「じゃあ、行って」
僕が指示を出すと、〈ナナン〉が歩き出した。
すぐそこには従業員口があり、さらに外にはおそらくは食人一家の大男が待ち構えているだろうところに。
店内はもう火の海に包まれていた。
割れた窓から脱出することは簡単なことではない。
だから、逃げるとしたら、この従業員用の出入り口か、さっき二郎たちが入ってきた倉庫に隣接している搬入口だ。
ただ、搬入口の方は鍵を掛けておいたので、入ってはこられないだろう。
多分、確実に大男の父親は僕たちが逃げ出すのを待ち構えている。
火の海を越えてはいかないだろうという判断のもと、いかにも逃げ出しやすそうなところに罠を張るのは狩りの定石だからだ。
だから、僕たちは従業員口からは外に出てはいけない。
それなのに、〈ナナン〉はとことこと音を立てずに歩いてノブに手を掛ける。
僕の隣にいたナナンが頷く。
同時にノブを握っていた〈ナナン〉が外に出た。
僕はナナンの手を握って、駆け出した。
火の海に向かって。
顔を汚れていない濡れタオルでぐるぐる巻きにして、煙を吸い込まないように工夫してから。
ソファなどに燃え移り、化学繊維が焼ける黒々とした煙で充満している中を、ナナンを抱きかかえたまま走る。
パンと猟銃が火を放った音がする。
僕の背中から。
びくんとナナンが震えた。
それはもう一人の彼女が射殺された音だからだ。
本体たる彼女にはきっとその情報が伝わっているのだろう。
ただ、僕たちの作戦としては予定通りだ。
『引っかかったぞ、おい』
「うん」
僕は〈ライトウェイト〉を使ってポンポンとテーブルを駆け上がり、破れた窓から飛び出した。
当然、あの大男はいない。
だって、後ろに回り込んで僕たちを待ち構えていたのだから。
いるはずがなかった。
あいつはナナンの分身を追ってしまっていたのだから。
「ホントによかった。ナナンちゃんが〈影分身〉を持っていて」
「うん。モエスタンさんが私には必要だろうってつけてくれた〈パークサイト〉ですから」
『ああ、なかなかいいチョイスだぜ、このガキンチョを守るためにはかなり効果的だ』
「だね」
種を明かせば、ナナンは二つの〈パークサイト〉を持っていた。
一つは〈レーダー〉。
もう一つは〈特殊パークサイト〉の〈分身〉だったのである。
僕のように三日遅れで〈ゲーム〉に入ったのならば、特典として一日一個の〈パークサイト〉が与えられるが、普通の〈キャラクター〉はだいたい一個しか持っていない。
だから〈パークサイト〉を幾つも手に入れたければ、他の連中を斃して奪い取るか、なんらかのミッションをクリアして見返りとして手に入れしかないのだ。
ただ、〈ゲーム〉開始時に〈特殊パークサイト〉という切り札を手に入れられる場合もある。
それは、ナナンのような力のない幼女を〈キャラクター〉に選択することだ。
ナナンに限らず、ハンデを持った〈キャラクター〉を選ぶと、当然〈ゲーム〉には不利になる。
開始を遅らせる場合と同じか、それ以上にハンディキャップをつけることで、普通には与えられない〈特殊パークサイト〉を手に入れられるという裏技があるらしい。
ナナンの〈プレイヤー〉はロリコンだが、自分の趣味をみたすのと一緒に〈ゲーム〉クリアのための戦略も練っていたのだろう。
おかげでナナンは、ゾンビを見つけることのできる〈レーダー〉と自分そっくりの現身(うつしみ)を操作する〈影分身〉を持っていたという訳である。
「……動いているゾンビしか見つけられない〈レーダー〉でも、〈影分身〉を動かすことで反応させることができる」
「うん。私が死なないようにって」
『まあ、確かにこのコンボならな』
ゾンビに支配された世界で生き残るためには、かなり使える組み合わせということだね。
そして、今回も十分に〈影分身〉による囮作戦は効果があったという訳である。
「よし、あの駐車場に行こう」
ファミレスの駐車場には十台前後が停車している。
あれを盾にして、態勢を整えることで、大男を迎え撃つ作戦だ。
狭い店舗の中で戦うよりもだいぶ楽になるはず。
……だった。
「げっ」
嫌な予感がして振り向いたら、例のキャンピングカーが僕ら目掛けて突っ込んでくるところだった。
完全にアクセル全開でブレーキなんてかける気もない突進だった。
轢き殺すというよりも心中するかのような勢いとルート取りである。
運転席にはさっきの大男の姿が見えた。
遠目からでもわかる殺気をばらまきながら。
そして、雄たけびとともにこちらに加速してくる!
