ガチャン バシャン
事務室から顔を出すと、店内のソファの一部から炎が立ち昇っていた。
慌てて現状を確認すると、ガラスの空き瓶のようなものが割れて転がっていた。
その周囲が扇状にかっと火の海になりかけていた。
あと、やや鼻をつく刺激臭。
「ガソリンの臭い?」
『もしかして、火炎瓶じゃねえのか』
「く、そう来る!?」
遅れて顔を出したナナンが、
「お兄さん、どうしました―――きゃっ」
火に怯えて顔をひっこめる。
それからおそるおそる覗き込んで、
「火事ですよ! 消さないと!」
正論だが、今回ばかりはそうもいかない。
あれがゼルパァールの指摘通りに火炎瓶によるものならば、下手人は決まっている。
あの親子が放り投げてきたのだ。
道理で僕たちが会話中におとなしかったわけだ。
僕のマカロフを警戒していたのではなく、あの火炎瓶を用意していたのだ。
そして、人間が使う武器の中で火炎瓶というものは実に効果的だ。
使用するためには投擲という人間の持つ独特の技術さえあれば足り、そして殺傷力は意外と高い。
デモ隊が使う火炎瓶を鎮圧側の警官がやたらと警戒するのは、下手をすれば死人がでることをよく理解しているからだ。
人は衣服に火がついたら、かなり高い確率で死に瀕する。
火傷というのは致命傷になりやすいのだ。
「そうなんだけど……ナナンちゃん、お店の中を見張っていて。誰か入ってきたら叫ぶこと、いいね」
「はい。お兄さんは?」
「僕はこっち」
マカロフを構えて、従業員口に向かう。
さっき父親も二郎もあんな火炎瓶を抱えていなかった。
それにゾンビにだって通用する武器ではあるけれど、一朝一夕で作ることができるものではないということは、あれは前から準備してあったものだということ。
つまりは……あのキャンピングカーの中に置いてあったもの以外には考えられない。
ならば、次の攻撃は……。
ガチャリ
従業員口の戸のノブが静かに回る。
そっと動いているつもりなのだろうが、バレバレだよ。
戸の板目掛けて引き金をひいた。
貫通するかはわからないけど、外で何かが激しく動いた気配がする。
(やっぱりか!)
僕たちの背後をつく作戦だったのだ。
まず、火炎瓶を店内に投げてこっちの気を引き、その間に回り込んで二つある出口の一つである従業員口から襲おうとした。
やり口としては単純だ。
ただゾンビでは決してやらない戦い方をされるのは困りものだね。
さっきピンとこなければ僕とナナンはやられていたところだった。
「ナナンちゃん、こっちにきて! 早く!」
「はい!」
とことことやってきたナナンが僕の腰にしがみつく。
何が起きたのかはわかっているようだ。
「いい、僕から離れちゃだめだよ」
「はい」
敵は三人。
こっちにはいても一人か二人。
従業員口を守っていればそれですむ。
入ってきたと同時に殺せばいいのだ。
「ちょっとショッキングかもしれないけれど我慢して」
こんな年端もいかない子供に、人殺しを見せつけることになるかもしれないけれど、それは仕方ない。
ナナンも理解しているはず。
僕たちの頭の中にいる連中の遊びで〈キャラクター〉にされたということはこういうことだと。
待っているのは、ゲームの殺し合いなんだから。
「はい」
「いい子だね、ナナンちゃん」
僕はマカロフを構えた。
正面の扉から親子の誰かが入り込んで来たら躊躇なく殺させてもらう。
だが、マカロフは火を噴かなかった。
黒いライダーズスーツの二郎が僕に飛びかかってきたは、左側にあった戸からだったからだ。
突然の予想もしていなかった奇襲によって、僕はマカロフを手放すことになった。
全身を叩きつけるように飛びかかってきた二郎に掴まれて、僕は床にしたたかに背中をぶつける。
さっきと違い、クッションになるものがなく衝撃がすべて一点に集中した感じで。
「ぐふぅ!」
半分ぐらいの息を吐きだしてしまう。
喉が焼けるように痛い。
だが、そんなことを気にしている余裕はない。
なんといっても二郎に押さえつけられているのだから。
しかし、こいつ、どこから……
『倉庫から出てきやがったぞ、こいつ!』
ゼルパァールの声が脳内に響く。
同時に僕は理解した。
二郎はキャンピングカーが横付けしていた倉庫の扉―――おそらくは搬入口から入り込んだのだと。
「死ねえええ!!」
腐臭と汗で最悪の臭いがする。
そいつに絡みつかれて僕は暴れるしかなかった。
身長差はおそらく二十センチ近いので、リーチの差がかなりある。
肘でがんがんと首筋から胸にかけて殴りつけられた。
引き剥がそうとしてもどうにもならない。
このままでは、殺されてしまう。
顔も何度も打たれる。
二郎の形相は恐ろしいものだった。
僕が兄―――弟かもしれないが―――の仇だと死に物狂いなのだ。
だから、普段は決して出ないだろうクソ力で僕を追い詰めて殺そうとしている。
(でも、そうはいかないんだ!)
