あたしたちは6階を抜けて、7階というべきか、屋上へと出る扉へとたどり着いた。
高校の校舎のものとは違って、しっかりとした頑丈な扉だ。
鍵もかかっていて、これはキーを使って開けなければ外に出ることができない仕組みだった。
今野さんがガチャガチャしていたが、まったく開く気配がない。
このままではこの場所で昇ってきたゾンビたちに追い詰められることになる。
しかも、ここから下に行くことは自殺行為でしかない。
「ダメ、開かないのよ!」
「鍵、鍵はないの!」
「そんなものある訳ないじゃない!」
今野さんと加地さんがドンドンと扉を叩いても無駄だった。
壁にすることができればゾンビたちから身を守ることもできるだろう扉も、開かなければ逆にあたしたちを閉じ込める牢屋にしかならない。
二人がそれでもガチャガチャしている脇で、
「お姉さん、確か、土田さんは守衛さんだったような……」
「どういうこと?」
「もしかしたら、マスターキーを持っているかもしれません」
「クレバーだよ、ナナン!」
あたしは階段を降りて、北条さんを抱えている男性二人に声をかけた。
「土田さんたち、屋上へのマスターキーをもってない!?」
ゾンビたちを恐れて下を気にしながら必死に歩いていた土田さんたちの顔が上がる。
「……なんだって!?」
「屋上の鍵が開かないの! マスターキーが必要だと思う!」
「おっさん!」
「わかっている!」
土田さんがベルトについている鍵束を取り出した。
いくつかの種類のキーがついている。
マスターキーというものはなさそうだ。
「屋上なら、Pのキーを使え。川口、おまえさんも嬢ちゃんを手伝ってやれ、あと少しだから北条はワシだけでなんとかなる!」
「わかった!!」
川口がキーをもらって、三段飛ばしで階段を昇りだす。
あたしもそれに続いた。
扉の前に辿り着くと、キーを差し込もうとしたが、いかんせん暗すぎてPの文字が確認できない。
「早く! 早く!」
「うるせえよ、黙れ!」
「怒鳴んな!」
Pがわからないので、川口が矢鱈滅多に差し込むけれど何本もハズレが続く。
「いい加減にしろ!」
「早くしてよ!」
「だから、うるせえよ!」
女子大生コンビの叱咤が続き、それがさらに焦りを引き起こす。
グオオオオとゾンビたちの声が聞こえてきた。
もうすぐそこにいる。
早く、早く。
ガチャリ
手応えがあったらしき音がした。
同時に川口がノブを捻った。
白い光とともに扉は開き、屋上が解放された。
あたしたちは広い屋上へと身を躍らせる。
あたしとナナン、そして川口までが嬉しそうに陽光を感じていた。
開放感に満ちた世界がここにある。
「やったああああ!」
束の間の喜び。
だが、それも唐突に掻き消される。
扉が閉ざされたのだ。
振り向くと、今野さんが一人で扉を閉めていた。
川口の手から離れたキーで扉に鍵を掛けている。
屋上に出たことで喜び勇んでいたあたしたちとは逆に、彼女だけは動いていたのだ。
しかも、扉を閉めるということは、屋上に出ていない人たちを見捨てるということなのに。
川口が即座に反応した。
「ちょっと待てよ、てめえ! まだ、土田の爺さんと北条が中にいんだよ! 何を勝手に閉めてんだ!」
「そうよ、まだセンパイが!」
あたしにとっても川口の抗議は正当なものだ。
今、扉を閉ざしたら三人の人の命が消えてなくなる。
逃げ場がなくなるのだ。
だが、今野さんは夜叉のような顔をして怒鳴った。
「だって、仕方ないじゃない! すぐにでもゾンビが押し寄せてくるのよ! 誰かを待っている暇なんてないわ!」
「爺さんたちはすぐそこにいただろ!」
「うるさいうるさいうるさい! わたしたちが助かるためには何をしたって許されるのよ! それとも何? 他人を助けて自分も死ぬの! そんなことはお断りよ!」
「鬼か、てめえ!」
「うるさい、みゆきを殺したくせに、いまさら人間みたいなことを言わないでよ!」
「センパイだって!」
「あんたの男だってみゆきを殺したのよ! 罪を償って死ねばいい!」
「あんた、なんのつもりよ! センパイはね、時間を稼ぐためにわざと残ったのよ! そのセンパイまで殺す気!」
「あたりまえ!!」
駄目だ。
今野さんはもう気が触れているように手が付けられない。
あたしたちの説得が効く相手じゃない。
無理やり排除して扉を開けないと。
と、次の瞬間、扉がガンと大きな音を立てた。
明らかに人為的なものだった。
そして、頑丈な扉を叩く連続した音。
ガンガンガンガンガン……
それは助けを求める救助信号であった。
扉のそこに、北条さんと土田さんがいる。
あたしたちに助けを求めている。
「爺さん、今、開ける!」
川口が今野さんの手からキーを奪い取ろうとした時、その連打音が止んだ。
弱弱しい最後の音がした後、わずかな沈黙がしてから、
バン!
と、これまでよりも力強く乱暴な叩き方だった。
しかも、その後に一人や二人では到底だせないような連打が始まる。
バンバンバンバンバンバン!!!
