キャンピングカーは、ゾンビどもの注意をひかないように、ゆっくりと進んでいた。
市内の道のかなりの部分が、〈ゲーム〉開始時の混乱で生じた車の放置のせいで塞がれていることもある。
しかし、キャンピングカーは迷うことなくスルスルと走る。
まるで事前に動ける道をリサーチしておいたかのようだ。
ゾンビが比較的少ないところを抜けていくのも不思議だ。
とはいえ、ゆっくりとしたスピードしかださないおかげで屋根伝いの尾行も難しくはなかった。
商店街の中なんかも進むので、アーケードは結構いい道になってくれた。
「……僕のことに気がついてないみたいだ」
『〈第六感〉の〈パークサイト〉をつけていないようだな。でなければ、俺らが気づいたように警戒しているはずだぜ』
「わかっていて泳がされているということは?」
『ありえなくはねえが、そんな風には思えないぞ』
「最低限の用心は必要さ」
しばらくして、キャンピングカーはゾンビがまったくいない通りに出た。
すると、後部のブロックの出入り口から内側から開いた。
中から現われたのは、革でできた厚手のライダーズスーツを着た二人の男たちだった。
しかも、フルフェイスのヘルメットをかぶっていて顔が見えない。
一方は黒一色で背が異様に高い。
もう一人は、銀色で背中が曲がっているせいで妙に小柄に見えた。
ただのライダーズスーツにしては、関節部あたりに布ガムテープなどで補強されているので、見た目は良ろしくない。
だが、僕にはそれが意味のあるものだとわかっていた。
(あれは……ゾンビ対策だ)
噛まれたら同じものになってしまうという、最悪の化け物であるゾンビとやりあうためには、皮膚などが露出しているのは危険すぎる。
僕のような〈キャラクター〉でなければ噛まれただけで終わるのだ。
だから、ゾンビの特性を理解しているものは、可能な限り防護を工夫することになる。
つまり、あのライダーズスーツは対ゾンビのために用意されたものなのは間違いない。
キャンピングカーにいるのは、僕と同じ〈キャラクター〉だけでなくて仲間も一緒だということ。
『俺以外の〈プレイヤー〉の入れ知恵だろうさ』
「そうだね」
でなければ、たったゾンビの発生からたった四日ぐらいであんなに完璧に固められるはずがない。
「決めた。あいつらは放置しよう」
『なんだとぉ? おい、てめえ、何を臆病風に吹かれていやがる。〈プレイヤー〉を倒さなければクリアが遅れるじゃねえか!』
「……人間と殺し合うのは嫌だよ。昨日のでもうこりごりだ。それに、今の段階ならば君が僕を操る選択肢もまだでてないだろうしね」
『てめえ……』
僕はゼルパァールに騙されて、一人の〈プレイヤー〉を殺した。
こんなゾンビだらけの世界になったとしても、子供の頃から身につけた常識や良心が消える訳ではない。
人を殺してはいけないというのは人間の普遍の禁忌なんだ。
それを無理矢理に強制された。
もうできることなら、あんなことはしたくない。
また、あのタイプのキャンピングカーだと、一家族分、最悪五人は暮らせるようにできているはずだし、多勢に無勢すぎる。
単純に考えても、たった一人の僕では勝ち目がないということだ。
『じゃあなんであの車を追ってきやがった』
「……もう一人の〈プレイヤー〉がどういう人か確認しておきたかっただけだよ。いざというときもあるからね。じゃあ、帰るとするかな。ナギスケが待っているだろうし」
『おいこら、てめえ、ちょっとまて!!』
「待つわけないじゃん」
僕は悟られないように、ここから立ち去ろうとしたとき、
『おい、ちょっと待て』
「やだよ」
『いいから、あいつらを見ろ!』
「ん?」
ゼルパァールがうるさいので振り向くと、さっきのライダーズスーツの二人が車の中から黒いゴミ袋を二つ持ちだしてきたところだった。
どこにでも売っているようなゴミ袋がパンパンになっている。
目にした瞬間、どうにも不気味な印象しかなく、ゼルパァールが言ったからという訳でもなく僕は視線を逸らせなくなっていた。
男たちは車から降りると、通りの隅にそのまま投げ捨てた。
意外と重そうだった。
ただ、地面に落ちたときの音は何か軟らかいものが詰まっているかのような湿ったものだった。
僕の記憶と照合すると、生ごみのつまった袋を収集所に捨てたときにこういう音がする。
「……あれはなんだろう」
男たちは捨てたものには興味がなかったらしく、さっさと車に戻っていってしまい、すぐにさっきと同じ速度で走り出した。
