夢見る頃を過ぎても

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第63話 真実が交差する時(前編)

公開日時: 2021年5月2日(日) 00:20
文字数:5,799

「真澄?」

「……ぅん?」

 微かに耳に届いた声に、真澄は反射的に身じろぎしたが、瞼は閉じたままだった。ベッドの端に座って身体を屈め、真澄の耳元で囁いていた清人は、小さく笑ってから再度話しかけてみる。


「気持ち良く寝ている所を悪いが、ちょっと起きてくれないか?」

「やぁ、ねむい……」

「真澄、今一時なんだが」

「何で夜中に起こすの? ほっといて」

 段々覚醒してきたらしい真澄が、相変わらず目を閉じたまま怒った口調で言い返すと、清人は苦笑しながら訂正を入れた。


「夜じゃなくて、昼の一時だ」

「ひるの…………、え!? 嘘! 寝過ごしたの? 仕事っ!?」

 言われた内容を何気なく口にした瞬間、一気に眠気が吹っ飛んだらしい真澄が跳ね起きると、身体に掛けてあったタオルケットや毛布が滑り落ち、何も纏っていない真澄の身体が現れた。一瞬遅れてその事実と、声をかけてきた存在に気がついた真澄は、毛布を引き上げて全身を隠しつつ、壁際に後退して狼狽しきった声を上げる。


「おはよう。良く寝ていたな」

「きっ、清人っ!? おはようって……」

 クスクスと笑いながら声をかけてきた清人に、真澄は咄嗟に返す言葉が浮かばずに顔を赤くしながら狼狽えたが、清人は平然と状況説明をしてきた。


「安心しろ。浩一からメールで連絡があった。今日は風邪で休むと、会社に連絡を入れてくれたそうだ」

「え? あ、そ、そうなの……。清人が浩一に連絡してくれたの?」

 安堵しながら何気なく尋ねた真澄だったが、後から尋ねた事を激しく後悔する羽目になった。


「そうじゃなくて、どうやら昨日清香を、外出先から送ってきたあいつが、玄関の状態を見て状況を察したらしい」

「あいつって……、聡君の事? 玄関って何?」

「あの後すっかり忘れて、玄関に一式脱ぎ散らかしたままだったからな」

「…………っ!?」

 苦笑いしながら告げた清人に、有無を言わさず脱がされた時の状況を思い出した真澄は、瞬時に顔を真っ赤に染めた。それを見た清人は、苦笑を深めながら説明を続ける。


「清香にはそれを見せない様にして、あいつがその場で浩一に連絡して、清香を柏木家に送ってくれたそうだ。持つべきものは気の利く弟だな?」

 笑いを堪えながら清人が同意を求めたが、真澄は胸元で毛布を抱えながら、がっくりと項垂れた。


「穴があったら入りたい……。今度聡君と顔を合わせる機会があったら、恥ずかしくて正視できない」

「別に構わないんじゃないか? あいつの顔なんか見ないで、俺の顔を見ていれば」

「あのね!」

 しれっとして馬鹿な事を言ってのけた清人に、真澄が思わず声を荒げたが、清人は淡々と話題を変えた。


「そんな事より、食事にするぞ。昨日の夕飯と今日の朝食を食べそびれたからな。流石に三食抜いたら親父が化けて出てきて、枕元で説教されかねない」

 真顔で清人がそんな事を言った為、真澄は思わず小さく噴き出した。


「確かに叔父様は食事に関しては、職業のせいか色々厳しかったわね」

 当時を思い返しながら楽しそうにクスクス笑う真澄を見て、何故か清人は顔に微妙な表情を浮かべながら押し黙る。

「…………」

「何?」

 そんな清人の反応に異常を感じた真澄が不思議そうに問い掛けると、清人は気を取り直した様に口を開いた。


「……いや、何でも無い。食事の前に風呂に入ってくるなら沸かしてあるが、どうする?」

「あ、入りたいわ。それに……、一応会社に連絡を入れたいんだけど、私の携帯電話はどこかしら?」

「ああ、そこに置いてある。じゃあ着替えは脱衣場に置いておくから。準備は大体済んでいるから、三十分後に食事にしようか」

「分かったわ」

 清人が指差した場所を眺め、自分の時計や携帯電話を確認した真澄は、清人の話に頷いて彼が部屋を出て行くのを見送った。そしてベッド上をもそもそと移動してサイドテーブルに手を伸ばしながら、小さく溜め息を吐き出す。