あたしはこのリズムに聞き覚えがある。
ずっと隠れていた自動販売機会社の倉庫のシャッターに群がっていた奴らのだす音だ。
それは、つまり、そこにいて助けを求めていた土田さんと北条さんは……
―――殺されたのだ。
「うわああああああ、ジイさん! 北条! おいおいおい!! 返事しろよ!」
叫ぶ川口に応えるのは、ただ無造作な乱打の音だけ。
ただ救いなのはどんなに叩いても扉は開かないだろうということだ。
扉一枚へだてたところにゾンビがいる。
無数に。
大量に。
あたしたちを食べようと。
「もう終わり……だあ……」
川口が泣き崩れる。
仲間だった二人が死んだということと、ゾンビたちに逃げ場のない場所に追い詰められてしまったことのふたつのショックが出かかったのだろう。
もう彼は子供の用にわんわんと泣いていた。
いつものチャラ男の雰囲気はない。
下手をしたらナナンよりも子供のように見えた。
気持ちはわかるけど。
「センパイ……」
でも、あたしにはそんなことよりもセンパイの方が心配だった。
酷い女と思われてもいい。
あたしにとっては、隣にいるナナンとセンパイ以上の存在はもういないのだ。
土田さんたちを失ったことの悲しみよりも、センパイの方がずっと大事だった。
「……下の階はゾンビさんたちに埋め尽くされています」
ナナンは〈れーだー〉と名付けたゾンビを察知する超能力を持っている。
こんな小さな子がセンパイが助けるまで無事だったのは、その力のおかげだという話だ。
ただ、その超能力であたしたちだって助けてもらっていたから、疑うことはない。
「じゃあ、センパイは……」
「どこかに隠れているんだと思います。お兄さんはこのぐらいの逆境で死んじゃう人じゃないです」
「でも、いくらセンパイでも……」
「信じないと! お兄さんならきっと!」
そんなあたしたちの会話に口を挟んできたのは、加地さんだった。
「無理よ。この状況ではいかにタフな彼でも生き残れないわ」
「変なことを言わないで!」
「変でもないよ。だって、このビルは出口は正面のシャッターしかなかったし、窓だって出ることはできるだろうけど地上に降りられるようなものじゃない。しかも、地上にはあいつらがうじゃうじゃしている。どうしたって、無理よ」
確かにその通りだ。
センパイは階段にいたはずだから、ゾンビの魔の手からはどうしたって逃げられない。
多勢に無勢だし。
漫画の主人公でもあるまいし、並み居るゾンビをぶちのめして正面から脱出するなんてできるはずがない。
つまり、センパイは、もうだめ、ということなのか。
「そんなことよりも自分たちの心配をして。―――私たちはここからどうしたって逃げられないのよ」
「えっ……」
「入口はゾンビに塞がれているし……」
「お姉さん、ちょっとあれを!?」
今度はナナンが口を挟んできた。
その指が何かを指していた。
屋上の中央にある盛り上がったスペースの上に、ある誰にでもわかる巨大な物体を。
入口の扉のから少し、死角になる形で盛り上がっていたため気がつきにくくなっていたのだ。
だから、ナナンの指摘を受けて、視線を向けた加地さんが息を呑んだ。
続いて、今野さんと川口も。
あたしも含めて全員が口をぼうっと開いていた。
そこにあるものの正体に気がついたからだ。
「ヘリコプターだ……」
ナナンが呟く。
それで全員の頭にこれが現実であり、幻でないということが伝わる。
ありえることではない。
だって、ゾンビから逃れて屋上に逃げた先に、お誂え向きに脱出に使えるかもしれないヘリコプターがあるなんて誰も想像していなかったからだ。
そんなご都合主義なことある訳がない。
だが、一縷の望みにすがって、あたしたちはヘリコプターまで近寄っていった。
わりと大きめのヘリコプターだった。
報道用のものらしく、「○×新聞社」とペイントしてある。
さらに近寄って見たが、驚いたことに誰も乗っていなかった。
ここにヘリコプターがある以上、操縦士さんがいてもおかしくないのに。
ただ、機体だけがぽつねんと着陸している。
「これで、もしかしたら脱出できるんじゃねえのか!?」
川口が言った。
誰しもが思っていたことだ。
みんながうんうんと頷く。
見ると、操縦士を含めて六人ぐらいは乗れそうだ。
ここにいるのは、あたし、ナナン、加地さん、今野さん、川口の五人。
乗るのは不可能ではない。
ただし……
「誰か操縦できるの?」
加地さんの正論に誰も答えない。
目を伏せるだけだ。
当たり前である。
普通に生きてきた一般人がヘリコプターなんて操縦できるはずがない。
もし無理に飛ばしたとしても着地もできずに終わるのは火を見るよりも明らかだ。
せっかくの脱出のための手段が画餅となってしまったと誰もが思った。
ヘリコプターを一朝一夕で乗りこなせるなんて奇跡でもない限り不可能以外あり得ないだろう。
駄目なのかな。
もう終わりなのかな。
ナナンの手をぎゅっと握った。
彼女も握り返す。
最後の希望もなくなった。
でも、いざとなったら自殺覚悟でこのヘリコプターに乗るしか……
そう決めた時、後ろから大好きな声がした。
「―――僕が操縦できるみたいだから、それで逃げましょうね」
反射的に振り向くと、そこには飄々とした顔でちょっと傷だらけで血だらけのセンパイが立っていた。
「おっと、噛まれていないからゾンビになったりはしませんよ」
センパイはさっき別れたときと同じように、何事にも動じない不思議な風格を備えていて、あたしを安心させてくれるのだった……。
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