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第24話 清人の暴走

公開日時: 2021年4月1日(木) 07:56
文字数:5,866

その日もひとしきり議論が交わされてから、清人は思い出した様に翠に視線を向けた。


「翠先輩、以前要望を伺っていた社内保育所の設置の件ですが、本社ビルに隣接するビルに、認可保育所が来春開設します」

「え? 本当? 嬉しいぃぃ!」

 途端に喜色満面で食い付いた翠に、清人が笑って頷く。


「運営は子会社になりますが、柏木が百%出資の所なので、社員の子弟は優先的に入れて貰えますから」

「良かったわね~、職場復帰にギリギリ間に合って」

「うん。うちは裕子の所みたいに実家が近くに無いから、親に気軽に子供の面倒を見て貰えないし、もし保育所に入れられなかったらどうしようかと心配してたわ」

 安堵の声を交わす二人に、清人が尚も話を続ける。


「翠先輩の為に、ちょっと取締役会で頑張ってみました。ついでに同じビルに、病児保育事業をサポートする小児科も誘致出来そうです。隔離が必要な病気に罹患後も、熱が下がったらすぐに預ける事ができますよ?」

「清人君、偉い!」

「お姉さん達が誉めてあげるわっ!」

「光栄です」

 隣に座っていた翠と、座卓をぐるりと回り込んで目の前に座ってきた裕子に強引に頭を撫でられ、清人は苦笑するしか出来なかった。その姿を見ながら、男三人は呆れた視線を向ける。


「それはあれか? 以前話が出ていた、新分野への進出の一環か?」

「確かに柏木は、消しゴムから人工衛星の部品まで、売れるものはどんどん売ってるけどな」

「少子化の流れを汲んで、高品質の育児・教育・医療サービス分野への参入が検討されてたが、本決まりって事か……。お前、どうやってそこまで持ち込んだんだ?」

 その興味深げな表情に、清人は一口ビールを飲んでから、事も無げに説明した。


「別に俺がそこまで持ち込んだわけでは無く、現場の皆さんが頑張ったおかげですよ? 俺は単に会社側に経営不振で不渡りを出しそうになってる民間の保育所の話や、子育て支援に取り組んでいる小児科医のネットワークの紹介をしたり、テナントが次々抜けて、売却を検討していたビルのオーナーに渡りを付けた位で。まあ、他にも幾つか有りますが」

 飲む合間に淡々と告げた清人を見ながら、達也はどこか探る様な視線を向けた。


「因みに、その持ち込んだ話をそもそも誰から聞いた? 明らかに誰かが介在してるよな? 絶対以前の女だろ?」

「良く分かりましたね。流石鹿角先輩」

 驚いた様に軽く目を見開いた清人に、達也は罵声を浴びせた。


「分かるわっ! これまでも散々、以前の女からの情報を流してたじゃねーか!?」

「そんなに怒らなくても……。皆とは円満に別れてますので、連絡を取るといつも快く協力してくれますよ?」

「お前な……」

 プルプルと拳を握り締めて呻いた達也を雅文が宥めつつ、好奇心から問いを発した。


「まあまあ、落ち着け達也。因みに清人、今回骨を折って貰った彼女は、何人目の女だ?」

 その問いに、清人が真面目な顔で考え込む。


「保育士の彼女は九人目で、医師の彼女は六人目です、会計士の彼女は確か十八人目で、不動産取引業資格保持者の彼女は……、確か二十四か二十五人目かと……」

「今すぐここから出て行け」

「サイッテー」

「相変わらずだな……、お兄さんはお前の将来が心配だ」

「女を職業と利用価値で選ぶなよ」

「嫌ぁっ! こんなのに触られたら、陽菜の男運がだだ下がりだわっ!」

「……随分な言われようですね」

 途端にブーイングと憐れむ視線を受けた清人は、憮然とした表情を隠そうともせずビールを呷った。しかし周囲の面々はそれで許すつもりはサラサラ無く、顔付きを険しくして清人に言い聞かせる。