(清香ちゃんに見られなかったのは、幸いだったけど。でも家に送って泊めて貰ったって事は、私達が何をしてたかは知られたってわけで……。しかも浩一達にも筒抜けなんだろうし……)

「恥ずかしくて死にそうだわ……」

 思わず呟いた真澄だったが、何とか気を取り直して携帯電話の着信記録を確認し始めた。そして一通り確認を終えてから、職場の直通電話にかけるかどうか一瞬迷った末、現在時刻を確認しつつ係長の城崎の携帯にかけてみる。すると真澄が頭に入れていたスケジュール通り、商談などの時間では無かったらしい城崎が、五コール以内に応答した。


「はい、城崎です。課長、浩一課長から今日休まれる旨の連絡は貰っていましたが、体調はどうですか?」

 無駄な話はせずに端的に伝えてきた城崎に、真澄は(城崎さんらしいわね)と小さく笑いながら答えた。


「ありがとう、大丈夫よ。それで今日仕事の方に支障は無かったか、気になって電話してみたんだけど」

「今のところ、特に問題はありません。先程課長の代理として青木製版に出向いて、商談を纏めた帰り道です。詳細については出社後にご報告します」

「ありがとう。明日は出社するつもりだから宜しく」

 安堵しながら礼を述べた真澄だったが、ここで城崎が気遣わしげに声をかけてきた。


「……課長? 無理をなさらない方が良いのでは?」

「え? どうして?」

「随分声が、掠れている様に聞こえますから。喉の炎症が相当酷かったのでは? 話すのが辛いならメールでも良かったのですが、そういう所は課長は、生真面目過ぎますね」

 溜め息混じりにそんな事を言われた真澄は、一人盛大に顔を引き攣らせた。


「……痛くは無いから、大丈夫よ」

 自分でも声がかすれていると漠然と思ってはいたものの、改めて他人から指摘され、更にその理由に思い至って真澄はベッドの上でうずくまりたくなった。そんな真澄の心情など分かる筈も無い城崎が、冷静に言い聞かせてくる。


「今は、ではないんですか? 先週の勤務状態が問題あり過ぎでしたし、疲れが一気に出たんでしょう。念の為、もう一日位休まれてはどうですか?」

「いえ……、熱は無いし、明日は出るつもりだから」

「そうですか。それでは今日一日は、ゆっくり休んで下さい」

「ありがとう。それじゃあ失礼するわね」

「はい、お大事に」

 そうして表面上は何も問題無く通話を終わらせた真澄は、精神的疲労感を覚えながら軽く頭を振った。


「……取り敢えず、お風呂に入ってこよう」

 自分にそう言い聞かせながら、真澄は疲労感漂う全身をゆっくりと動かし、床に足を下ろしてドアに向かって歩き出した。


 そして簡単に入浴を済ませ、言われた通り用意されていた清人のパジャマを身に着けてリビングに足を向けると、ちょうど清人がダイニングテーブルに食器を並べ終えた所だった。

「ああ、真澄。準備はできているから、そっちに座ってくれ」

「ええ」

 いつもなら清香が座っている椅子を示された真澄が大人しく腰を下ろし、何回か袖を折り返し、ブカブカとはいかないまでも緩さを感じさせるその姿を眺めた清人が、向かいの椅子に座りながら苦笑して口にする。