あまりに素早い行動だったこともあり、普通ならやってくるはずのゾンビもやってこない。
おかげで僕は地面に降りて、検証することができる余裕があった。
『なんだ、何をする気だ?』
「気になるんだ」
降りるのにも効果を発揮する〈クライミング〉の力で黒いゴミ袋の傍に近づく。
同時に今までに嗅いだことのない悪臭がした。
遠目からだとわからなかったが、表面にもベトベトした汁のようなものがこびりつき、どこか破れていたらしく、黒い液体が流れ出していた。
悪臭の源は間違いなくこの袋だ。
鼻をつまんで、落ちていた棒を拾ってつついてみた。
柔らかいが、なにやら堅い部分もある。
単純に生ごみそのもので、あの連中がいらないものを捨てただけのように思える。
だが、嫌な予感がする。
いや、気持ちの悪い予感だけがする。
『なんだ、こりゃあ。おい、止めとけ、止めとけ』
「……そうもいかないかな」
僕は覚悟を決めて、手を伸ばした。
ねとりとした手応えのビニールを一気に破れ目から引きちぎる。
プンと悪臭が噴き出る。
吐き気を催す、最悪の臭いだった。
二の腕で口元を押さえつつ、もう一度力を入れる。
すると、ゴミ袋の中に詰め込まれたものが地面に転げ落ちる。
思わず飛び退る。
汁がつきそうになったからだ。
ただでさえ、服に沁みつきそうな臭いだというのに、こんな得体のしれない汁がこびりついたら絶対に取れなくなる。
だが、すぐに自分の判断がまさに間違っていなかったことを思い知る。
「う―――!!」
僕の足元に転がってきたものは―――
真っ黒に汚れた人の頭蓋骨そのものだったからだ。
しかも、ところどころに赤黒い腐った肉がこびりつき、何か尖ったもので開けられた頭蓋の一部からは内容物が取り除かれていることがわかる。
固まった血によって纏わりついた髪の毛の長さから元は女性のものだと思われるそれは、無残にも舌などが引き抜かれていた。
「ひっ!」
足の裏で袋ごと蹴り飛ばすと、小腸らしい長い干からびたものがぶちまけられた。
それ以外にも人間の指や足首といったものが、鋭利な刃物で切断された様子を晒して零れ落ちてくる。
これは解体された人が詰められた、死体袋だったのだ。
『げっ、なんだよ、これ!』
僕の視界ごしに光景を見ているはずのゼルパァールまでが吐きそうな声を上げた。
「……反吐がでそうだ」
あまりの酸卑さに眼をそむけても、この光景は焼き付いて離れてくれなかった。
『もう一つ、あるけど、どうすんだ?』
「見るはずないよ。こんな、食べ残し」
『あんだと?』
僕はもうこれ以上は我慢できないとばかりに、逃げ出した。
ちょうど音を聞きつけてゾンビがやってきたところだったし、運がいい。
もう少し前後不覚になっているときにあいつらがやってきていたら、下手をしたら殺されていたところだ。
それでも、〈クライミング〉で屋根の上に昇ってから、下目掛けてゲーゲー吐く羽目になった。
せっかくの貴重な食料がもったいない。
リュックサックの中から水を取り出して、口をゆすいで反吐を落とすと、ごくごくと飲み干した。
たったあれだけの時間でどうしようもないほどに喉が渇ききっていた。
「……くそ」
僕が落ち着くのには、二十分以上かかった。
ゼルパァールたちに〈去勢〉されて良心等をだいぶ麻痺させられている今の僕にとっても、さすがにショックが大きすぎたのだ。
『落ち着いたかよ』
「―――まあね」
『ちぃと聞きてえことがあるが、てめえ、あの死体がなんなのかわかっているのか?』
「うん、まあね。見当違いではないと思うよ」
というか、確信があった。
『で、あれはなんだよ?』
僕は少し溜めて、口の中から砂を吐くような思いで言った。
「……あれはさっきの連中の食べ残しだよ。残飯といえばいいのかな」
『残飯……。て、人間の頭蓋骨みたいだったぞ』
「それでいいと思うよ。あれは確かに人間の女性の死体の一部だし」
『じゃあ、さっきの連中は……』
「―――人を食べていたんだと思う。しかも、このゾンビの〈ゲーム〉が始まるだいぶ前から続けていた可能性も高い」
……ホラーゲームだった世界は、実はスプラッターゲームだった。
そんなどうしようもない展開に僕は気持ち悪さしか感じ取れなかったのである。
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