「お前、良い加減身を固めろよ。悪い事は言わんから」

「そうそう、柏木だっていつまでも独り身で居てくれるとは限らないんだぞ?」

「さっき『翠先輩の為に頑張った』とか殊勝に言ってたけど、どうせ真澄が出産する時に備えてでしょ?」

「清人君だったら家事育児完璧だし、真澄だって仕事を続けるのに不安は無いしね」

「そもそもお前がうちの入社試験受けたのは、柏木が居たからだろ? それがどうして内定を蹴っちまったんだ?」

「皆さん……、どうして毎回俺が真澄さんを好きな事前提で、話をするんですか。今まで散々否定してるのに、その根拠は何ですか?」

 この間何度となく繰り返されてきた論争に、本気でうんざりしながら呻いた清人だったが、問われた面々は軽く一蹴した。


「根拠? んなもん無くても充分だ」

「女の勘?」

「だって私達を含めた他の有象無象の女達と比べて、明らかに態度が違うし」

「他の鈍い奴らには、分からないだろうがな」

「この俺達相手にバレて無いと本気で思ってるなら、とんだ間抜けだぞ? 清人」

「………………」

 もう何を言っても無駄だと思った清人は、ひたすら無言で飲み続けた。そんな清人の態度に「つまらん」とか「往生際が悪い」とかブツブツ言いながら皆も飲んでいたが、ふと思い出した様に人事部所属の裕子が心持ち声を潜めて言い出した。


「真澄って言えば、来春の人事異動の話、聞いてる?」

 それを耳にした清人はピクリと眉を動かして一瞬手の動きを止めたが、それ以外に特に目立った反応を示さなかった。しかし他の人間は怪訝な顔をして続きを促す。


「一体、何の話だ」

「勿体ぶってないで、さっさと話せよ」

「それが……、ひょっとしたら真澄、来春から最低三年間、アメリカ支社勤務になるかもしれないのよ。言っておくけど、これ、まだオフレコだからね?」

 黙々とビールを飲んでいる清人の向かい側でそう言って念を押した裕子に、周囲は戸惑った様に呟く。


「は? マジかそれ?」

「真澄、一昨年課長になったばかりでしょう?」

「それで何でアメリカ支社行きだよ。目立ったミスとかもしてないぜ?」

「それが……、来春アメリカ支社北米事業部長の正木さんが退社するそうなの。それで後任者選定で、水面下で揉めてるみたい。今の段階で候補に上がってるのは、本社では真澄の他に営業部第三課長の白鳥さん、海外事業部第二課長の神谷さん、経理部第一課長の高杉さんなんだけど……」

 そこで裕子は言葉を濁したが、察しの良い面々のこと、すぐに言わんとする事を察してしかめっ面をした。


「ああ、取り敢えず社長派と神楽派が二人ずつ、か。なるほどな」

「嫌だねぇ……、割とオープンなうちでも、派閥抗争とは無縁でいられないとは」

「この面子だと、確かに即決できないわね。確か白鳥さんは英会話が心許ないし、神谷さんは春の人間ドックで何か引っ掛かった筈よ。高杉さんは確かに新人の頃営業の経験は有るけど、成績が悪かった上顧客とトラブルを起こして、配置転換になったのよね? その後経理畑では問題無いけど」

