3tトラックの中にはペットボトルのダンボールが詰まっている。
だから、それほどの速度を出すことはできない。
さっきまでは天上に僕を乗せていたということもあって、20キロぐらいでしか走れなかったこともあり、ゾンビの追跡を完全に振り切ることができなかった。
おかげで、要塞ビルの敷地内にはいなかったゾンビどもが続々と侵入してくる。
僕は横転したクーパーから這い出してきた三人の女性に近づいて、怒鳴りつけた。
「さっさとあのトラックのところに行って!!」
意味が呑み込めないという感じの怯えた顔。
僕の後ろから寄ってくるゾンビが視界に入っているからだろう。
でも、困るんだよね。
ここで動いてくれないと、僕たちまで犠牲になってしまう。
「え、あの、あなたは……?」
「さっきのトラックの……」
三人とも頬がこけまくってやつれた顔をしているので、相当苦労していたのだろう。
全員が年頃の女の子らしからぬ臭いを発していた。
機敏に動くのもままならぬほど疲れているようだった。
ただ、いつまでもごちゃごちゃやっている暇はない。
「少し黙って」
僕はとりあえず手前にいた二人の女性の頬をひっぱたいた。
わりと力を入れたのでかなり痛いとは思う。
ただ女の子を叩いたのは初めてなので僕としてもちょっと緊張した。
とはいえ、危機一髪の状況でガタガタ言われても面倒なので力で黙らせるのか一番なのは間違いない。
「さっさと奥まで走って。建物の中に入れるように交渉してあるから、運転手の僕のツレと一緒に避難してほしい」
「―――!!」
何か言いたそうだったけど、時間がないのでもう一発ビンタした。
「早く走れ! 僕がちょっとだけでも時間を稼ぐから、早く!」
僕の気迫に押されたのか、三人は回れ右して走り出した。
彼女たちのカバンが衝撃で開いたトランクから転げでていたが、そちらには目もくれないのは好印象だ。
何よりも自分の命が惜しくて行動するのは人間らしくていい。
僕たちのように感情を〈去勢〉された〈キャラクター〉だともう自分が自分がという気分にすらなれない。
通用門から10体のゾンビが、特有の呻き声をあげながら侵入してくる。
要塞ビルの周囲は有刺鉄線が巻かれて、監視カメラらしいものがつけられた高い塀に囲まれているおかげで乗り越えられるおそれはなさそうだ。
つまり、この通用門からやってくる連中を足止めすれば、トラックにいるナギスケとナナンは助けられる。
ついでにさっき足を引っ張ってくれた三人組も。
ビルの玄関を見ると、僕たち―――というか三人組が事故った音に気がついたのか、シャッターが開き始めていた。
ガラガラと音が聞こえてくるのでどうやら動力は電動らしい。
藤山は約束を守ってくれたようだ。
「とりあえず、ギリギリまで粘るかな」
両手を突き上げて突進してきた死人の頭部を思いっきりホームランでぶっぱなした。
僕は野球をやったことがないので、スイングも素人で、しかも腰なんか一切入っていないけど、見事なぐらいに頭蓋骨ごとふっ飛ばした。
「意外と脆いもんだね」
『アクションシーンは派手になるように調整されているらしいからな。スプラッター要素をだすためらしいぜ』
「……また、人間で遊びやがって」
とはいえ、僕が生き残るためにはいい仕様だ。
本当の人間だったらフルスイング一発で頭が飛んで行ってしまうことなんてあるはずがない。
しかも、僕なんだぜ。
『グォォォ!』
仲間でやられてもゾンビの進行は止まることはない。
汚れた布そのものとなった服をつけただけの、固くなり黒く凝り固まった血に染まったゾンビたち。
四肢のどこかが欠損してしまっているものが多く、ほとんどのものが足を引きずるなりして無理な歩行をしていた。
前歯が揃っているものがまったくいないのは、欠けるようなものを散々噛みしめたからだろう。
だが、眼だけはみな同じだった。
生気の消滅した白濁とした眼球。
唯一わかるのは、生きた人間を捕食しようとする憎しみのカラーだけ。
〈ゲーム〉のためだけに殺しをプログラミングされた敵キャラとなった哀しみよりも、おぞましさが際立つ。
動きも苦鳴も肌の色もすべてが非人間的だ。
初めて暴力団員のゾンビを斃した時からもう一週間は経過していることもあり、完全に生きている頃の生々しさはなくなっていて、ただただ不気味なだけである。
僕はもう一体の頭をバットで殴りつける。
例の黒い脳漿が割れた頭蓋骨から噴き出す。
まるで重油の流出事件のようだった。
奥の方に視線を向けると、どうやらこのあたりのゾンビがすべて終結しているかのように大盛況、満員御礼だ。
さすがにまずいと逃げ出すことにした。
もっとも手近にいた二匹のゾンビの額をマカロフでぶち抜き、数歩後退して二度と振り向かない勢いで走り出す。
本当ならば拳銃を持っていることを藤山たちに教えたくはなかったのだが、今のは合図でもあるから仕方ない。
トラックの脇をすり抜けると、シャッターが地上50センチメートルほど開いていた。
