『暴力団って……いくらなんでも隠してんだろ?』
「おそらくね。でも、ここから自衛隊の駐屯地に行ったり、警察署を見て回るよりもずっと銃が手に入る確率が高いと思うんだ」
僕は開け放たれている通用口から中に入った。
ここもきっとゾンビに荒らされている。
ただの一家庭ならともかく、瓜生組の組長家族以外にも大勢が出入りしていたはずだから、十人に一人のゾンビが発生している可能性は高い。
もっともここに来る途中はともかく正門のあたりにゾンビがたむろっていなかったことと、通用口の出入りが自由になっていることからしても、生存者はいないだろうな。
きっと誰かが隠れているっぽい建物はいくつかあったけど、そういうところにはゾンビがうろうろしていたから。
ゼルパァールが嘘をついていなければ、ゾンビはまず臭いを嗅ぎつけて近づき、獲物の正確な場所は音で聞き取るみたいだ。
だから、ゾンビは生きている人間が隠れているようなら、そこから動かないのだろう。
視覚についてははっきりしていないけど、動いているものを目で追うぐらいしかしないようだし。
でも、一応確認しておくか。
「ゾンビの眼ってものは見えるの?」
『えっとな、識別は可能なはずだぜ。ちょっとまてよ……取説によるとゾンビ化に伴う遺伝子の書き換えで、眼球内にタペータムとかいう物質が蓄えられるため夜の方が活発になるとはしてあるな』
「じゃあ、昼も夜も見つからない方がいいということか」
僕はこっそりと瓜生邸内に潜り込むと、通用口にがっちりとつっかえ棒をして塀に寄りかかった。
かなり大きい日本の古い武家屋敷という感じの和風建物へ、玉砂利を敷き詰められた道が用意されていて、置石がしてある。
他は芝生が植えられていて、松などの鑑賞樹が綺麗に庭を構成していた。
お金を持ってるなあ。
素直にそう感じた。
暴力団というのは儲かる仕事らしいね。
ざっと見渡したところ庭にはゾンビはいない。
中は……玄関らしい扉が開いているし、ガラス戸が破れていたり障子が引き裂かれているので、もしかしたらまだ残っているかもしれない。
僕は〈クライミング〉で松の木に昇って、上から色々と観察してみた。
庭と玄関側にはゾンビの姿はない。
三台は停車できそうな車庫があって、ベンツっぽい大型車が入っていた。
ただ、その周辺はどす黒い血に塗れている。
確実に何人かがあそこで殺されたのだ。
死体がない以上、やられた側もゾンビになっていると思う。
じっと見ていると、隅の方で蠢いているものがいた。
脚を失くした黒服のゾンビがオートバイの下敷きになっていた。
ズボンがハンドルに絡まっていて外れないらしい。
三日近く暴れていてもとれないとは、相当ひどい絡まりようなんだな。
「う……ううう……」
角刈りで少し小太りだ。
あのまま放っておけば腐って消えてしまうだろうか。
手元付近に金属バットがあるのは、あれで戦った証拠だろう。
運が悪かったね。
『それはねえな』
「やっぱり」
『この〈ゲーム〉のゾンビは厳密にいえば死体じゃねえ。書き換えられたDNAが肉を腐敗させる酵素を抑制するからな。最低でも一年は普通に動き回るはずだぜ』
「だよね」
ゲームの趣旨を考えれば、そんな簡単にはいくはずがない。
じっと息をひそめていればゾンビがいなくなるなんてことは。
一匹一匹丁寧に斃していくか、それとも僕らみたいな〈キャラクター〉が何かをなし退けるか、それしか手段はないはずだ。
ゼルパァールたち〈プレイヤー〉を遊ばせている運営とやらは、きっと後者をさせるために色々と仕掛けているはずだから。
僕は安全を確認すると、松の木から下りた。
車庫に近づいて、捨ててあった金属バットを手にする。
少し血で汚れていた。
「う~あ……」
臭いで僕に気がついたのか、ゾンビがこちらを見上げる。
瞳が白く濁り、生気が一切感じられないのに動いている。
作り物めいた光景だった。
本能に従って人間を襲おうと、さらに激しく身をよじり、ハンドルに引っかかった服の一部がビリと破れた。
ついに解放される。
