ケーキのサプライズとそれに付随するあれこれはあったものの、その後も順調に披露宴は進行し、司会者がある人物の名前を挙げた。
「それでは次に、ご出席の皆様がご承知の通り新郎は作家『東野薫』として活躍中ですが、海晴社の新郎担当編集者でいらっしゃる、石津公典様からご祝辞を頂きます。石津様、宜しくお願いします」
そんな紹介を受けて、会場中程のテーブルに着いていた清人と年の頃はそう変わらない男性が立ち上がり、周囲から生じた拍手を背に受けながら前方へと足を進めた。何となく清人同様に人の悪い笑みを浮かべているその男に、真澄は何となく嫌な予感を覚えたが、そんな感情をおいそれと面に出すわけにはいかず、当たり障りのない笑顔を保つ。
そしてその男性が演台で司会者と場所を交代し、主役二人に笑顔を向けた。
「只今ご紹介に預かりました石津です。この度はご結婚、おめでとうございます」
そうして二人に向かって頭を下げた為、清人と真澄もそれに応じて軽く頭を下げた。すると石津は招待客の方に向き直り、祝辞を述べ始める。
「私と新郎である東野先生とのお付き合いは、かれこれ五年近くに及びます。今思えば本当にあっという間の出来事でしたが、昨年出版された『晩秋の雲』を手掛けた事を筆頭に、良い仕事をさせて頂いていると、心からこの出会いに感謝している次第です」
さすがに大手出版社の編集者らしく原稿などは準備せず、清人との関係や仕事ぶりについて嫌味や退屈感を出席者に感じさせる事なく、好感度を増す賛辞で上手く纏めているのを聞いて、真澄がその手腕に密かに関心していると、一通り語り終えたらしい石津が唐突に話題を変えてきた。
「……ところで、言葉を操る事を仕事としておられる先生の事ですから、今回ご結婚に至る課程では、奥様にさぞかし情熱的な愛の言葉を囁いたのではと非常に興味をそそられておりますが。先生、そこの所はどうでしょうか?」
そう石津が口にした瞬間、真澄の片眉がピクッと不自然に動き、会場内の雰囲気も微妙に揺らいで興味津々な視線が新郎新婦に集まったが、それを素早く察知した石津は、些か人の悪い笑みを浮かべながら、話を続けた。
「実は折しも、来週発売予定の先生の新刊は、一組の男女の出逢いと結婚までに至る内容の話となっておりまして……」
そこで真澄の頬が、傍目にも分かるほどに引き攣った。しかし石津はそれに気づかないふりをして清人の方に向き直り、惚けながら問いを発する。
「詳細は省かせて頂きますが、その作品では優柔不断な主人公に業を煮やした相手の女性が、強引に結婚する事を了承させる流れになっております。先生の入籍直後に構想がでた作品でもあり、先生の実体験を踏まえての話かとも思われたのですが、そこの所は如何でしょうか?」
白々しく問いかけた石津だったが、対する清人も負けず劣らずの嘘くさい笑顔を会場中に向けて振り撒いた。
「石津さん。時期的にそう勘ぐられても仕方がありませんが、それは明らかな誤解です。確かに真澄は並の男性以上に仕事をこなしている有能な女性ですが、実は控えめで慎ましい性格のしとやかな女性なので、今回の小説中の女性の様に、相手を蹴り飛ばして言う事をきかせようなどと考えたりしませんから」
「…………」
笑いを含んだ清人の物言いに、テーブルの下で握りしめていた真澄の拳がプルプルと震えていたが、当然のごとくそれは誰の目にも留まらなかった。そして男二人のわざとらしい会話が更に続く。
「そうですか。それは興味本位で見当外れな質問をしてしまいまして、奥様には大変申し訳ありませんでした。それでは因みにどんなやり取りがあったのかを、教えて頂けませんか?」
「私としてもかなり気恥ずかしいので、プロポーズの言葉をここで再現するのは勘弁して貰いたいのですが」
「先生、そんな殺生な。この場にいる皆さんだって、きっと聞きたいと思ってらっしゃいますよ?」
「私が申し出た言葉に、真澄が大人しく了承してくれた事は事実ですから。それで勘弁して下さい。……そうだろう? 真澄」
「…………っ!」
