夢見る頃を過ぎても

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可愛らしい妥協

公開日時: 2021年5月23日(日) 21:37
文字数:5,994

午後一時に開始された披露宴は、様々な騒動を繰り広げながらも五時過ぎに何とか終了し、出席者達は主役二人を冷やかしつつ、三々五々に帰って行った。清人と真澄は全員の見送りを済ませてから会場を後にし、着替えを済ませて幾つかの事についてスタッフとやり取りをしてから、その日の宿泊用に押さえてある上層階のインペリアルスイートに七時近くに入る。そして漸く人心地がついたところで、タイミングを計った様に食事の用意が整えられた。

 ベッドルームやリビングに加え、ゲストルームにキッチン、ダイニング完備のそこでは、続々とホテルスタッフが入り込んでも手狭さは一向に感じなかったが、広々としたダイニングテーブルに料理を並べられて二人きりになった時、真澄はやっといつもの調子を取り戻し、挨拶をしてから黙々と食べ始めた。それを見た清人は、自分も手と口を動かしながら、面白そうに小さく笑う。


「やっぱり腹が空いてたんだな」

 その台詞に、真澄はチラリと清人を睨んでから、気分を害した様に言い返した。

「当たり前でしょう? 視線を浴びまくりの所で、大口開けて食べられないし。第一、お色直しで中座する時間が長い事は分かっていたから、食べきれなくて無駄にならない様に、量を通常の半分以下にして貰っていたもの」

 そう言ってひたすら食べ続ける真澄に、清人が更に話し掛けた。


「それだけ食欲があれば大丈夫だな」

「何が?」

「一応手加減はしたが、昼から相手をして貰ったから」

 笑いを堪えながらのその台詞に、真澄は手にしていたフォークとナイフをガシャンと乱暴に皿に置きながら、盛大に怒鳴りつけた。


「あれを蒸し返さないで! 会場に戻ってから、正彦達に『あまり真澄さんに無理させちゃ駄目ですよ?』ってからかわれたの忘れたの!? 顔から火が出る程恥ずかしかったわよ!」

 しかしそんな真澄の訴えも、清人はどこ吹く風で聞き流す。

「俺がからかわれただけだし、真澄が恥ずかしがる必要は無いと思うが?」

「何をしてたか察せられたと分かった時点で、大いに恥ずかしいわよっ!!」

「俺の奥さんは、相当な恥ずかしがり屋らしいな」

「もう何とでも言って! 本気で清香ちゃんに愛想尽かされても知らないから!」

 顔を引き攣らせながら真澄が喚くと、ここで清人が怪訝な顔になって反応した。


「清香がどうかしたのか?」

「披露宴の参加者は、もれなくあの本を読んだでしょうが! 別れ際に『お兄ちゃんの馬鹿ぁーっ!』って泣きながら帰ったのを、清人も見たでしょう?」

 咎める様に指摘した真澄だったが、清人は軽く首を傾げたものの、淡々と言い切った。


「……ああ、あれの事か。まあ、嫌いと言われたわけじゃないし、別にどうと言う事はない」

 そう言って食事を続行した清人を見て、(そうだわね、そういう人間だったわね……)と真澄は挫けそうになったが、一応言っておこうと思っていた事を口にした。


「それに、小笠原家の人達が別れの挨拶をしに来た時……、小笠原さんが清人と言葉を交わしている横で、由紀子さんが何とも言えない微妙な顔付きで、黙ったまま涙ぐんで頭を下げて帰って行ったのが、私的にはもの凄くいたたまれなかったんだけど?」