「清香の物だと丈が足りないかと思って、俺のを出しておいたが、やはり肩幅とか袖の長さは駄目だったな。服は今下着も含めて乾燥中だから、ちょっとだけ我慢してくれ」

「分かったわ」

「それでは、いただきます」

「いただきます」

 そして二人で礼儀正しく手を合わせて食べ始めたが、カルボナーラを一口食べた真澄は、思わず溜め息を吐きたくなった。


(う……、やっぱり美味しい。美味しい物を食べられるのは嬉しいんだけど、私レベルの手料理を食べてなんて、益々言い出し難くて……)

 続けてミネストローネや水菜のサラダにも手を付けた真澄が、益々そんな思いを強くしていると、そんな真澄を眺めていた清人から、幾分心配そうな声がかけられた。


「真澄? 口に合わないか? 今日はあり合わせの物で作ってしまったから……。何か買ってくるか?」

 そんな事を真顔で言われた真澄は、慌てて首を振って弁解した。


「いえ、そうじゃないの! 美味しいわよ? 美味しいからちょっと気まずくて……」

「何だそれは?」

「まあ、ちょっと色々」

「ふぅん?」

 納得しかねる顔付きながら、清人はその事についてそれ以上追及するのは差し控えた。すると代わりに真澄が、相手の反応を窺いながら控え目に言い出す。


「それよりも……、本当に私で良いの?」

「はぁ? この期に及んで、何を言いだす気だ?」

 心底呆れた様に食事の手を止めて自分を凝視してきた清人に対し、真澄は幾分気まずさを感じながら思うところを一気に口にした。


「だって……、以前叔母様に凄く良く似た女性と付き合っていたし、今でも叔母様の事が好きなんでしょう? 確かに私は叔母様と感じが似てるかもしれないけど、やっぱり後から叔母様似の女性の方が良いとか言われたらどうしようかと」