にこやかに、一見邪気のない笑顔の清人から同意を求められた真澄は、ここでとうとう我慢できなくなり、僅かに顔を赤くしながら勢いよく立ち上がった。次いで広がっているドレスのスカート部分の両側を軽く両手でたくし上げるようにして椅子の背後に回ったかと思ったら、小走りになって直近のドアに向かい、体当たりする様にドアを開けて無言のまま廊下の向こうへ消えていった。
予想外の出来事に、会場中が呆然と真澄を見送ったが、一瞬遅れて真澄の傍に控えていた泉水達スタッフが慌てて真澄の後を追った。そしてそれを眺めてから、石津が淡々と話を続行させる。
「因みに、今簡単にご紹介した東野先生の新刊は発売日前ですが、先生のご要望によりこちらで手配しまして、本日の引き出物の一つとして皆様にお配り済みでございます。後程、東野薫ワールドを存分にお楽しみ下さい。これで私からの祝辞を終わらせて頂きます」
そして一呼吸置いて、明るく宣言する。
「それでは、新郎新婦がお色直しの為、一時退場させて頂きます。皆様拍手でお見送り下さい」
何故か石津が司会のお株を奪って場を仕切ってしまったが、清人が平然とそれに応じて立ち上がり、出席者に向かって一礼した為、訳が分からないままパラパラと会場中から拍手が起こった。そんな微妙な空気の中、清人は一人で悠然と歩き出し、ドアの所で再度一礼してドアの向こうに姿を消す。そして会場中が低くざわめく中、司会者が石津に困惑気味の声をかけた。
「……あ、あの。今のはどういう」
「あ、すみません、勝手に仕切ってしまいまして。ちょっとお二人の退場が早まりましたが、どうぞ進行を続けて下さい」
「はぁ……。そ、それでは、皆様。どうぞ暫くご歓談ください」
笑顔の石津からマイクを取り戻した司会者が、何とかプロ根性を発揮して笑顔を向けつつ声を発したが、その場の当惑した空気はなかなか消失しなかった。
「何だったんだ? 今のは」
「さあ……」
出席者が互いに顔を見合わせつつ首を捻っていると、会場の片隅である女性の声が響いた。
「あなた!? 一体何をしているの?」
それでその周囲の視線が、狼狽した声を発した由紀子に集中してしまった。彼女はそれほど大声を発したわけではなかったものの、会場内が比較的静かだったため、予想以上に声が響いてしまったのだった。更に由紀子にとって不幸だった事に、そこで視線を集めてしまった事に気が付かなかった故に、声を潜める事もせずに話し続けてしまった事で、やり取りが周囲に丸聞こえになってしまう。
「彼の新刊はこれだろう? さっきの話で興味が湧いたから、ちょっと読んでみようかと思っただけだが」
テーブル下に置いてあった引き出物の袋から四角の包みを取り出し、今まさにその包装を取り除こうとしていた勝を、由紀子は鋭く叱責した。
「披露宴の最中に引き出物を開けるなんて、マナー違反ではないんですか? 失礼でしょう、止めて下さい!」
「品定めするわけではなくて、中身が分かっているんだから別に構わないんじゃないか? 勿論包装紙は散らかしたりしないで、ちゃんと畳んで持って帰るし」
「そういう問題では無いでしょう!?」
冷静に金色のシールを剥がし、包装紙を広げた夫に由紀子は苛立った声を上げたが、そんな二人のやり取りを眺めていた聡と清香が、ここでボソッと呟いた。
「……じゃあ、俺も読んでみようかな?」
「わ、私も……、ちょっと気になるし……」
「聡! 清香さん!」
夫に加えて聡と清香まで本を引っ張り出して包装を剥がし始めた事に、由紀子は眩暈を覚えたが、そんな光景を遠巻きに見ていた他の出席者達も、次々にテーブルの下から袋を引っ張り出し始める。
「何か親族席で読み始めたし、ちょっと読んでみるか?」
「そうだな。どうせお色直し中だし」
「こういうのも面白いわね」
そして大して時間を要する事無く、会場中で清人の新刊が読まれ始め、最後まで渋っていた由紀子も「清人君の新刊を、お前はいつも楽しみにしていただろう」と夫に宥められ、その手に取って目を通してみる事にした。