僕だって死にたくない。
全身を左右に振って、伸し掛かっている二郎を揺らし、そして耳のあたりに掌を叩き付ける。
いやな手応えがあった。
鼓膜が破れたかもしれないぐらいの。
さすがに内耳の一部を破壊されれば誰だって怯む。
チャンスとみた僕は腹筋をつかって身を起こし、二郎を床に叩き落した。
そのまま拳で横っ面をはたく。
「ぎゃああ!」
人間らしい叫びを立てろ!
膝を曲げて二郎の腹を蹴った。
吹き飛ぶ。
立ち上がる時間も惜しい僕は、屈伸のバネだけで跳んだ。
膝が鼻を潰した。
力任せに両腕を叩き落して顔面から鼻血を散らさせる。
「死ね! 死ね! 死ね!」
〈キャラクター〉として増した力の限りに連打する。
さすがに抵抗が弱くなったところで、落ちていた二郎のフルフェイスを握りしめるとこれも容赦なく叩きつけた。
鮮血が舞った。
それでも完全に動かなくなるまでトドメを刺さないと。
「息子に何をするのさ!!」
今度も横からやってきたのは、例のガタイのいいオバサンだった。
手にはストゥールを抱きかかえている。
それを振り上げて僕の頭頂に叩き付けようとする。
殺す気だった。
だけど、それは僕も同じことだ。
マカロフを拾おうとするが、それはなんとまだ息があるらしい二郎によって飛ばされた。
ちっ、死にぞこないめ。
でも、それは悪手だったね。
「ナナンちゃん、拾って!」
「はい!」
傍に転んでいたナナンが飛びかかって、マカロフを拾うと、小さな両手で構える。
「ガキにペストルが撃てるものか!」
オバサンが吠えた。
それはそうだ。
ナナンぐらいの小さな女の子が銃を使うなんて、精神的にも肉体的にも困難なことだからだ。
だから、オバサンは余裕の表情だった。
彼女はまだわかっていなかったのだ。
僕ら〈キャラクター〉がどんなに危険な存在なのかを。
〈ゲーム〉をクリアするためだけに、人間としての大切なものを切り捨てられたヤバい人外のものだということを。
それは僕に限らず、ナナンも同様だ。
「ごめんなさい!」
ナナンは一言謝罪をすると、引き金を引いた。
オバサンの右の眼窩に窪みができて、銃の破壊力で頭蓋骨が吹き飛ぶ。
血しぶきとともに一つの命が消えた。
しかも、その間、マカロフが火を噴いてもナナンは眼を閉じもしなかった。
銃なんて初めて撃つはずなのに、射撃の時に目をつぶらないという基本的なことができているのである。
それは〈キャラクター〉の特性でもあった。
ナナンもどんなに小さくても普通ではないのだった。
「マ……マ!!」
僕の尻の下の二郎が叫んだ。
母親が殺されたのである。
激昂する気持ちもわからなくはない。
けれど、おまえは一つ間違えている。
これは殺し合いだ。
僕はおまえたちを殺すために動いている。
「うるせえええ!」
ヘルメットの堅い部分を叩きつけた。
ボクという手ごたえがあった。
同時に今まで強い抵抗のあった身体から力が完全に抜けていく。
一瞬で生きている人間が人形になったようだった。
『やったみてえだぜ』
「ナナンちゃん、それを貸して!」
僕はナナンから返してもらったマカロフで、二郎とオバサンの二つの死体の額にもう一度銃弾を放った。
とどめは必要だ。
もしゾンビにでもなったら厄介だし、さっきの三郎だかの二の舞はまっぴらごめんだから。
「うっ」
見ると、店内のほとんどに火が回っていて、もう煙が充満している。
ここに留まるのは危険だ。
しかし、外には猟銃をもって大男が待ち構えている可能性が高い。
じゃあ、どうする?
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