そして応接間以上に、緊張感漲る和室では、険しい顔付きの雄一郎が重々しく口を開き、真澄に問い掛けた。
「真澄、一応確認させて貰うが、お前は自分の夫がこんな性格破綻者で本当に構わないのか? 実は嫌だと言うのなら、私がどんな手を使っても別れさせてやるが」
その言葉に、清人が止める間もなく、真澄が盛大に座卓を拳で叩きつつ、本気で怒りの声を上げる。
「お父様! いい加減にして下さい! 私は清人以外の人間と、結婚する気はありません!」
そう叫んで憤慨した真澄を見て、清人は微かに照れくさそうに笑い、そんな二人の様子を眺めた雄一郎は、真顔で言葉を継いだ。
「そうか……。それなら仕方が無いが、この結婚を認めるに当たっては、一つ条件がある」
「認めるも何も……、だからもう入籍済みだと言っているでしょうが!? いつまでも、何を世迷い言を言ってるんですか!」
本気で父親を叱りつけた真澄だったが、ここで清人が片手を伸ばして真澄の腕を軽く掴み、小声で窘めた。
「真澄、ちょっと黙っていてくれ」
「でも!」
「良いから」
軽く睨んできた清人に真澄は渋々頷き、かなり不満そうな顔をしながらも大人しく黙り込んだ。それを確認してから、清人が雄一郎に視線を戻す。
「それでは柏木さん。話を戻しますが、どういった条件を飲めば、真澄との結婚を認めて頂けますか?」
真摯な表情で話の先を促した清人を見返した雄一郎は、徐に話し出した。
「君は先ほど、真澄が『佐竹真澄になった』と言ったな? つまり大抵の婚姻届の様に、夫である君が戸籍の筆頭者となったわけだ」
「はい、その通りです。勿論、真澄は仕事上では支障の無いように、旧姓で通して貰います。柏木産業では既にその類の内部規定は確立しているので、問題は無い筈ですが」
「私は別に、真澄の仕事上の立場を問題視しているわけではない」
「そうですか。それでは話は戻りますが、条件とはどういった内容でしょうか?」
何故話が逸れたのだろうと、多少不思議に思いながら続きを促した清人だったが、次の雄一郎の台詞で瞬時に表情を消した。
「この際、君には私達夫婦と養子縁組みして、柏木の籍に入って貰う。異存は無いな?」
「…………」
予想外の内容を聞かされた総一郎と真澄は絶句して固まり、当事者二人の顔を交互に眺めた。言われた清人は無言のまま眉をしかめたが、それを見た雄一郎は皮肉っぽく口元を歪めて声をかける。
「どうした? 急に耳が聞こえなくなったのか?」
その揶揄する口調に、清人が鋭い視線を向けながらも、薄笑いを浮かべて応じる。
「失礼しました。柏木さんの正気と、自分の耳を疑う内容が聞こえたもので」
「生憎、私はすこぶる本気だ。さっさと結論を聞かせて貰いたいものだが」
「…………」
決断を促した雄一郎だったが、何故か清人は再度薄笑いを消して正面に座る雄一郎を睨み付けた。一気に和室内の空気が緊迫してくるのが画面越しにも分かり、応接間で密かに経過を見ていた面々も顔を強張らせる。
「え、えっと……、要するに、雄一郎伯父さんは、お兄ちゃんに柏木姓を名乗れと言っているわけ?」
困惑しながらも何とか現状を理解しようと、横に座る聡に確認を入れた清香だったが、聡は小さく首を振った。
「いや、確かに婚姻届を出す時、夫婦どちの姓でも選択できるけど、柏木姓を選択しても、単に戸籍の筆頭者が真澄さんになるだけだ。柏木さんが自分達夫婦と養子縁組みしろと言っているんだから、内容は全然違うよ?」
「え? どこがどう違うの?」
段々混乱してきた清香に、聡がちょっと考えてから簡潔に説明してみた。
「一番分かり易いのは、相続時の立場かな? 夫婦で柏木姓を名乗っても、仮に柏木社長が亡くなった時に相続人になれるのは真澄さんだけなんだ。だけど兄さんが養子縁組みしていたら、真澄さんと兄さんどちらにも、同等の相続権が発生するんだ」
「え? そうなの? でもお兄ちゃんと真澄さんが義理の姉弟の関係になっちゃうけど?」
「養子と実子の婚姻については支障は無いし、養子縁組みの手続きは、婚姻時と同時でも、その後でも問題はない筈だ。だから『単なる娘婿』ではなく、養子縁組みで『婿養子』になって、名実共に柏木家の一員になるって事だよ」
そこまで説明されて、一応は納得した清香だったが、画面の中の雄一郎を眺めながら、不思議そうに言葉を継いだ。
「それは分かったけど……。どうして伯父さんは、この場でそんな事を言い出したのかしら?」
「それは何とも……」
流石に聡も困惑して口ごもり、他の面々も心配そうに見守る中、画面の中で雄一郎を睨み付けていた清人が、動きを見せた。
「……差し支えなければ、是非ともその理由をお聞かせ願いたいのですが」
「ほぅ? 君は察しが良い方だと思っていたのだが、私の買いかぶりだったのかな?」
「大体予想はつきますが、不愉快極まる内容ですので、ご本人の口から直接お伺いしたく思います。柏木さんには三人もお子さんがいらっしゃいますし、敢えて俺と養子縁組みする必要性など無いのでは?」
常識的な判断を述べてみた清人だったが、雄一郎は事も無げに言ってのけた。