そう悟ったのかどうかは知らないが、ゾンビは僕目掛けて這いずろうとしていた。
でも、僕はバットを思いっきり振りかぶると。
一気に。
振り下ろした。
ボクリと嫌な手応えとちょっとだけの吐き気を催しただけで、僕は完全にこのゾンビの頭蓋骨を粉砕し、死んだのに生きている脳を破壊した。
ゼルパァールの言うところのゾンビに変態した証しである黒い脳漿が耳孔から垂れ流される。
見ていて気分のいいものではない。
だが、ゾンビを殺すには頭―――脳を潰すしかない。
逆にいうと、この黒い脳みそにすべての弱点が集中しているのだ。
それは一般人でもなんとかゾンビを斃して生き延びることができるという配慮だろう。
ゼルパァールの言うところの、「バランス調整」だね。
むしろ、僕の方が驚きだった。
すでにゾンビとなっているとはいえ、人のカタチをしたものの頭を潰して息の根を止めたというのに、まったく嫌悪感も罪悪感も覚えない。
本当に感覚がマヒしてしまって、まるで蚊でも叩き潰した程度の感触しかないのだ。
(これが去勢かな……)
少なくとも、僕は人殺しどころか魚をさばくのも苦手なぐらいの平凡で弱い男の子だったはずだ。
それがなんの躊躇もなく、こんなことができるなんて、ゼルパァールたちのした去勢の効果以外のなにものでもないだろう。
反吐がでそうだったが、もどしそうにさえならない。
『よーし、よくやったぜ。これで初スコアをゲットだぜ』
頭の中ではクズいことを寄生虫が言う。
僕の気もしらないでいい気なものだ。
手を汚したのは僕だっていうのにさ。
すると、ゼルパァールの声と同様に頭の中に変な効果音が響いて、『〈ファーストキル〉!』と表示が出た。
実際に出た訳ではなく、視界の端にポンという感じだ。
「なに、これ?」
『〈勲章〉だ。ゲームで効果的な行動をするとボーナス的にもらえるんだぜ。増やすと別のボーナスがでたりするし、これからはどんどん稼げよ』
「……意味は?」
『ゲーム開始後に初めてゾンビを殺ったって意味だ。これでてめえもプレイに参加できたってことだな。喜べ』
「―――喜べるもんか」
『なんだって?』
「いいや、別に、気にしないで」
ゾンビとはいえ人を殺してそれを喜ぶなんてできるもんか。
しかも、今の僕は気を抜けばそれを普通のこととして受け入れてしまうぐらいに壊されているんだから。
今更、死後硬直をしているのか、ピクピクと動いているヤクザの死体から僕は離れた。
『しかし、もったいねえな。〈スカベンジャー〉をつけておけば、あのゾンビから色々と拝借できたかもしんねえのに』
ゼルパァールは僕の気持ちなどお構いなしだ。
そもそも、僕が人間であるということさえ、こいつは気にならないらしい。
まあ、ゲームをやっている最中のプレイヤーなんてそんなものか。
僕たちだって、動かしている駒の気持ちなんて考えたりはしないし。
「どこから入ろうかな」
最初は玄関から入る予定だったが、さっきのヤクザをゾンビ化した張本人がいるかもしれない以上、あまり素直に動くのは危険だよね。
僕はバットをベルトに差し込み、さっきまでと同様に雨どいと縦どいに指をひっかけて、屋根の上に上がる。
たいした力がなくてもタイミングとバランスだけでそんな真似ができるのだから、かなり助かる話だった。
屋根に昇ると、中央の方に中二階のベランダらしいものがあった。
武家屋敷っぽいというだけあって、二階というものがなく、おそらく洗濯物を干したりするためにあとで拵えたものだろう。
屋根を歩くとギシギシと嫌な音を立てるので、もしかしてゾンビが屋内にいたら気がつかれたかもしれない。
ベランダには誰もいなかった。
ガラス戸は鍵がかかっていない。
僕はようやくこの屋敷の中に入った。
耳を澄ましてみても、ゾンビ特有の声や気配は感じない。
とはいえ油断はできない。
この〈ゲーム〉はゾンビで怖がらせるためのものだから、どこかに潜んでいないという保証はないのだ。
僕はバットを構えつつ、中二階の階段を降りようとする。
『ちげえよ、バカ』