「殺す気だぞ!」
「だよね!」
僕はナナンを突き飛ばして、別の車の陰に隠すと、そのままキャンピングカーを引き離すために走り出す。
当然、追ってくる。
あいつの狙いは僕だ。
家族を皆殺しにしたこの僕だ。
だから決して諦めることはないだろう。
「グオオオオオオオ!!!!」
一郎達の父親であることがわかる奇声をあげて。
そのままブロック塀ごと追い詰められた僕を潰そうとする。
マカロフを構えてフロント目掛けて撃ったが、不発だった。
弾切れだ。
チャンバーに入れておいた弾丸を足してもマカロフには九発しかはいらないのに、マガジンチェンジを忘れていたのだ。
最悪のミスだ。
しかも左右のどちらに逃げてもキャンピングカーの特攻からは逃げられそうもない。
万事休す。
最後に僕が見る夢は走馬燈だろうか。
『さっさと逃げろよ』
「まあね」
僕は跳んだ。
それだけで三メートル近い高さ、キャンピングカーの運転席を飛び越えることはできた。
さらに飛んだ。
何もないはずの空気をまるで地面を踏みしだくかのようにして。
僕は十メートルの高さまで舞い上がり、足元で轟音を上げて運転席からブロックに激突したキャンピングカーと大男の惨事を尻目に安々と反対側に降りた。
一台のキャンピングカーをまるで跳び箱のように越したのだ。
タイミングもよかったので、傷一つ負っていない。
「金メダルものだ」
四つ目の〈パークサイト〉の効果だ。
僕が殺したある大学生から剥いだ、例のものだ。
〈大ジャンプ〉というらしい。
普通に使っても三メートルまで跳びあがれ、そして十時間に一度だけさらに二段ジャンプとして十メートルの高さまでいけるというものだった。
回数制限があるのが厄介だけど、それだけの効果は期待できる。
さっきみたいに切り札として使うにはなかなか最適かもしれない。
地面に降り立った僕は、運転席に回り込んだ。
ハンドルに胸を強打し、顔からガラスに突っ込んで食人家族の父親は死んでいた。
ピクリともしていない。
ドアが開かないので猟銃は諦めることにした。
予備の猟銃がないかと思って裏に回り、キャンピングカーの居住部分への扉を開いて、僕はまたも吐き気を催した。
腐敗した臭いだけでなく、そこはおぞましい人肉料理キッチンでもあったからだ。
確実に人のものとわかる戦利品が飾り付けてある、キッチン兼ベッドルームを捜索なんかしたくもないのですぐに閉じた。
猟銃は諦めよう。
もう近寄りたくもないよ、こんなところ。
『オエエエエ!』
頭の中でゲロを吐いている奴がいるよ。
やめてくれないかな、貰いゲロをしそうだよ。
「お兄さん、ゾンビさんたちが近づいてきます!」
少し離れた場所でナナンが警告を飛ばしていた。
君の声でも寄ってくるよね、といいたくなったが、そんなことをしている暇はない。
今はとっとと逃げ出さないと。
「僕と行く?」
「はい」
差し伸べた僕の手を取り、ナナンは可愛らしく微笑んだ。
この笑顔も悪魔どもの仕組んだ〈ゲーム〉によって壊されたものだとわかっていても、僕は笑い返さずにはいられなかった……。
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