「ああ、確かに色々個性的な三人が居るな。しかしはっきり言わせて貰えば、全員君と比べると見劣りする。親としてはともかく、一企業のトップとして後継者候補として見た場合、甚だ心許ない」
「清人!」
雄一郎の台詞を聞いて顔にはっきりと怒りの表情を浮かべ、反射的に腰を浮かせた清人を、今度は真澄がその腕を掴んで思い止まらせる。それで何とか怒鳴りつけるのを堪えた清人は、歯軋りせんばかりの形相で雄一郎を睨み付けた。
「……俺を本気で怒らせるおつもりですか? 三人ともあなたにそんな風にあっさり切り捨てられる様な、問題が有ったり無能な人間では有りませんよ?」
「そんな事は承知している。怒りたければ勝手に怒って構わん。私はこれからの柏木産業の為に、君と君の子供が欲しいだけだ。だから柏木の籍に入って欲しいと、正直に言っている。ゆくゆくは君にも柏木産業に入って貰うつもりだしな」
淡々とそんな事を言われた清人は、目つきは鋭いまま酷薄そうな不気味な薄笑いを、その端麗な顔に浮かべた。
「それはそれは……。番犬として認めて頂いたと思ったら、実は種馬としても認めて貰っていたわけですか。加えて馬車馬の如くこき使う気が満々とは、非才なこの身に余る光栄です」
そんなあからさまな皮肉にも動じる事無く、雄一郎はどこか他人事の様に続ける。
「種馬としては認めているが、番犬としては果たしてどうかな? 真澄以外には狂犬にしか見えんから、飼い慣らすのは無理かもしれん。その時は最悪、君は放逐しても、産まれた子供は責任持って柏木家で育てるから安心したまえ」
あまりと言えばあまりの暴言に、ここで流石に黙って見ていられなくなった真澄が、鋭く非難の声を上げた。
「お父様、いい加減にして下さい! 先程から言葉が過ぎます! 清人に謝罪して下さい!」
顔を赤くしたり青くしたり忙しい真澄の横で、清人が地を這う様な声音で雄一郎に問い掛ける。
「俺が素直に真澄と別れるとでも?」
「嫌なら、力ずくで別れさせるまでだ」
「雄一郎、いい加減にせんか! 確かに口が過ぎるぞ!?」
流石に傍観出来なくなった総一郎が息子を叱りつけたが、その場の空気が坂道を転げ落ちる様に、一気に悪化していくのを止める事は出来なかった。
そんな状況をテレビ画面で確認しながら、清香と聡は揃って頭を抱えていた。
「種馬って……。一体、何がどうして、そんな話になるわけ?」
「あんな言い方をしたら、柏木さんが実子の浩一さん達を蔑ろにしていると言われても、文句が言えないじゃないか」
「え?」
溜め息を吐いた聡が漏らした言葉に、清香が驚いた様に反応する。そんな清香を挟んで向こう側に座っている浩一と玲二を気にしながら、聡は控え目に話を続けた。
「特に真澄さんと浩一さんは、今現在柏木産業で働いているんだし、実の親と言えども他人に向かって力量不足だと断言されるなんて、失礼だろう。あの真澄さん至上主義の兄さんが、怒らない筈がないよ。もう二人とも、本当に言葉を選んで欲しい。見ているこっちの胃が痛くなる……」
そう言って本当に胃の辺りを押さえた聡から視線を逸らし、清香は反対側に座っている浩一の方に向き直った。そして、幾分申し訳無さそうに声をかける。
「あ、あの……、えっと……、すみません、浩一さん、玲二さん」
気まずさを覚えて思わず謝ってしまった清香だったが、浩一と更にその向こうに座っていた玲二は、屈託が無い明るい笑顔を見せた。
「気にしなくて良いよ? 清香ちゃん。父さんから見たら俺が力量不足と思われてるのは、十分理解しているし」
「そうそう、俺なんてとっくに家を飛び出している身だからね。寧ろ清人さんが家に入ってくれたら、色々安心だって。なぁ、兄貴?」
「違う意味で色々不安は有るがな。あいつは《友人》としてなら『少々困った奴だが頼りになる奴』だと断言できるが、《義兄》となると、ちょっとどうかと思う……」
同意を求めた玲二だったが、浩一は僅かに視線を逸らしながら、恐らく本音らしい呟きを漏らす。それを聞いた清香と聡は僅かに顔を引き攣らせ、玲二は諦めた様な溜め息を吐いた。
「……兄貴、今、そこを突っ込むのは止めておこうか」
「おい、動きがあったぞ? 喋って無いで画面を見ろ」
そこで鋭く正彦に注意喚起された一同が一斉に視線をテレビに向けると、取り敢えず怒りの表情を抑えた清人が、静かに口を開く所だった。
「……お話は良く分かりました」
「それでは君と私達の養子縁組みに関して、依存は無いな?」
冷静な素振りで告げてきた清人に、雄一郎が半ば満足そうに確認を入れたが、清人は素直に頷く様な真似はせず、真顔で自分の要求を繰り出す。
「そのお話を受ける場合、俺からも条件が一つあるのですが、聞いて頂けますか?」
「何かね? 取り敢えず、言ってみたまえ」
怪訝な顔をしながらも雄一郎は先を促したが、その様子を画面越しに見聞きした浩一は座ったままがっくり項垂れ、思わず愚痴を零した。
「おい……、本当に勘弁してくれ。これ以上変な方向に、話を持って行ってくれるなよ? 頼むから」
そんな浩一の呟きは、その場全員の本音、そのものだった。
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