「センパイ、どうして……そ、そのピストルは何!?」
一時の狂騒状態から覚めると、薙原は僕の手にしたマカロフを指さす。
ゾンビを撃ったシーンを目の当たりにしているはずだから、玩具だとは思っていないはずだ。
それよりも、ごく普通の高校生だったはずの僕が拳銃を手にしていることが気になるらしい。
気持ちはわかるけど、今は教えている状況じゃない。
僕は薙原の手を取って立たせると、ブロック塀に向けてしゃがみ込んだ。
「えっ、どうしたの、センパイ?」
「僕の肩に足を乗せてブロック塀に立つんだ」
「……!?」
僕の言うことがよくわかないらしい。
さすが、うちの部活でも指折りのおバカだ。
だが、すぐに理解してくれないと困るんだよ。
「急いで! さっきの音と君の声を聞きつけてゾンビがやってくる! さっさと逃げないと!」
「え、あ、そう……ですね」
自分の置かれた立場に気がついたのか、薙原は俺の背中から足を上げた。
「失礼します。……うんと、よいしょ」
両肩にずんと重みがかかる。
でも、〈キャラクター〉となっている僕にとってはまだ軽い方だ。
ちょっとだけ問題なのは、僕の両肩に足を乗せて立っているということは、上を向けばスカートの中が丸見えになるということだ。
つまり、薙原が全校の男子たちに魅せたがっているのかわからないパンツが直に拝見できるというわけ。
でも、そんな誘惑に駆られている暇はない。
もうすぐうーうーあーあーとMPたちが僕らを補導にやってくるのだから。
「どうぞ、センパイ」
「よし」
僕はひざの関節だけを使って立ち上がる。
二メートルぐらいの高さのブロック塀だったから、あまり大柄でもない薙原でも昇り切ることは可能だった。
「庭の方にゾンビはいるかい?」
「……えっと、大丈夫みたいです」
「わかった。でも、降りずに上で待っていて。立ってられる?」
「はい」
唸り声がすぐ後ろから近づいてきていた。
やはり周囲にいたゾンビたちが寄って来ていたのだ。
僕はもう振り向いて確認する時間も惜しんで、〈クライミング〉を使ってブロック塀をよじ登る。
十五センチ幅程度のブロックの上に立った途端、ガタンと強い衝撃が走った。
複数のゾンビが激突してきたのだ。
しかも、あとからあとからわらわらとやってくる。
これはこのまま行くと、ゾンビの上にゾンビが乗っかってくるかもしれない。
それは安全圏が確保できないということだ。
急がないと。
僕は薙原を抱えて、反対側の家の庭に着地した。
〈ライトウェイト〉があるので、まったく痛みは感じなかった。
この程度の高さからの落下ならダメージは吸収されるということがわかったのは収穫だ。
家のガラス戸に手をかけると、簡単に開いた。
おそらく家族はもういないのだろう。
室内は別に荒らされていないし、ゾンビの気配もない。
薙原の手を引いて、そのまま住居不法侵入をやらせてもらう。
「急いで」
「はい!」
返事だけはいいな、こいつ。
僕はそのまま階段をのぼり、二階に上がると、手短な部屋に入る。
ごく普通の中学生の女の子の部屋だった。
しばらく誰も入っていないことがわかるぐらいに寂しい。
壁に貼ってある男性アイドルのポスターがとても物哀しかった。
でも感傷に浸っている場合じゃない。
窓を開けて、外を見るとここも隣家との幅が狭い。
住宅建築法を逸脱している造りというのが、こうまで役に立つとは思わなかった。
僕たちは窓から屋根に上がり、ジャンプして隣の屋根に飛び移る。
外に出ると、逆からおびただしい数のゾンビの唸り声が轟いてくる。
おそらく全部始末するのは不可能な数だ。
それだけ、薙原の悲鳴が響き渡ったということか。
もっともどれだけ集まってきたとしても、僕らの行動に追いついてこられなければただの暴徒以下だ。
二人で協力しあって、屋根から屋根を伝い歩き、僕らはゾンビのいないあたりに戻った。
すぐ傍にさっきのコンビニエンスストアがある。
入口には僕のボストンバッグも転がっていた。
「……よし、ナギスケ。僕はあそこに行って、食料とかもらってくるから、君はここでじっとしていろ。ゾンビは屋根の上にはこられないから、大人しくしていれば見つかることもない」
「でも、センパイ……」
「必要なものはあるかい? ありそうならとってくるよ」
「じゃああの……ナプキンがあったら」
また、酷いものを頼むね、こいつ。
わりと最悪だ。
「わかった。種類に文句言うなよ」
だが、僕がさっきのように電柱から降りようとしたら、
「センパイ」
「なにさ?」
「ナギスケというのはいい加減やめてください。あたしの名前は薙原イスキですよ」
そんなことはあとにしてくれないかな。
僕も忙しいのだ。
そろそろ夕方で陽が暮れるかもしれないのだから。
「知っているけど、面倒なんだよ」
「む、どうしてです!」
「……だって、ナギスケの名前はイスキでしょ。普通に呼ぶと『ダイスキ』っていっているように聞こえるじゃん。毎回、呼び止めるたびに告白する気分がして嫌だ」
「別にいいじゃないですか、ダイスキでも! あたしのお母さんが、いつも『大好き』って言われるような名前にしたのよって言ってました!」
その命名思想に文句を言う気はないけど。