「ちょっと待て、真澄」

「何?」

 自分の話を遮られた真澄が不思議そうに問い返すと、清人は片手で額を押さえながら、困惑した声で言い出した。


「何か今、色々突っ込みどころ満載の事を言われた気がするんだが……、一つずつ確認させてくれ。香澄さん似の女性と付き合っていたって言うのは?」

「叔母様達が亡くなった年の冬に、一緒にホテル街に入って行くのを見たんだけど」

 そう言われた清人は、一瞬考えてから小さくひとりごちた。


「……ああ、あれか」

「あれ?」

 清人の言いように真澄は軽く顔をしかめたが、それを見た清人は僅かに視線を逸らしながら、ボソッと感想を述べた。


「うん、まあ、弁解はしない。しないが……、あれは失敗だった」

「何が、どう失敗だったって言うわけ?」

 幾分目つきを険しくしながら問いを重ねた真澄に、清人が神妙に答える。


「そもそもの前提が間違っている。香澄さんにも似てたかもしれないが、真澄に似ていたから付き合ってみたんだ」

「え?」

「さっき自分で口にしただろう。自分と香澄さんが似てるって」

「それは……、確かに言ったけど。あの……」

 当惑した声を出した真澄に、清人は幾分開き直った様に話を続けた。


「あの頃は、ちょっとヤケになってて。真澄に似た感じの女だったから付き合ってみたものの、中身は全然違ってたから。結局一ヶ月で別れた」

「…………」

 正直にそう告げた途端、テーブルの向こうから無言のまま冷たい視線を向けられた清人は閉口した。


「真澄が言いたい事は大体分かるから、できれば口にしないでくれるとありがたいんだが……」

「それなら、他の私と似ていない人達は?」

 冷静に突っ込みを入れた真澄に対し、清人が呻く様に答える。


「それは……、なまじ見た目が似てるから、違う所があると落胆も大きいわけで、見た目に拘らないで色々試してみようかと」

「今、頭の中で考えている事を、口に出しても良いかしら?」

 僅かに顔を引き攣らせつつ、皮肉っぽく問いかけた真澄に、清人は早々に白旗を上げた。


「出来れば勘弁してくれ……。俺は相手が真澄限定で、打たれ弱いんだ」

「全く……」

 心底困った様な声で訴えられた真澄は、呆れてその事に対する追及を止めて食事を再開した。しかし清人が別件について確認を入れてくる。


「ところで、今でも香澄さんが好きとか言ってたが、一体何の事だ?」

 不思議そうにそう問い掛けられた真澄は、些か腹立たしく思いながらその理由を説明した。


「今更、誤魔化す気? 手帳カバーの折り返しに、叔母様と二人で写ってる写真を挟んであるでしょう? 昔はパスケースに入れてたし」

「あれを見たのか?」

 少し驚いた表情になった清人に対し、真澄はきつめの視線を向けた。


「勝手に見たのは悪かったけど、昔も今も後生大事に持ってるのに、変な言い逃れしないでよ? 勿論清人の初恋の人が叔母様だって、清香ちゃんから聞いて知ってるし」

「清香、あれほど口止めしたのに……」

「清香ちゃんに、責任転嫁しないで」

 思わず溜め息を吐いた清人を、真澄が軽く窘めた。すると再度溜め息を吐きながら、清人がゆっくりと立ち上がる。


「そんな事はしないさ。ちょっと待っててくれ」

 そう言って壁際に移動した清人は、いつも置いてあるリビングボードの上から手帳を取り上げ、テーブルに戻って真澄の前にそれを置いた。


「ほら、中身を良く確認してくれれば分かるから」

 そう言って元の様に椅子に座った清人に、真澄が当惑した視線を向ける。


「何? 表の折り返しは家族写真で、裏の折り返しは例の写真でしょう?」

 そう言いながらも素直に手帳に手を伸ばし、表紙を捲った真澄に、清人は説明を追加した。


「実は裏の方には、下にもう一枚入っているんだ」

「下に? あら? 重なってて気がつかなかったわ。確かにもう一枚挟んであって……」

 問題のツーショット写真を引き出して見た真澄は、その下の写真の存在に気がつき、全体を引っ張り出してみた。そしてポニーテールにしている事から、高校時代の自分の写真と分かるそれを認め、無言で固まる。

 それからゆっくりと顔を上げ、不自然に自分から視線を逸らしている清人に向かって、静かに問い掛けた。


「ちょっと待って。どうしてここに、私の写真が入っているわけ? しかもこれ、高校の頃の写真よね?」

「……それを、俺に言わせるのか?」

 そっぽを向いたまま、低い声で拗ねた様に言い返した清人に、真澄は思わず声を荒げた。


「だって! どうして隠しているのよ!」

「親父や香澄さんに見つかったら、確実にからかわれるだろうが。カモフラージュの為に香澄さんとの写真を上に入れておいたから、何となく癖になって、今でもそのままなんだ」

 面白くなさそうに弁解した清人を、真澄は本気で叱りつけた。


「信っじられない! シスコンならシスコンらしく、清香ちゃんとのツーショット写真を挟んでおきなさいよ! ずっと変な誤解をしていたでしょうがっ!?」

「まさかそんな誤解をしているとは、思ってなかったんだ! 確かに香澄さんの事は今でも好きだが、それはあくまでも家族としてであって! この写真は偶々香澄さん自身が気に入っていた一枚だったから、何となくこれで隠そうと思って」

「分かっていたつもりだったけどね! シスコンの上マザコンだって事は!」

 腹立ち紛れにそう叫んだ真澄は、次の瞬間フォークを掴んだまま激しく脱力した。


(何なの? 一人で十何年も気にして悩んでたって言うのに、蓋を開けてみればこの事実。素直に尋ねてみれば良かったわ)

 そんな事を考えながらがっくりと項垂れていた真澄に、清人から恐縮気味の声がかけられた。


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