しかしその頃、静まり返っていた披露宴会場とは裏腹に、新婦控室では真澄が盛大に泣き喚いていた。
「もう、馬鹿馬鹿! 最低ぇぇぇっ! 何て事してくれたのよ! 絶対にこれまでのあれこれを、洗いざらい書いたわよね!?」
「ちゃんと名前とか、細かい設定は変えてあるが?」
「どうせそれだけでしょう? そんなの、見る人が見たらすぐ分かるじゃない!」
「確かにそうかもな」
「そうかもな、じゃあないでしょうっ! そんなのが全国で売られるわけ!? もう恥ずかしくて、会場に戻れないわよっ!!」
ソファーに突っ伏して号泣している真澄の横に片膝を付き、苦笑しながら清人が宥める。
「真澄、興奮するのは身体に良くないぞ?」
「どの面下げてそんな事言ってるのよ! 顔も見たくないわ! 出て行ってぇぇっ!!」
「こら、皆さんが驚くだろうが」
手近にあったクッションを掴み、清人に向かって振り下ろしつつ泣き叫ぶ真澄を、清人は苦笑して窘めていたが、ホテルのスタッフとしては苦笑で済ませられる事態ではなかった。
「あ、あのっ! 柏木様、落ち着いて下さい!」
「一体どうなさったんですか!?」
「お前達、柏木様に対して何か粗相があった訳では無いだろうな!?」
「それが……」
騒動について上部に連絡がいったらしく、これまで顔を見せなかった上役達まで顔を出し、実際に会場で対応していた泉水達現場スタッフに詰め寄った所で、清人が立ち上がって一同に軽く頭を下げた。
「お騒がせして誠に申し訳ありません。実は会場で悪ふざけが過ぎまして、妻を怒らせてしまっただけです。これは全面的に私と友人の落ち度ですのでお気になさらず。こちらのスタッフの皆さんには、大変よくして頂いております」
「そ、そうですか。それならよろしいのですが。あ、いえ、あまりよろしくもありませんが……」
真澄の様子を窺いつつ冷や汗を流すバンケットマネージャーに、清人は穏やかに微笑んで見せた。
「妻は責任を持って私が落ち着かせますから、暫く二人きりにして頂けませんか?」
「それは……」
「私どもは構いませんが」
未だ不安が残る表情で顔を見合わせる面々に、清人が真顔で冷静に確認を入れる。
「進行の関係も有るでしょうから、なるべく長引かせ無いようにします。……幸いと言うか何と言うか、真澄が予定より早く披露宴会場を飛び出してしまったので、次のお色直しに取りかかる予定時刻まで、暫く余裕がありますね?」
「はい、確かに四十分程余裕はあります。ドレスからドレスへの変更ですので、着替え自体にそれ程お時間は頂きません」
瞬時に仕事の顔になった泉水が腕時計を確認しつつ、タイムスケジュールを確認した。それを受けて清人が軽く頷く。
「それでは取り敢えず三十分頂けますか? 長引いても四十分以内に着替えに取りかかれる様にしますので」
それを受けて、スタッフはきちんと一礼してから、次々と廊下へと消えていった。
「分かりました。何かご要望が有ったらお呼び下さい」
「廊下で待機しておりますので」
「お気遣いありがとうございます。宜しくお願いします」
そうして殊勝に頭を下げてスタッフを見送った清人は、ドアに鍵をかけて真澄の元に戻った。
「真澄? 機嫌を直してくれないか?」
「絶っ対に嫌よっ!! 無理っ!!」
「そうか、それじゃあ仕方がないな……。こっち主導でやらせて貰うから」
軽く背中を撫でながら声をかけた清人だったが、真澄はソファーに突っ伏したまま鋭く拒絶の言葉を吐いた。すると清人が真澄のドレスのファスナーを腰の辺りまで引き下ろし、インナーが露わになった所で、真澄とドレスの間の隙間に片手を突っ込む。
流石に異常に気付いた真澄が、ドレスを押さえつつ体を捻って上半身を起こして叫んだ。
「ちょっと! 何考えてるのよ!!」
しかし清人は逆の腕で真澄の腰を抱き止める様にしながら、再度手をスカートの中に差し入れた。
「真澄、実は今身に着けてるパニエ、簡単に着脱可能な代物なんだ」
「はぁ?」
