充ともつきあいのある陽気な美少女ならまだつきあえるかもしれないが、僕の友達にはいない種類だ。
「それと……ちょっと……」
まだ、そいつには何かあるらしい。
非常に薙原は言いづらそうな顔をしている。
「とりあえず、一昨日メールがきたということは、わりと安全な場所に隠れているということだ。しかも電気が使えるという環境かもしれない。話をしてみて様子を聞いてみるのはいいと思うよ」
「繋がるかなあ」
「メールの内容は?」
「『このメールが届いた人はこの電話番号にかけてみてください。折り返し連絡します』だそうです」
「DMか振り込め詐欺みたいな文面だね」
「でしょ」
ただ、黙っていても埒が明かないので、薙原は指示通りの番号にかけてみることにした。
ちょうど別の用事を終えて戻ってきたナナンにも聞こえるように、スピーカーモードに切り替える。
「もしもし」
『お、おまえ、薙原イスキか! 無事だったのかよ!?』
スマホのスピーカーから聞こえてきたのは、甲高い男の声だった。
まだ声変わりしていないのかと思った。
単に興奮して上ずっているだけかもしれないが。
「……伊野波くん?」
『おお、そうだぜ。おまえが無事で良かったぜ。今、何処にいるんだ?』
「うんと、高校の近くの倉庫」
『マジか! 結構、このそばじゃねえか!』
「伊野波くんはどこにいるん?」
『俺か。俺たちは、駅前の要塞ビルにいるぜ。要塞ビル……うんと、黒い窓とかほとんどない四角いのが駅前にあっただろ。覚えてっか?』
かなり早口なので聞き取りづらいが、要塞ビルというのはわかった。
ここから歩いて十分もかからない場所にあるJRの駅の裏にある建物のことだ。
採光用の窓がほとんどなく、四方を黒い色のタイルで囲っているという威容な建物のことだろう。
何かの会社の本社ビルということだったが、敷地と通りを隔てる柵が恐ろしいほど厳重にワイヤーが張り巡らされ、まるで刑務所のようだと言われている。
政府の隠し施設という噂もあったかな。
「どうしてそんなところにいるの? あそこの関係者?」
『ちがう。俺たちがゾンビに追われて逃げ込んだのがここだったんだ。運よく社員の人に助けてもらってさ』
「社員? 会社なの、そこ?」
『ああ、HARAコーポレーションの本社ビルなんだぜ。だから、おまえもこっちにこいよ!』
何がだからなのかはわからないけれど、会話の口調からすると、薙原とはそれなりに親しいようだ。
「すぐには行けないよ。でも、伊野波さん以外にどのぐらいの人がいるの?」
『十人ぐらい』
「そんなにいたら食べ物とかすぐになくなってしまわないの?」
『それは大丈夫なんだぜ。ここのビルの地下倉庫には多量の喰いもんがしまってあるし、自家発電装置も水の蒸留器もある。もう少し我慢すりゃあ、表のゾンビどももくたばるだろうし、それまでだったら十分に保つって藤山さんも言っているしよ』
「藤山さん? 誰?」
『ここのリーダーの大人。すっげえいいひとなんだぜ。あの人がリーダーシップを発揮してくれたおかげで俺らはここにフィックスできたんだからさ。一番最初に必要なスキームを組み立てて、バカでもわかりやすいサバイバルのやり方を実践してくれたんだ』
伊野波のいうことはよくわからなかったが、とりあえず頭のキレるリーダー的存在の大人がいるらしいことはわかった。
ちなみにいうと、伊野波自体は駄目っぽい。
喋って興奮してきたこともあるだろうけど、うんうん聞いている薙原に対して訳の分からないカタカナを使い始めて悦に入っている感が丸だしだ。
こういうタイプに好かれる人材ということで、多少、藤山という人物についても胡散臭さが拭えない。
根っからのいい人か腹の中を隠した煽動家か、どちらかの可能性が高い。
「……うん、わかった。行けそうなら行くよ。バッテリーもったいないから一度切るね。またメールしてから掛ける」
『そんときは俺から掛けるわ。こっちは電気が使い放題だしな』
「そうなんだ。ありがと」
『任せろよ。―――薙原』
「なに?」
『生きててくれて嬉しいぜ。あの話の返事も待っているぜ。シーユーアゲイン』
と、本人的にはかっこよく横文字で決めて、伊野波は通話を切った。
確かに面倒くさそうな男子生徒だったな。
「……センパイ、誤解しないでくださいね」
「なにを?」
「別にあたし、彼とはなんともありませんから」
「ああ、返事とか言っていたな。告白とかされたりしたのか」
「―――違います。でも、なんか、文化祭とかで、周囲がお膳立てをしてあたしたちをくっつけようとしたりして、二人で仕事を任されたり……とか……。あいつもそのうちにノリノリになってきて、あたしを彼女だとかいったり……して……それで……」
「ナギスケ、彼氏とかいないもんな。そういうイベントでの絶好の玩具だったということだね。ご愁傷さま」
「だから、あっちは馴れ馴れしいけど、あたしは全然……」
伊野波の片思いというよりも、周りが囃し立てるから勝手に盛り上がったということだろうね。
それで、なんか興奮していたのか。
ただ、そうなると問題があるんだよな……
「どうしたんですか、お兄さん?」
ナナンが心配そうに聞く。
「うーん、聞く限りその要塞ビルに行ってもいいんだけど……」
「良さそうなところっぽい感じでしたよね」
「ただ、なあ、ナギスケに好意をもってるのがいるところに、僕みたいな男を連れ込むとトラブルの種になりかねないから……」
「それはそうかも……」
「いや、別にあいつ、あたしの彼氏とかじゃないし! センパイと一緒でも何も起きないってば」
薙原は必死に否定するが、問題になるのはあっちの伊野波のサイドなのだから、この論法には意味がない。
それに、僕が気にしているのはもう一つのことだ。
『なんだよ、てめえ? 言いたいことがあるみてえだな』
「あとで話すよ」
今、この場で口にすることは憚られる内容だからだ。
なぜなら、とりあえず自分たち以外の生存者がいると情報に、クールなナナンまでが喜んでいる状況に水を差すかもしれないからだ。
(―――伊野波によれば、自家発電も食料も水もあるという、まるで準備されていたような避難所が存在するということが……怪しすぎはしないか)
ということについてだった。
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