「気にするな」

「気にするわよ! 全くもう……」

 これ以上何を言っても無駄だと悟った真澄は、諦めて食事に専念した。そして終了後に呼び出したスタッフに皿を下げて貰い、リビングに移動してお茶を淹れて貰う。

 そしてソファーに差し向かいで座り、お茶を味わいながら披露宴の話などをしてから、時計で時刻を確認しつつ清人が声をかけた。


「じゃあ今夜は早目に休むか。真澄は明日休みを取ってるが、明後日は普通に出勤するし、無理はしない方が良いだろう?」

「当然です。先にお風呂を使って良いわよ? 私、もう少しゆっくりしてるから」

「そうか? それならお言葉に甘えて、先に使わせて貰うか」

 そんなやり取りをしてから清人はテーブルにカップを置いて立ち上がり、寝室に歩いて行った。しかし扉の向こうに消えてから一分もしないうちに、片手にパジャマらしき物を掴んだ清人が再びリビングに姿を現す。


「……真澄、ベッドの上にこれだけあって、お前の分のナイトウェアが置いて無かったんだが、どこか他の場所に置いてあるのか?」

 清人が軽く突き出すようにしてきた物は、確かに男性用の肌触りの良さそうなシルクのパジャマで、真澄は不思議そうに首を捻った。

「え? 別に触ってはいないし、ベッドルームにまだ入っていないけど?」

「このランクの部屋には、それなりの物が備え付けてあるのが常識だろう。予約時に備品として揃えておくからと、二人分のサイズを聞かれて伝えておいたのに、一流ホテルの癖に怠慢だな」

 そう言って如何にも不機嫌そうに顔をしかめた清人を見て、真澄は慌てて宥めた。


「清人、これ位の事で一々怒らないで。ちょっとした手違いよ。フロントに電話して、私の分だけ持ってきて貰うわ。ほら、先にお風呂に入って機嫌直して頂戴」

「分かった」

 まだ何となく不機嫌そうな気配を漂わせながらも、清人は大人しく寝室の向こうのバスルームに消えてから、真澄は受話器を取り上げて内線でフロントを呼び出した。

 そして風呂を済ませた清人が浴室から寝室へと戻ると、何故か真澄は広いダブルベッドの端に座り、膝に置いたホテルのロゴが入った紙袋の中を微動だにせず覗き込んでいるところだった。


「……真澄? ああ、頼んだのが届いたんだな」

 声をかけながらパジャマ姿の清人が近付くと、真澄は傍目にもビクッと体を強張らせてから慌ててその袋の口を閉じた。

「とっ、届いた事は届いたんだけど……」

「どうした?」

 明らかに狼狽している真澄に、清人は僅かに険しい視線を向けて問いかけたが、真澄は視線をさまよわせてから何か諦めた様にうなだれた。


「……ううん、何でもないの。お風呂に入って来ます」

「ああ」

 紙袋を提げてのろのろと浴室に向かう真澄の後ろ姿に、(どうかしたのか?)と清人は怪訝に思ったが、取り敢えず深く追及するのは止めて様子を見てみる事にした。


「……上がりました」

 ちょっと長めかと気を揉んだものの、無事に真澄が浴室から寝室に戻って来た為、ベッドに座って本を読んでいた清人は立ち上がり、備え付けの冷蔵庫に向かって歩きながら声をかけた。