いきなり真顔で何を言い出すのかと、ドレスの中に手を入れられているのも忘れて、真澄は呆れながら夫の顔を見返した。そして咎められないのを幸い、清人は滑らかな動きでドレス内部で真澄のウエスト部分に当たる部分に手を這わせる。
「泉水さんと衣装の打ち合わせをしている時に、説明を受けたんだ。『デザイン的にスカートが膨らんでいた方が素敵なのでワイヤー入りパニエを使用しますが、当日ご気分が悪くなったり、お運びする事態になった時には、スカートが邪魔にならないように、すぐに着脱可能なパニエをご用意致しますから安心して下さい』って」
「それが何!? それ以前に、どうして今外してるのよ? 私、今、機嫌は悪いけど、気分は悪く無いわよっ!!」
「これを付けてると、邪魔だから」
「は? あ、きゃあっ! ちょっと! いきなり何するのよっ!!」
上の接続部分をはずし終わった清人は、ドレスを軽く捲り上げて中のパニエを勢い良く引き下ろした。引きずられて危うく床に尻餅をつきそうになった真澄が、腕で体を支えて堪えると、清人がその足を軽々と持ち上げ、スルリとパニエを抜き取る。
「あのね! 一体何考えてるわけ?」
一連の意味不明な行動に、真澄は憤慨して詰め寄ったが、清人は抜き取ったパニエを少し離れた所に放り投げながら、すこぶる真顔で告げた。
「ちょっと今日の記念に残る事をしたいなと思って」
「どういう事?」
真剣な顔付きで言われた真澄は、怪訝な顔で問いただしたが、それに対する清人の答えは、あまりにも馬鹿馬鹿しいものだった。
「妊婦の真澄とやれるのはこの先幾らでも機会があるが、ウェディングドレスを着た真澄とやれるのは今日しか無い」
堂々とそんな事を言い切られ、真澄は一瞬呆気に取られて頭の中で言われた内容を考えたが、すぐに何を言われたかが分かって頭に血を上らせた。
「何、馬鹿な事真顔でほざいてんのよ! この変態がぁぁぁっ!!」
その怒り狂った真澄の叫び声と何かが派手に倒れる音が、防音機能はそれなりに有るはずの扉越しに聞こえてきた瞬間、新婦控え室のすぐ外の廊下に待機していたホテルのスタッフ達は蒼白な顔を見合わせた。
「なっ、何事?」
「大丈夫なの? まさか披露宴で破局なんて事になったら……」
「ちょっと冗談止めて! うちのイメージがた落ちじゃない!」
「本当に冗談じゃない! 新婦側は柏木家、新郎側は小笠原家だってだけでも相当な物なのに、招待客の中には各界のそうそうたる顔触れが揃ってるんだぞ!? もし変な噂でも立ったら、取り返しが付かないじゃないか!」
そうして揃ってドアの向こうの様子を伺った面々だったが、ドアは内側から施錠されており、時折漏れ聞こえてくる微かな物音や声でしか、中を窺い知る事はできなかった。
「……から、離しなさいって、言っ…………」
「……んな事、……るべく、そうするって……」
「ちょっと! ……き放題に、……からっ!」
「……でも、…………してる、……だろうし、……」
そのうちに室内から聞こえる音も無くなり、静けさを取り戻した廊下では、ホテルのスタッフ達が生きた心地がしないまま、暫くの間立ち尽くす羽目になったのだった。
そして主役二人が姿を消してから二十分程経過した披露宴会場では、そこかしこでページを捲る微かな音と、抑えきれない忍び笑いの声と、偶に悲痛な泣き声が混在する、一種微妙な空間と成り果てていた。
「酷い……。こんな……、こんな優柔不断なくせに、ストーカー紛いの男なんて、絶対お兄ちゃんじゃないぃぃぃ~」
斜め読みしても従来の兄の像とはかけ離れた描写の羅列に、軽くショックを受けた清香は涙声でテーブルに突っ伏した。それを見て強張った顔付きのまま、聡が宥めようと試みる。
「落ち着いて、清香さん。これは所詮小説なんだから。虚実織り交ぜて作るのがお約束だよ? 全て真実ってわけでは無いから」
すると清香はむくっと頭を持ち上げ、涙ぐんだまま聡に問い掛けた。
「じゃあ聡さんは、この小説での脚色と真実の割合は、どれ位だと思うの?」
その問いに、聡は一瞬言葉に詰まりながら、返事を絞り出す。
「その……、一対九位?」
「因みに、どっちが九?」
