〈ゲーム〉のゾンビたちは、獲物の人間に殺到する時だけはわずかに早くなる。
血の気のまったくない無表情―――いや、少なくとも食欲だけは旺盛に見えるね―――が、顎を開いて襲い掛かってきた。
死んで強くなった力で掴まれて、どこかを噛まれたら完全にアウトという攻撃だった。
僕ら〈キャラクター〉が感染することはないけど、それでも何か所も噛まれて血を流しすぎたら死んでしまうことはわかっていた。
いくら治癒力が上がっているとはいっても、実際に真純さんに噛まれて死にそうになった経験が教えてくれる。
肩にゾンビの手がかかる寸前、僕はその額に向けてマカロフの銃口を向けて引き金を絞った。
初めての体験とは思えないほど、スムーズに身体が動く。
正直なところ、体育の授業のサッカーでコーナーキックを蹴る方がもっと難しいぐらいの滑らかさだった。
普通ならきっと恐怖と焦燥感でこんなことはできない。
パン
と乾いた音がしたと思ったら、弾丸は過たずゾンビの頭蓋骨を貫通し吹き飛ばした。
黒い液体が噴き出る。
さっきの車庫の前でもそうだったが、この黒い脳漿がゾンビたちであることの証しなのかもしれない。
だから、白い脳を持つ人間たちに強請るのだろう。
唯一の弱点を突かれて床に崩れ落ちたゾンビを僕は踏みつけて、廊下に出た。
マカロフの音は絶対に聞きつけられている。
すぐにここにゾンビたちが群がってくるに違いない。
僕が逃げ場所として選んだのはさっきの中二階だった。
そこから屋根の上に戻ろう。
安全装置をかけた銃をベルトに挟んで、バットを握りしめると僕は走り出した。
「ぐおおおおお!」
横合いの部屋から叫びとともに手が伸びてきた。
ゼルパァールのいうバントの要領で弾き飛ばして、勢いを殺さないように走る。
右と左から一対ずつ出てきた手を薙ぎ払い、僕は走る。
広いといっても所詮は個人宅。
すぐに階段まで辿り着いたが、そのときまた隣の部屋か襖を突き破ってタックルをしてきたセーター姿のひっつめ髪のオバサンに組みつかれる。
あまり勢いがないうえ、たぶん助走もなかったからか廊下の壁に叩き付けられてもさほどのダメージはなかったが、学生服の裾を掴まれて、動きが取れなくなる。
鼻にもゾンビ特有の腐臭が突き刺さる。
何かの乱闘にでも巻き込まれたのか鼻と耳がもげている不気味な顔つきの口が噛みつこうと開く。
思わず腰を引いたら、太ももがあったあたりで「ガキン」と歯の噛みあう音がした。
丈夫で健康な歯の持ち主のようで!
僕はこんなのに抱き付かれているのはまっぴらなので、バットの柄の部分で顔をひっぱたき、それから腿を上げて足裏で蹴り飛ばした。
元がオバサンということで軽かったからか、派手にのけぞる。
もう一度逆の脚で顔を踏みつけると、ようやく僕から引き離せた。
同時に思いっきり振りかぶって頭蓋骨を砕く。
「ぎゃあああ」
人間に近い嫌な叫びとともにオバサンのゾンビは床にぶっ倒れる。
完全なトドメを刺そうと思ったが、視界の端にまたさっきのゾンビが姿を現したのが映る。
体勢が崩れているのと、息を止めていたのを思い出して、すぐにケツをまくった。
生き残りたいなら逃げなきゃ。
階段を三段飛ばしで駈け上る。
ベランダに出ると、バットをたてかけて、かかっていた洗濯竿の先端を戸口の下隅に差し込み、反対側に潜む。
数秒後に黒い影が戸口から出てきた。
僕を追っていたゾンビだ。
「そうれ!」
両手で竿を上げる。
すると、どんくさいゾンビの脚首がひっかかり、こらえきれずに(こらえるというか、自己を守るために受け身すら取らない)前に向かって倒れこむ。
やや傾斜があるからか、そのままゴロリと回転し滑りながらゾンビは屋根の縁までいってしまう。
なにがあったのか理解できずにふらふらと立ちあがろうとするが、斜面の上のゾンビは直立できずに不自然な姿勢になる。
その顔面めがけてまたマカロフを撃つ。
僕はまるでプロの殺し屋のように拳銃の技術が高い。
またもたった一発でゾンビは顔面をぶち抜かれ、屋根から転げ落ちていった。
拳銃の音を聞きつけたのか、すぐにもう一匹顔を出したが、同様にして足を引っかけてバランスを崩させ、近くにいたのでバットを一撃して突き落とす。
これを五度繰り返すと、もうゾンビはやってこなくなっていた。
注意深く屋根の上を見渡しても、どこからか昇って来ている気配はない。
安全を確保したと判断して、地面を見下ろしてみると、七匹ほどのゾンビが断末魔の蠢きをみせていて、さらに一匹ほどが突っ立っていた。