それ以上は危険だということだろう。
ナギスケたちはこちら側にはおらず、這いつくばって向こうから僕を呼んでいた。
「センパイ、早く!」
「お兄さん!」
「あんた、早く来るんだ!」
あと一人は知らないおじさんだ。
僕はその声にこたえるようにスライディングタックルの要領で滑り込んだ。
「よし、閉めろ!」
「おお!」
電動式だからか閉まるのが遅い。
その間に数体のゾンビが隙間に腕と顔を突っ込んできた。
ぐしゃんと何体かが床とシャッターに挟み込まれる。
おかげでシャッターの締まりが止まる。
まずい。
このままいくとまだある隙間からゾンビが殺到してくるかもしれない。
「あああああ!!」
僕たちの後ろに控えていたオジサンが鉄パイプのようなもので、挟まったゾンビの頭を殴りつけた。
とりあえず殺してしまおうということのようだ。
ゾンビは防禦をしない。
攻撃を受けたら手を振り回すだけだ。
そして、運よく人間を掴まえたら、噛む。
逆に運が悪い人間は掴まえられて噛まれる。
「ぎゃああ!!」
さっきのオジサンがアキレス腱のあたりに噛みつかれ、大きな声を出して叫ぶ。
しまった。
ゾンビに噛まれるということ―――。
「どいて!」
僕はオジサンを突き飛ばして、ゾンビの頭頂をマカロフで撃った。
完全に停止する。
残りの数体も離れた場所から吹き飛ばし、それから誰かが持ってきた木材の先端を使って外側に押し出した。
障害物がなくなったのでシャッターが今度こそ閉まっていく。
そして、最期にはブチ切れた何本かのゾンビの腕を残して、シャッターはわずかな隙間を残して完全に閉じた。
「ぎゃああ、噛まれた、噛まれちまったよお!」
足首を押さえてオジサンが呻いている。
僕と一緒にやってきた五人と、反対側にいた九人がいたたまれないというような顔をしていた。
みんな、もうわかっているのだ。
彼はもう助からないと。
〈ゲーム〉開始から10日が経っている。
ここまで生き残ってきた人間ならば、街を埋め尽くす死霊の群れについてある程度の知識は持っていて当然だ。
だから、ここにいる人間たちは、ゾンビに噛まれた同胞のことを冷たく見下ろすしかない。
助けることはできない。
ゼルパァールも言っていた。
この〈ゲーム〉でゾンビに噛まれたら100%感染して、1時間以内に発症し、運が悪ければ数十秒で変貌する。
同じ存在になり下がるしか道はないのだ。
だから、痛みに泣き叫んでいたオジサンが徐々に動きを止め、涎を垂らしながら白目を剥いていくのを見ているしかなかった。
「いやだ……助けて……くれ……」
必死の声は擦れていき、とめどなく流れる涙は止まらない。
差し伸ばされた手を誰も取ろうとはしなかった。
中年太りのちょっとメタボな体型がビクビクと痙攣をし始める。
僕も初めて見るゾンビに変貌する前触れだ。
背骨が割れるんじゃないかと思うぐらいに、上半身が折れ曲がった。
耳から白いものが垂れる。
それがすぐに黒い見慣れた液体に代わった。
通常の脳髄が黒い脳漿に代わったのだろう。
あれでほぼ完成だ。
男性ゾンビ1体のできあがり。
「……水沼さん」
誰かが嗚咽を漏らした。
少なくともここ数日はともに生きるために戦った仲間が死んだのだ。
お悔やみの一つくらいあるだろう。
ただ、そうも言ってはいられない。
彼はもうゾンビだ。
あと少ししたら立ち上がって僕らを喰らおうと動き始める。
だから、僕は一歩前に出た。
マカロフの銃口を突き付ける。
「ごめん」
引き金を絞った。
あまり気は咎めない。
だって一度も会話さえしたこともない人だったから。
これが伊野波か藤山だったら少しは気に病んだかもしれないが、残念なことに水沼という名前は知らなかった。
パン
崩れ落ち、今度こそ絶命した水沼の死体を見下ろして、首を垂れる。
死んだ人に哀悼の意を表す。
そのぐらいしか僕にはできない。
『……一応、いっておくぜ』
「……」
ゼルパァールの減らず口なんか聞きたくない。
『てめえがこれからすぐにしなければならない用心についてだ』
「……なに?」
小さく呟いた。
誰にも聞こえないように。
『いいか。顔に出すんじゃねえぞ。―――このビルにはてめえとチビ餓鬼の二人を除いたとしても、あと二人の〈キャラクター〉がいるぜ』
眼を閉じることで表情を隠した。
少なくとも黙とうをしているように周囲には見えたことだろう。
ただ、僕としてはゼルパァールの爆弾発言の方が気になりまくっていた。
『俺の〈第六感〉が反応している。この中には間違いなく、あと二人の〈キャラクター〉がいる。今までいたのか、あとから入ってきたのかはわからねえ。ただ、この建物の敷地内に踏み込んだ時から、確かに二人分の反応を感じている。いいか、注意しろよ。もしかしなくても、ここは敵の〈プレイヤー〉の巣だぜ』
―――あちゃあ、一難去ってまた一難とは。
まったくついてない。
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