鋭く突っ込みを入れられ、これ以上変にごまかす事もできず、聡は正直に答えた。
「……真実」
「聡さんの馬鹿ぁぁぁっ!」
再び突っ伏して盛大に泣き出した清香に、失敗を悟った聡は無言で項垂れた。その横で、由紀子が手にしたハンカチで目元を抑えながら涙ぐむ。
「やっぱり、私のせいで、清人の性格が歪んだんじゃ……。真澄さんに、何て言ってお詫びすれば良いのか……」
「……彼女は別にそんな事期待していないし、ある程度分かった上で結婚していると思うがな」
疲れた様に応じた昭の声に、どこか遠い目をしながらの恭子の台詞が続いた。
「さすがにこれは止めておいた方が良いですよって、一応言ってはみたんですけどね……。あのど腐れ野郎が私如きの言う事に、耳を貸す筈がありませんので……」
その声にとどめを刺されたかの様に、そのテーブル周辺で重苦しい空気が漂った。
同様に正彦達、真澄の従兄弟として纏められたテーブルでは、疲れた様などこか虚ろな笑いが生じていた。
「そうか……、真澄さんプッツン切れて、清人さんを押し倒したのか……」
「それで『稼ぎが無くても養ってあげるから、文句言わずに大人しく結婚しろ』? 真澄さん、並みの男以上に男っぷりがいいよなぁ」
「しかも『鎖に繋いで飼ってあげる』ときたか。もうここまでくると天晴れだな」
「だけど恭子さんから漏れ聞いた他にも、陰で色々やってたんだ、清人さん」
しみじみと男達が言い合う中で、紅一点の奈津美が席次表と会場の配置を照らし合わせながら、静まり返っている中ほどのテーブルの一つを指差して確認を入れた。
「真澄さんの交友関係とか、仕事上の情報を垂れ流しさせてた同僚さんとか部下さんって……、あそこのテーブルの方達ですよね?」
その声に、周囲が頷き返す。
「確かにそうだな。見ただけで分かる」
「あ~あ、全員硬直して、血の気引いてるみたいだぞ?」
「そりゃあな。社長令嬢の付き合ってる相手の情報流して、その男に女を近付けて心変わりさせたり、弱味掴んで脅したりして、悉く真澄さんが振られる様に仕向けた男の片棒担いだと知られたら、社長からどんな制裁を下されるか分からないからな」
「顔色悪くもなるって」
「と言うか、伯父さんや浩一さん達のテーブルも、玲子伯母さんが笑ってる他は、皆黙りこくってるんだけど」
その明良の指摘に、皆が隣接する柏木家のテーブルに目をやると、確かに笑いを堪えている玲子の他の面々は、本を手にしたまま微動だにしていなかった。それから再び視線を戻し、何となく全員テーブルの中央に視線を向けて黙り込む。すると少しして友之が左手で頬杖を付き、右手の指で軽くテーブルを叩きながら、唐突に従兄弟達に問いを発した。
「ところで……、どうして清人さんが、このタイミングで編集者を巻き込んでまで、こんなふざけた真似をしたと思う?」
「え? 何か意味が有るんですか?」
「単なる悪ふざけじゃ……」
虚を衝かれた様に声が上がったが、友之はそれを否定する様に右手を振ってから話を続けた。
「披露宴って、結構タイムスケジュールがタイトだろ?」
「そりゃあ、そうだろう。だから?」
「進行スケジュールを少し狂わせても、ついうっかり花嫁を怒らせて控え室に籠もらせてしまった結果なら、ホテルのスタッフや出席者には、何とか笑って許して貰えるかな、と」
それを聞いた正彦は、益々怪訝な顔をした。
「真澄さんが披露宴終了時刻までに、機嫌を直す事前提だがな。……要するに、お前は清人さんがお色直しの為の退出予定時間前に、真澄さんを会場から出したかったとでも言うつもりか?」
「ひょっとしたら……。いや、十中八九そうだと思う」
「どうしてそんな事をする必要があるんだ?」
「分からないか?」
正彦が重ねて問いかけると、友之が真顔で見つめ返してくる。そこで正彦は眉を寄せて考え込んだが、ある推測に思い至るまで長い時間はかからなかった。
「あ~、うん、そうか。なんとなく分かった様な、気がする」
それを聞いた修、奈津美、明良は揃って声を上げた。
「え? 俺は全然分からないけど」
