「……クリアーってどういうこと?」
『バッカ、このフィールドから出られるようになるってことだ。もっと広いエリアでの〈ゲーム〉が始まるのさ!』
「でも、現実には僕はこのまま下から昇ってくるゾンビに追い詰められて終わることになりそうなんだけど」
『そうなるかもしれねえ。ただ、そうはならねえかもしれねえ』
「……イミフなんだけど」
すると、ゼルパァールがでっかい声で言った。
『俺んとこに新しい〈ミッション〉の案内が届いた。〔フィールドクリアー条件 屋上に逃げて脱出せよ〕だそうだぜ!』
「脱出……?」
何、それ?
屋上に行って何かあるの?
今の状況でどうにかなる要素があるの?
『いいから逃げ出せよ! せっかく、他の六人を出し抜いたんだからよ!』
逃げ出してどうにかなるのか、という疑問はあったが、ゼルパァールと僕はある意味では一心同体なのだから嘘は言わないだろう。
それに、所詮は〈ゲーム〉なのだ。
こいつらは盛り上げるためにはこの手のくだらない演出をするかもしれない。
それにさっきのあの音……
もしかしたらもしかするかも。
「北条、しっかりしろ!」
「早く動けよ!」
僕の目の前の階段を三人が必死に登っている。
階下からはゾンビが階段を上がろうと蠢いている音がした。
やはり階段を上るのは、生きている死人には一苦労なのだろう。
ナナンの〈レーダー〉がないため、どれだけの数が入ってきているかはしらないが、階段を苦戦しながら登ってきている連中だったら、僕一人でもなんとかなるかもしれない。
いざという時のために用意しておいた鉄パイプを担いだ。
重さは十分。
〈キャラクター〉の筋力ならゾンビの頭を吹っ飛ばせるぐらいはある。
マカロフは残り2発しかないけど別にもういらないか。
「ねえ、あなたたち」
「……急げ、川口くん! ゾンビが来るぞ!」
「わかってるっつーの!」
わざわざ横に回り込んで、
「さっさと屋上まで行ってください。ナギスケたちにもそう伝えて」
「なんでだよ!?」
「人間なんだから生き残りたいでしょ? 屋上まで行けばきっとなんとかなるからさ。さあ、さっさと行ってよ」
「……あんたは、どうする……つもりだ?」
「僕?」
自分を指さして別に何の感慨もなく言った。
「ちょっと時間稼ぎをしてますけど、なにか?」
急に押し黙ってしまった感じの悪い三人組を放っておいて、僕は少しだけ階段を降りる。
器用には昇ってこられないからか、這いずり回るようにして手の力で昇ってくる腐りもしない死体がうじゃうじゃしていた。
彼らの発する唸り声のすべてが生あるものへの恨み言に思える。
瞳孔が消えた白く濁った眼も歯のない口も、鼻につく汚物の臭いも、どれもこれも気持ち悪い。
このゾンビたちだってなりたくてなったわけじゃない。
でも、わかっていても吐き気は消えてくれない。
だから、その頭を金属のついた安全靴で蹴り飛ばしても罪悪感は覚えない。
むしろ、ゲーム感覚でどれだけ潰せるかの記録に挑戦したくなるぐらいに楽しかった。
少し微笑んでいたかもしれない。
あまりに愉快で。
楽しんでいた。
これは〈ゲーム〉なんだから、と心のどこかに言い訳をしながら。
◇◆◇
「ナギスケお姉さん!」
下にエレベーターでセンパイを助けに行っていたナナンが戻ってきた。
必死で階段を駆け上っていたらしく、ぜえぜえと荒い呼吸をしていた。
小学生の身体ではこの6階にある監禁場所に辿り着くのは大変だったのだろう。
あたしは部屋の前から走ってナナンに駆け寄り、そして抱きしめた。
「無事だった!?」
「はい、お兄さんは無事です! 藤山さんたちから取り替えしました!」
「……違うよ、あんたのことだって」
ナナンの身体は小さかった。
でも、この小さな子供がセンパイを助けるために孤軍奮闘で頑張ったのだ。
あたしなんて、伊野波をここに引き留めるだけしかできなかったのに、この子はどんな手を使ったのかしらないけれど、センパイを助けたのだ。
こんな身体で……。
あたしは愛おし気にナナンを抱きしめる。
会ってたった二週間ぐらいなのに、あたしにとってこの子は妹も同然だった。
もう会えることはないだろう、本当の家族と同じぐらいにナナンのことが愛おしかった。
「お姉さん……」
「ナナンが無事でいてくれて嬉しい。大好きだよ」
