「だ、誰だよ……ごほっ」
誰何のすぐにせき込む声が聞こえた。
病気か何かなのだろうか。
少なくともゾンビではなく、生きている人間だというだけで安心できる。
世界がこんな風になってからまだ三日しかたっていないというのに、僕はもう順応してしまっていた。
ゾンビが普通にお日様の下を闊歩するという世界に。
「こんにちは。君は人間ですか?」
「そうだよ。じゃないと、あんたとお喋りはしないだろ」
僕が「人間」とわざわざ聞いたのは、実のところ、〈人間〉か〈キャラクター〉かどうかということだった。
自分で言うのもなんだが、〈プレイヤー〉に頭を乗っ取られた時点で僕たちは大きな意味で〈人間〉の範疇から抜け出してしまっていると思うから。
「それもそうですね。……で、怪我でもしているんですか?」
「まあな」
懐中電灯の光を当てると、毛布にくるまった若い男が壁に寄りかかっていた。
足元にはコンビニで売っていた製品の食べ残しと飲みかけのペットボトルが転がっている。
毛布はおそらく深夜勤務の店員が仮眠をとるために用意してあったものだろう。
僕もコンビニでバイトしていたから知っている。
目の前の男は怪我をして体を休めていたのだろうか。
かなりの大柄で、髪も短く刈りあげられていて、日焼けをしている、一目でわかるスポーツマンだった。
座っているだけなのにこちらが威圧される。
よく見ると足と肩の部分が血で黒くなっていた。
「噛まれたんですか?」
「……いや、ちがう」
否定された。
でも、僕にはどうしてもゾンビにやられたようにしか見えない。
ただ、否定したくなる理由はわかる。
今のところ目撃したことはないが、外をうろうろしているゾンビどもに噛まれればわずかな時間で同類に変貌してしまう。
噛まれたことを他人に知られたくはないはずだ。
それが普通の人間ならば。
「……いつからここに隠れているんですか?」
「昨日からだ。ホームセンターへ武器を取りに行ったら、いろんな連中が殺到していてな。それを狙ってゾンビが群がってくるものだから酷いものだったよ」
「なんで、ホームセンターに……」
一瞬だけ疑問に感じたが、よく考えればこういうときにホームセンターやらショッピングモールへいくのはゾンビものの定番だったね。
ゼルパァールも口にしていたし、いざというときにでてくる発想は似たようなものということかな。
ある意味でお調子者みたいな発想だけど。
「畜生、ゲームスタートから失敗しちまったぜ……」
男は悔しそうに顔をしかめる。
少し体をねじるだけでかなりの激痛が走るようだ。
額に油のような汗を大量にかいている。
おそらく脱水症状にも陥っているかも。
まともな治療を受けなければこのまま衰弱死してしまうと思う。
だが、これでわかることが一つある。
「君の頭の中の〈プレイヤー〉が文句を言っていません? 役立たずだとか、バカ野郎だとか。二日も無駄にしてしまっているんだから」
男は眼を剥いた。
僕の台詞の意味に気がついたのだ。
「お、おまえ!」
「―――そうです。僕も君と同じ〈キャラクター〉なんですよ。だから、君の立場についてもよくわかるんです」
「まさか……」
僕はとりあえずマカロフの銃口を下げた。
突き付け続けるというのは敵意があることと同じだから。
「……そうですよ。僕もこのくそったれの〈ゲーム〉でいいように操られているという訳です」
「本当なのか……。あ、そうだ。おまえわからないのかよ、ズニーガ? 〈キャラクター〉なんだぞ」
「〈プレイヤー〉同士での会話ってできないんだね、ゼルパァール」
こっちをほったらかしで〈プレイヤー〉と会話を始めた男同様に、僕もゼルパァールに話しかけた。