「ああ、ミネラルウォーターでも飲むか?」

「ええ……」

 真澄が何となく元気が無い様に感じた為、清人はミネラルウォーターを注いだグラスを手にして戻り、自分が座っていたのとは反対側に座った真澄に手渡した。

そしてその横に並んで座りながら、真澄の姿を眺める。


「真澄? 汗が引いたら着替えるのか?」

 バスローブを身に纏っている真澄に、清人が不思議そうに問い掛けると、真澄は言いにくそうに言葉を濁す。

「そうじゃなくて……、着替えた事は着替えたんだけど……」

「じゃあこれの上にバスローブを着込んでるわけか? なんだってそんな事をしてるんだ?」

 自分のパジャマを軽く摘みながら、清人が呆れ気味の声を出したが、それに触発された様に真澄が声を張り上げた。


「わ、私だって、したくてしてる訳じゃ無いわよ! だけど色々心の準備って物が!」

 真澄がそう叫んだ瞬間、清人の表情が物騒な代物にすり替わる。

「真澄……、ちょっとそれを脱いでみろ。ホテルで何か変な物をよこした訳では無いだろうな? もしそうだったら」

「違うからっ!! 仕組んだのはお母様だし!! だからお願いだから、ホテルに変な嫌がらせとかしないでよ!?」

 バスローブの合わせ目に両手をかけられた事で動転し、その手を押さえながら真澄が叫び声を上げた、清人は動きを止めて真澄の顔を覗き込んだ。


「……真澄、お義母さんが何だって?」

 その問い掛けに、真澄は無言のままゆっくりとバスローブを脱ぎ、中に身に着けている物を露わにしてから、身の置き所が無い風情でうなだれた。

「これなんだけど……」

「何なんだ……。そのやる気満々なベビードールは……」

 呆れ果てた声を出した清人の視線の先には、胸の下で切り替えてギリギリ膝丈までの裾がふんわりと広がるデザインの、身体のラインがしっかり透けて見える薄ピンクのシフォンジョーゼットを身に着けた真澄が居た。全体の色は落ち着いた感じなものの、胸元は結構広く開いた所を、細いリボンを通して結びつけるタイプで、その隙間から胸元がしっかり覗き込める代物の上、袖や裾は繊細な黒のレースで、脇もざっくりと切り込みが入っているという、何とも扇情的な代物だった。

 思わず清人が片手をベッドに付き、片手で自分の額を押さえると、真澄が慌てて傍らの紙袋の中を漁って、折り畳んだ紙を清人に向かって差し出す。


「や、やる気満々って……、そんな気は微塵も無いから! フロントに『ホテル備え付けのナイトウェアをお願いします』って頼んだら、この手紙と一緒にこれが入ってて……」

 そんな僅かに涙をうかべつつの真澄の訴えを聞いて、清人は顔を上げてそれを受け取った。そしてそれを開いて中身を確認してみる。


『真澄、今日はお疲れ様。最後にもう一つ結婚祝いを贈ります。

 披露宴案は作ったんだけど、やっぱり大げさな事だけじゃなくて、小さな雰囲気作りも重要よねと言う事で、これを昔、香澄さんと一緒に選びました。

 あなた達が色々順序や段階を飛ばしてくれたせいで、当初予定していた展開と違うので、今回シチュエーション的に見て《初お泊まり用》《新婚初夜用》《ハネムーン用》のどれを使うか迷ったのですが、香澄さんが「これなら清人君のハート鷲掴み確実だから!」と主張して譲らなかった、一押しのそれにしました。

 予めそれを渡したら、絶対あなたは持参しないと思ったので、ホテル側にお願いしてちょっと仕組んで貰いました。だからホテル側の怠慢だと清人さんが怒っても、ちゃんと事情を説明して宥めるのよ?