「……何さ?」
『狭いところではバットみてえな長物は振り回すんじゃねえ。突くんだ』
「えっ」
『バントするみてえに両手で持って、飛びかかってきたゾンビがいたらビリヤードみてえに先っぽで突くんだよ』
アドバイス……なのかな。
だが、言っていることは至極もっともなので僕はゼルパァールの指示通りにバットを握りしめる。
そっと一階まで下りて、長い廊下を歩く。
かなり荒らされていて、漆喰の壁には飛び散った血の跡があり、割れたガラスで足の踏み場もない。
「うっ」
和室の一つに、頭が潰されて、黒い脳漿らしきものが散乱している死体があった。
この殺され方からすると、おそらくはゾンビになったあとだろう。
犯人らしいものはいない。
ただ、着ているものが和服で白髪交じりのいかつい顔からして、かなり偉い人物っぽかった。
警戒しながら足でひっくり返すと、喉のあたりが噛み裂かれていた。
どうやら最初の一人ではなく、身近な誰かに噛まれて殺されたらしい。
「和服で銃はさすがにもっていないよね」
試しに脇の下あたりを突いてみても、ホルスターのようなものはない。
「ここにきた目的を達成しないと」
広間らしいところにでると、ここにも死体が転がっていた。
そこで僕は探していたものを発見した。
縦じまのジャケットを着た若者が、口腔に銃の先端を突っ込んで引き金を絞っている死体だった。
自殺……だろう。
脚がボロボロになっていて、どうやら逃げきれずに観念しての決意のあとっぽい。
ようやく見つけた銃が自殺ほう助に使われたばかりというのは、非常に後味が悪いが仕方ない。
手を添えて、固く握られた指をほどいていく。
死後硬直によるものかかなり堅かったが、なんとか拳銃を外すことができた。
思ったよりは小さめで、僕でも使えそうな重さだった。
『マカロフだな』
「……マカロニ?」
『ちげえよ、銃の名前だ。知らないのか? てっきり真っ先にここを目指すほどだから、詳しいのかと思っていたぜ』
「さすがに細かい知識はないよ。ここが暴力団組長の家だということは近所だから知っていたんだと思う」
ただ、僕は自分の家のことは思い出せない。
このあたり、やはり綺麗に記憶を奪われているのだろうね。
里心さえもでないぐらいにばっさりとなくなっているから。
『弾丸は入っているのか?』
「ちょっと待って」
初めて手にしたというのに、僕の手はスムーズに自動拳銃の弾倉を取り出し、中を確認する。
まるで銃器の扱いに慣れ親しんでいたかのようだ。
銃そのものの知識は全然ないくせに、扱いだけは妙に慣れているという感じだった。
きっとこれも〈キャラクター〉の特典なのだろう。
練習いらずで銃器を使用できるようでなければ、〈ミッション〉に挑めないとかそんなところか。
『安全装置はきちんとかけろよ』
「うん」
僕は親指で安全装置を下から上にあげる。
それからグリップの下のレバーで弾倉を下げて確認すると、チャンバーの中の一発を足して五発分残っていた。
一発は自分に使ったとしても、持ち主はおそらく三発分だけ撃ったのだろう。
僕はもう一度弾倉を戻すと、その銃―――ゼルパァールがいうにはマカロフというらしい―――を握ったまま、死体の懐を漁った。
堅いものが入っているので取り出してみたら、全弾こめられた弾倉が二つ入っていた。
おそらく、この屋敷のどこかに武器庫のようなものがあるんだろう。
このヤクザはそれを手にしたけれども、ゾンビのあまりの恐怖に絶望したというところかな。
〈キャラクター〉と違って、暴力沙汰になれたヤクザでも普通の人間であることには変わらないんだな。
弾倉をポケットに突っ込み、僕がもう少し武器の捜索をしようと振り向いた時、
「ぐぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
目と鼻の先に、いきなり腐った死体野郎が牙を剥いてきた。
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