傍からみると大分変な絵面だろう。
向かい合っている二人が、脳内の誰かと会話という独り言を開始したのだから。
『〈プレイヤー〉が知り合い同士ならメッセージを送りあうことができるけどよ、俺はそいつを使っている奴はシラネ』
「他の〈プレイヤー〉のプロフィールとかも?」
『わからねえな。面と向かっても俺には何も情報が出てこないからな。てめえはどうやって見抜いた?』
「二日前に噛まれてもゾンビになってないってのは、僕と同じだからね。それに、この人は色々と詳しそうだし」
〈ゲーム〉がスタートしてすぐにゾンビに噛まれたら変貌することを知っていて、発生と同時に武器を手に入れにホームセンターに行こうとする決断力。
どう考えても機転が利きすぎだ。
さらに僕の〈パークサイト〉の〈第六感〉が反応している。
これだけ揃っていれば疑う余地もないしね。
『だってら、てめえ、銃を構えな』
「どうしてさ」
『忘れたのか。〈プレイヤー〉ってのはクリアを競争する敵同士だ。つまり、いつ寝首を掻かれるかわからなねえ関係なんだ。だから油断するなってんだよ、ボケが』
「油断? そんな、人を無暗に疑って……」
『早く構えろ!』
「わかったよ」
僕は不承不承に頷いて、マカロフを怪我人に向けた。
動くのも辛そうな相手に対して罪悪感が起きる。
向けられた方だっていい気はしないだろう。
いきなり凄い目つきで睨みつけられた。
もっとも、少しだけ怯えがあるのか肩のあたりが震えている。
傷が疼いているだけかもしれないけど。
「……なにをする」
「ごめん。気を悪くしないで」
「ふざけんな! そんな玩具でもピストルを突き付けられたら誰だってキレるぞ!」
「もう一度、ごめん。これ、玩具じゃないから。当たったら死ぬよ」
「なっ!」
絶句する彼を尻目に、
「酷い悪人みたいだよ」
『うっせえ。よその〈プレイヤー〉には絶対に油断するんじゃねえってのがこの〈ゲーム〉の鉄則だ』
「でも、同じ人間だ」
『ライバルを蹴落とさないでトップをとれるゲームなんかあるかってことだ。勝つために手段を選ばないってのは悪じゃねえよ。てめえは愚鈍なのか?』
罵られたので、気分が悪くなった。
「ごめんね」
「こ、殺さないでくれ……」
「そんなことはしないけど……」
さっきまでとは態度が違う。
一言で言うと完全に怯えられちゃっている。
マカロフを突き付けたからかな。
いや、ちょっと待って。
おそらく違う。
これは、僕が〈キャラクター〉だとバラしてからだ。
僕の正体を知って、この男は急に怯えだした。
でも、どうしてそうなった。
考えられるのはただ一つ。
この男に寄生している〈プレイヤー〉が何かを言ったのだ。たぶん、警告を。
『こいつに気をつけろ。殺されるぞ』
という風に。
「大丈夫ですよ、別に君に危害は加えませんよ」
「そんなこと……信用できるわけないだろ。……頼むよ、殺さないでくれ」
「はあ?」
ここまで急激に態度を変えられるとこっちが困る。
この男と僕は体格で言えば圧倒的に差がある。
取っ組み合いになったら絶対に勝てないぐらいだ。
せっかく生き残っている人間を殺す必要なんてどこにもない。
それなのに、どうしてこんなに命乞いをするんだ。
おかしいじゃないか。
「落ち着いてください、僕は君を……」
「何でもするから、命だけは助けてくれ!」
土下座せんばかりの勢いで男は頭を下げた。
ただ、身体は動かないらしく両手で拝むだけだ。
よくみると足も必死に動かしているようだが、ほとんど動かない。
両手以外はまともに動かせないのだ。