僕だけでなく、他の男子だって薙原のことを、僕同様に「ナギスケ」と呼んでいたんだから、きっと恥ずかしかったんだよ。
ちなみにナギスケというあだ名の由来は、「ナギハライスキ」が「ナギアライスキー」になって、「ナギースキー」になって、「ナギスケー」になったことによる。
思い出すに途中まではロシア人みたいだったな。
命名者は僕なんだけど。
『ところでよ、てめえ』
さっきの逃走劇の最中ずっと黙っていたゼルパァールが急に話しかけてきた。
よく考えると、こいつの会話は脳内なので薙原には聞かれることがないとしても、僕が口に出すとただの独り言野郎にしかならない。
後輩に変な人扱いされたくないので、薙原のいる前ではゼルパァールは無視するしかないか……
『何黙ってんだよ』
「……さあね」
空気読んでよ、寄生生命体。
『そいつ、〈キャラクター〉かもしれないんだけどよ、気をつけろ!』
はっ、そういえばそうだ。
確かこの近くには〈キャラクター〉がいるとか言っていたな、さっき。
じゃあ、薙原が……。
でも、それはおかしい。
薙原が〈キャラクター〉ならばさっき程度の状況は切り抜けているはずだ。
そうでなければ、寄生している〈プレイヤー〉が〈ゲーム〉をクリアできないだろう。
ただし、これがフェイクという可能性もある。
僕は口元を隠して小声で、
「……〈プレイヤー〉かどうかを〈第六感〉でわからないの? 近くにいることがわかるんだから」
『あれはそこまで便利じゃねえ。〈キャラクター〉かどうかを見分けるのも〈ゲーム〉の面白みの一つなんだよ。だから、みんな最初に〈第六感〉をつけておくんだ。裏切りと加不意打ちとかしてくるのもいるからよ。まあ、たいていは言動みていればわかるらしいけどさ』
「確かに……」
『だから、俺にはなんとも言えねえわ。ちょっとカマかけてみろよ。それでわかるかもしんねえぜ。その女、バカっぽいし』
後輩をバカ呼ばわりされると腹が立つ。
……僕も思ってるけどさ。
でも、カマをかけるか……
薙原は考えていることが顔に出るタイプっぽいけど、本心はうまく糊塗しそうだからその手の手法は通じそうにないんだよね。
こんな時には使えないんだな〈第六感〉とかいう〈パークサイト〉。
〈ゲーム〉を有利にするための技能とか言うくせに。
まてよ、〈パークサイト〉?
〈パークサイト〉か……
もしかして、じゃあ……
「ナギスケ、ちょっと左手を見せてくれ」
「どういうことです?」
「さっき、左手を押さえていたろ。怪我でもしているんじゃないか?」
「え、そんなことしてました? 別に痛くなんかないですよ」
それはそうだ。
だって、嘘だもん。
でも、左手を見たいというのはホント。
「いいから、ちょっと見せて」
僕が薙原に強引に迫ると、困惑しながらも左の袖をめくりだした。
肘までが顕わになる。
白くて滲み一つない綺麗な肌をしていた。
何もついていない。
「良かった。僕の気のせいだったみたいだ」
「そりゃあ、あたしの心配をしてくれるのは嬉しいんだけど……」
なぜかふて腐れている薙原の肩をポンと叩いて、
「じゃあ、ちょっと待っててね。僕はさっさとあそこのコンビニを覗いてくるから」
左手の件について説明どころか言い訳をするのも面倒なので、僕はさっさと屋根から降りた。
『今のはなんだよ、おい』
「〈キャラクター〉かどうかの確認だよ」
『なんだと? 意味ワカンネ』
「簡単だよ。確か、ゼルパァールは〈キャラクター〉には最初に一つは〈パークサイト〉がつけられると最初に言っていたよね」
『ああ』
「で、装備している〈パークサイト〉については刺青みたいな形で左手に出るって言っていたでしょ」
『それがどうかしたのかよ……って、ああ、そういうことか!』
「そうだよ。〈キャラクター〉にとって〈パークサイト〉はかなり重要な装備だというのはわかったからね。マイキャラにつけない〈プレイヤー〉はいないはず。だったら、左手を見ればわかるはずだよ」
『そりゃあ、そうだ。どんな〈パークサイト〉をつけているかを隠す〈パークサイト〉はあるが、そのものを隠すものはねえからな。―――てめえ、なかなか切れ者じゃねえか』
「でしょ」
それに今大事なのは、薙原が〈キャラクター〉じゃないということだ。
つまり、この中にいる誰かが怪しいということ。
さっき開けた自動ドアはまだそのままだ。
身体を滑り込ませて、僕はコンビニエンスストアの様子を窺う。
きっと誰かがいるはずなんだけど。
でも、おかしいのは確かだ。
じっとしていれば音は立たないかもしれないが、臭いを嗅ぎつけるゾンビが傍にもいないのだ。
もしかして見込み違いだったかな、とマカロフを持ったままレジの中やトイレを確認する。
誰もいない。
そうなると、あとは……
バックヤードか。
店員やスタッフが仕事をして休憩を取ったり、在庫が仕舞われている場所だ。
荒れていないのでゾンビがいないのはわかっているが、それでも用心して銃口を向けたまま、左手で懐中電灯を持って両手をクロスさせて中に入る。
「誰かいるの?」
電気が届かなければ、バックヤードは完全に暗闇だ。
だから、懐中電灯の灯りだけが頼りという状況の中……、僕の光が一か所で止まった。
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