ナナンもあたしの腰をぎゅっと抱きしめてくれた。
「ありがとうございます……。ナナンもお姉さんが好きです」
「あたしだってもっと好きだ」
ただ、その至福の時間はすぐに終わりを告げた。
「あ、嬉しいけど時間がないんだ! ナギスケお姉さん!」
「どうしたの?」
「ゾンビさんたちがこのビルに入ってきちゃいました! みなさんで上に逃げないと!」
その切羽詰った悲痛な内容を聞きつけたのか、部屋の中からみんなが顔を出した。
あたしたちの恥ずかしい会話に聞き耳を立てていたらしい。
「お嬢ちゃん、それはどういうことだい!?」
「はい、伊野波さんがパニックになって逃げだそうとしてシャッターを開けてしまったんです! そこから、外にいたゾンビさんたちがワラワラと……」
「なんだって!! それで、シャッターは閉めたのかい!?」
「お兄さんが閉めようとしましたが、もうかなりの数のゾンビさんたちが入って来ていて、たぶん無理です!」
「くそ!!」
滅多にない凶報だった。
今まで安住の地だってこの要塞ビルについにゾンビが侵入してきたのだ。
みんなの顔に信じられないぐらいの動揺が宿った。
外の世界のようにここももう安全ではなくなったのだ。
また、逃げて隠れるだけの性格が始まるのか。
それを全員が恐れていた。
あたしだって、またあの生活に戻るかと思うと嫌だ。
でも、死ぬのはもっと嫌だ。
だから、逃げ出さないと、早く。
その時、背中の方でチンという音がしていたのにすぐには気がつかなかった。
『グホホホオオオ!!』
という唸り声が耳元で聞こえるまで。
振り向いた時、そこには黒く染まった欠けた歯を剥きだしにした、鼻のない顔だと辛うじて判別できる肉塊が迫っていた。
あたしに噛みつこうとしていたのだ。
すぐには動けなかった。
このまま噛まれて終わるのかと一瞬で諦めの境地に至っていた。
さよならセンパイ。
でも、この手の中のナナンだけは助けないと身体を投げ出したとき、あたしたちとゾンビの間に誰かが割って入った。
もともとはユルフワ気味のカールの入っていた栗色の髪をした女性だった。
宮崎さん。
名前がすぐにでてこないほど、記憶に残らない女性だった。
ただ幸が薄そうな悲しい瞳の女の人だとしか思っていなかった。
けれど、この女性はあたしとナナンを助けるために身を挺してくれたのだ。
そんなことをできる勇気のある人が世界にどれだけいるだろうか。
ゾンビの汚れた歯ぐきが宮崎さんの首の動脈を噛み破った。
「逃げて!!!!」
彼女の願いはあたしたちを救うことだった。
だったら、あたしたちができることは一つだ。
「ありがとうございました!」
二人でハモるように叫ぶと、あたしたちは逃げ出した。
宮崎さんを襲ったゾンビ以外にも後ろには二体もうつろなまなざしでこちらを探っていた。
もう一体が壁の中から現われる。
違う。
エレベーターだ。
ナナンが下に行くのにも使った搬入用のエレベーターをどういう訳かあのゾンビたちは使ってここまで上がってきたのだ。
「宮崎さん!!」
娘のように接してきた宮崎さんを助けようと仙台さんが近寄り、襲い掛かってきたゾンビに組み敷かれた。
すぐに絶叫を放ちつつ、中年女性は動かなくなった。
あの人も人を助けようと身体を張った。
センパイのこともあってあまり好きにはなれない人だったけど、あの人だって人間としては正しすぎる美しい魂をもっていたのだ。
立て続けに二人の女性を失ったからか、あたしたちは浮足立った。
まさか、こんなにすぐに来るなんて……
心を整える暇もない。
でも、これは現実。
目を背けちゃいけない。
行動しなくちゃいけない。
「上に逃げましょう!」
「行ってどうするんだ!?」
「ここにいたって食べられちゃうだけですよ! あたしたちはなんとしてでも生き残らなくちゃ!」
あたしはナナンを抱いたまま走り出した。
階段目掛けて。
ゾンビは上下動は遅い。
だったら、階段はまだ無事なはず。
センパイがここにいないということは時間稼ぎをしていてくれているはずだ。
少なくともまだ希望はある。
諦めたら、そこで、時間もなくなる。
「みなさん、屋上へ!!」
せめてセンパイが来てくれるまででも生き延びたかった……。
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