確かにこんな中でゾンビに襲われたらイチコロだろうけど、僕はそんなことはしないのに。
発作的なヒステリーと呼ぶにしても少し尋常ではない様子だ。
『そこのドライバーを蹴り飛ばせ!』
「えっ」
男の手元にはマイナスのドライバーが転がっていた。
不思議に思っていたが、きっと武器だ。
興奮した男にこれを突き立てられたら、大怪我じゃすまない。
僕は慌ててそれを蹴って遠くにやった。
男の顔色が真っ赤になる。
警戒色というものだろうか。
僕を完全に敵と見做しているようだった。
「……おまえやっぱり……」
「違う、違う! 僕は別に君に何もする気はないよ! 僕を信じて! あー、トラスト・ミー?」
「信じられるか! 嘘つきが!」
言葉の選び方は失敗しては駄目だね。
「何もしないって。だって、同じ〈キャラクター〉じゃないか」
「だから信用できねえんだ!」
「……そうなの? どうして?」
「おまえ、〈ゲーム〉に勝つために俺を殺す気だろ! 殺されてたまるか! いや、すまん……殺さないでくれ。……ください」
納得がいった。
つまり、この男は僕が自分の〈プレイヤー〉を勝たせるためにライバルキャラである自分を抹殺しようとするだろうと誤解しているのだ。
それじゃあ、仕方ないな。
「そんなことはしないよ。……誰だって人殺しは嫌だからね。信じてもらえるかどうかはわかせないけど」
少しの沈黙ののち、
「本当か?」
探るように問われた。
僕としては当たり前のことだけど、頷くだけだ。
「やった」
安堵の吐息を漏らす男から僕は一歩下がった。
下手に刺激してはいけない。
重傷者だからね。
こんな状況で捨て鉢になられても困る。
「じゃあ、とりあえず僕は行くよ。情報交換とは出来そうもないし」
「俺には大した情報はないよ。なあ、ズニーガ」
「そのズニーガという人が〈プレイヤー〉なんですね」
「まあな」
「僕の〈プレイヤー〉はゼルパァール。口の汚い奴でしてね。頭の中に居座られて迷惑しているんですよ」
すると、男は苦笑いを浮かべた。
「ズニーガもそうだ。どうやら、〈プレイヤー〉というのは嫌味なゴクツブシばかりらしい」
「だね」
ようやく共感者を得られて僕は満足だった。
「じゃあね」
「……西が丘の倉庫街あたりなら、ゾンビの入ってこられないところがあると思うぜ。ここみたいなコンビニに配送するセンターになっているものもある」
「なんで知っているの?」
「派遣でバイトをしていた」
「わかった。ありがとう」
西が丘といえば、運送会社が軒を連ねている地域だ。
僕の地元なのですぐに思い浮かんだ。
確かにそういうところならゾンビの入りにくい分厚いシャッターで囲まれた避難できそうな場所があるかもしれない。
ひとまず腰を落ち着けるなら、そういうところを見つけるのも手段(て)かな。
とりあえずコンビニを探って、薙原のところに戻ろうとしたとき、いきなり身体が動かなくなった。
ピコンとどこからともなく変な音がした。
電子音のような不自然な音。
「あれ?」
思考は肉体を動かそうとしているのに、肉体の方が追随してきてくれない。
それどころか、勝手に右手が上がっていく。
マカロフの銃口を男に突き付けるために。
「な、なんなんだ? おかしいぞ! ちょ、ちょっと待って!?」
僕は必死に自分をコントロールしようとするのだが、まったく思い通りに動かない。
四肢どころか、内臓でさえも自分のものではないみたいに。
どれだけの力を込めても、まるで僕の肉体なんて存在しないもののように手ごたえがなく、空気を感じているようだった。
両目でさえまともに動かせない。
なんだ、これ!
なんなんだよ!