他はいない。
厳重に閉められた門の方で、ガシガシとゾンビがぶつかっている音がした。
どうやら、拳銃の音を聞きつけて近所にいたのが寄ってきたのだろう。
でも、さすがにあれは破れないはずだ。
街の様子をみたところ、普通の民家の扉程度では守り切れないが、しっかりしたマンションの玄関は数が殺到しないかぎり大丈夫なようだから。
ここはさすがに敵対勢力の存在する暴力団の家だし、無理やり何とかするのはさすがにできないと思う。
僕が入ってきた通用口は鍵を閉めてきたし。
よし、できることをしようか。
『おい、どうすんだよ?』
「とりあえず、ここのゾンビを殲滅するよ。無限湧きするゾンビじゃないのなら、少しずつ掃討して危険を除去するのが生き残る手段だからね」
『そりゃあ、そうだ! ヒャッホー、さっさと皆殺しにしちまえ、マイ・キャラさんよ!』
ホント、手を汚さないやつは気楽でいいよね。
僕はゾンビたちを突き落としたあたりにいき、下にいた一匹のゾンビの頭を撃ち抜く。
スキンヘッドの強面なのであまり罪悪感はなかった。
ここで弾切れをしたので、弾倉を交換して、リュックサックからだした水を飲む。
相当喉が渇いていたのだろう、一本すべて呑み切ってしまった。
水分補給して落ち着いたのを確認してから、僕はまた組長の屋敷の中に戻っていった。
全部で九匹のゾンビがいたけど、まだいる可能性はある。
完全に安全になるまで注意しないと。
◇◆◇
『しっかし、ここは快適そうだなあ。おい、てめえ。ここを拠点にしねえか? ゾンビ物では拠点づくりが大事なんだからよ。ここは武器も手に入ったし、食い物もあるし、もうちぃと探せば便利なものも見つかるんじゃねえか』
……もう一匹だけいた、学生風の少年ゾンビを斃してから、僕はざっと屋敷の中を見て回った。
この少年はたぶん組長の息子だ。
なんというか高そうなゲーム機ばかりの部屋は彼の部屋か。
僕よりも年下みたいだったが、傷一つ負っていなかったから、きっとこの屋敷で最初にゾンビになったのは彼だったのだろう。
どおりで和装の組長らしきゾンビが簡単にやられていたわけだ。
おかしくなった息子をすぐに殺すことはできなかったのだろうね。
あれが組員ならば一瞬躊躇したとしても撃てたかもしれないのに。
僕は台所を漁り、組長の部屋を漁り、色々と物色した結果、それなりによさそうなものを見つけて、頑丈そうなボストンバッグに詰め込んだ。
「いや、やめておこうよ」
『どうしてだよ? ゾンビだって、あの豪勢な門構えは突破できないぜ。車庫の車だって使えそうだ』
「ここは広すぎていざという時にこもる場所がないから。部屋も鍵がついている個室以外は集団の方が有利だし」
『まあ、そうだな』
「それに僕らは立て籠もって長生きすることがゲームの目的じゃないでしょ。動き回ってミッションを探していかないとならない。ホームを作るという考え方は、はやぶさかじゃないけど、そのためにはここはちょっと危険だよ」
ここで手に入ったものはかなり良かった。
さっきまで使っていたマカロフ以外にも、もう一丁の拳銃がゾンビの懐に入っていた。
武器は重くなり過ぎない限り、あるに越したことはないのでホルスターと一緒に没収させてもらった。
あとは高出力のスタンガンと護身用の鉄棒―――なんのために使っていたかは知りたくもないけど。
懐中電灯とかその他諸々も。
食べ物についてはカロリーバーの類があったので、それをバッグにぶちこむ。
あとはさすがに学生服だと動きづらいので、ジーンズとトレーナーを拝借して、厚手のスタジャンも着こむ。
噛まれても感染しないけど、傷は受けるのだ。
防御を硬くするのにこしたことはないよね。
『でもよ、そろそろ夕方だぜ。夜になると、ゾンビが有利な状況だぞ』
「どっかのワンルームの方が危険は少ないと思うんだ。僕には〈クライミング〉があるから、少し高めの階に陣取れればね」
『それもそうか』
普通ならこういう選択はしない。
でも、僕は普通ではない。
意味なく特別な立場にいるのだ。
考え方も変えていく必要がある。
「じゃあ、早く出よう。日が暮れる前にゾンビのあまり寄りつかないマンションを探さないと……」
そうして、僕はゾンビが溜まっている塀を乗り越えて、暴力団組長の屋敷から退出したのであった。
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