ナナンを背負い、ファミレスの隣の家のブロック塀を昇る。
少し高みから見ると、さっきまでの大騒ぎを聞きつけたのか、幹線道路の上下、また、路地裏からどんどんとゾンビが集まってくる。
このままいくと、完全にこの一帯はゾンビで包囲される。
一分一秒でも早く逃げ出さないと。
「しっかり掴っていてね」
「はい」
僕は来た時と同じように住宅の屋根に昇り、ベランダを伝い、塀の上を駆け抜けた。
途中で動いている僕らを見つけたゾンビもいたけれど、逃げるだけならばもう慣れたものだ。
この〈ゲーム〉におけるゾンビどもは走ることもないし、ジャンプすることもないので、〈ライトウェイト〉と〈クライミング〉、〈大ジャンプ〉という身体能力アップの〈パークサイト〉をつけた僕には追いつくこともできやしない。
それだけじゃない。
「あ、お兄さん。北の方にゾンビさんが五人固まってこっちに来ています」
「了解」
『おお、〈レーダー〉は便利だぜ』
ナナンの持つ〈レーダー〉の効果も抜群だった。
動いていないゾンビは見つけられないという欠点があったとしても、今のように状況が動いている場合には効果が絶大だ。
逃げまくるプレイに徹することにしたのならば、これぐらいに役に立つ能力はそうはないだろう。
僕たちは協力して炎上するファミレス目掛けて殺到するゾンビどもを躱して、ようやく薙原の待つ飲料水オペレーター会社の倉庫傍に辿り着いた。
ナナンも疲れ切っている様子だった。
無理もない。
なんだかんだ言って、小学生の女の子だ。
いくら〈キャラクター〉とはいえ、基礎の体力からして相当低いはずだし。
「はあ、はあ、もう駄目ですぅ……」
「いや、大丈夫だよ。ここまでくればね」
「そうなんですか……?」
「うん。わりと多くのゾンビがさっきのに引きつけられているみたいだし、しばらくはこっちに戻ってこないだろう」
「よかったあ~」
胸を撫で下ろす女子小学生。
その姿はさっき食人家族のオバサンを始末したことへの罪悪感のようなものは感じ取れない。
やはりこの子も〈去勢〉されている。
心が普通ではない、もう人外なのだろう。
僕と同じ。
ただの〈キャラクター〉なのだ。
ピコン。
頭の中から音がした。
あの時のように。
ナナンも顔をしかめて、「なんでしょう? ピコンとかいう音が聞こえました。あれ、どこから……?」と呟く。
僕にはその音の正体はわかっていた。
「……待て、ゼルパァール」
『なんだよ』
「選択肢が出たんだね?」
『ああ、そうだ。このガキを殺すか殺さないかのな。どうやら、あっちの方にも出ている可能性はあるが、〈プレイヤー〉しか選択肢は見えないし押せないからな。反撃されることはないだろうぜ』
「ナナンを殺すというのか?」
『あたりまえだろ。〈プレイヤー〉がいる〈キャラクター〉は全部始末しなければ俺の勝ちはねえんだ。見た目が餓鬼で、ちょっと前まで協力プレイをしていたからって情けを掛ける必要はねえな』
「ちょっと待ってくれ」
『待たねえ』
「君が〈ゲーム〉をクリアするための提案をする。だから、待って」
すると、ゼルパァールは興味を覚えたのか、少しだけ沈黙して、それから言った。
『どういう意味だ? 言っとくが選択肢が出たら一定時間に押さねえと消えちまうんだ。だから、早くしろよ』
「理由は二つある。一つは、彼女には〈プレイヤー〉がいない。つまり、厳密にいえば君の競争相手ではないんだ」
『いねえかどうかはわからないぜ。嘘かもしれねえ』
「そんなのはわかっているはずだろ。君にだって」
ゼルパァールは沈黙した。
それが雄弁な答えだ。
「次に、もう一つ。これが大事なんだけど……」
『言えよ』
「僕はナナンの〈レーダー〉と〈影分身〉が必要なものだと思っている。特に〈影分身〉なんて特殊(レア)ものなんだろ。ここで手放すのはもったいない」
『そんなもんは殺して奪えばいい。てめえのスロットに入れればいいだけのこった』
「確かにそうだけど、よく考えてくれ。今の僕の四つの〈パークサイト〉はとてもバランスがいい。〈大ジャンプ〉が入ってからは、屋外での移動についてはまずゾンビには捕まらないようになった。それはさっきまでの動きでわかるよね」
『―――そりゃあ……認める』
よし、ここが押しどころだ。
交渉を有利にまとめるための。
「四つのうちのどれかを削って〈レーダー〉なんかをつけるよりも、ナナンを僕の仲間にして〈レーダー〉としての役回りを演じてもらった方がはるかに効率がいいと思わない?」
『だけど、そいつは〈キャラクター〉だぜ。殺さなければならねえんだ』
今だ。
「待って。フィールドの〈ミッション〉は他の〈プレイヤー〉の〈キャラクター〉を排除することであって、必ずしも殺す必要はない。そうだろ? そして、ナナンの〈プレイヤー〉は絶賛〈ゲーム〉を放棄中だ。しかも戻ってくるかどうかはまったくわからない。だったら、結局、〈キャラクター〉としてのナナンは脅威とはなりえないんじゃないかな?」
『……命乞いする気かよ』
「うん。でも、それで僕は絶対にしたくない人殺しをしなくてすむ。君もプレイを円滑に進めるための仲間を得る。一石二鳥だ。協力関係とはまさにこのことじゃないかな? どう、ゼルパァール」
しばらくすると、チッチッチッチという時を刻むような音が流れ出す。
おそらくタイムアウトの宣告だろう。
ゼルパァールの前にある、「ナナンを殺す」と「ナナンを殺さない」という二つの選択肢のどちらを選ぶかの。
そして、少ししてブッブーというブザー音が鳴ったが、何も起きたりはしなかった。
今度こそ僕の手が拳銃のトリガーを引くことはなかったし、ナナンが死んでしまうということもなかった。
『……わかったよ。てめえの意見を採用してやる。だが、いい気になるんじゃねえぞ。〈キャラクター〉のくせに〈プレイヤー〉様に命令をするなよ! もっとトラウマになるようなことをさせるぞ、コラ!』
「うん。肝に銘じておくよ」
さっきまでの僕らのやり取りを聞いていたはずのナナンがじっと僕を凝視している。
手が……小さな手が、僕の袖を握っていた。
「助けてくれたんですか?」
「ああ」
「どうして?」
「……バッドエンドは流行らないからじゃないかな。みんな、できたらグッドエンドを狙いたいんだ」
するとナナンは、
「そうですよね。ゲームですもんね。幸せなシーンをバックにエンディングテロップが流れたほうが楽しいですもんね」
「ああ、そうだよ。僕は、このクソッタレな〈ゲーム〉で、最高のグッドエンドを目指しているんだ」
僕はナナンの頭を撫でた。
この子も僕と同じ立場だけど、できたら守ってあげようと決めた。
できたら、という条件付きなのが悲しいけれど、今の僕にはそれが精いっぱいだ。
こんなゾンビだらけの世界では。
でも、僕にはまだ希望がある。
インベーダーに操られる〈キャラクター〉であったとしても、まだこの〈ゲーム〉をクリアして世界を取り戻せるかもしれないという可能性が。
だったら、戦うしかないだろう。
これからも。
ずっと。
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