「お、おい、どうした? ピストルなんか下げろよ! ―――おい、やめろよ!!」
「なんだよ、これ? おかしいって! 手が勝手に! 勝手に!」
僕と男の叫びがバックヤードに響き渡る。
外のゾンビに聞かれないのが不思議なぐらいの大声で。
でも、そんなことしたって自由になるわけではない。
僕の手の中のマカロフは冷然と男を見据える。
「やめろおおおおおおおおお!」
男は痛みに耐えながら、僕に飛びかかろうとしたが、既に遅かった。
パン
マカロフが火を噴き、男の額に穴が空いて、後ろの壁が丸く抉られた。
火薬の臭いで、むせる。
飛び散った血が僕の引き起こした惨状の結果を汚らわしく彩っていた。
「……人を殺してしまった」
ここに来るまでにゾンビは何匹も斃している。
でも、それは死人だからだ。
怪物だからだ。
それに僕は〈キャラクター〉として感情をだいぶ去勢されているので、罪悪感は覚えていなかった。
だが、今回のものは違う。
まだ生きている人間を、会話を交わしていた相手を、僕の手で葬り去ってしまったのだ。
喉が嗚咽を漏らす。
でも、ゲロは吐かずに済んだ。
なぜなら、すぐに後ろめたい感情が抑制されたからだ。
人を殺したという事実をまるでいらないゴミでも捨ててしまったかのようなどうということのない事実のように思わされた。
これも去勢の成果か。
僕は人殺しになっても気にも留めない程度の人間以外の何かに変貌させられていたのだ。
覚悟も、虚勢もいらない。
機械のような操り人形の僕に。
「……君がやったの?」
頭の中に寄生しているクソッタレ野郎に僕は聞いた。
『おうさ』
「どうやって?」
僕の意志を裏切って、肉体だけがこいつにのっとられたようだった。
〈プレイヤー〉は〈キャラクター〉に指示を出すだけじゃなかったのか?
僕を騙していたのか?
『さっき、選択肢が出たからな。俺が選んだんだぜ』
「選択肢ってなに?」
『この〈ゲーム〉ではな、〈プレイヤー〉は基本的には〈キャラクター〉を操れねえ。そこがちょっともどかしい部分もあるが、醍醐味ってやつなんだよ。ただ、例外的にイベントの時は選択肢が出る。リアルタイムで押さねえとキャンセルされるんだがな』
「なんだい、それ?」
初耳だった。
いや、ゼルパァールがすべてを僕に話していないだけなのだろう。
改めて理解した。
こいつらは僕たちを人間だとは思っていない。
『〔1、目の前の瀕死の〈キャラクター〉を殺す〕と〔2、目の前の瀕死の〈キャラクター〉を見逃す〕というのが出てな、てめえは2に近いものを選んだようだが、俺の選択は1さ。ここでぶっ殺すほうがいい』
「どうして!? 人を殺してどうなるんだってんだ!?」
『だってもくそもねえよ。〈フィールド〉における最大最高のミッションは〈他の〈プレイヤー〉の排除〉なんだぜ。動けなくなっている奴をぶち殺すのは当たり前じゃねえか? バッカだろ、おまえ』
まただ!
また、僕の知らない情報を隠して、僕を騙して!
この野郎!
「別に殺さなくたっていいじゃないか! 仲間にすれば……」
『バーカ、甘いこといってんじゃねえよ!』
「そのために僕を利用して!」
『最初っからやってやろうとは思っていたんだよ。てめえ、〈キャラクター〉の癖になんだかんだ俺に逆らいやがるからな。いいか、俺らはてめえらをイベントの時ぐらいしか強制介入できねえが、てめえらは結局ただの操り人形なんだよ。そのことを肝に銘じておけや、ボケが!』
沈黙がバックヤード内を支配した。
あまりのことに僕の二の句が継げなくなったのだ。
生意気な僕を懲らしめるために、わざと黙っていて、無理矢理に人殺しをさせたというのか。
「この……」
『なんだ、逆らう気か? だがよ、てめえは俺の助けがなければこの〈ゲーム〉では生き残れねえぞ。それでもいいのか? てめえがさっき屋根の上に置いてきた女だって、あのまま放っておけば死ぬんだぜ? ええ、それでもいいのか? 夜になったら、あのままゾンビさまのエサになっちまうんだぜぇえ』
癇に障るやつだ。
でも、僕はこいつのいうことに従うしかない。
人殺しをさせられたことについては絶対に許さないけど、感情を去勢されているおかげでほとんど気にならなくなっている。
だけど、絶対に許しはしない。
「……逆らう気はないよ」
『だったら、そこの死体の左腕を剥け。〈パークサイト〉をいただけや』
「〈パークサイト〉を?」
『死んだ〈キャラクター〉の付属している〈パークサイト〉は死体から剥ぎ取れるんだよ。さっさとやれや』
……僕は噴き出しそうな怒りを煮溢しながら、ゼルパァールに言われた通りにした。
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