 それからホテル内のブティックとかにも話が伝わっている筈だから、ナイトウェアを買おうとしても販売拒否される上、生温かい目で見られる事確実だから止めておきなさい。

 清人さんには、それをプレゼントするから、今日は我慢して大人しく何もしないで寝なさいと伝えて頂戴。良い子にしていないと他の物をあげませんから、ともね。

 それではおやすみなさい。  玲子』


 それに一通り目を通した清人は、無言で便箋を元通り畳みながら、盛大な溜め息を吐いた。


「……シチュエーションって。一押しって……、何なんだ、この突っ込み所満載の内容は?」

「私に言わないでよ!」

「それで? 真澄は大人しく着たわけだ」

 些か疲れた様に清人が真澄の全身を眺めやると、真澄は僅かに顔を赤くしながら反論した。

「だって、下のお店にまで手を回してるなんて書かれたら! お母様は絶対そうしてるし!」

「……だろうな」

 思わず遠い目をしてしまった清人に、真澄が尚も言い募る。


「今からタクシーを頼んで、買いに行くのもどうかと思うし」

「確かにまだデパートも、ギリギリ開いている時間だがな。しかし……、お義母さんは純粋に祝福してるだけか? いたぶられている気がするんだが」

 そうして清人が再度真澄に視線を向けると、真澄は脱いだバスローブを胸元に軽く引き寄せつつ訴えた。


「あ、あのね! あまりジロジロ見ないでよ!」

「仕方が無いだろう。恥ずかしいだろうが、諦めるんだな」

「でも……、普通の時ならともかく、今はお腹が出てきて体型が崩れてるから、余計に恥ずかしいのよ。こんなの似合う筈無いじゃない……」

 ぼそぼそとそんな事を言って視線を逸らした真澄を見て、清人は一瞬目を見開いてから、小さく噴き出した。


「何だ。そういうのが恥ずかしいって事より、そんな事を気にしてたのか?」

「何よ、悪い!?」

 途端に振り向いて自分を睨み付けてきた真澄を、清人は苦笑しながら見返した。

「さっき俺が言った事を聞いていなかったのか? 俺的には蛇の生殺し状態なんだぞ? 腹が出てようがなんだろうが……、いや、寧ろ背徳的な感じがして、却って燃える」

「ちょっと!」

 最後は真面目な顔と口調で言われた為、真澄はギョッとして反射的にベッドから腰を浮かせて後ずさった。その手首を素早く捕らえた清人が、笑いを堪えながら立ち上がる。


「冗談だ。正直なところ、出席者によってたかって飲まされた酒がなかなか抜けないから、今日はこのまま寝るぞ。やっぱり昼に一回やっておいて良かったな」

「全くもう……」

 どこまで本気で言っているのか分からない事を言って、清人は慎重に真澄の身体を抱き上げ、優しくベッドに下ろした。そして自分もその横に寝転がりながら、足元に捲り上げられていた掛け布団を引き上げる。

 しかし腰の辺りまで引き上げた所で一度動きを止め、服を着ている時には何とか誤魔化せている真澄の腹部の膨らみに手を伸ばし、そこにゆっくりと手を滑らせながら囁いた。


「今日は随分騒がしかっただろう。すまなかったな」

 手元を見ながらのその優しげな声に、真澄は素直に応じる事ができずに、つい尖った声を出す。

「どう考えても、半分以上清人のせいですからね?」

「分かってる」

 特に反論もせず、苦笑いした清人は再び羽毛布団を引き上げ、肩まで覆う様にした。そして真澄の身体を抱き込む様にしてから、思い出した様に言い出す。


「そう言えば……。お義母さんの手紙の内容だと、今回のこれ以外にも、似た様な物を色々用意してるって事だよな?」

「……そうでしょうね」

 そこはかとなく嫌な予感を覚えながら真澄が取り敢えず同意すると、清人はそれは嬉しそうな笑顔で真澄の顔を見下ろしてきた。


「楽しみだな。色々着てくれるんだろう?」

 その問い掛けに、真澄は横になったまま、小さく首を振って却下した。

「ただでさえ恥ずかしいのに、無理だから!」

「体型が崩れてるなんて、気にする必要は無いとさっきから言ってるんだがな?」

「私が気にするのよっ!」

「じゃあ出産して、体型が戻ったらどうだ?」

 真顔でそう問い掛けられた真澄は、言葉に詰まってから、不承不承といった感じで言葉を絞り出す。


「それは、まあ……、仕方が無いから時々なら……。香澄叔母様が選んでくれたみたいだから、一度も着ないで捨てたりしたら、後味が悪いし…………。あ、でも毎週とかは無理よ!? これは何かの記念日とか、ごく偶にですからねっ!」

 急に必死の面持ちで主張してきた真澄に、清人は堪え切れずに失笑し、頭を撫でながら真澄を宥めた。

「分かった。その方がありがたみが増すからな。その時は散々焦らされた分可愛がってやるから、取り敢えず今日はもう寝るぞ」

「……っうぅ、はい」

 色々と反論したい事はあったものの、ここで変な方向に話を持っていかれるより、大人しく寝てしまった方が得策だと思った真澄は、素直に頷いて目を閉じた。

 その様子を微笑んで眺めていた清人も、疲労の度合いとしては真澄のそれと大差はなく、ほどなく夫婦揃って穏やかな眠りについたのだった。


(完)


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