「育児休業中なのに、人間ドックの結果まで良く知ってるな……。秘書課は情報通の集団か?」

「他の支社の部長クラスから出すって選択肢も有るんだけどね。まだ何とも言えない状況なのよ」

 そう言って裕子が締めくくった所で、翠が思い出した様に隣に向き直って声を荒げた。


「そうなんだ……。そうじゃなくて清人君! 黙ってないで何とか……、あら?」

 しかし話しかけようとした相手がそこにおらず、戸惑った顔を見せる。座卓の向かい側に座っていた面々も、ここで漸く清人の不在に気が付いた。

「清人? どこ行きやがった、あいつ」

「……呼びましたか?」

 誰ともなく問い掛けると、ビール缶の乗ったお盆を両手で抱えた清人が襖の陰からひょっこり現れた為、達也は溜息を一つ吐いてから呆れた様に声をかけた。


「呼びましたか? じゃねぇ。すました顔でビール缶持って、何してやがるんだ」

「ビールが無くなったので、冷蔵庫に取りに行っただけですが、何か?」

 平然と言い返した清人の台詞に、他の面々が周囲を見回してあり得ない事態に直面した。


「無くなった?」

「げっ、もうロング缶四本空になってるぜ!?」

「……ちょっと待て、俺達、まだそんなに飲んでないよな?」

「ああ、話に忙しかったし……」

 五人は顔を見合わせてそれらを主に誰が飲み干したかを推察し、揃って恐る恐る清人の様子を窺った。その視線の先で、清人は傍目には全くの普通通りで新しい缶を開け、静かに飲み続ける。

 流石に放置はできないと、翠が控え目に声をかけてみた。


「あの、清人君? 飲みすぎじゃない?」

「別に何ともありませんが」

「そ、そう? それじゃあ、えっと……、真澄がアメリカに行くかもしれないって話、聞いてた?」

「聞いていましたよ? 本人からも直に聞きましたし」

「聞いたの!?」

 事も無げに言われて翠は驚きに目を見張ったが、晃司はそんな清人の態度を見て僅かに眉を顰めながら確認を入れた。


「それで? その話を聞いた時、お前は柏木に何て言ったんだ?」

「チャンスだから行ったらどうですか? と言いました」

 引き続き淡々と応じながら再びビールを飲みだした清人に、男達はガックリと項垂れ、女達はいきり立った。


「何でだよ……」

「どこまで馬鹿だ、お前」

「もう付き合いきれん。俺達がこれまでどれだけ、柏木に纏わり付くろくでもない男どもを排除してやったと思ってるんだ」

「あのね! 男は六十だろうが七十だろうが孕ませられるかもしれないけど、女が出産できる時期は限られてるのよ!?」

「そうよ! 第一、真澄が向こうで変な男に引っ掛かったらどうするつもり?」

 しかしその訴えにも、清人は大して感銘を受けた様子は無かった。


「大丈夫だと思いますよ? アメリカ支社長は内藤さんですし」

「おい、ちょっと待て……。内藤支社長の名前が、どうしてここに出て来るんだ?」

「真澄さんはあの手の顔の人が好きですから。夫人が亡くなって今は独身みたいですから、真澄さんがアメリカに行ったら、案外すんなり纏まるんじゃないですか?」

 達也の怪訝な声での問いかけに、清人があっさりと理由を述べる。その途端、室内に沈黙が満ちた。

 そして何十秒か経過してから、裕子が恐る恐るといった感じで確認を入れる。


「纏まるって………………、ひょっとして、真澄と内藤支社長が?」

「はい」

 真顔で清人がそう端的に告げた瞬間、その場に爆笑が轟いた。


「……プッ、あ、あははははっ! あり得ないっ! 何言ってるのよ清人君っ!」

「お前、何か性質の悪い酒飲んでるな?」

「ちょっと頭から水かぶってこい」

「いや~、久々に笑えた」

「もう、変な冗談止めてよ~」

「冗談じゃありませんよ。内藤支社長はどことなく父に似てますし」

 口からグラスを離して引き続き冷静に話す清人に、達也は再び呆れた表情で溜息を吐いた。


「あのな、どうして今度はお前の父親が出て来るんだ?」

「真澄さんは親父の事が好きでしたから。俺の思い違いでなければ、多分、今でもそうですよ?」

「……………………」

 どこまでも淡々と自分の考えを告げる清人に、五人は無言で顔を見合わせた。その前で清人は自然な動作でビールを飲み続けていたが、そこで盛大に顔を顰めた翠が動きを見せる。