「友之さん、正彦さん、どういう事ですか?」
「勿体ぶらずに教えてくれよ」
口々にそう訴えられ、正彦と友之は顔を見合わせてから、交互に口を開いた。
「だって、なぁ。あの真澄さん激ラブの清人さんだぜ?」
「真澄さんに関しては、常識とか節度とか体裁とか理性とか、その他諸々綺麗に吹っ飛ばせる人だからな」
「スタッフを上手いこと言いくるめて二人きりになって、『安定期に入ったから、妊娠中でも真澄とやろうと思えばできるが、ウェディングドレス姿の真澄とやれるのは今日しかない』とか馬鹿な事言ってそうだな~と」
それを聞いた三人は、思わず兄達を白い目で見やった。
「兄さん…………」
「友之さんまで……」
「冗談で言ってますか? お義兄さん」
一際厳しい目つきの義妹に、正彦はたじろぎつつ言葉を返す。
「えっと……、一応本気」
そしてその場に「ははは……」という正彦の乾いた笑いが生じると、奈津美は険しい表情のまま夫を振り返った。
「そうですか……、その為にこんな暴露本紛いの物を出したんですか。……修さん?」
「どうした?」
「今度あのろくでなしが店に来たら、借金未返済でも頭から塩かけて叩き出すから、そのつもりでね」
「……好きにしろ」
本気でしか有り得ない奈津美の表情と物言いに、修は下手に宥めるのは逆効果だと即座に判断し、彼女のやりたいようにさせる事にしたのだった。
一方で、新婦控え室のすぐ外で、やきもきしながら室内の様子を窺っていたホテルスタッフ達は、清人が告げた三十分を過ぎても何の応答が無い事で、顔に焦りの色を濃くしていた。しかし三十五分を経過しそうになって、意を決した泉水がドアをノックしようと腕を上げた時、内側からドアが開いて、清人が笑顔を見せる。
「皆さんお待たせしました。ご心配おかけして、申し訳ありません」
「いえ、こちらは構いませんが……、新婦様は大丈夫ですか?」
「はい。だいぶ泣いてしまったので、今になって随分恥ずかしくなってしまっているみたいですが」
そう言いながら清人が体をずらして室内の様子を見せると、真っ赤な顔をしながらも、部屋の奥のソファーに大人しく座っている真澄を認めた一同は、揃って安堵の溜め息を漏らした。
「落ち着いて頂いた様で何よりです」
代表して泉水が感想を述べると、清人が小さく頷いてから、申し訳無さそうに口を開いた。
「それは良かったのですが……。結構泣いたので、かなりメイクが落ちてしまいましたし、まぶたが腫れぼったくなってしまったので、メイク担当の方にはお手数おかけします。申し訳ありません」
それを聞いたメイク担当者は人だかりを掻き分けて先頭に出た。そして清人を見上げながら、力強く請け負う。
「ご心配無く。こういう状況こそ腕の見せどころですから。予定時間までに、今まで以上にお美しい新婦様に仕立て上げてご覧にいれますわ!」
「それは心強いです。宜しくお願いします」
「それでは早速、新婦様の準備に取りかかります。皆さん、お願いします」
「はい、まだ時間はありますが、手際良くいきましょう」
「小物は揃ってるわね。腫れを冷やす保冷剤は?」
「大丈夫です、準備してあります!」
そうして泉水が振り返って指示を出すと、各担当者が四人ぞろぞろと仕事道具を抱えて新婦控え室へと入って行った。そして取り残された清人は、同様に佇むバンケットマネージャーに苦笑いして再度頭を下げた。
「それでは私も自分の控え室で着替えてきましょう。本当にお騒がせして申し訳ありませんでした」
「お気になさらず。長年こういう仕事をしていると、こんなトラブルは可愛いものですよ」
そして男二人で並んで歩きながら、上機嫌で会話を交わす。
「そうですか? それは興味深いですね。一度皆さんの職場の内情とかを書いて見たくなりました」
「ご勘弁下さい。色々差し障りがありますので」
「それは残念です」
そうして清人は上機嫌のまま、自分に用意された控え室へと戻って行った。
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