「清人君、グラスを置いて、ちょっとこっちを向きなさい」

「はい、どうかしましたか? 翠先輩」

 翠に命令口調で声をかけられたものの素直に従い、清人は座布団に座ったまま直角に向き直り、隣席の彼女と真正面から向き合った。


「さっき清人君が言った事を端的に纏めると……、真澄はあなたの父親が好き、もしくは好きだった。そして内藤支社長がその父親に似ている。だから真澄は支社長の事が密かに好きだと、そう思っているわけね?」

「そうです。見事な三段論法ですね、さすが翠先輩」

 真顔で誉め言葉を漏らした清人に、翠は笑顔のまま小声で毒吐く。


「……絞めるぞ、このボケナス」

「は?」

 聞き取れずに怪訝な顔をした清人に愛想笑いをしながら、翠は話を続けた。


「何でもないわ、こっちの話。ところで、一つ質問して良い?」

「はい、何でしょうか?」

「どうして清人君が内藤支社長の顔を知ってるの? あなた達、接点は無いわよね」

 そう不思議そうに問い掛けると、清人は俯き加減になってぼそりと呟いた。


「一度だけ、直にお会いした事があります」

「いつ? どこで?」

「内定を貰った後、お礼かたがた柏木本社に手続きの為浩一と一緒に出向いた時、真澄さんと当時直属の部長だった内藤さんが一緒に歩いている所に偶然遭遇しました」

「へえ……、真澄からそんな事聞いてなかったけど」

 一応納得しながらも首を捻った翠に対し、清人は自嘲気味に続けた。


「この前聞いてみたら、記憶にも無かったみたいですね。出くわした途端『部長、弟とその友人の佐竹君です。とても優秀なんですよ? 是非とも営業部に引っ張って下さい! 絶対後悔させません!』って内藤さんの腕を親しげに引っ張りながら、俺が滅多に目にしない位の上機嫌な笑顔で……」

 そこで唐突に口を閉ざして俯いた清人に、翠は何となく危険なものを感じながら先を続けた。


「あの、ね? 清人君。真澄は誉めてくれたんでしょう? 今の話のどこがどう、気に障ったわけ?」

「どこが?」

 すると清人は横の座卓を片手でバンッと力一杯叩きながら、憤怒の形相で絶叫した。


「どこもかしこもですよ! 『君の推薦なら、どんな人間でも引っ張らないと後が怖いな』とか『だって良い人材を入れれば部長の業績だって上がりますよ?』とか『じゃあ君が責任持ってビシビシ鍛えてくれ』とか『任せて下さい、弟の躾で年下の扱いは慣れてます』とか言いながらイチャイチャしやがって!」

「イチャイチャって……、あの、清人君?」

「ふざけんな! 在学中二学年下で散々その差を思い知らされてきたのに、どうして就職してまでそんな思いをしなけりゃならないんだ!? 第一、真澄さんと親父似の内藤の野郎がベタベタしてるのを見ながら働けるかよ! こっちの神経が焼き切れるに決まってんだろ!!」

「おいっ!」

「ちょっと待て、落ち着け!」

「分かった! 取り敢えずお前の言い分は分かったから!」

 怒りに任せて翠に向かって叫んでいるうちに、普段の貴公子然とした表情や言葉遣いをかなぐり捨てた清人に危険なものを感じ、慌てて男三人が清人を取り囲んでその身体を押さえた。

 一方の翠は清人の剣幕に思わず固まったが、すぐに平常心を取り戻して疑いの視線を向ける。


「清人君……、まさかうちの内定を蹴ったのは、真澄と内藤支社長の仲を疑ったからってわけじゃ無いわよね?」

 翠がそう口にした途端、室内に不気味な沈黙が満ちる。そして周囲から居心地が悪くなる様な視線を一身に浴びた清人は、少ししてからふてくされた様に呟いた。


「………………だったら、どうだって言うんですか」

 その呟きが、幾らか落ち着きを取り戻したらしい清人の口から漏れた途端、その場に複数の罵声が轟いた。


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